朝日新聞(2002.8.8)より
ニッポンの学力
  切実そして真剣
 7月から8月にかけて連載した「転機の教育・ニッポンの学力」に約400通の投書が寄せられた。ご意見を紹介する。合わせて「学力」について、京大大学院教授(数学)の上野健爾さんと、教育評論家の尾木直樹さんに話し合ってもらった。

 教育関係者
5日制、塾通い増えた/低下で生活に支障も

福島県新地町の目黒美津英教育長(72)
 文部科学省と教育現場との乖離を憂慮する。
 週5日制で、塾通いが増え、子どもや家庭に新たな負担が生じていることをご存じだろうか。
 学習指導要領の内容を減らし、基礎基本の徹底を図るというが、授業時数も減った。20〜30%の子どもたちが置き去りにされているのが現状だ。総合学習も、教師は準備の時間をとれず、結果的に底の浅いもの、社会人などに依存したおざなりのものが多い。
 全国的に土曜補習を行うところが増えている。東京のある区は、週5日制を実施しない私立との格差を少しでもなくすため補習するという。日本の教育レベルは世界的に高いというが、私立に負うところが大きいのではないだろうか。
 子どもの教育が社会の現状を憂う文脈で取りざたされがちだ。しかし、まず変わるべきは大人。子どもが夢を持てる社会にすることが先決だ。

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神奈川県相模原市の公立中教諭(数学)・山田晶子さん(51)
 国立教育政策研究所の専門家の「日本の子どもは国際的には、トップグループの一角を占める」という意見に疑問を持っています。
 生徒たちは勉強は学校と塾でするものと思っていて、家庭学習の習慣が付いていません。宿題をたくさん出そうものなら、「部活動と塾の宿題で忙しくてやる時間がない」と言うのにもあきれてしまいます。これが学校教育の現状です。
 テレビゲームなどの影響で、じっくり考えることも苦手です。読解力は国語だけでなくすべての教科の基礎として大切ですが、定期テストの問題文を読みとれない生徒もいます。中学生の学力は年々低くなってきているというのが現実で、危機感を抱いているのは私一人ではないはずです。

北九州市の塾経営・倉成健一郎さん(38)
 公立の中学校に10年間勤務し、学校の状況に危機を感じて6年前に学習塾を始めました。
 学力低下問題は、もはや「授業についていけない」というレベルではありません。数学で言うと「千円の3割引き」がわからない。国語では、漢字がほとんど読めないので、「漫画も読めず映画の字幕さえわからない」といった日常生活に影響するレベルにまで落ち込んでいるのです。やっと1学期が終わりました。新年度に入ってから、週5日制と重なってすさまじい休日の数でした。4月は家庭訪問や修学旅行、職員会議などがあるため、学校は昼で終わるという開店休業の状態でした。
 文部科学省は、この「ゆとり」を生徒たちが自主学習や家族とのふれあいに使ってくれるものと本当に信じているのでしょうか。

大阪府堺市の元中学教諭・原田正克さん(81)
戦後日本の教育をだめにした原因の一つに、「なんでも平等」「みな一緒」主義がある。
よく話題になるが、体育大会から順位発表や賞品がなくなった。体育が得意、絵が好き、家でのお手伝いは抜群というように、子どもはいろいろ。それを伸ばすのが教育。悪平等を十分反省すべきだ。

 親から見て
小学生は反復必要/ゆとりより少人数学級を

岡山市の会社員・平井健吾さん(41)
大人たちが自分のことを棚に上げて、子どもだけに学力向上を求めているように思えてならない。
 子どもは社会や地域、家族といった環境の中で育っていく。学力もその環境の中で育まれていく。果たして子どもが学ぶ意欲を持てるような環境を大人は用意してあげているだろうか。
 効果の客観的検証を十分に行わない受験や教育のシステムをつくり出す大人。ひたすら金もうけに明け暮れ、その果てに大不況を自ら招いた大人。子供を欲望の対象にする大人。大人の学力不足が原因と思われる事例には事欠かない。
 子どもは、物心がつけば、自分はなぜ学ばなければならないのか疑問を抱く。答えのヒントとなるのが、大人の言動だ。私には1歳〜1カ月の息子がいる。自戒の念をこめて書いた。

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高知県中村市の公務員・小松憲司さん(43)
 ゆとり教育は間違っているのではないでしょうか。
 現在小4の長女は漢字を覚えるのが苦手で、毎日家庭での漢字学習に頑張っていますが、なかなか「できる」という評価がもらえません。
 漢字の書き取りひとつとっても、小学生には相当の反復学習が必要です。総合学習として体験学習に毎週数時間も割くより、その貴重な授業時間を基礎学力の反復学習に充てていただくわけにはいかないでしょうか。

横浜市の翻訳業・鈴木昌子さん
 小6と中2の子どもの母親です。
大学や会社で若者に接する方々が一番問題だと感じていらっしゃるのは、学力よりやる気、意欲ではないかと思います。確かに自分の子どもも含め、今の子は「そこそこ」でいい、と妙にこぢんまりと固まる傾向があるような気がします。
 情報があふれかえるほどある。しかしそれを取捨選択し活用する、内面からわき上がる意欲や、自分として何を追求したいかという価値基準がない。したがって流されるままにモノを消費するだけ。これが現状だと思います。子どもから真の知的好奇心を奪うものを量産している産業界の猛省を求めたいと思います。何の防備もない子供たちはそのいい餌食になり、安易な方向、つまり受けた刺激に対して反応するだけの方向に流れてしまいます。親がとどめられる程度には限度があります。

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東京都八王子市の主婦(39)
 うちには中2(男)と小5(女)の子供がおります。4月からの新学習指導要領は本当に納得のいかないことばかりです。
 まず、土曜日休みです。
 今まで土曜日は、父親が参加できる行事や
授業参観に充てるなど大切な役割があったのに、それが今年からはすべて平日に回されたり、なくなったりしました。学級会などの時間や、放課後に遊べる時間も減りました。
 多くの母親がパートに出ています。その多くは土日も働いています。子供が休みでも親は家にいない。いろいろな弊害も出ます。いくら休みが多くてもこの不況では遊びにも行かれません。そのうえ、学力低下で塾通いをするのでは悪循環です。
 二つ目は総合学習。考え方はすばらしいと思います。でも準備不足での導入は現場の先生たちを追い込んでいます。
授業数を減らすことよりも、先生の数を増やし、少人数学級にしたり、小学校でも先生は教科別にしたりすることの方が効果があるように思います。

 様々な視点
競争導入、経済界の理論


群馬県境町の自動車部品製造会社経営・北原総一郎さん(47)
 校長先生はその学校の責任者であるにもかかわらず、予算、人事権がない。
 企業において部門責任者にその権限を与えず、責任ある行動がとれるだろうか?
トップのやる気を引き出す為にも「人、物、金」に関する責任と権限は与えるべきである。先生1人に生徒が30人もいては、いかに優れた先生でもその負担は重い。資源のない日本で人材は大切な資源であり、5人、10人学級を早急に実現する必要がある。

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金沢市の大学院生・篠原伸治郎さん(30)
 7年間の会社生活を経て、この春社会人入試で大学院に入学した。同級生は土曜日が月2回休みだった世代。毎週土曜日に授業があった私たちと、彼らの問に学力の差はないと思う。
 気になるのは、最近の文部科学省の動向に「ゆとり」よりも、「スーパーエリートの育成」が見えてきたことだ。
「習熟度別授業」というと、一見子どもの能力に合わせた合理的な教育法であるように思われる。しかし、そのやり方は首都圏の私立進学校や予備校が得意とする偏差値によるふるい分けと根幹を一にするものだということを忘れてはならない。
 現在の科挙といえる国家公務輿試験もまた、完全なる習熟度を達成した学生たちの独壇場となるだろう。国民のためというよりも、国家の威信に重きを置いた改革だと考えざるを得ない。

奈良県橿原市の整体師・千崎秀雄さん(44)
 経済界のおごりを感じる。教育の本質って何だろうと考えてしまう。
高度成長のころは勤勉で従順、高学歴の人材。不況が長期化し世界競争の時代になったとたんに、考え、発想できる人材。「教育に競争を」はまさに経済界の理論。経済にとってその時々に都合の良い人間がほしいというのは、あまりにも勝手な理論ではないか。
 勉強は自分のためで、人に勝つためのものではないと思う。その手助けとなる教育に、競争は必要なんでしょうか。
 人も企業も国も、年齢や学校にこだわらず、もっと自由でよいと思います。
嘆きの声と根本問う声と
 教育と無縁には生きられない日本社会。寄せられた手紙、メールを読んで、学力問題が社会に投じた波紋の大きさを改めて実感した。
 様々な人がこの問題に強い関心を寄せている。学校関係者に加え、経覚者、公務員、エンジニア……。その広がりは想像以上だった。若い世代の葱見も多数あった。
 とくに目についたのは、教師の立場で、学力低下や学習離れを訴える声がかなり多いことだ。
「定期テストの問題文を読みとれない生徒もいる」(中学・数学担当)、「分数ができない。空恐ろしい」(専門高校・同)。
 私立大講師は10年前に比べ国語力が低下し、学生に90分授業が長すぎる実態をつづる。「約5年前から、対話もできない問題児が出始めた」とは国立大理系教授のメール。
 学力低下を認めていない文科省見解と、教える側の危機感との落差は大きい。
 一方で、留学先の米国から帰った高校3年生の「日本の学校は暗記中心。自ら考え、意見を述べる機会のない授業ばかり受ける生徒が超エリートになる国なんて、この先どうなるのだろう」という言葉も重く感じた。
 高校生からは、大学入試の科目増加と、ゆとりを掲げる新学習指導要領の方向を矛盾とする意見が幾つも寄せられた。
 もっとも、状況をどう変えるかとなると、多様な意見が交錯し、道筋はなかなか見えてこない。学力とは何かという根本のところで、読み・書き・算などにしほる考えから、幅広くとらえる意見まで分かれている。連載でも取り上げた、100の問題を短時間で解く「百ます計算」。基礎を身につけるには詰め込みが必要との推奨する意見があった。しかし、考える力がつかない、無用な競争意識をあおる、と懐疑的な意見もあった。
 その中で、共通項として、何のために学習するかという目的意識や、将来の夢、目標を明確にすべきだ、との指摘が多かった。学力問題を解きほぐすかぎの一つだろう。
 学力論議の高まりとともに、公立・私立格差ー進学実績などでの私立優位が浮き彫りになった。これに対し、「公立をばかにする風潮はおかしい」などの意見が寄せられた。9割以上の子どもは公立小中学校に通っている。留意しなければならないと思った。
 国が大方針を定め、都道府県-市町村に行き渡らせる、という教育行政の回路は見直したほうがいい。人々の不満、批判や提案をくみ取り、針路を決める一助にする。
 「文部官僚も何年間か教育現場で実習を」(元高校教師のメール)という呼びかけは説得力を持っている。(高橋庄太郎)
 若い人たち
身近な学力に反響
「お金で格差」は困る/まだ読み書き重視?

埼玉県の県立高8年・阿部朋美さん(17)
 文部科学省の教育改革には疑問を持っています。
 例年、7、8月は秋の行事に向けて準備に忙しくなり、休日にも作業をしていたのですが、今年は土日に作業してはいけなくなりました。勉強以外のことに時間が費やせるための「ゆとり」のはずなのに、逆に制限されています。
 本当にゆとりを持たせて勉強を励ましたいのなら、それなりの施設が必要だと思います。学校を開放して自分が興味のあることができるようにするとか。
 記事に載っていた、日本の数学・科学の成績は立派だと思います。いいところは伸ばすべきだと思うし、この実績があるのにわざわざその方法を手放すのはどうかと思います。

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「ギリギリ中堅進学校」に通う都立高2年の女子生徒(17)
 高1の春休みに、友達が携帯電話のメールで「週休2日制についてどう思う?」とアンケートをしました。私は「イヤダ」と送りました。集計結果を聞くと、全員不賛成でした。実際、土曜日休みは自分たちに負担になりました。
 授業が足りないという理由で、プリント重視。授業でやらなくてもテスト前日にプリント配布をしただけで試験範囲に入ります。あと7時間授業は終わるのが午後4時で、帰ってから疲れがどっときます。
 これから教科書が簡単になると聞きました。でも私立と公立の格差が開くばかりだと思います。お金を出さなけれは十分な教育が受けられない状況をどうにかして欲しいです!
 学校で学びたいのにゆとり教育とか週休2日制とか、本当に困ります。センター試験の科目が増えるのに、急にゆとり教育とか言われても、すごく困ってます。

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福岡市の大学生・松延健さん(22)
 こういう学力議論が起こると、いつも我々の世代が抱いている実感と違う次元で話が進んでいるような気がしてなりません。
 今の若い人の情報処理能力は、大変優れていると思います。たくさんいる芸能人の名前と顔を覚えているし、メールの絵文字なども使いこなせます。
 読み書きそろばんができないのは、それらを昔ほど使わずとも良い時代だからでしょう。本とラジオしかなかった時代なら漢字は日常生活に欠かせなかったはずですが、テレビだと特定の漢字を除いてほとんど必要とされません。

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愛知県豊田市の予備校生・阿川幸人さん(25)
 大学で機械航空工学を専攻して、3年前に卒業しましたが、医学を勉強したく思って再受験を決心し、予備校に通っています。
 最近、学力低下について話題になることが多くなりましたが、実際受験勉強をしてみてそのように感じたことはありません。むしろ昔よりずっと試験も難しく、学力低下と言われているゆえんがわかりません。
 たしかに少子化に伴い受験戦争は昔ほど厳しくなくなって、学力低下を引き起こしているのは事実かもしれませんが、平均的にみるとそれほど深刻な問題ではないと思います。
 大学の先生方も、納得のゆく生徒を確保できるよう何か新しい方式の選抜をすればよいのではと思います。生徒の学力を把握しきれていないのに入学させてしまうので、今の学生は学力低下をしていると勘違いしているのではないでしょうか。

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愛知県岡崎市の主婦(27)
 大学生の学力低下を取り上げて、それがいかに深刻かを訴えている大学教授に=言いいたくなった。「そんなことは当たり前」と。
 私は、高校が進学校だったこともあり、何をするにも受験が念頭にあった。勉強はすべて詰め込みだった。理解するのではなく、暗記する。そして受験の日までにどれだけたくさんのことを詰め込んでおけるか。受験勉強をしていると、興味をもって深く知りたくなるようなものもあった。しかし、そんな暇はなかった。
 受験が終わったら忘れるのは当たり前。学習内容が3割減っても、元に戻ったとしても、日本のゆがんだ受験が変わらない限り、「学力低下」は解決されない。
対談 どこが問題? どう変える? 
        データから学力低下明らか
   指導要領作成、現場の声聞け
上野健爾氏  京都大学大学院教授
尾木直樹氏  教育評論家
ー子どもたちの学力は低下しているのでしょうか。
上野  文部科学省は「データがない」と言っているが、この問に示されたさまざまなデータではっきりしている。
 大学では最初、数学の授業が成り立たなくなることから始まった。抽象的に考えることができなくなった。
 入試の数学の答案にしても、80年代半はから独創的なものがだんだん減り、90年代初めから画一的になった。96、97年ごろから、完答が減った。きちんとした文章が書けず論理的な展開ができない。数学だけでなく、日本語の理解力が落ちている。
尾木  学力低下の議論が出てきたとき、「当たり前」だと思った。90年代に入って文部省は学力の定義そのものを、テストで測れる「知識の量と理解の力」から、測りようがない「関心、意欲、態度」に変えた。それが響いていると思う。
 例えば手を挙げた回数で「関心、意欲、態度」と認定する。勉強で得点を上げてもいい成績にならないから、態度を良く、ノートをきれいにして教師の印象を良くする。これでは、態度主義に陥り、計測可能な学力が下がるのは当たり前だ。
上野  本当の意味での学びができていないと思う。哲学の文献講読で、学生はみごとな要約文を持ってくる。でも口頭の発表はまるでダメ。重要部分だけをつないで要約する情報処理をやっただけだという話を聞いた。学びには飢えているのに、小中学校では疑問を持って追求していく学びができていない。

ー「ゆとり教育」をどうみるか。
上野  子どもたちが自分でいろいろ考え、学校はそれを支援するのが「ゆとり」のはず。「ゆとり」がなければ「学び」はないから、私はゆとりに大賛成だが、「ゆとり」が効果をあげるためには「詰め込み」も必要だ。
 意図と結果は別だから、文科省は結果をきちんとみなけれはいけない。しかし「ゆとり教育の趣旨はよかった」ということだけで議論が進行し、それが結局は「ゆとりか詰め込みか」という不毛な議論につながっていった。ゆとり教育に批判をすると、じゃあ詰め込みか、と。ゆとりの与え方が問題なのだ。
 本当のゆとりを作り出すためには何が大事かという論点が完全に抜けてしまった。
尾木  「ゆとり」は出っ張った部分を削ったつじつま合わせだ。
 21世紀を生きる力は何かを考え、丁寧に学習指導要領を作るべきだった。私は国語の教師だったが、登場人物の気持ちを読みとることは、指導要領では小5、小6で扱う。しかし、「読みとり」は小!から重要。レベルは違っても必要なのに、これでは国語教育はどうなってしまうのか。国際調査で日本は成績がいいと曇守りが・・・。
上野  昨年12月に公表された経済協力開発機構(OECD)調査の結果は「良かった」というが、平均点だけを見ても見えないものがある。
 一番問題なのは、日本は本当に理解している子の割合がすごく少ないことだ。米国や英国に比べても半分くらい。単にテストで点を取るような情報処理能力だけが身に付いているのではないか。
尾木  それは違うと思う。点を取る学力上位層というのは、受験勉強もしっかりする。しかし、いわゆるエリート大学に入る層だと思うが、そこのやる気が激減している。
上野  子どもが勉強しなくなったのは、現代の世界的現象ではないか。日本では、受験で勉強させようとする安易な教育を子どもが否定しているだけだ。

ー子どもたちの学力が二極化していると言われるが。
尾木  97〜98年ごろから激しさを増した。新しい学力観では、上位の子たちも本当の学力はつかないし、下位の子たちも態度は良くても「ダメなものはダメ」とあきらめてしまってい
る。
上野  単純な二極分化ではなく構造的な変化だ。平均点も落ちているが、トップ屑が完全に崩れてしまっている。
尾木  それは日本の社会の反映。大人のエリートがモラル的にも総崩れだから。トップ屑の人間力、社会力が大きく落ちてしまっている。学びへの動機付け、意欲の低下が問題だ。それを救っていけるのが、総合的な学習の時岡ではないだろうか。

ー総合的な学習の時間(総合学習)をどう見るか。
上野  総合学習という意図はよいが、予算や人的な支援もなく、条件が整っていない。拙速な導入だったと思う。教える現場に、さらにゆとりがなくなり、教科学習は骨と皮だけになっ
た。
尾木  各教科にこそ現代を切り結ぶ総合的視点が欲しい。体験学習と総合学習の区別が全然なされていない。教師自身が広く社会と向き合い、興味を持ったり解決を試みたりして総合虚学習のセンスを鍛えるべき
だ。
上野  総合学習の狙いは、学び方を学ぶこと。教科学習と総合学習で車の両輪のはずが、現実には機能していない。「これは大事な科目」という確信が先生にないと、とても教えられない。

ー遠山文科相が1月に発表した「学びのすすめ」をどう見たか。
上野  実質的には政策変更なのに、どこが悪く、どこがよかったのか、どこを変えたのか、一切説明がない。非常に問題のある上忍下達。教育現場だけでなく、文科省にも説明責任がある。
尾木  「学びのすすめ」の四つの目標、つまり宿題を出しましょう、朝読書をしましよう、などというのが、今どれだけ子どもたちを苦しめているか。
 「学びのすすめ」のように、形になって見える指示は保護者にも影響し、教室まで一気に下りる。例えば朝読書。登校を5分、10分早め、月10冊とか決めて、絵ばっかりの本をぱ!と読む。子どもたちが読書嫌いになってしまう。

ー新指導要領の中止を求める運動が大学人から起こったが。
上野  賛成だ。週5日制も国民的な議論がないまま強行された。もう一度元に戻した方がよい。国民も先生の増員のために予算を注ぐことを支持するはずだ。
尾木  私は5日制には賛成だ。世界的傾向でもある。もともと大人の「週休2日」問題。職場と家とを往復するだけの企業戦士から地域で豊かに生活する生き方へ転換すべきだ。地域が「学習社会」化すれば、学校をスリム化してよい。
上野  土曜日休みで増えたのはテレビを見る時間。地域活動できる態勢にはまだなっていない。今のままなら週休2日にしない方がよい。
尾木 でも調費では、小中学生の8、9割が土曜休みを歓迎している。

ー学力対策面で文科省への注文は。
上野   文科省は現場を支援すべきであって、指導すべきではない。現場に教育権を返すべきだ。教育にもっとお金を出さないといけない。未来の人材をつくる大切なことだから。財政的に苦しい市町村に不平等があってはいけないからだ。だれも反対しないはず。小泉さんが「米百俵」を奮ったとき、どうして文科省はもっとがんばらなかったのか不思議だ。
尾木  指導要領を密室で作るのはやめにしてほしい。現場の教師や専門家、子どもたちの意見を聞くべきだ。
 いろいろなゆがみやひずみもあったが、今回の学力低下論争で、お母さんたちも指導要領のことを知るようになった。いままで、こんなことはなかった。誤解も入り交じっているが、国まかせでなく、初めてみんなで指導要領のことを考え、本当の学力とは何かを議論できるようになった。これは大きな前進だ。