「大学は作りすぎではない」


矢 野 眞 和
     (昭和女子大学人間社会学部教授)
 

   

  「大学全入」 の背後にあるもの:気分よりも実態をみよう

 ジャーナリズムが好んでとりあげる最近の教育のテーマに二つある。 一つは、 大学全入の時代が到来したという話題だ。 定員に満たない大学が4割に達しており、 大学の生き残りをかけた競争が激化している。 長い間、 大学は、 特段の努力をしなくても学生を確保できたから、 試験によって入学者を選抜していればよかった。 ところが、 少子化によって進学需要が伸び悩み、 選抜よりも確保が深刻になった。
 その一方で、 受験競争は沈静するどころか、 低年齢化し、 競争に勝つための受験戦略が指南されている。 これが二つ目である。 男性ビジネス雑誌が好んで取り上げるのが最近の特徴だ。 いまの受験競争は、 教育ママの関心事でなく、 教育パパ、 教育ジジ、 教育ババを取り込んだ家族一丸の戦略的テーマである。 教育ママが教育家族に結晶した。
 この二つのテーマは、 矛盾しているようで、 表裏一体になっている。 受験勉強をしなくてもどこかの大学に入学できるなら、 無理に勉強しなくてもいいはずだが、 受験競争はさらに過熱化している。 有力大学に進学しなければメリットがないという思いから、 有力大学を目指す層とあきらめた層とに分断されている。 そして、 この二極化が家庭の経済力によってつくられていると解釈されている。
 大学は、 分断されることなく、 連続的に分布しているから、 二極化という現象はありえない。 二極化は、 話題の格差社会を語るのに便利な言葉だ。 実態を表現する言葉ではなく、 心理的な気分に訴えやすい言葉として流通している。 この二つのテーマだけでなく、 教育ジャーナリズムが好むのは、 「実態」 よりも 「気分」 だ。 気分に訴えるよりも大事なのは、 実態を客観的に把握し、 問題の所在を明確にし、 それを解決する手立てを探す政策だ。
 ここで取り上げた二つのテーマの背後に、 現代社会の根本的教育問題が隠されている。 第一に、 今は大学全入の時代ではなく、 進学機会が不平等な時代である。 第二に、 この機会の不平等の主たる原因は高騰する大学の授業料にある。

  大学はほんとうに作りすぎか

 「全入時代を産んだ背景は、 単純明快だ。 少子化と大学の作りすぎの二点に尽きる。   。 今後の大学界の関心事は、   、 作りすぎたツメを誰が払うかという問題 (に向かわざるをえない)」(横山晋一郎 「全入時代の現実」 『IDE現代の高等教育』2007年6月号)。 日本の大学を知る数少ない教育ジャーナリストの言葉である。 多分これが、 大学人、 およびその周りにいる関係者、 そして財界人などが常日頃に思っている気分なのだろう。
 大学はほんとうに作りすぎなのか。 話はそれほど単純明快ではない。 それが、 高等教育を長く研究してきた私の日頃の疑問だ。 大学の進学率は、 やっと50%を少し上回った程度である。 高校生の半分も進学しているから、 作りすぎと考えるのが当たり前だ、 という気分なのかもしれない。 しかし、 もう少し考えてほしい。
 私の疑問は、 次の二つの理由からである。 第一に、 50%の水準で進学率が推移しているのは、 学力の順番に進学していない証拠だ。 学力の順番に大学に進学していれば、 50%で安定することはありえない。 真ん中の学力の高校生の数が圧倒的に多い。 偏差値52と偏差値の48との間に、 学力の差があろうはずがない。 このわずかな偏差値の間に全体の16%ほどが分布する。 学力の順に進学しているならば、 大学進学率42%の大学と進学率58%の大学との間に、 学力の差は存在しない。
 つまり、 現実は、 平均学力よりも上の高校生が大学に進学していない。 その一方で、 平均の学力よりも低い高校生が進学している。 それが、 50%進学の現在である。
 作りすぎ論者は、 「大学に行きたくないから進学していない。 無理に進学しても大学のメリットはない。 大学よりも専門学校で手に職をつけたほうが有益」 というに違いない。 しかし、 これらの説はいずれもほんとうだという証拠がない。
 根拠のない説よりも、 「大学まで進学させてやりたいと思う親が8割近くを占める」(NHK 『日本人の意識調査』)という証拠のほうが私には納得しやすい。 進学したい、 進学させたい、 と思いながら、 そして、 学力が平均以上であるにもかかわらず、 大学に願書を提出していない高校生がいる。 全入時代というのは、 大学に願書を提出した人数と大学の定員が同じになることである。 願書を出していない人たちをまったく考えていない。 大学に進学しているものだけをみて、 「全入時代」 「二極化」 というのは視野狭窄もはなはだしい。
 学歴別の賃金を長く追跡してきた分析経験から判断しても、 高卒者のよい就職先は限られ、 将来のキャリアも不安定である。 もちろん、 それは平均的なことだが、 大卒が労働市場で有利なのは今も昔も変わりない。 「なぜ、 大学に進学しないのか」。 「なぜ、 50%水準で安定的に推移しているのか」。 それが不思議である。
 
  月1万円と月10万円の壁:授業料が高すぎる

 実のところ、 何の不思議でもない。 進学したくても進学できない経済的理由があるからだ。 教育家族の子育て戦略が過熱化する一方で、 大学の費用を調達できない家計は少なくない。 考えてもほしい。 公立高校の授業料は、 およそ月1万円という程度だ。 それにたいして、 私立大学の授業料は月に10万円という金額になる。 公立高校の授業料が支払えずに授業料免除になっている家計も少なくない。 毎月10万円を調達するのは絶望的だ。 地元に大学のない地方では、 さらに月に10数万円の仕送り金が追加される。
 1万円の高校から10万円の大学に家計がジャンプするのはかなり厳しい。 教育費が家計を圧迫しているのは、 多くの人の実感だが、 その圧迫が年とともにきつくなっている。 昔の大学の授業料はずっと安かった。
 一般世帯の月収 (可処分所得) と年間の授業料を比較するとよく分かる。 現在の平均月収は、 45万円ほどだが、 一年間の平均的授業料は82万円ほどである。 学生納付金からすれば、 年間120万円が普通だ。 要するに、 年間の家計負担は、 月収の2倍以上になる。
 昔からこれほど高かったわけではない。 それどころか、 1969年から1977年までの期間は、 年間授業料が月収よりも低かった。 学生の授業料値上げ反対運動が再発するのを恐れて値上げできなかっただけでなく、 私学助成が制度化され、 補助金が上昇し、 値上げしなくてもよかった。 この8年間だけが、 授業料が月収を下回っていた唯一の時代だ。 大学の進学率が急上昇したのは、 この時期だけである。 進学率が、 10%台の後半から40%台に拡大した。
 1977年以降の授業料は、 月収の水準から月収の2倍以上にまで高騰している。 こうした 「家計所得」 と 「授業料」 の他に、 「大学の合格率 (志願者に対する入学者の割合;進学のしやすさ)」 と 「失業率」 が大学の進学に影響を与えている。 詳細な統計的分析は、 私たちの拙稿を参考にしてほしい (矢野眞和・濱中淳子 「なぜ、 大学に進学しないのか」 『教育社会学研究』 79集、 2006年)。
 大学進学を希望する潜在的需要は、 50%進学の現在よりも多い。 進学したくても進学できない層が存在しているから、 50%の水準にとどまっている。 次世代を担う若者が、 人生の入り口である進学機会を閉ざされている。 全入問題よりも、 進学機会の不平等問題をジャーナリズムは取り上げるべきだ。
 
  「社会総がかりの教育」 のためには資金調達から

 教育に投入する資金調達と配分を考えるのが政策だが、 中央教育審議会も教育再生会議も、 教育予算についての構想と政策を提案していない。 「社会総がかりの子育て」 (教育再生会議) という言葉は正しいが、 言葉を実行するためには、 総がかりで大学教育までの資金を調達しなければならない。 社会総がかりの資金が税金だ。 財政難という逃げ口上と精神論や法律の改定で、 教育がよくなるはずがない。
 現在の日本の教育の政策課題は、 次の二つが基本だろう。 一つは、 小・中学校のクラス規模を30人以下にし、 公立学校の質を向上させ、 親の信頼を回復させることだ。 教育家族が塾などに支出しているお金の総額は、 3兆円ほどになる。 1兆円の予算で、 クラス規模を30人以下にすることができる。 教育家族は何も喜んで塾や私立にお金を支出しているわけではない。 多くの親たちは、 塾に行かずに、 公立学校に安心して通わせることを希望している。 社会総がかりで税金を出しあって、 信頼できる公立学校を作るのが、 社会的にみてずっと効率的なのだ。
 いま一つは、 私立大学の授業料を半額にすることである。 そうなれば、 大学の進学率は10%以上増加するだろう。 私立大学へ補助金は、 ピーク時の三分の一に減少している。 少なくとも、 三倍に増やして、 それを授業料の低下に回すのが望ましい。 半額というと夢物語だと思うかもしれない。 1兆円ほどの予算で実現できる政策なのだ。 授業料は、 市場価格ではなく、 次世代を育てるための公共料金である。
 財政難だとか、 夢物語だと考えてはいけない。 「社会総がかりの教育」 が求められている。 国民総がかりで消費税1%の値上げを引き受ける覚悟も必要だろう。 1%消費税の収入は2.2兆円である。 この資金で、 30人学級と大学の授業料半額が実現する。 未来の展望が開ける政策論議に、 政府も政党もジャーナリズムも教育関係者も取り組むべきだと思う。 (やの まさかず)


執筆者プロフィール
  矢野眞和さんは日本の教育経済学の第一人者であり、 高等教育システムと社会・経済・科学技術との相互依存関係を実証的に分析しながら、 教育の社会経済政策的展開について論じてきました。 東京工業大学工学部卒業後、 民間会社勤務、 東京工業大学工学部助手、 国立教育研究所研究員、 広島大学教育研究センター助教授、 東京工業大学大学院社会理工学研究科社会工学専攻教授、 東京大学大学院教育学研究科教授を経て現在は昭和女子大学人間社会学部教授です。 工学博士。 著書は 『教育社会の設計』 (東京大学出版会)、 『大学改革のの海図』 (玉川大学出版部) など多数あります。


後 記
 ほとんどの生徒が進学するといういわゆる神奈川の中堅校で、 入学時には進学希望であったが卒業の時期になって経済的と思われる理由で進学を断念するケースが出てきているという話を聞いた。 06年度の 「高等学校奨学金」 に対して応募時点で1,000人がオーバーするという状況があった。 また、 授業料免除者数や未納者数が年々増加しており、 全体的には現在の在校生の保護者の経済的状況は困難な方向に向かっている。
 教育経済学の視点から矢野眞和氏は今号の 「大学は作りすぎではない」 で 「財政難という逃げ口上と精神論や法律の改定で、 教育はよくなるはずがない」 と述べている。 多くの教職員が日頃から実感していることではないだろうか。 (中野渡)