読売新聞(2003.8.5)より
尾道市の校長・教育次長自殺問題
真相見えず
県教委
県教組
確執深く
国旗・国歌問題 対話途切れたまま

 広島県尾道市で今年三月、民間登用の市立高須小学校長が自殺した問題の真相解明が暗礁に乗り上げている。県教委と県教組の見解が対立する中、市議会が同校教員らの参考人招致に乗り出す構えを見せたが、直後に、市教育次長が自殺、PTAなどから中止を求める声が出たからだ。その教育次長の死から一か月。教育をめぐる行政と現場のいびつな関係は、なお改善の糸口がつかめないままだ。
尾道市の小学校長と教育次長の自殺を巡る経過2002年
4月1日慶徳和宏さんが高須小に着任
2003年
3月9日慶徳さんが自殺
4月1日県教委が校長自殺で中間報告を発表
5月9日県教委と市教委が最終報告書を発表
6月20日市議会総務委方寸高須小教諭らの参考人招致を決定
30日市教育長が入院
7月1日県教組が校長自殺の最終報告を発表
4日山岡将吉・市教育次長が自殺
14自県教委が市教委に職員ら2人を派遣
14日慶徳さんの遺族が公務災害認定を申請
17日市PTA連が市議会に要望書を提出
24日市議会総務委協議会が参考人招致の問題で紛糾
28日県教委が山岡さんの後任を派遣
 
高須小の校長自殺慶徳さんは昨年四月、広島銀行東京支店副支店長から転身したが、今年三月九日、自らの力不足を嘆くメモを残して自殺。遺族は「不慣れな環境で過重勤務を続け、心労が重なった」とし、七月十四日、公務災害認定を申請した。慶徳さんの死についての調査や市議会、マスコミなどの対応に当たっていたのが山岡さんで、七月四日、死を選んだ。
■参考人招致
「参考人招致については慎重を期されるよう切に要望します」。市議会総務委員会が、招致日程などを煮詰めるため予定していた非公式協議前日の七月十七日、市PTA連合会(宇根本茂会長)から、暗に中止を求める要望書が出された。
 「参考人招致の決定を機に、教育長の病気入院、教育次長の自殺等極めて憂慮すべき事態へと進展…」と理由が記してあった。
 高須小校長、慶徳和宏さん(当時五十六歳)の自殺について、県教委は「国旗、国歌など学校運営をめぐる教職員とのあつれきがあった」などとする報告書をまとめた。これに対し、県教組は「過重な労働条件が原因」などと反論した。
 市議会の総務委は六月二十日、真相究明のため教員らの参考人招致を全会一致で決めていた。
■事態一転
 ところが、七月四日に市教育次長の山岡将吉さん(同五十五歳)が亡くなり、事態が一転した。県教委、市教委の調査に協力してきたPTAの間に、「第二の犠牲者まで出したのでは」「もう、そっとしておいた方がいい」との声が広がったのだ。
 十八日の非公式協議。平田久司委員長が冒頭でPTAの要望書を説明したあと、招致の撤回を提案した。委員の意見は、「落ち着くまで待つべきだ」「予定通りやるべきだ」などと分裂、結論を持ち越した。二十四日に仕切り直ししたが、「今は山岡さんの喪に服している時だ」との声も出て、八月末に再協議することを決めるにとどまった。
市議の中にも、「議会が問題を蒸し返していると思う市民も増えてきた。もう嫌」と、漏らす人がいる。
■99年にも犠牲者
 広島では県教組の加入率が約40%と全国平均(31%・日教組)より高く、国旗・国歌問題を巡り、これまでも校長と教職員の間で緊迫した長時間交渉が何度も行われ、校長が教委と教職員の板挟みになってきた。
 一九九八年、当時の文部省が「国旗掲揚、国歌斉唱などが適切に行われていない」として、県教委に是正を指導。これに伴い、校長の指導権限が強化されたが、県教組が猛反発し、以来、両者の対話が途切れた。
九九年二月には、県立世羅高の校長が卒業式前日に自殺した。この時も、県教委は「組織的反対運動などがあり、校長が深い孤立感と無力感に陥った」とする調査結果を発表、教組側は「事実誤認」と反論した。

校長板挟み
■テコ入れ
 県教委は今回の二人の死を受け、「問題にかかわった一人ひとりが反省し、取り組んでいかねばならない。県教委と市教委は一体」(常盤豊・教育長)と、市教委への支援を始めた。
 七月中旬、主任管理主事と、校長の相談に乗るため新設した「学校経営相談員」を市教委に派遣。二十八日には県呉・賀茂教育事務所の平谷祐宏所長(50)を山岡さんの後任に送り込んだ。
 このテコ入れについても、県教組は「管理強化だ」と反発、「管理体制を強めれば強めるほど学校が閉鎖的になる」と対決姿勢を崩さない。ある組合員は「県教委が歩み寄りに応じない」とも批判する。
 県教委側も「教組と妥協を重ねてきたことで文部省から指導を受けた」と引く構えば見せず、「教組とは目指す方向が違い、現状では建設的な話し合いはできない」とする幹部もいる。

■手つかず
 教委と教組の対話がないまま、校長が間に立つ状態は手つかずのままだ。
 ある校長は「我々も動揺している」と明かしつつ、「(二人の死で)何一つ変わったことはない。これまで通り淡々と学校運営を進めるしかない。各学校で先生たちに今回の件を説明し、一丸となった学校作りを訴える必要があるのではないだろうか」と話す。
 そうした校長たちの苦悩を知るPTA関係者の一人は「市議会は参考人招致より、学校をじかに見て、生の声を聞くべきだ」と提案する。
 保護者たちも、「今はそっと」との思いと、「このままだと、また、同じことが繰り返されかねない」との危惧との間で、揺れている。
第三者を入れて
 教育行政や学校経営に詳しい小松郁夫・国立教育政策研究所高等教育研究部長の話
 「広島では、歴史的な経緯から教委と教組が不信感を募らせているのだろうが、すでに大きな悲劇が起きている。両者が話し合う場をまず設けるべきで、その場に学識者や企業人など中立的な第三者を入れ、協議内容を公開して透明性を高めて早急に解決を目指すべきだ」
開かれた改革を
 自殺した世羅高の校長のあとに着任し、在任四年四か月の田辺康嗣さんの話
 「職員会議の様子をマスコミに説明したり、教職員と地域の住民が集う懇談会を開催したりするなど開かれた学校改革を進め、トラブルはなくなった。教職員もいい加減なことはできない。自分の考えはしっかり示し、実行させてきた。学校での問題はすべて校長の責任と強く自覚する必要がある」