格差社会と労働者の権利教育 


高須 裕彦
    (一橋大学大学院社会学研究科フェアレイバー研究教育センター)
 

はじめに
 この10年、格差の拡大と労働者の貧困が顕在化し、格差社会をめぐって様々な議論がなされてきた。私は全国一般労組の専従オルグとして労働者の権利侵害、とりわけ使い捨てにされる非正規労働者の現状を肌で感じてきた。2004年にロサンゼルスに留学したときには、労働組合や様々なレベルの学校において、多様な労働教育が熱心に行われていることを見聞きし、日本との違いに大変驚いた。本稿では、それらを踏まえつつ、日本の労働者の現状と労働者の権利教育の必要性について論じてみたい。

  1. 格差社会と労働者の現状
     1998年に23.6%だった雇用労働者に対する非正規労働者の比率は、10年間で33.4%まで増加し、女性の場合は過半数(98年42.9%→2008年53.1%)を超えた。非正規労働者の多くは年収200万円以下の低賃金1) で、雇用関係は不安定である。会社の業績が悪化すれば直ちに人員整理される。働けど食えない、将来の見通しの立たないという労働者が全労働者の3分の1を占めるに至った。
     このしわ寄せは若年層に如実に現れている。20年前(1988年)、15歳から24歳の労働者のうち82.8%が正規労働者で、17.2%は非正規労働者だった。学卒者の多くは正社員で就職できる時代だった。しかし、90年代半ばを境に非正規労働者の比率は急速に増大する(93年23.1%、98年34.5%、2003年45.3%、2008年42.6%。ただし、在学中のアルバイトを含む)。また、男性労働者の場合、15歳から24歳の労働者の非正規労働者化の進行が顕著で、正規中心の上の世代とは明らかに異なる(2008年の15歳から24歳の男性の非正規労働者の比率41.0%、在学中を除くと24.1%に対して、25歳から34歳は12.7%、35歳から44歳は7.8%)2) 。これらの数字は若年労働者の非正規化が大きく進み、新卒時に非正規で就職することが例外ではなくなったこと、在学中のアルバイト労働者が増加していることを示している。
     運良く正社員として就職できたとしても、いかなる労働現場が待っているか。週60時間以上働いている労働者は全労働者の12.7%、25歳から44歳の男性の場合は2割を越えていて、近年増加している3) 。最近、「名ばかり店長」が話題になったが、20代や30代で「管理職」として位置づけられ、残業代が支給されない労働者が増えている。とんでもない長時間労働とサービス残業を強いられ、過労死するまで働かされる。
     このような労働現場を前に、人間らしい働き方や仕事と生活の両立、食える賃金をどう確保するのか。これらを実現するのは労働組合の役割である。しかし、労働組合の組織率は年々減少し、2007年には18.1%、5人に4人以上は労働組合に加入していない労働者である。
     他方、個別労働紛争は年々増加している。厚生労働省が設置している全国各地の総合労働相談コーナーに寄せられた民事上の個別労働紛争相談件数は、2002年の約10万件から2007年の約20万件に倍増している。相談内容は解雇・退職勧奨を筆頭に、労働条件の切り下げやいじめ・嫌がらせなどが続く。このような相談件数の増加は、労働者の権利意識の前進の結果なのだろうか?


  2. 労働者の権利の認知度と権利教育の必要性
     労働者の権利の認知度について、いくつかの調査4)を見てみよう。NHK放送文化研究所の調査 によれば、憲法で国民の権利として決められているもののうち、「労働組合をつくる」を選択できた人がわずか20%(2003年調査)である。1973年の同調査の回答が39%だったことから、団結権の認知度は明らかに低下している(低下の仕方が組織率の低下と符合していて、労働組合の影響力の低下を示している)。連合総研調査5) でも、労働者の権利に関する認知度の低さが明らかにされている。例えば、最低でも年間10日以上の有給休暇を請求できることを理解している人の割合は33.4%、残業した場合に賃金の割り増しを要求できることは39.9%である。
     この数字は非常に低いと見るべきである。認知されていない権利は当然にして主張されない。ここから使用者の権利侵害が蔓延する。もちろん、権利を認知していても労働組合がなければ権利は主張できない。しかし、法的権利があるという認識は、違法な現実を問題として理解し、解決しようという動機を生む。そこに同じ職場の仲間同士の労働者の連帯意識が拡がれば、労働組合を作って問題を解決しよう、職場を改善しようという方向性を作り出していくことが可能となる。
     そこで労働者の権利教育の必要性が出てくる。まずは知識としての最低限の法的権利を身につけることである。その上で、労働組合の仕組みを理解し、連帯意識を育む教育が必要であろう。


  3. どのような労働者の権利教育を構想すべきか?
    (1)どこで誰に
     どこで誰に労働者の権利教育(以下「労働教育」という)を行うべきか? まず、教育の場として労働組合が挙げられる。労働組合運動を持続し、組織率の減少を食い止めるには、労働者の権利と権利行使の方法や、労働組合とは何か、について教育する必要がある。しかし、実際に労働組合が実施できる労働教育の対象は、既存の組合員や組合のある職場の非組合員、組織化を働きかけている労働者に限られる。
     そのため、組合に加入していない未組織労働者に教育の場を提供していくことが課題となるが、実際に拡げていくのは難しい。そこで学生や生徒たちを労働者として社会へ送り出す前に、大学や高校で広範に労働教育を実施していくことが重要となる 。6)

    (2)高校における労働教育
     連合本部は2007年、新入組合員や若手組合員、これから組合に勧誘する労働者向けにビデオを制作することになり、私も制作チームの一員として加わった。それがビデオ『組合の力があれば?4人からのメッセージ』 7)である。これを労働組合だけでなく、高校でも活用できないだろうか、と日教組本部に相談し、神奈川高教組を紹介いただいた。2008年2月の分会代表者会議で上映し、各分会にビデオを1部ずつ配布した。高校生にとっては必ずしもわかりやすいビデオではなかったが、労働組合についての解説と関連づけて活用すれば、授業で活用できるという評価もいただいた。
     上映後、各校での労働教育の実施状況と生徒のアルバイトの実態について、分会代表者の方々を対象に簡単なアンケートをおこなった。回答者72名のうち26名が何らかの形で労働教育を実施し、49名が関心を持っているとの回答があった。総合学習や現代社会、産業社会と人間などの授業で多様な教育が実施され、教材やワークシートなどを制作して、定型的なプログラムとして定着させている学校もあった 。8)
     一方、アルバイトついては、その実態について詳しく記載した回答もあった。アルバイト先としては、ファーストフードや居酒屋、ファミリーレストラン、回転寿司、ピザの宅配などの飲食店関係と、コンビニやスーパーのレジなどが圧倒的である。そのほかに、製造業や引越業、郵便局も挙がった。抱える問題としては、賃金未払いや深夜手当の不払い、サービス残業の強要、最低賃金違反、予定のシフト外の出勤の強要、試験期間中の勤務の強要、脅されて辞められない、合成洗剤による手荒れ、労災(居酒屋やファーストフードでの火傷、機器操作における事故)、労災保険の不適用、交通事故(後遺症の残る重大事故も)など多岐にわたり、深刻な事例もあった。高校生の無知につけ込んだ経営者の目に余る横暴な対応もあった。また、学校に居場所のない生徒たちにとって、アルバイト先が居場所になっているとの指摘もあった。
     このアンケートの結果から、在学中もアルバイト労働者として働き、卒業後、直ちに就職する生徒たちにとって、労働教育のニーズは明確である。各学校で生徒たちのアルバイトの状況が異なるため、その実態に応じた対応が必要だが、少なくとも就職率やアルバイト率の高い高校における労働教育は、急務である。
     その内容として、働く上での基本的ルール(労働基準法などの概要)や、トラブルに遭遇したときの解決方法と相談機関の存在を知らせることは最低限必要である。さらに、一人では権利主張できないときでも、集団として団結・連帯すれば主張できることをどのように伝えるのか、また意識化させていくのかが、次のステップになる。ビデオ教材の活用やグループワークを組み合わせるなど、方法の検討も必要である。

    (3)教職員組合の役割
     私はロサンゼルスに滞在中、「カリフォルニア教員連合(California Federation of Teachers)」を訪ねた。同組合には「学校における労働委員会(Labor In The Schools Committee)」9) が設置され、大学の労働研究教育センターと連携をしながら、小学校から高校の教員への支援や、ビデオを含む教材づくり、教育プログラムづくりを積極的に行っていた。労働教育を推進する上で、教職員組合の役割は重要である。
     一方、日本でも神奈川高教組は1993年、『もっと素敵にWORK & LIFE-これから働くあなたへ』(神奈川高教組WORK & LIFE編集委員会著・公人社)を出版した。すでに15年が経過しているが、現在でも教材として活用できる充実した内容である。同書を初めて手にしたとき、編集委員のみなさんの企画力と熱意に感銘したことを覚えている。

おわりに
 
多くの高校生はアルバイト労働者として働いている。卒業後は、派遣や契約社員、アルバイトなど非正規として働くことが当然の時代となった。たとえ正社員として就職できたとしても、長時間かつ過密な労働が待っている。そして多くの職場に労働組合はない。このような社会に生徒たちを送り出す私たちは、何をすべきなのか? 彼らが職場でトラブルに直面したとき、生き抜いていけるように、権利を主張できるように、そのために必要な知識を、人とつながることの大切さを、どのように伝え育んでいくのか? この重要な課題について、みなさんと一緒に考え、実践していきたい。(たかすひろひこ)

(たかす ひろひこ)

※注
1)
国税庁「民間給与実態統計調査」によれば、年間給与所得が200万円以下の給与所得者数が1032.3万人(2007年、構成比22.8%)で、2003年(902.1万人、構成比20.2%)と比較すると130.2万人増えている。
2)
以上の非正規労働者比率は総務省「労働力調査詳細集計」による。
3)
総務省「平成19年就業構造基本調査」による。
4)
詳しくはNHK放送文化研究所(2004)『現代日本人の意識構造(第六版)』、NHKブックスを参照。
5)
連合総合生活開発研究所「第5回勤労者の仕事と暮らしについてのアンケート調査」(2003年実施)。また、原ひとみ・佐藤博樹(2005)「組合支持と権利理解」『衰退か再生か:労働組合活性化への道』勁草書房参照。
6)
大学における労働教育も重要であるが、ここでは紙幅の関係もあり、高校における労働教育に絞って論じる。
7)
以下の連合のホームページからビデオの視聴や解説のダウンロード、購入ができる。
http://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/eizo/union_guide.html

8)
後日、田奈高校の第1学年を対象とした「環境と自分 1.進路研究編」の教材をいただいた。進路研究の中に、アルバイターやフリーターの権利や働くルールの事例研究などを組み入れられている。先進的な実践事例である。
9)
ホームページはhttp://www.cft.org/about/comm/labor/glance.html また、高須裕彦・青野恵美子(2005)「ロサンゼルスの新しい労働運動とその社会的基盤」『社会運動ユニオニズム アメリカの新しい労働運動』緑風出版p.347-349を参照。


執筆者プロフィール
 1990年から14年間、個人加盟の地域労組「全国一般東京南部」の専従オルグとして、未組織労働者からの労働相談や組合づくり、労働争議に携わる。全国一般を退職後、2004年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校労働研究教育センターの客員研究員として、ロサンゼルスの労働運動と労働教育の実態について調査をした。帰国後の2005年、一橋大学大学院社会学研究科に「フェアレイバー研究教育センター」を設立。労働運動と連携しながら、労働教育や調査研究、ビデオを含む教材づくりを推進している。
 同センターのホームページ http://www.fair-labor.soc.hit-u.ac.jp/