「グローバリズムと北欧モデル」


福田 誠治(都留文科大学比較文化学科教授)
 

   

 
 
1.ノルディック・モデル
 
  アイスランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランドの北欧5か国は、この60年間で福祉政策の上に特徴ある北欧型学校教育を作り出してきた。基本的には西側に属しながら東西冷戦の狭間、1952年には北欧評議会を組織するなど、厳しい自然環境の中に生きる現実的な政治体制が模索された。
 労働者階級と社会民主主義諸政党の成長はすでに第二次世界大戦前に始まっていた。たとえば、デンマーク社会民主党は、1871年に創設されており、1924年の総選挙において、36.6%を得票して、デンマーク最大の政党となった。穏健左派の政策は、完全雇用、強力な福祉、労働者の権利擁護を掲げ、政府を消極的・受け身的な姿勢から、積極的な政策立案・実行主体へと変えた。国家の役割は、スウェーデン、ノルウェーではより強調されていた。デンマークでは、グルントヴィ思想の影響が根強く、教育の私事性、学校の独立性の方が優先されていた。
 社会民主主義政党の教育理論は、国際新教育運動の影響を受け、知識注入の教育から「為すことで学ぶ」という、子ども中心主義と特徴付けられる進歩主義の教育哲学であった。社会民主主義政党によって、この新教育思想は平等思想と結びつけられて、「総合制学校」構築という教育制度の改革へと結実することになる。スウェーデンでは、1950年に9年制義務教育が導入され、分岐型学校制度は廃止された。また、ノルウェーでは、1959年には7年制義務教育が導入され、1969年には9年制義務教育に拡張された。10歳ないし11歳以降を2ないし3タイプの学校に分岐させる学校教育制度は、前期中等教育までの総合制学校に置き換えられることになったのである。デンマーク、フィンランドでは1960年代になって、またアイスランドは1970年代になって、総合制学校への転換が起きることになる。
 北欧の社会民主主義は、政府が主導して、機会均等、協同、社会性、連帯を社会の徳として定着させていった。これは、社会は合理的に組織できるという信念に基づくものである。また、民族心を最高位に置く国民形成意識や競争主義を、学校などの地域の文化施設を改革しながら、地域に根ざした連帯、地域愛、協同という教育目標に取り替えていった。学校では、地域に関する授業時間を増やし、生徒会を設立して生徒の意見を自らの教育に反映できるように仕組みが作られた。総合制学校は、小さな民主社会であった。
 教育学も転換され、子どもの個人的可能性への適合、生徒を中心に据える授業が目指され、知識を自らの努力で獲得するような、また探求や創造的発案に基づいた問題解決力を養うような教育方法がとられ、子どもが自発的で創造的になることが期待された。一斉授業よりも、グループ学習が強調された。さらに、この教育学では、自発的理解とか学習意欲を損なうとして評点や試験のような外部誘因を学校が使用することを批判している。中央政府による学校教育への管理は、ガイドライン的な目標を法的に定め、カリキュラムの中に理念を盛り込むよう情報提供し、財政的保障を行うが、成績管理など成果管理は行わないことになった。


2.アングロサクソン・モデル

 1970年代末から、西側の政治には新しい潮流が生まれ、グローバリズムが合い言葉となった。そこでは、社会活動が人間個人の競争としてとらえられ、社会民主主義の描く人間生活とは大きく異なっている。
 およそ1980年代初頭にはっきりと姿を現す社会思想は、新自由主義と新保守主義と呼ばれている。この代表的な動きは、イギリスにおける1988年の教育改革法であ。5歳から16歳までを対象に義務的なナショナル・カリキュラムが導入され、この成果をナショナル・カリキュラム・テストで確認し、成績一覧表(リーグ・テーブル)を公開して親の学校選択と学校・子どもの競争を促進し、教育水準監督局という学校査察機関を設けて学校の存在そのものを外部機関が決定した。目標を外的に固定し、途中の方法のみ自由競争にした。自由化、分権化の着地点はここだったというわけである。
 また、新保守主義は、民族的・伝統的な文化復興、国家の権威の強調、法律による支配、従属関係・規律・勤勉を必須とする格差社会を実行原理とする。この影響で、国際条約で確認された人権に基づく教育政策の原理は、民族文化的なものに置き換わりつつある。また、民主主義で強調された地域は、再び国家や民族に置き換えられつつある。
 北欧諸国でも、平等と公正が依然として社会の中心的な価値であり続けたが、効率、質、技能がもっと重要な要因と見なされるようになった。連帯やピューリタン主義が個人の自由と自己実現の原理に取り替わりつつある。


3.せめぎ合いの中で

 2006年9月のこと、パリのOECD本部では、TUAC(「経済協力開発機構・労働側諮問委員会」)とEI(「教育インターナショナル」)の合同会議が開かれていた。その席で、OECD教育局のシュライヒャー指標分析課長たちに向かって「PISAには隠されたイデオロギーがあるのではないか」とフランス教組の代表たちが追求を始めた。翌日、OECD代表がいなくなると、彼らに向かってあからさまに新自由主義という言葉が浴びせられた。
 では、OECDは新自由主義ではないのか、フィンランドは新自由主義ではないのか。こう問えば、OECDもフィンランドも新自由主義に則っていると答える他はない。だが、人権感覚を一切欠いたアングロサクソン・モデルとは異なる。フィンランドは、ナショナル・カリキュラムを作成し、分権化を行い、学校選択の自由を認めている。しかし、ナショナル・カリキュラムはガイドライン程度の解釈にとどめて地方・学校・教師の権限をほぼ完全に認めた。出口の成果管理は大学入学資格試験だけにしてその他のテストは単なる調査にした。また、私立学校をほぼゼロにして、教師一人ひとりに高度な専門性をつけさせ、さらに学習は自分のためという哲学を国民の間に徹底して、どこの学校でも学べるようにした。この結果、学校選択は、例外的に利用されるだけにとどまっている。外部管理機構に使うような財源と人員は不要なので、もっとも安価で効率よい運営がなされている。
 PISAは数値による成果管理であることは確かである。だが、PISAの出題は、学習を知識の暗記と技能の訓練から、より応用の利く、子どもが自分の実になるような能力へと重心を移動させ、学力観を変えた。子どもは生涯学習の主体となるべく、学び方を学ぶ、いわゆる学習力を学ぶこととされ、学習力の育成が学校教育の目標に据えられた。
 OECD教育局指標分析課長シュライヒャー氏は、来日して、つぎのようなことを繰り返し発言している。「私たちは理想的には、その社会的背景にかかわらず、すべての生徒に平等の機会を与えることを保障したいと考えて努力してきたわけです。」また、こうも言っている。「教育の質が悪く、どういった家庭的な背景・出身かということが大きな影響を及ぼしているということでは困る。」(『日本の教育52』、および『どうなる、どうする、日本の学力、世界の学力』アドバンテージサーバー、2003年)そして、OECD編集『図表で見る教育』には、学力格差に占める学校間格差の割合が国別に図表化されて公開されている。日本はきわめて大きく、フィンランドはほぼゼロである。これはOECDからの強烈なメッセージである。また、PISAの学力には、集団に参加し、集団の中で機能する「共に働き、ともに学ぶ能力」、「共同戦略を作り上げる力」が重要なものとして含まれると、シュライヒャー氏は言うのである。
 それぞれの国でPISAへの対応が問われているが、それは、教育界や労働界、あるいは公共の福祉を目的とする行政一般が踏みとどまらなくてはならない一線が問われているということでもある。この一線をどこに設定し、地球規模で共に戦うかということ、それだけが人間として生き残れる道のように思われる。

(ふくた せいじ)

執筆者プロフィール
 福田さんは、ソビエト教育学を一貫して研究。近年は、ソビエト・ロシアおよびヨーロッパの教育分野における民族問題、とりわけ言語権について研究してきました。
 また、毎年イギリスに出かけては、そこを窓口にしてヨーロッパ統一の教育的側面を追い、北アイルランドにも調査に出かけております。2005年は、フィンランドの教育を集中的に研究しており、3度訪れております。2006年は、デンマークを2度、またフィンランド(学校の授業を観察)、イギリス(全国テスト問題を取材)、フランス(OECD,PISAのミーティングに出席)を訪れております。
 著書に『子育ての比較文化』(久山社)、『競争しなくても世界一』(アドバンテージ・サーバー)、『競争やめたら学力世界一』(朝日新聞社)など、共著も含めて多数あります。


後 記
 福田誠治さんは昨年10月に県立横浜平沼高校で開催された神高教第49次教研集会で記念講演をなさった。その講演で話された「量」を問題にしないフィンランドの教育について感銘を受けた。一角を占める森と湖と知られていたフィンランドは経済協力開発機構(OECD)の国際学力調査(PISA)で高い学力水準を示してから一躍注目を浴びるようになった。
 「いやがるものを強制したって得るものはない。やる気が起きるまで待つ…フィンランドの学校では、そういう勉強の仕方をしていた」という話は、教育再生会議が考える「ゆとり教育」の見直しや授業時間の10%増といったこれからの日本の教育とちょうど対立軸にあるようだ。(中野渡)