日経新聞(2003.12.13)教育より
大学改革支援へ経済人らがNPO
変わらぬ組織に変化促す
財務など第三者評価
         国際競争力養成目指す
 経済人や人学関係者らが中心になって、大学改革を支援・推進する非営利組織一NP0)「21世紀大学経営協会(U-MA)を設立した。副理事を務める関昭太郎早稲田大学副学長(元山種証券社長)に寄稿してもらった。
 21世紀人学経営協会」は社会の幅広い期待にこたえられるような大学の改革を支援・推進するNPOである。理事長は宮内義彦オリックス会長で、六十の法人と百三十人を越す個人が参加した。当面の活動は研究会やセミナーの開催だが、いずれ財務や教育内容などを中心にした人学の第三者評価も手がけたいと考えている。
 今の日本は社会を構成する様々なセクターで本音の儀論を進めていかないことには、世の中の仕組み全体がゆがんでしまろところまできている。
企業社会でいえば、経常者・監査役・監査法人の三者間で本音の意見交換が十分にできて初めて、健全な会社の姿となり株主や社会から信頼される。だが、日本の大学では、そのような形でのユニバーシティ・ガバナンスが発揮されてきただろうか。
教育は金属疲労
 大学の中には大学人と称する人々がいる。"エスノセントリズム(自民族中心主義)症候群"にかかっているのだろう。
ともかく調整がまともに機能しない。彼らは「動かない」「変えたくない」、そして「放したくない」のだ。志のある若手がもの申したところで全く通じない。大学は正論が通らない組織だ。歴史は正論が通らない世の中はいずれ滅びると教えてくれる。大学とて例外ではない。
 大学がこのような姿で、戦後六十年近くも何の不思議もなく引き継がれてきたことは恐ろしいことだ。一般社会は日夜競争によって新しい分野が開拓され展開されている。競争がない所に前進はない。学校も同じはずなのだが「学校産業」というマーケットが目に見えて存在しないため、競争原理が働かない。
 経済界で長く育った人間として感じることは、日本の教育界の問題点はガバナンスの欠如ということである。戦後の社会・政治・経済構造、わけても重要な教育問題は金属疲労をおこしている。システムの早急な変革が必要だ。教育界にガバナンスを確立し、知識と技術の詰め込み教育から哲
学と理念のある教育へと改革を推進し、世界で競争できる大学づくりを進めないと日本の未来は危ない。
変えるのは今
 十一世紀初頭に大学が改革できるか否かは大学のあり方いかんにかかっている。早稲田大学でも、奥島孝康前総長が実践してきた大学の改革改善に続いて白井克彦総長が大学の組織すべてにわたった質的改革に取り組み始めている。だが、大学改革は日本中の大学がそろって実施した方が大きな力になる。すべての大学が改革の担い手になることで国際的な競争力が養成できる。日本の大学を変えるのは今が好機であり、この時期をおいて他にない。
 二〇〇一年八月、私は大学経営に携わる有志(七人学の九人)と一緒に米国の大学経営戦略を学ぶ機会に恵まれて渡米した。大学の財政基盤や経営システムから教学政策まで、経営・教学・組織のあらゆる面で日米間の格差を、いやというほど思い知らされて帰国した。
 帰国後、渡米メンバーを中心に大学の財務担当役員が集まって勉強会を重ねてきた。活発な議論を上台に、お互いに連携して大学改革のメッセージを発信し、改革推進のけん引車になろうと語り合ってきた。
 だが、いまだに大学内部で、産業界の期待に沿うような十分な改革は進んでいない。既得権益に大あぐらをかき、変わろうとしない大学の改革を促進するには、内部的な改革だけでなく大学外の人たち、特に産業界の人たちと大いに議論し、その成果を発表し実行につなげていく必要がある。そのための大学改革支援機関を設立する必要があるといろ結論に達し、NPO設立につながった。
 学校教育法が改正され、二〇〇四年度からは第三者機関による認証評価制度が法制化される。産学の期待に応えられる評価制度を導入し、実施することが求められている。独立した透明度の高い評価ができるかどうかが今後の大学の命運を左右する。
 大学に関する組織はすでにいくつか存在するが、内部的な性格のものが多い。これでは改革を行うことは不可能だ。一方で、教育の信頼度を高めるためにはステークホルダーへ利害関係者)の理解しやすい大学経営や大学評価でなければならない。私たちのNPOが第三者評価機関として一定の役割を果たし得ると考えている。
教職員の流動化を
 今後の大学改革で重要なことが三点ある。第一に大学経営の健全化。財の独立なくして大学改革なし」である。第二は教員の評価である。「教員の質的改革」なくして「大学改革」はない。最後は教職員の流動化の促進。
 これには実力に応じて設定される公平な給与制度が欠かせない。米国では質を重視する考え方が定着している。論文を発表しているか否かだけでなく、その質はどうなのかといろことだ。外国語で論文を発表しているかどうかも国際化を唱える大学であれば当然の帰結だろう。
『神よ! 変えることのできないものを受け人れる冷静さを、変えるべきものを変える勇気を、そしてそれらを識別する知恵を与えたまえ』
(米国の神学・倫理学者、ラインホールド・二ーバ一の祈りの言葉より=大木英夫先生の訳文を参考にアレンジした)

数字は語る
 大学の知財活動、米国に後れ
 大学が持つ「知の成果を権利として確立し、産業化や社会が活用しやすくしょうと、日本でもようやく知的財産本部や技術移転機関(TLO)を設置する大学は増えてきた。
 知財活動で世界をリードするのは米国。経済産業省によると、特許登録件数、ロイヤルティー収人、ベンチャー設立件数のいずれでも米国の大学に大きな後れを取っている。
 来春の法人化を契機に、多くの国立大学が知財戦略に本格的に取り組む。文部科学省は大学の特許取得件数を十年後に千五百件に引き下げる計画だ。

今どきの子ども
学童向け施設
漫画や塾に負けぬ魅力を
 留守家庭の子どもが増えている。かつては家の鍵を首にぶら下げていたことから「カギっ子」と呼ばれていた。保護者が仕事を持っていて、放課後が留守になる家庭の子どもたちである。今、留守家庭の子どもはどのくらいいるのだろうか。
 横浜市の親(六千人強)と小学生(約八千人)を対象にした調査によれば、保護者の誰かが放課後自宅にいる子どもは五三%。ほぼ半数に近い親がフルタイムかパートで働いている。
 横浜市は放課後の施策として、留守家庭の子どもを対象にした学童クラブと、すべての子どもが対象の「はまっこふれあいスクール」を設けている。
 ところが学童クラブの参加者は四%、ふれあいスクールは四二%で、半数以上の子どもはどちらにも参加していない。とりわけ留守家庭の子どもの中に、学童クラブ、ふれあいスクールいずれにも.不参加の者が半数近くもいることは注目に値する。
各地で子どもの放課後の世界を豊かにしようとする施策が考えられている。
 その際、なぜ子どもたちは既存の施設に集まって来ないのか、真剣に考える必要がある。
子どもたちの多く(六一%〕は放課後は広場や公園で遊びたいと答えている。
 この二ーズに応えるには、テレビゲームと漫画、それから塾に負けない魅力をある人材と活動プログラムを用意した遊び空間が求められている。(干葉大学教授 明石要一)