特集 : 検証「特色づくり」「新入試制度」
 

新神奈川方式を検証する

教育の戦後的なるものの総決算へ

石田 和夫 

 
1. はじめに

 長年、神奈川方式と呼ばれてきた、ア・テスト、内申書、学力検査という3本立て入選方式が、今春から大きく変わり、新神奈川方式がスタートした。全国的にも注目されているこの新方式について、これに関わる各方面からの検証が行われている。一般論として は、教育制度の変更に対する検証は、それほど短期間でできるものではないと言えるが、今回の新方式をめぐっては、スタート以前からすでに多くが語られていたことでもあり、しかも戦後の教育史の大きな流れの中に位置づいているものでもあるという認識から、可能な限りその背景を含めて、現在進行形での検証も必要と考える。
 ここで大事なのは、自分にとって(自分の子どもにとって)有利だった(不利だった)からとか、自分の学校にとってどうだったか、といったところからの評価や議論を先行させてはならないということである。なぜなら、今回の入選改革のスローガンが「選抜から選択へ」であり、「行ける学校から行きたい学校へ」というように、それなりの「理念」を掲げての「改革」であったとすれば、個別の有利・不利という発想がそもそもなじまないものであるはずだからだ。
 しかし、現実には定員割れした学校では「大変だ!大変だ!何とかしなくては」という一種の脅迫観念からの対応が先行しているところもある。また、中学校でも1学期から対策会議に追われているとも聞く。もっとも、もともと選抜色の薄まるような新方式ではないのだから当然とも言えるわけで、現実に起こっていることについても、まとめておく必要があろう。
 そこでここでは、なぜこのような新方式が生れてきたのか、その経過と背景。そして実際に実施したことによる混乱とその直接的な原因。さらに今後どのような方向が目指されるべきかについて、その概略を述べてみたい。
 

2.文部省主導の入選改革

 今回の改革は、直接的には神奈川県後期中等教育検討協議会(後中検1987年〜1991年)の報告を引き継いだ神奈川県高等学校教育課題研究協議会(高課研1991年〜1993年)の第2次報告「公立高等学校入学者選抜制度のあり方について」を受けた結果生れてきたものである。この高課研をめぐっては、当時委員として論議に加わった中野渡強志・元神奈川高教組副委員長が「新神奈川方式へのシナリオ」(ねざす19号別冊)に詳しくその経過が紹介され、また、その報告内容についての批判を私が「どうなる『神奈川方式』−高課研報告と県教委方針をめぐって−」(ねざす14号)に展開しているので、詳しくはそちらをご一読ねがいたい。
 しかし、後中検〜高課研という県教委の諮問機関が出した報告は、県教委の意向に添ったものであるし、県教委の意向とは文部省の意向にそったものである以上、今回の入選改革が、個別神奈川だけの動きではないことはすでに明らかである。単位制高校や総合学科など学校制度にまで踏み込んだ新多様化と、推薦制の大幅導入や複数志願制、傾斜配点、多尺度選抜といった多様な入選を全国的に押しつけてきた文部省の方針があり、それに従わなくてはならない県教委があって、はじめて新神奈川方式も生れてきたのである。だから当然そこには、子どもたちの願いや、保護者・教職員の要望など、はじめから念頭になかったのである。
 

3.戦後教育総決算の中の入選改革

 いうまでもなく入選改革は教育改革の一部であり、これがすべてではない(もちろん重要な一部であるが)。私は前掲の拙文の中において、現在文部省が進めている新多様化と多様な入選という路線が、直接的には、臨時教育審議会(臨教審1987年)の最終答申「高等学校入学選抜方法については、各学校の個性化・特色化を推進するため、選抜方法・選抜基準の多様化・個性化を図る」(第3章「改革のための具体的方法」第3節「初等中等教育の充実と改革」)と、それを受けた第14期中央教育審議会(中教審1990年)の審議経過報告が打ち出した「多選択型競争」(その具体的中身は「新しいタイプの高校」「学校・学科制度の改革」「入試の多様化」の3本柱)にあると書いた。
 ところで、中教審はその後も答申を続けており、最も近くにあっては、今年5月には、第16次中教審(テーマは「21世紀を展望した我が国の教育のあり方について」)の第2次答申が出された。第1次「週5日制時代に生きる力をどう育てるか」(1996年7月答申)に引き続いて「高校・大学の入学者選抜をどう改善するか」が中心テーマである。答申の中身は「中高一貫校」や「大学への飛び入学」などであるが、ここではこのことについて論じる場ではないので紹介に留めるが、実はこの答申について菱村幸彦・国立教育研究所長は「2つの答申の第1の意味は臨時教育審議会答申と46答申の総仕上げを行ったことである」と語っているのだ。臨教審については先に触れたが、46答申というのは、明治維新と敗戦後に続く「第3の教育改革」と呼ばれた中教審答申「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」(1971年6月11日)のことである。この46答申は60年代高度経済成長期に次々と打ち出された経済審議会答申(特に、人的能力部会の答申「経済発展における人的能力開発の課題と対策」1963年1月14日)とそれに呼応した中教審答申を総合したものであった。すなわち、21世紀を目の前にして出されてきている教育改革の方向性が60年代のそれと、その本質において変わっていないことを示している。日本の教育政策に一貫性があるとすれば、60年代の財界が求める人間像と、戦後的なるものの解消という支配層の願いの中にこそ見出すことができるし、そこにこそ批判の焦点が合わされなくてはならない。
 

4.60年代と90年代を貫く教育改革の流れ

 46答申が出されてまもなく、朝日新聞は「『おかげさまで。意見は九分通り反映されました』日経連教育特別委員会有田一寿氏はニンマリ笑った。中教審答申の“できばえ”をわがことのように喜ぶ。『うちあけた話、公式、非公式に森戸さん(辰男氏、中教審会長)や平塚さん(益徳氏、同委員)に何度も会い、ずいぶんとものをいってきました』・・・有田氏は『文部省の事務当局をプッシュした』という。自民党筋に働きかけたこともかくさない。『財界のための教育答申』という批判を、有田氏はまったく気にしない」と報道している(1971年6月19日)。
 先にあげた経済審議会の人的能力部会答申「経済発展における人的能力開発の課題と対策」では「ハイタレントたる素質は早く発見され、それを伸ばすような適正な教育がなされるべきである」「戦後の教育の実情は能力主義が薄れていた。したがって、教育全体に能力主義が徹底するよう改善を行い、その結果としてハイタレントが育ってくることを期待すべきだろう」「ハイタレントの養成に大学教育は重要な役割を持つが、大学につながる高校・中学の段階も、ハイタレントの発見とプールの時期として重要である」とし、ハイタレントの数は「知能検査等で判定して、上位の3ないし5%」としている。また、産業界の要求する多様な要求に見合って学校体系を「多様化」し、「飛び級」「飛び入学」の導入も提案していた。まさに、今回の中教審第2次答申と内容が重なってくる。
 このような提起を受けて発表された46答申は「国家社会の要請にこたえる長期教育計画論」「能力・適性に応じた人的能力開発論」「教育費の効果的配分と適正な負担区分をはかる教育投資論」という「国家主義」「能力主義」「受益者負担主義」に貫かれたものであった。これと、臨教審の総仕上げが現在の中教審の役割だという菱村の発言はよく噛み締めておく必要があろう。60年代と90年代を貫いて教育政策は一つの方向を目指して流れているのである。
 

5.規制緩和時代と教育改革

 以上見てきたように、今日の「特色づくり」という新多様化と新神奈川方式に見られる多様な入試路線は、60年代から一貫して財界・支配層が戦略的に位置づけてきたものだと言えるが、それが今日においては一層私たちに重くのしかかってきている。橋本政権は「行政改革」「経済構造改革」「金融システム改革」「財政構造改革」「社会保障改革」「教育改革」の「6大改革」を打ち出している。そしてこの「改革」を競争と効率と自助によって成し遂げようとしている。規制緩和を基礎に置いて、これらの「改革」が行われ、教育改革もその流れの中で考えられるとしたら、その全容はどのようなものになっていくのだろうか。
 一方、一昨年、日経連が「新時代の『日本的経営』」として提起した内容は、これまでの雇用形態を一変させるものである。それは、従来の正社員のうち、幹部社員については「長期蓄積能力活用型グループ」として期間の定めのない雇用契約、次いで「高度専門能力活用型グループ」で専門能力を持っている者について「有期契約」の年俸制、「雇用柔軟型グループ」は派遣社員やパート、アルバイト、の3つのグループに分けて考えるというもの。60年代のハイタレントを頂点とするピラピッド型の能力配分を雇用形態の違いにまで進めようとするものである。
 規制緩和、労働市場の再編、そして「行革」の要である「民活」があり、競争と効率と自助によって各「改革」が進められる時、教育がどのように変わっていくかを考えなが ら、今春の新方式の結果を見ていく必要があるのではないだろうか。
 

6.新方式で何が起こったか

 以上のような経過・背景から新方式が生れてきたわけだが、その特徴を簡単に整理してみると次のようになろう。
 中学卒業生の減少期に入り、希望者全入という新制高校の理念の達成が物理的条件としては可能となってきた現在、その理念に一貫して抵抗してきた文部省−旧自民党文教族 −財界は、「個性化」という耳障りの良い言葉によって高校の「特色づくり」を進め、その「特色」にあわせて子どもたちを振り分ける(学校を子どもにあわせるのではなく、子どもを学校にあわせる)手法を通して選抜体制の維持をはかると共に、「能力主義」「効率主義(安上り)」を徹底させ、子ども・親・教員を分断し、個別の利益追求を軸とする自助努力、受益者負担を共通の価値理念とするような社会形成の中に教育を組み込むことが必要だった。そしてそのための新多様化であり多様な入選を作り出したのだと言えよう。
 神奈川においては今春、はじめての新方式による選抜が行われたわけだが、そこで起 こったこと、その原因についてまとめてみる。

(1)複数志願制(第1希望校・第2希望校志願方式)による大量の欠員
今回の改革の目玉は複数志願制の導入にあった。この方式は一番入りたい学校(第1希望校)の定員枠を8割とすることで、「行きたい学校」の枠を狭めるという根本的な矛盾を抱えていたが(高校教育課は「第2希望も希望の内」とうそぶいている)、さらにこの方式は第2希望校の実際の受検者数がまったく読めないことから、59校-641名という大量の欠員を生み出した。第1希望競争率が1を割った学校は普通科全日制では六ツ川高校の情報科学コースと小田原城内高校の外国語コースの2校のみであり、大量欠員の原因は第2希望枠にあることがわかる。第2希望枠の対象者は、第1希望枠で不合格になった中で私学に流れなかった受検生のみであるため、少なくとも第1希望枠での選考が決定するまで分からないし、ここで合格になった受検生が多ければ当然第2希望校に回ってくる対象者は減ってしまう。次に神奈川高教組が開催した教育フォーラムの資料の一部を紹介し、第2希望校に回る受検生の数が読めないことを示そう。

これは第2希望枠についてのデータである。

  定員 志願者数 倍率 学区平均 実質
受検者数
実質倍率
A高校 56 294 5.25 5.15 39 0.70
B高校 56 293 5.23 5.08 30 0.54

 A高校もB高校も結局欠員を出したわけであるが、第2希望枠の志願者数は学区平均値よりも高い。しかし、実際に対象者となった数は、志願者数からは予想もつかないほど少ない数であるが、このシステムから考えれば仕方のないことなのである。だから、どの学校でも起こる可能性があるのだ。第1希望枠で多くの不合格者を出さぜるを得なかったところが、第2希望枠では対象者が回って来なくて定員が埋まらないという不合理。これは受検生の側からも言える。第 1希望枠で不合格であっても、第2希望校を同一校にしていれば合格していたのに、他校に変えていた場合は・・・。
 このように、欠員が生じるメカニズムは明らかに制度の問題なのだが、県教委指導部長は「『行ける学校から行きたい学校へ』という今回の改革を受けて生徒たちが選択した結果」だと話しているという。これは結局、欠員を出した学校は生徒が選択しなかった、すなわち人気のない学校だということであり、当該学校に責任を転嫁する言い方であり、許せない発言だ。

(2)複数志願制による「学校間格差の拡大」
 第14期中教審は高校教育改革の障害となる「壁」を「学校間格差」だとした。もし、今回の入選改革が本当に高校教育の改革を目指すものならば、この学校間格差がいくらかでも緩和されるものでなくてはならなかったはずである。結果はどうであったか。
 学校間格差を簡単に測定することはできないが、いくつかの資料から推測することはできる。まず、学区外の進学校を第1希望とし、学区内を第2希望という使い分けによる全県レベルにわたる格差拡大について見てみよう。以下のデータは2月8日付新聞発表の最終応募状況からピックアップした「学区外志願者」に関するものである。

  募集
人員
第1
希望枠
第1希望志願者
学区内 学区外
第2
希望枠
第2希望志願者
学区内 学区外
第1・2同一志願者
学区内 学区外
湘南 398 318 421 96 80 403 31 403 31
翠嵐 317 254 386 63 63 355 32 349 31
厚木 398 318 399 67 80 386 34 384 33
多摩 277 222 365 45 55 289 21 284 20

 ここに上げた4校は学区外志願者数が特に多い学校で、それぞれ県内でも有数の進学校である。特徴的なのは学区外志願者が多いだけでなく、第2希望志願者と第1・2 同一志願者の数がほとんど同じという共通点が見られる。湘南高校にあってはまったく同一であ る。これはどういうことかというと、学区内の学校を第1希望校とし、第2希望を湘南高校にした受検生は一人もいない、すなわち一方通行の選択ということを意味している。他の3校は一人ずつである。学区外は8%条項によって合格者は募集人員の8%以内に抑えられるから湘南・厚木で31名、翠嵐で25名、多摩で22名となる。厚木と翠嵐の場合は数名の不合格者が出ることになるが、第1希望枠で学区外進学校に挑戦し、第2希望枠で学区内に滑り止めを求めるケースだと見ていいだろう。
 それではこうしたいわゆる「トップ」校以外の学校ではどうだったのだろうか。某県内大手予備校が作成したデータを借りて分析してみたい。

[第1・第2希望 同一志願率の例]

*同一志願率は同一志願者数/(第1希望志願者+第2希望志願者−同一志願)の式で、算出しているため、同一志願者数/第一希望志願者数の値より小さくなっている

横浜中部 同一志願率 川崎北部 同一志願率 鎌倉藤沢 同一志願率
光陵 89% 多摩 73% 湘南 84%
横浜平沼 72% 生田 46% 鎌倉 72%
市立桜丘 60% 百合丘 41% 七里ガ浜 54%
金井 57% 麻生 42% 大船 53%
舞岡 58% 生田東 36% 藤沢西 52%
市立戸塚 57% 川崎北 47% 深沢 44%
上矢部 48% 市立高津 44% 大清水 44%
汲沢 48% 39% 湘南台 50%
保土ケ谷 64% 柿生 39% 藤沢北 41%
豊田 67% 柿生西 56% 藤沢 67%
        長後 68%
平均 61%   45%   57%

そして、普通科全体の同一志願率が63.3%、専門学科の同一志願率が67.9%と紹介されている。以上のことから言えることは、各学区共に「トップ」校では同一志願率が高く、中間層といわれている学校で第1希望校・第2希望校を使い分けているということだろう。その結果、従来以上の格差・序列のついたことが予想される。いわゆる「底辺」校が浮上する要素はもちろん無い(「底辺」校の同一志願率も高い)。

(3)複数志願制・総合判定による私学受検の増大
 先に、第2希望志願者数が実際どれだけ対象者として回ってくるか分からない、というのは受検者の側からも言えると指摘したように、新方式の複雑さ、分かりにくさは中学校の担任や進路担当、そして受検生自身に大きな不安感を与えた。その結果出てきた対応として、一つは1ランクあるいは2ランク志望校を下げたというもの、そしてもう一つが私学を受検しておくというものであった。早々と公立に見切りをつけて、専願で私学に行った者もあれば、とにかく併願しておいて不安感を解消した者もいるだろう。中学によっては、全員に私学併願を勧めたところもあるという。
 今年5月に発表された「県内公立高等学校全日制入学定員計画と実績」によれば、県内私立高校進学者の数が17,189名と例年より1000名ほど増えている。これは明らかに新方式が受検生に与えた不安感の結果と言えるだろう。不安感の原因は第2希望志願者の動向が志願状況の発表だけではまったく判断できないというだけではない。第1希望志願状況においても8割枠を基礎にしているために軒並み高い倍率になっているし、普通科では第1希望枠の7割(全体の56%)が成績で、残り 3割と第2希望枠のすべてが総合判定になるわけで(専門学科ではすべて総合判定)、その内容が不透明なだけに不安の材料となった。高校側でもこの総合判定の扱いに困惑したところが多かったと聞く。

(4)複数志願制が導入したコンピュータによるデータ処理
 第1希望校・第2希望校という複数志願方式においては、それぞれの学校間でデータが飛び交うことになる。これを処理するために急遽コンピュータ処理が導入され、専用のソフトが開発された。しかし、このソフトは特定の文字を入力すると送信不能になるなどの欠陥があり、さらに受検生の氏名や住所など選抜資料としては不必要なものまで入力させたために、試行段階からトラブルが続いた。本番のデータ送信においてもミスが続出し、受検生に混乱を与え、県教育長、県知事が謝罪するという事態を招いた。
 初年度だったとはいえ、コンピュータ導入に伴って、特にその担当者の作業量と精神的負担は大変なものであった。また、すべての作業をコンピュータによらなければならないような指導が行われたためか、手作業・人海作戦の方が余程合理的な場面も多く、現場での不評を買った。
 さらにコンピュータ処理に伴う問題点を整理しておくと、@トラブルが1校内に留まらない A不正アクセスの可能性 B個人データの管理(各校のフロッピー管理だけでなく県教委に集められたデータ管理も含めて問題あり)C第2希望校での選抜資料は通信 データのみによらなければならないなどが考えられる。

(5)不適切な再募集日程、定時制日程
 大量の欠員によって、約3校に1校の割合で再募集が行われたが、その日程を見ると、3月5日に合格発表があり、6〜7日が再募集期間となる。再募集のある学校と募集人員は6日の新聞で明らかになるので、受検生はほとんど検討する余裕がない。結局どこかを出願しておき、10〜11日の志願変更で確定するしかなかったと思われる。
一方、定時制の募集は合格発表のあった3月5日からであった。ここで不合格が分かった受検生は、定時制に願書を出すか、翌日の新聞発表を待って、再募集に応じるか、いずれかの判断を迫られることになる。定時制受検者が多ければ、今回のように 641名の欠員の内 418名しか埋まらなかった原因ともなる。この逆に定時制に流れる受検生が少なければ定時制の統廃合に拍車がかかるだろう。
 ところで再募集には私学合格者は志願させてもらえないと何人かの保護者から聞いた が、本当だろうか。私学経営者への配慮や送り出した中学校と私学間の信頼関係といった理由が考えられるが、もし、本当だとすれば、やはり欠員 223名が宙に浮いた原因の一つと言えよう。

(6)その他
以上の他に、複数志願制による入選作業の長期化とそれに伴う作業量の増大、学力検査の問題が採点しやすいものに限定されてくる。総合判定の中に課外活動を盛り込んだために、その内容に振り回された、中学校と受検生(ある中学校の例だが、学区内のある高校がボランティア活動を「重視する内容」に掲げたことから、それまで人気の無かった社会福祉委員に殺到し、それまで地道に活動を続けてきた生徒が抽選で外されてしまったという)。新方式の分かりにくさから今まで以上に塾・予備校への依存度を増すことになる。など多くの問題が指摘できる。
 

7.今後の展望

 以上、新神奈川方式が生れてきた経過と背景、実施した結果見えてきたことの概略を述べてきたが、それでは今後どのような展望を持って「改革」の方向を見定めて行ったら良いのか、理念と現状を踏まえた論議のための提起をしたい。

(1)「個性化」「特色づくり」「多様な高校」というスローガンの検証を!
 経過で述べたように、現在進められている「教育改革」は、その根底に60年代のマンパワーポリシーを引きずっており、当時の露骨な「産業界の要請」といった言葉のかわりに「興味・適性・関心」が置き換わっているだけで、実際に提起している改革の方向性は「個性にあわせた多様な特色を持つ高校づくり」という60年代の多様化路線と本質的には同じである。いや当時は職業高校(現在の専門高校)の多様化が中心であったが、今やすべての学校をこの枠にはめていこうとしているだけに問題は深刻である。すなわち、今ある高校をいろいろと異なる高校に組替え、それに子どもたちを振り分けていくというもの。これは学校選択の自由を要求する声にも呼応しているだけに、また、その耳障りの良さも手伝って抵抗しにくい。
 しかし、この方式では、現実にある格差が社会的評価として定着している中では、子どもたちや保護者の意識としても、中学校の進路指導のあり方としても、輪切りの実態を解消することはできない。当然受験競争は残るし、「特色」も各自の「個性」とは無関係のものとなる。また、より具体的に考えれば、各自の個性と学校の特色が常にバランス良く対応していることなどとうていあり得ない。ここにも受験競争、不本意入学という問題がつきまとうのである。
 もともと、マンパワーポリシーからの教育改革は「能力主義」「効率主義」に支えられているのだから、個性を大事にすることとは無縁なのである。

(2)「生徒を学校にあわせるのではなく、学校を生徒にあわせる」ための改革を!
 それでは、本当に個性を大事にするためにはどうしたら良いのだろうか。それはそれぞれの学校が、生徒を入口でふるい分けるのではなく、入ってきた生徒の要求(興味・適性・関心と言ってもいいが)にあわせられるような条件を作り出す努力をすることだろう。また、行政はそれを援助すればいいのだ。
 日本のような「経済大国」でない国でも、生徒数人が希望すれば(たとえば第2外国語の選択など)そのための予算措置が行われるようなところは多い。これまでの多様化路線は「生徒を学校にあわせる」という「能力主義」「効率主義」(この2つは必然的に選抜主義、適格者主義を伴っている)からきているが、発想を転換して「学校を生徒にあわせる」ようにすれば、学校は無理に特色など作る必要はなく、個性ある生徒が個性にあわせた学習ができるはずである。
 こうすれば、選抜の必要もなく、定員をオーバーした時のみ抽選でもすれば良いということになる。大体、個性を測定するなど、どんな尺度を用いたとしても不可能なのだ。

(3)学校をサバイバルゲームに晒す愚を避けるために!
 現在、神奈川に限らず、首都圏で起こっていることは、中学校卒業生が減少し、それに伴って学級減が進み、余剰教員が増加している。その一方で不況による税収減から教育予算の削減がある。それは単なる予算の削減というより、橋本政権の掲げる「6大改革」の中の特に「財政構造改革」とも連動してくる可能性を持った削減であることも注意しておく必要がある。差し当たりは、こうした状況に対する行政の対応の一つとして、東京都が打ち出したような統廃合・改編による29校削減案がある。
さてここで思い出してもらいたいのは、先述したように、大量欠員の原因はその制度上の欠陥にあるにもかかわらず、当該校の責任であるかのように言った指導部長の姿勢である。特色で競争させ、定員割れを起こしたような学校を人気のない学校、自助努力のない学校と決めつけ、統廃合の対象としていくような筋書きも考えられるからである。
 私たちは、そうした生き残りのための競争に、自らを駆り立てるような愚を避けなければならない。そのためにも能力主義、効率主義に反対し、戦後新制高校の「理念」に戻 り、現状からの出直しを模索すべきだと思う。
 

8.おわりに

 今回の新神奈川方式は、「選抜から選択へ」「行ける学校から行きたい学校へ」というまやかしのスローガンをもじって結論を言えば、高校は「選抜方式の選択へ」であり、受検生にとっては「行ける学校も分からない」ので「公立から私立へ」であり、最終的には「再募集か定時制かの選択へ」であったと言える。
 多額の予算を費やして、高校にも中学校にも多大な負担をかけ、受検生には混乱と不安を与え、その上多くの保護者には後で無駄になるかもしれない私学への入学金を納入さ せ、更には公立高校を希望しながら私学にいかざるを得ない(例年との比較では1000名も増えた)受検生を増大させた新方式。そして再募集でも埋まらなかった 223名分の中学生はどうしたのだろうと考えると、この方式を強行した県教委の責任は大きい。
 いくらかでも良心があるなら、こうした事態を生んだ元凶である複数志願制をやめるべきだろう。しかし、実際には来年も今回と同様なことが繰り返される。県教委の発表では合格発表までの期間を5日間短縮するくらいの手直ししかしないようだ。この短縮は受検生には良いだろうが、高校側の負担は一層増加する。
 再募集と定時制の募集が重なるのも改善されない。いやむしろ積極的に改善しない効果を狙っているのかも知れない。定時制の統廃合を進める方向になっても、定員が埋まらない「不人気」校が生じるのも、県教委にとっては大事な目的の一つかも知れないからだ。 もっとも再募集という言葉が消えて「2次募集」となった。もしかしたら、このような批判を避けるために「3次募集」までやろうとしているのだろうか。いずれにしても、戦後一貫して進められてきた権力側の「教育改革」はしたたかであり、そう簡単に打ち砕くことはできそうもないが、私たちは私たちの「理念」を持って、抵抗の姿勢を崩すことなく、私たちの「教育改革」を提起しつづけなくてはならない。そして、現場に居て現場からの声を上げることができる立場にある以上、今回の新方式の矛盾を指摘し、声を上げ続けることこそ私たちの責任ではないだろうか。  

(いしだかずお・平塚工業高校)

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