立憲主義・民主主義・平和主義


石川 多加子 (金沢大学 人間社会研究域准教授)
 

はじめに
 1954年の自衛隊発足からちょうど60年を迎えた2014年7月1日、 安倍内閣は、 従来の政府見解を変更し、 集団的自衛権を認める閣議決定を行った。 日本と同様、 憲法に戦争放棄条項を取り入れたイタリアのメディアがこれを受け、 「日本が平和憲法を放棄」 等と報じたのは、 記憶に新しい1。
 これまでの自民党内閣は代々、 集団的自衛権は憲法9条が許容する「必要最小限度の実力行使」を超え、 禁じられると解してきた2。 のみならず、 「集団的自衛権の行使を憲法上認めたいという考え方があり、 それを明確にしたいということであれば、 憲法改正という手段を当然とらざるを得ないと思う」 とし3、 解釈による改憲という手法を斥けてきたのである。
 これに対し、 「国際協調主義に基づく 『積極的平和主義』」 を強調する 「国の存立を全うし、 国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」 は、 「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、 これにより我が国
の存立が脅かされ、 国民の生命、 自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、 これを排除し、 我が国の存立を全うし、 国民を守るために他に適当な手段がないときに、 必要最小限度の実力を行使することは、 従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、 憲法上許容される」 とする4。
 そもそも、 憲法9条の下で自衛のための戦力を保持し、 自衛戦争を行うことができるのかという問題は、 立憲当初来憲法学上最大の論点となっている。 ここでいう自衛はあくまで個別的自衛を指し、 集団的自衛は含まない。 安倍内閣による閣議決定は、 約70年間の9条をめぐる議論を蹴散らして省みないばかりでなく、 恒久平和主義の実質的な廃棄を宣言するものと言わざるを得ないのである。
 憲法改正の動きは、 解釈による改憲に留まらない。 法律による改憲−閣議決定を受け、 自衛隊法初め関連法の改正作業が進みつつある5 が同時進行している。 解釈による改憲、 法律による改憲の先に、 憲法の明文改正が待っているであろうことは、 想像に難くない。 2014年6月には、 投票年齢を18歳以上とする 「国民投票法」 の改正が成立している。
 ところで、 憲法の役割は 「国家を縛り、 国民を守るためのもの」 であるから6、 為政者が憲法に従って政治を執り行わなければならないのは立憲制の本義である。 それにも関わらず、 解釈を変え、 法律を変えて、 憲法の根本建前たる恒久平和主義をいとも容易く空しくするのは、 立憲主義の甚だしい軽視である7。
 集団的自衛権に関する安倍政権の姿勢は同時に、 国民主権原理をもなおざりにするものである。 2014年8月2〜3日に共同通信社が実施した世論調査によると、 集団的自衛権の行使容認には60.2%が反対しているだけでなく、 閣議決定につき84.1%が 「十分に説明しているとは思わない」 と答えている点は、 注目すべきである8。 また、 首相初め閣僚が所属し、 かつ、 法律を制定・改廃する国会は、 衆議院・参議院共に、 いわゆる1票の格差訴訟において各地の裁判所が、 違憲若しくは違憲状態と判断していることに留意しなければならない9。 主権者の意思を必ずしも反映していない国会及び内閣が主導する憲法改正は、 民主主義に背くものである。
 本稿では、 こうした改憲の動向を踏まえつつ、 自民党が2012年4月に決定・公表した 「日本国憲法改正草案」 (以下、 『自民党案』 と略) の主な問題点 人権制限の拡大、 天皇制の変革、 再軍備 を明らかにしていくこととする。


1. 「公益及び公共の福祉」 による人権制限
 自民党案によれば、 人権の制限が大幅に拡大される。 日本国憲法が人権の制約基準を「公共の福祉」としているのは周知の通りであるが、 自民党案がこれに換え示すのは 「公益及び公共の秩序」 である。 「公益及び公共の秩序」は、 「公共の福祉」 とは似て非なるもので、 人権保障を大きく後退させる概念と言わねばならない。
  「公共の福祉」は、 社会一般の幸福、 ベンサムのいう 「最大多数個人の最大幸福」 (the greatest happiness of the greatest number) を意味する。 「福祉」という文言から分かるように、 20世紀に入って登場した「福祉国家」の考え方に通じ、 従って、 人権と人権が衝突した場合には、 社会的・経済的弱者保護の観点から調整する働きを為す。 現代型憲法たる日本国憲法が、 経済的自由については、 精神的自由及び人身の自由とは異なり、 「公共の福祉」 による制限があり得ることを前提とする規定にしているのは (22条1項・29条2項)、 生存権を初めとする社会権を取り入れたことと言わば表裏の関係になっているからである。
 翻って、 「公益及び公共の秩序」 は、 全体の利益、 換言するなら専ら国益を指しており、 社会的・経済的弱者重視という思想が無いことに留意しなければならない。 具体的な個人の権利の積み重ねではなく、 公益・公共という抽象的内容によって人権を狭めようとするものに他ならず、 社会的・経済的強者に利する機能を果たし兼ねないのである。 自民党案が 「個」・「私」より 「公」・「国」を優先する方針であることは、 「全て国民は、 人として尊重される」 とする13条の規定が端的に表している。 「個人」を「人」に換え、 「公益及び公共の秩序」 によって人権を一律網羅的に制限し得るとするのは、 教育勅語の一節  「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」  を想起させる。
 しかも12条は、 国民は「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、 常に公益及び公の秩序に反してはならない」とする。 この表現こそ、 自民党案が人権の意義をねじ曲げ、 自然権思想をも廃棄しようとするものであることを示す10。 さらに、 人権の不可侵性を謳った憲法97条を削除している。 つまり、 自民党案の人権に対する姿勢は、 人権の歴史すなわち憲法の歴史からすると逆行としか言えず、 全く立憲主義を理解していないものである。
(1) 自由権
 自民党案は、 表現の自由に対しとりわけ厳しい制限を課そうとする。 公益及び公共の秩序を害することを目的とした活動及び結社を認めないのである (21条2項)。 時として、 デモ行進のような表現行為は参政権、 結社は労働基本権とも結びついており、 十全に保障されるべきであることは言うまでもない。 同条項によれば、 集団的自衛権や原発反対の集会に参加しシュプレヒコールを上げることも、 違憲と判断され兼ねないのである11。
 また、 人身の自由において、 自民党案18条1項は身体の拘束禁止を定めながら、 「社会的又は経済的関係において」 という要件を付していることは看過し難い。 日本国憲法下で徴兵制は平和主義・戦争放棄に反すると共に、 18条にいう奴隷的拘束及びその意に反する苦役に当たる為禁じられるとするのが解釈上常識である。 しかしながら、 自民党案では、 後に見るように「国防軍」を設置しようとしていることと相俟って、 徴兵制を復活し得るよう条文を変えるのではないかという疑念が生ずる。
(2) 社会権
 25条から始まる社会的規定の前に自民党案が挿入している 「家族は、 互いに助け合わなければならない」 という条文は (24条1項)、 生存権 (憲法25条) 及び教育を受ける権利 (同26条) の保障を狭める効果を有するものと言える。 具体的には、 扶養や教育につき第一義的義務を負うのはあくまで家族であるとされ、 社会保障・教育に係る国の負担縮小を正当化する根拠として用いられ兼ねないということである。 自民党の 「日本国憲法改正草案Q&A」 (以下、 『Q&A』 と略) では、 「党内議論では、 『親子の扶養義務について明文の規定をおくべきである。』 との意見もありました」と説明している12。
 併せて、 教育を受ける権利を保障する26条に 「国は、 教育が国の未来を切り拓く上で欠くことのできないものであることに鑑み」 という文言を置いているのは、 到底容認出来ない。 教教育全般は国策に沿って行われるべきであると示唆するもので、 「国の教育編介入を憲法によって是認させる発想としか思えない」からである13。
 なお、 労働者の権利に関しても重大な改定を為そうとしている。 自民党案28条2項は、 「全体の奉仕者」を理由とし、 公務員の労働基本権を制限し得るとするのである。 現在も、 国家公務員法・地方公務員法等によって団結権・団体交渉権・団体行動権の一部若しくは全部を奪っているが、 もちろん憲法上の制限ではない。


2. 天皇制の変革
(1) 天皇を戴く国家
 自民党案は、 象徴天皇制をまるで変容させる。 前文で、 日本を「天皇を戴く国家であ」ると宣言し、 天皇を国家元首と位置づける (1条)。 国旗・国歌及び元号を憲法上の制度とする (3・4条)。 先の敗戦に至った反省に基づき、 大日本帝国憲法下の絶対主義的天皇に変えて、 日本国憲法が儀礼的・形式的な国事行為を行う国家機関とした象徴天皇とは、 全く異質な存在を作り出そうとするものとしか思えない。
 「天皇を戴く国家」の意味は、 公務員等の憲法尊重擁護義務を規定する102条によって明らかとなる。 同条は、 義務者から天皇を除外している  天皇は憲法を守らなくて良い  ということになる。 つまり、 自民党案における天皇制は、 「国王といえども神と法の下にある」法の支配と立憲主義を斥けるもので、 制限君主制ですらないと言っても過言ではない。 近代憲法たる大日本帝国憲法の上諭文にある 「朕及朕カ子孫ハ将来此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ」 という一節と思い合わせる必要があろう。
(2) 公的行為の制度化
 戦後70年近くもの間、 天皇は2代に渡って皇室外交や全国巡幸・被災地行幸等を続けてきた。 2013年4月の主権回復の日式典に皇后と共に列席した際、 会場より「天皇陛下万歳」という声が上がったことが一部で報じられた14。 国事行為を列挙した憲法6・7条にこれらの行為は含まれておらず、 明文の根拠を欠いている為、 いわゆる公的行為をめぐっては予て違憲説と合憲説が対立している。 合憲説は更に、 天皇が憲法上行い得るのはあくまで国事行為と私的行為の2種であるとしながら、 公的行為を国事行為に準じて考えたり15、 或いは、 私的行為か各国事行為のいずれかに当てはめる2行為説と16、 私的行為と国事行為の他に、 「象徴としての行為」【17、 若しくは 「公的行為」 という別の類型を認める3行為説とに分かれる18。
 自民党案6条5項は、 「式典への出席」等を 「公的な行為」 と明記することから、 3行為合憲説の立場に立つものと思われる。 同条項によって公的行為を憲法上正統化し、 天皇の行為を無限定的に拡大し得ようとする極めて危険な発想である。 日本国憲法が、 大日本帝国憲法下で主権者・国家元首・陸海軍の統帥者であった天皇を「国事に関する行為のみを行ひ」、 政治的権能を一切有さない象徴天皇とし、 内閣の助言と承認に基づき行う国事行為について6・7条に限定的に列挙したのか、 その趣旨を没却する重大な改定である。 自民党案からは、 天皇の権限と権威を強化・増大して、 それを利用しようとする策が垣間見える。


3. 再軍備
 (1) 国防軍の活動と集団的自衛権
 憲法を換える眼目が正規の軍隊を持つことであるのは言うに及ばない。 人権を大幅に制限し、 天皇制を変革するのも、 再び戦争を行う国ヘ向かう算段であることに注意する必要がある。
 自衛隊に代え設置する 「国防軍」 が内閣総理大臣を最高指揮官として行う活動は、 1.「自衛権の発動」 としての戦争 (9条2項)、 2.「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」、 3.「公の秩序を維持し、 又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」 であるとしている (9条の2、 3項)。 この内2.には、 集団的自衛権の行使と集団安全保障への武力による参加を含み、 3.は、 例えば「公益及び公共の秩序」に反するデモ行進や集会を鎮圧するいわゆる治安出動を可能にする。
 立憲当初より、 9条の解釈では、 自衛権の有無、 自衛戦争の可否等をめぐり学説は激しく対立している。 日本政府は従来自衛権を放棄していないとした上で、 1項で永久に放棄した戦争は侵略戦争のみであるから、 自衛のための戦力を保持して (=自衛隊)、 自衛のための戦争を行うことは違憲ではないという解釈を採りつつ19、 同時に、 あくまで個別的自衛権の範囲に留まるのであって、 「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、 憲法上許されない」 としてきたが20、 2014年7月の閣議決定で行使を認めたことは、 先に見た通りである。
(2) 緊急事態
 自民党案は「緊急事態」という章を新設しているが (9章)、 国防軍の活動と兼ね合わせて考えなければならない。 98条1項は緊急事態につき「外部からの武力攻撃、 内乱等による社会秩序の混乱、 地震等による大規模な自然災害」を例に挙げながら、 その他の場合は立法に委ねており、 拡大的に定義される恐れがある。
 緊急事態がひとたび内閣総理大臣によって宣言されると (98条1項)、 内閣は法律と同じ効力を持つ政令を制定出来るだけでなく、 首相は 「財政上必要な支出その他の処分を行い、 地方自治体の長に対し必要な指示をすることができる」 という強大な権限を掌握することとなるようになり (99条1項)、 国民は、 国その他の公的機関の指示に従う義務が発生する。 緊急事態においては、 両院議員の選挙も延期することが可能になるのである (99条)。
 さらに、 自民党案66条では文民統制を緩和し、 「現役の軍人」 以外であれば内閣総理大臣・国務大臣に就任できるとしている。 「文民」の範囲については争いがあるが、 現職の自衛官と、 旧陸海軍の職業軍人の経歴を有しかつ軍国主義思想に深く染まっていると考えられる者は文民に該当しないというのが、 1965年からの政府見解である。


おわりに
 以上のように自民党案は、 国防軍の新設に留まらず、 憲法が掲げる三大基本原理を全て廃棄する内容となっている。 安倍首相が好んで用いる 「戦後レジームからの脱却」 とは正に、 憲法が敗戦後の日本の在り方として示した民主・自由・平和という方針を捨て去ることを意味するのに他ならない。
 最後に、 自民党案が国民に課している領土等保全及び資源確保義務 (9条の3) につき触れておく。 「Q&A」は、 「軍事的な行動を規定しているのでは」 ないとし、 「国境離島において、 生産活動を行う民間の行動」 を具体例として挙げているが、 これはいつか来た道ではないだろうか。
 かつて、 太平洋戦争末期に、 日本各地の空襲に際し多くの国民がバケツリレー等で消火を試みた結果、 逃げ遅れ犠牲となったことは、 周知の事実である。 これらの 「防空」、 或いは、 国防目的で、 国の全力を最も有効に発揮できるよう人的資源を運用した「総動員業務」をも、 可能にする条項と言わねばならない21。
 同時に、 この領土等保全義務には、 前文の 「国と郷土を誇りを持って自ら守り」 という文言と共に、 徴兵制も伴うのではないかという疑問が生じる。 先に述べたように、 自民党案18条は 「社会的又は経済的関係において身体を拘束されない」 としており、 徴兵制再開への端緒となすための改変ではないかと考え得る22。 改めて今 「教え子を再び戦場に送るな、 若者よ再び銃をとるな」 を旗印に、 力を尽くして行かなければならない。


【註】              
1 2014年7月2日毎日新聞。 イタリア共和国憲法 (1947年12月22日憲法制定議会可決 1948年1月1日実施) 11条は 「イタリアは、 他国民の自由に対する攻撃の手段としての、 および国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、 他国と同等の条件で、 諸国家間の平和と正義を保障する機構に必要な主権の制限に同意し、 この目的のための国際組織を促進し、 かつ助成する」 と定める (阿部照哉・畑博行編 『世界の憲法集』 1991年、 有信堂、 21頁)。 しかし、 同国のピノッティ国防大臣は、 2014年5月に小野寺五典防衛大臣と会談した折、 「国際平和の促進のため国家間の正義を保障する態勢に必要であれば、 集団的自衛権として行使することが可能である」 という説明をしている。 防衛省・自衛隊ホームページ。 http://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2014/05/07.html

2 第71回国会において吉国一郎内閣法制局長官は、 自衛権発動の3要件として、 「我が国に対して急迫不正な侵害があったこと、 この場合に、 これを排除するために他に適当な手段がないこと、 更に第三にその急迫不正な侵害を排除するために必要最小限度の力の行使にとどまるべきこと。 この三つの要件を従来自衛権発動の三要件と言っている」 と答弁している (第71回国会衆議院内閣委員会議録第32号 昭和48年6月21日 17頁)。

3 第98回国会における角田禮次郎内閣法制局長官の答弁。 第98回国会衆議院予算委員会議録第12号 昭和58年2月22日28頁。

4 「国の存立を全うし、 国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」 (平成26年7月1日 国家安全保障会議決定 閣議決定)。

5 国家安全保障会議の事務局である国家安全保障局内に、 関連法の改正を準備する部局が既に設置されており、 2015年の通常国会で審議される予定である旨報じられている。 2014年7月3日朝日新聞。

6 2013年5月23日の信濃毎日新聞に、 松本市の岩波酒造が 「「日本国憲法。 最近、 何故か取り沙汰される憲法ですが、 国家を縛り、 国民を守るためのもの、 なんですよね」 等とする広告を掲載し、 話題になった。

7 2013年7月参院選前に行われた党首討論会において、 福島瑞穂社民党党首 (当時) が 「私は憲法は国家権力を縛るものだと思っています。 立憲主義です。 総理はこれに同意をされますか。 同意をされるとすれば、 自民党の憲法改正案はこれにのっとったものでしょうか」 と質問したのに対し安倍首相は、 「まず、 立憲主義については、 憲法というのは権力を縛るものだ、 確かにそういう側面があります。 しかし、 いわば全て権力を縛るものであるという考え方としては、 王権の時代、 専制主義的な政府に対する憲法という考え方であって、 いま、 民主主義の国家であります。 その民主主義の国家である以上、 権力を縛るものであると同時に、 国の姿について書き込んでいくものなのだろうと私たちは考えております」 と答えている (公益社団法人日本記者クラブ 『第23回参議院選挙 9党党首討論会』 10頁)。  http://www.jnpc.or.jp/activities/news/shorthandnotes/

8 2014年8月4日東京新聞。

9 衆議院については、 広島高判2013年3月25日等、 参議院については、 広島高岡山支判2013年11月28日。

10 自民党の 『日本国憲法改正草案Q&A』 は、 国民の権利義務の方針につき 「現行憲法の規定の中には、 西欧の天賦人権説に基づいて規定されているものが散見されることから、 こうした規定は改める必要がある」 としている。 自由民主党 『日本国憲法改正草案Q&A』 14頁。

11 2014年4月、 神戸市及び同市教育委員会が憲法集会への講演を拒否した旨報道されたのを皮切りに、 「政治的中立」を理由として、 原発や憲法に関する集会・展示会への施設貸出しや後援を地方公共団体等が断る例が後を絶たない。

12 自民党、 『前掲書』 16頁。

13 永井憲一、 『いきいき憲法プロジェクト』 における講演での配布資料 (2013年11月25日)。

14 当日の様子について新聞は 「国会議員や政府関係者が予定外の唱和」 をしたと報じた。 日本経済新聞2013年4月29日。

15 清水睦 『概説憲法』 (1971年、南雲堂深山社) 415頁。

16 宮沢俊義著=芦部信喜補訂 『全訂 日本国憲法』 (1978年、 日本評論社) 140頁。

17 清宮四郎 『憲法T第3版』 (1986年、 有斐閣) 168頁。

18 伊藤正己 『憲法』 (1984年、 弘文堂) 131〜133頁。

19 砂川事件上告審判決は 「わが国が主権国として持つ固有の権利の自衛権は何ら否定されたものではなく、 わが憲法の平和主義は決して無防備、 無抵抗を定めたものではない」 とする (最大判1959年12月刑集13巻13号3225頁)。

20 鈴木尊紘 『憲法第9条と集団的自衛権 ―国会答弁から集団的自衛権解釈の変遷を見る― 』 レファレンス2011年11月号、 39頁。 第34回国会では、 岸信介首相ですら 「いわゆる集団的自衛権というものの本体として考えられている締結国や特別に密接な関係にある国が武力攻撃をされた場合に、 その国まで出かけて行ってその国を防衛するという意味における集団的自衛権は、 日本の憲法上は持っていないと考えている」 と答弁している (1960年3月31日第34回国会参議院予算委員会 )。 国会会議録検索システム。

http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=6327&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=2&DOC_ID=15519&DPAGE=3&DTOTAL=91&DPOS=46&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=7047

21 防空法(昭和12年法律第47号)は 「本法ニ於テ防空ト称スルハ戦時又ハ事変ニ際シ航空機ノ来襲ニ因リ生ズベキ危害ヲ防止シ又ハ之ニ因ル被害ヲ軽減スル為陸海軍ノ行フ防衛ニ則応シテ陸海軍以外 ノ者ノ行フ灯火管制、 消防、 防毒、 避難及救護並ニ此等ニ関シ必要ナル監視、 通信及警報ヲ、 防空計画ト称スルハ防空ノ実施及之ニ関シ必要ナル設備又ハ資材ノ 整備ニ関スル計画ヲ謂フ」 とし (1条)、 国家総動員法(昭和13年法律第55号)は 「生産、 修理、 配給、 保管」 等を「総動員業務」と定めていた (3条)。

22 閣議決定以降、 安倍首相は徴兵制の復活を繰り返し否定している。 2014年8月12日朝日新聞、 2014年7月26日夕刊フジ。


執筆者プロフィール
 茨城県生まれ。 金沢大学人間社会研究域准教授。 専門は憲法学。 2014年より市民サークル 「憲法サロン イン 浦安」の活動に関わる。 共著に 『憲法から大学の現在を問う』 (2011年、 勁草書房)、 『憲法と教育人権』 (2006年、 日本評論社)。