奨学金問題の深刻さと改善へ向けての活動


大内 裕和 (中京大学教授)
 

 奨学金問題は急速に深刻化している。 私がこのことに気がついたのは、 2010年7月の札幌での講演の時であった。 講演が終わった後に、 50代の小学校の教員と話す機会があった。 その教員に 「最近の若い先生はいかがですか」 と聞いたところ、 その先生は 「最近の若い先生は貧しい」 と答えた。
 私はその意味がよくわからなかったので、 「なぜ最近の若い先生は貧しいのですか」 と聞いたら、 「最近の先生は奨学金を返している」 と言われた。 ここで私は 「なるほど」 と気がついた。 以前は、 教員は奨学金の免除職であり、 定められた期間勤務すれば、 奨学金を返済する必要はなかった。 しかし、 教員になったら免除となる制度はすでになくなっていたのである。
 私は、 当時は愛媛県の松山大学に勤務していた。 そしてすぐ近くにある愛媛大学で非常勤講師として教職課程の学生を教えていた。 そこで奨学金について講義をしたところ、 受講生は普段の講義をはるかに超える関心を示した。 講義についての質問や意見を書くコメントシートには、 熱心な意見が多く書かれた。
 そこには、 月に8万円、 10万円、 12万円の奨学金を借りているという事実が書かれており、 その額の高さに驚いた。
 私は2011年の4月に、 愛知県にある中京大学に異動した。 愛媛県は、 県民の平均所得は沖縄県に次いで日本で2番目に少ないというデータもあり、 経済的に特に厳しい地域である。 それに比べれば、 愛知県は東京に次いで豊かな地域である。 だから私は奨学金についても、 愛媛県と状況は異なっているのではないかと予想していた。 「愛媛県よりは余裕があるだろう」 と思っていた。
 2011年の4月のまだ講義が始まる前に、 中京大学の校舎へ行くと、 とても多くの学生が並んでいるのを見かけた。 一人の学生に 「君はなんで並んでいるんだい」 と尋ねたら、 彼は 「奨学金の説明会です」 とこたえた。 そこで私は、 奨学金問題は愛媛県などの日本の中でもかなり所得の低い地域だけで起こっていることではなく、 全国で起こっていることを理解した。
 現役大学生のなかで奨学金を借りている比率は、 2010年に50%を超えている。 今、 日本の大学で最もごった返しているのは、 文化祭ではなく、 奨学金の説明会である。 かつては全学まとめて奨学金説明会をやっていたところでも、 今では学部別・学年別に行うところが多い。 奨学金説明会参加者全員を収容できる教室がないからである。
 2011年の11月23日に、 東京で行われた 「教育の機会均等を作る 『奨学金』 制度の実現を目指すシンポジウム」 に参加した。 これが2011年11月28日の 『東京新聞』 で大きく取り上げられ、 それ以降、 私は今日に至るまで、 新聞やテレビの取材を受け続けている状況である。 それはおそらく、 今日本でどういう恐ろしい変化が起こっているかということに、 マスコミや市民が、 気が付き始めたということだろう。
 奨学金問題が深刻化した原因は第一に、 奨学金制度の改悪にある。 1984年に、 日本育英会法の全面改正によって、 それまで無利子のみであった奨学金に有利子枠が創設された。
 有利子枠創設の際の附帯決議には 「育英奨学事業は、 無利子貸与制度を根幹としてその充実、 改善に努めるとともに、 有利子貸与制度は、 その補完装置とし、 財政が好転した場合には廃止等を含めて検討する」 とあったものの、 これはその後の奨学金政策に生かされることはなかった。
 有利子枠創設後、 政府は大学の学費を引き上げる一方、 1999年に財政投融資と財政投融資機関債の資金で運用する有利子貸与制度をつくり、 一般財源の無利子枠は拡大せずに、 有利子枠のみその後の10年間で約10倍に拡大させた。 2004年に、 奨学金事業が日本育英会から独立行政法人日本学生支援機構へと引き継がれると、 奨学金は 「金融事業」 と位置づけられた。 2007年度以降は民間資金の導入も始まった。 2008年において有利子:無利子の予算比率は74:26と有利子の方が圧倒的に多くなっている。
 無利子貸与の希望者は予約採用の段階で近年、 毎年約2万人ずつ増加しているが、 採用枠が少ないために、 2009年には78%が不採用となった。 さらに無利子の第一種奨学金について、 教育職 (小・中・高校の教員) には返済免除の制度があったが、 これは1998年に廃止された。 大学での研究職の返済免除制度も2004年3月に廃止された。
 奨学金制度の改悪に加えて、 学費の上昇が深刻だ。 かつての大学、 特に国立大学の学費は低く抑えられていた。 しかし、 近年その学費は急上昇している。 1969年には年額1万2000円だった国立大学の授業料は、 2010年には53万5800円と物価上昇率をはるかに上回る勢いで上昇した。 入学金を含めれば初年度納付金は80万円を超える。 私立大学にいたっては、 初年度納付金は文科系で約120万円、 理科系では約150万円に達する。 この学費の上昇が、 奨学金を借りざるを得ない人々を増加させている。
 こうした学費の上昇が容認されてきた一つの要因は、 大学において学費値上げ反対運動を担ってきた自治会活動が衰退したことにある。 また、 石油ショックを早期に乗り切り、 1970年代半ばから続いた経済成長による家計所得の増加が、 子どもが大学に通う時期に学費を私費負担することを可能にした。 そのことが 「大学の学費が上がっても何とか払える」 状態をつくってきたのである。
 しかし、 こうした条件は急速に失われつつある。 家計所得の増加は1997年まで続いたものの、 それ以後は減少し続けている。 世帯年収の中央値は1998年の544万円から、 2009年には438万円と100万円以上も下がっている。 これでは奨学金を借りずに大学進学をすることは困難だろう。 全大学生のなかの奨学金受給者の割合は、 1998年の約2割から、 2010年には5割を突破した。 家計所得の低下と奨学金受給者率の上昇の時期が、 ぴったり重なっていることがわかる。
  「そんなに学費の負担が重いのであれば、 無理して大学に行かなければいい」 と考える人もいまだに多い。 しかし、 経済的苦境のなかでも大学進学率が上昇している背景には、 高卒就職の激減という事態があることを見逃してはならない。 1992年3月末には167万6000件あった高卒の求人数は、 2010年3月末には19万8000件へと激減している。 地域によっては、 高卒の正規就職はほぼ消滅している。 この状況では、 「無理して大学に行かなければいい」 という意見は極めて無責任なものであるといえるだろう。
 奨学金の返済は極めて困難だ。 第二種奨学金をたとえば10万円借りた場合、 貸与総額は480万円である。 貸与利率を上限の3.0%とすれば返還総額は、 645万9510円に達する。 月の返還額は2万6914円で、 それを20年間継続しなければならない。 23歳から払い始めても43歳までかかる。
 月2万6914 円の返還は極めて重いものであるが、 払えない場合には年利10%の延滞金が発生する。 延滞金発生後の返済では、 お金はまず延滞金の支払いに充当され、 次いで利息、 そして最後に元本に充当される。 延滞金を含めたすべての額を払わなければ、 支払いが半永久的に続くことになる。 「奨学金ホットライン」 では、 60歳近くで支払いの終わらない方からの相談があった。 奨学金返済が一生終わらない事態が生まれている。
 返還不可能なことから起こる問題に加えて、 たとえ返還できたとしても、 これが若者の結婚や出産、 子育てに与える影響は甚大だ。 膨大な返還額は、 結婚後の経済生活に大きく影響する。 夫婦二人で借りている場合には、 返還額は二人分になる。 奨学金返還が理由で結婚や出産をあきらめる。 奨学金返還と子育て期が重なることで、 子どもに十分なお金を出すことができない。 奨学金返還によって、 少子高齢化や貧困の連鎖が起こることとなる。 奨学金問題は日本社会の将来に関わる問題である。
 高卒よりは 「ややまし」 である大卒就職も困難さを増している。 1990年前後には約90%だった大卒の就職率は、 2000年には約60%に低下し、 その後も厳しい状況が続いている。 正規就職が決まったとしても、 年功賃金制度やボーナスのない 「名ばかり正規」 や 「義務だけ正規」 が激増している。
 そんななかで、 奨学金の返済滞納者は2010年に33万人となり、 3ヶ月以上の滞納額は2660億円に達している。 奨学金返済が困難となっている人が急増している。 裁判所を使った 「支払督促」 を申し立てられる奨学金滞納者も急増している。 2004年にはわずか 200 件だった支払督促の申立件数が、 2011年には1万件と、 この7年間で50倍に拡大している。
 現在の奨学金には大きく3つの問題がある。 第一に、 無利子奨学金枠を増加させないことによって、 適格者が無利子奨学金を借りられないということである。 このことが利率の高い有利子奨学金の急増を招いている。 有利子奨学金の延滞金制度や高すぎる利率は、 即刻改められなければならない。
第二に、 将来の返済不安によって、 奨学金を借りることを抑制する学生がいることである。 急増しているといっても、 奨学金を借りることをためらう学生も多い。 奨学金を借りない学生の多くは、 「アルバイト漬け」 生活に陥り、 学業やサークル活動などに時間を割くことができない。 これでは何のための奨学金なのかがわからない。
 第三に、 卒業後の奨学金返還の困難さが、 将来の人生や生活に悪影響をもたらしていることである。 奨学金返還によって、 結婚や出産、 子育てが困難となり、 若者の将来を 「希望がもちにくい」 深刻なものとしている。
 奨学金制度の改善のポイントは3点である。 第一に、 奨学金返還猶予5年の上限を撤廃し、 本人年収基準とすることである。 現在は返還猶予期間を過ぎれば、 いかなる年収であっても奨学金を返還しなければならない。 このことで返還の困難、 あるいは両親や祖父母が代わりに返還するという事態が広がっている。 これでは奨学金の理念に反するであろう。 本人年収基準を導入し、 一定の年収以下の返還免除や減額、 猶予の制度を導入すべきである。
 第二に有利子奨学金制度を廃止し、 すべて無利子とすることである。 「借りた以上の額を返す」 という現在の有利子奨学金制度は、 若年層の雇用状況の悪化や貧困の広がりによって、 機能不全となっている。 少子高齢化対策や若者支援という意味も含めて、 有利子奨学金制度を廃止し、 すべてを無利子奨学金とすべきである。
 第三に、 給付型奨学金の導入である。 授業料が有償でかつ給付型奨学金制度をもたない先進国は日本だけである。 大学で学ぶ意欲と能力をもつ人々を、 経済的理由で大学進学から排除するのは、 「教育を受ける権利」 (憲法第26条) を定めた日本国憲法に違反する。 給付型奨学金の導入は、 教育の機会均等をもたらし、 大学教育の質を向上させる。 さらに、 それを労働市場と結びつけることができれば、 非正規労働に従事する10代後半〜40代の人々の能力向上と社会参加をもたらし、 彼らの社会的包摂を実現するきっかけにもなり得るだろう。
 大学の講義やゼミで奨学金問題を取り上げたところ、 出席している学生たちの多くは、 とても強い関心を示した。 その学生たちの何人かが、 有利子奨学金の無利子化や給付型奨学金の導入など、 奨学金制度の改善を求めて 「愛知県 学費と奨学金を考える会」 (ホームページ http://syougakukin2012 . web . fc2 . com フェイスブックhttp://www. facebook . com/aichi . ATS)を結成し、 運動が拡大している。 私も2013年3月31日 (日) に、 クレジットやサラ金被害者の問題に取り組んできた弁護士たちとともに、 「奨学金問題対策全国会議」 (事務局:東京市民法律事務所=03-5571-6051) をスタートさせた。 高校教員の皆さんにも、 この活動にぜひ関心をもってほしい。
 新自由主義による 「貧困と格差」 が深刻化するなか、 「市場競争のなかで勝ち抜くしかない」 という自己責任論が社会に蔓延している。 必要なのは、 新自由主義を批判的に捉える認識をもつことと、 分断支配に対抗するネットワークをつくっていくことだろう。 「奨学金問題対策全国会議」 を、 その両者の役割を果たす場として発展させて行きたい。


執筆者プロフィール
 大内裕和さんは神奈川県に生まれ、 東京大学大学院教育学研究科博士課程 (専攻は教育社会学、 歴史社会学) を修了した後、 愛媛県の松山大学に勤務しました。 教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会の呼びかけ人として活動し、 『教育基本法改正論批判』 (白鐸社) という著書もあります。 また貧困問題、 格差問題等をテーマとして、 『現代思想』 (青土社) 等に数々の論文を発表しています。 2011年からは愛知県の中京大学に移りました (国際教養学部教授)。