ある人物の 「転向」 


後藤 和智
(東北大学大学院生)
 
「深刻化する青少年問題」  
  実際は過剰に煽られていると見なしてほぼ間違いないのだが    に対処するために、 米国で高い効果を挙げているというゼロ・トレランス教育を導入せよ、 という声が一部で聞かれるようになった。 ちなみにその方式とは、 学校内で一定の規則を決めておいて、 それに違反した者はその理由がどうあれ速やかに罰をあたえるというものである。

 さて、 ゼロ・トレランスという言葉を聞くと、 私が思い出すのは、 一時期教育を扱うメディアで青少年問題の 「解決者」 としてもてはやされ、 「教育再生」 を打ち出した安倍晋三政権の委員に就任し、 現在は自民党の議員となっているとある人物である。


 その人物とは、 元北星学園余市高等学校教員・義家弘介である。 彼は 「熱血」 「放熱」 を売りに、 「問題のある」 青少年に 「向き合う」 というスタイルで教育を語ってきた。 そもそも義家は、 母校・北星学園余市高校が全国から不登校者などの受け入れを始めて最初の生徒の一人である。 そんな彼が、 自分と似た境遇にいる生徒と向き合うために、 明治学院大学を卒業後、 塾講師を経て母校の教師となったのは平成11(1999) 年である。

 平成14 (2002) 年、 義家を主人公としたドキュメンタリー番組 「ヤンキー母校に帰る」 が、 北海道の地方局で放送され話題となった。 翌年にTBS系列で放送され、 義家の人気は全国区となる。 また在職中に著書も2冊刊行したが、 PTAや同校の職員から不満の声も上がり、 平成17 (2005) 年に退職。 その後、 横浜市教育委員、 教育再生会議担当室長を経て (ただし任期途中で参院選出馬のため辞退)、 現在に至る。

 ところで、 彼は平成18 (2006) 年、 ゼロ・トレランスに関して、《アメリカでやったら、 学級崩壊がおさまった。 だから日本でも取り入れてみたらどうかというんですが、 (略) 教師は楽になりますけどね。 でも、 それは教育じゃなくて、 強制ですよね》(「現代」 平成18年8月号、 瀬戸内寂聴との対談で) と反対意見を表明していた (《教師は楽になりますけどね》という物言いが引っかかるが)。 少なくとも (その理由はどうであれ) 米国で成功しているから直ちに日本でも導入すべきだという考えに懐疑を表明しているという点では評価できると思う。

 ところが平成19 (2007) 年3月、 「諸君!」 (文藝春秋) 誌の石原慎太郎との対談では、 《アメリカでは九十年代からゼロ・トレランス (寛容さなしの生徒規律指導) によって、 暴力やいじめ、 麻薬、 アルコール、 教師への反抗に対して、 ルールを厳格に適用する厳罰主義を実施しています》とゼロ・トレランスを好意的に紹介し、 なおかつ、 我が国の法律でもそれが可能であるはずなのに、 昭和24 (1949) 年の法務府 (現在の法務省) による体罰禁止の通達により、 できなくなっていると主張している。 さらに義家は、 石原の持論である、 戦後に体罰を禁止したことが現在の教育崩壊の元凶であるという主張に同調している。

 しかし、 体罰は戦前にも禁止されていたのである。 例えば広田照幸は、 明治12年の教育令において、 体罰の禁止が明文化されていたことを示している。 この規定は明治18年の改正によりなくなったものの、 明治23年に復活し、 以降、 昭和16年の国民学校令の制定まで存続しているのだ (『教育言説の歴史社会学』 名古屋大学出版会)。 なおかつ、 彼らが日本の教育にとって 「楽園」 であったかの如く扱う戦前においても、 現在の少年犯罪者による犯罪よりもすさまじい犯罪がいくつか行われていたことが近年になって示されている (管賀江留郎 『戦前の少年犯罪』 築地書館)。

 近年の義家は、 警察白書や犯罪白書などの統計資料や専門的な研究を参照せずに、 青少年問題の 「深刻さ」 を、 とみにアピールするようになっている    それも日本教育再生機構などの保守系の政治団体とともに (例えば、 http://park6.wakwak.com/~nipponkaigi-hiro/gyouji0228.html)。 さらに義家は、 そのような団体の主張する教育政策を推進する立場として、 「道徳」 などの大切さを訴えている。 だが、 彼らや教育再生会議などの教育政策や思想が、 現状の教育や教育政策が抱える問題点を無視し、 聞こえのいいスローガンばかりに支えられていることは多くの専門家によって指摘されている (なお、 教育再生会議をはじめとする安倍政権以降の教育政策の問題点については、 苅谷剛彦 『教育再生の迷走』 (筑摩書房) で一通り指摘されている)。

 それ以前に、 そもそもかっての義家自身が若い時代の 「不良」 を売りにしてきたのだ。 メディアで自らを売り出した初期の義家の著書や発言には、 家庭内暴力や教師に対する暴行 (長野にいた頃は教師の頭髪に火をつけたことすらあり、 それが進路変更処分〈実質的には退学処分〉のきっかけになったとされる) などがエピソードとして語られている。 従って、 本来であれば、 まずはそれらの不良行為について、 彼自身の 「総括」 がほしいところであるはずだ。 ところが近年の義家は、 自らが 「不良」 であった頃の非行などについては隠蔽し、 「〈荒れた〉青少年を立ち直らせた (元) 熱血教師」 としての側面のみを強調している。

 しかも近年の義家の立場とは、 かつて世話になったはずの日教組、 北海道教職員組合、 共産党などを裏切って得たものとしか言いようがないのである (ちなみに義家が参院選の出馬に際して最初に行ったこととは、 一橋の日教組のビルの前で日教組を批判したことである)。 そんな人間が、 果たして政策に責任のある与党の議員として 「道徳」 を語ることは許されるのだろうか。

 彼らはアメリカなどで 「ゼロ・トレランス」 「スクールポリス」 「割れ窓理論」 などが効果を挙げている、 従って我が国でも導入すべきだ、 と叫ぶ。 だが彼らが現代の青少年問題がいかに 「深刻か」 を、 マクロなデータを用いて語ろうとすることは絶対にしない。 その時々に話題になった事件やその報道だけで青少年が 「危険」 であるという 「空気」 を仕立て上げた上でそのように叫んでいるのだから、 マッチポンプと言われても仕方ないだろう。

 これは近年の教育政策に限った話ではない。 例えば平成21年1月に文春新書から発売された、 岡田尊司の 『アベンジャー型犯罪』 (文春新書) では、 近年の若年層による犯罪を 「アベンジャー (復讐者) 型犯罪」 というアメリカ (またアメリカである) の概念を用いて説明している。 しかし彼の著作の参考文献を見てみると、 アメリカについては (おそらく) 専門的な研究を参照しているにも関わらず、 我が国の文献は、 もはやニセ科学であることがほぼ確定している 「ゲーム脳」 「脳内汚染」 論を支持する岡田自身の著書や週刊誌の記事ばかりが引かれているのだ。 我が国の犯罪に関する研究    例えば、 日本犯罪社会学会の論文誌は、 国立情報学研究所の論文データベース 「CiNii」 で無料で見ることができる    が全く参照されていない。

 青少年問題には、 多くの幻想がつきまとう。 それは 「深刻化する青少年問題」 「急激に悪化する治安」 という幻想である。 だがそれらは、 専門的な研究においては、 否定的とは言わなくとも、 ある程度懐疑的な結論が提示されているのである。 聞こえのいい、 あるいは 「効果のある」 ように見える施策を導入するためには、 まずその施策がなぜ必要か、 あるいは他の施策では駄目なのかという時点から検討される必要があるのだが、 こと青少年政策においてはそのような反省がされることはほとんどない。

 場合によってはなぜそれが行われたかの意義すら見失い、 とってつけたような別の 「意義」 が捏造されるケースすらある。 中山成彬・元文相が、 全国学力テストの 「意義」 について、 日教組の 「悪影響」 をこのテストで知ることができたのだからテストの役割は果たしたと 「失言」 したことはその典型例だ。

 我々が青少年政策について考えるためには、 「深刻化する青少年問題」 「急激に悪化する治安」 という主としてマスメディア上で流布されるようなイメージを疑い、 そして感情論ばかりが先行しがちな議論に対して待ったをかけなければならない。 そしてそれが、 教育に関する研究に求められているものであるはずだ。

 ついでに最近の義家についても記しておく。 義家は、 平成19年〜20年にかけて、 「小説宝石」 (光文社) 誌に 「路上の箴言」 なる小説作品を発表していた。 その小説は、 義家から見た教育の現実と希望を記したものであるようだ (「週刊現代」 平成20年4月12日号の記事での光文社の編集者の話による。 なお、 「週刊現代」 は、 義家に批判的な記事を何回か書いており、 これもその一つである)、 中身を見てみると、 今の子供は携帯電話という 「大人の知らない」 ネットワークでつながっており簡単に罪を犯すかの如き心理描写がなされているなど、 現役の教師や子供たちへの偏見で溢れている。 終いには子供たちを暴力によって支配することすら肯定されているのだ。 もし6年前の義家がこの小説を読んだとき、 はたしてこれが未来の自分が書いた小説であると信じることができるのだろうか?


(なお、 義家については、 河出書房新社より発売された五十嵐太郎 (編著) 『ヤンキー文化論序説』 にてより深く考察しているので、 そちらも是非参照されたい。 また、 義家について考える上で欠かせない資料として、 ウェブサイト 「義家弘介研究会」 (http://www20.atwiki.jp/mekemekedash/) も是非ご覧いただきたい。)

執筆者プロフィール
 後藤 和智(ごとう かずとも)
  • 1984年生まれ。
  • 2009年、 東北大学大学院工学研究科博士課程前期修了予定。
  • 著書に 『「若者論」 を疑え!』 『おまえが若者を語るな!』 『「ニート」 って言うな!』(共著)など。

「若者論」 についての文献紹介
 今回の研究所ニュース 「ねざす」 で取り上げられている 「若者論」 に関係する文献を紹介します。 文章の中で引用されているものと、 後藤さんの著作以外にも県民図書室には、 若者論や少年犯罪に関する図書が数十冊あります。 その中で下記のものは、 比較的最近刊行されたものです。 お寄りの際手に取ってみて下さい。 (なお、 後藤さんの著作は県民図書室に揃えてあります。)  

  • 若者文化をどう見るか 広田照幸編著 アドバンテージサーバー
  • 検証 若者の変貌 浅野智彦編 勁草書房
  • 犯罪不安社会 浜井浩一 光文社新書
  • 若者たちに何が起こっているのか 中西新太郎 花伝社