市民活動は「教育」を変えられるか!
 
 

 市民活動の可能性〜多元的な教育の場づくり

NPOとしての市民活動
 90年代に入り、日本では「NPO(Non Profit Organization=民間非営利組織)」という概念が注目されつつある。NPOはアメリカで生まれた概念で、環境保全、福祉サービス、教育、住宅供給など様々な場面で、大きな役割を果たしており、NPOで働く人たちも多い。
 教育に関わる活動も含めて、行政や企業から独立した様々な市民活動やボランティア活動は、まさに民間で非営利(営利を目的としない。厳密には利益を関係者に配分しない)の活動である。だが、こうした活動とNPOがイコールでないのは、NPOは民間非営利の「組織」を意味しているということであろう。個人が何人か集まったというだけではなく、社会に対して責任のある体制となっている、継続性をもっているということがNPOには不可欠な要素となる。つまり、これまで市民の活動というと、「そのサービスは無償であること」「収益をあげてはいけない」「関わる人はすべて無償で活動すること」が当然のように思われる風潮もあったが、「有償サービス」「収益事業」「有給スタッフ」などはNPOでは珍しいことではない。
 本来NPOには、大学や財団なども含まれるが、今日本で「NPO」に関心が集まっているのは、そうしたすでに社会的な存在として認知されているNPOではなく、市民の活動にNPOという光をあてることで、その社会的役割を認識し、社会的、制度的な環境整備を進めていく必要があると考えられているからである。98年3月には、こうしたNPOが法人格を取得できる「非営利活動促進法」が国会で成立した。
 そして、すでに日本においても、既存の法人格を取得して活動を行ったり、法人格は有しないまでも、スタッフをもって継続的に事業を行っているNPO的な活動は増えつつある。「教科書検定訴訟を支援する全国連絡会」「思春期相談室ティーンズ・ポスト」なども、有給スタッフをおいて活動の継続性と専門性を担保してきた。「川崎市ふれあい館」の運営を市から委託されている「青丘社」は、差別のない地域社会をつくるために保育園の開設から始まった社会福祉法人である。「飛翔の会」から社団法人となった「神奈川学習障害教育研究所」もNPOとしての道を歩みはじめたと言える。「エール湘南」「カフェ・ドゥ・そーじゃん」などの地域作業所もひとつのNPOの形態だろう。
 環境保全、福祉サービス、文化活動など、様々な分野で、NPOとしての方向性を模索する市民の活動が生まれつつある。いささか「NPO」という言葉が、実態より先行している感もあるが、学校教育に一元化されがちな、日本の教育においてこそ、民間の立場で教育環境を創出する多元的なNPOが必要なのではないだろうか。
 もちろん、すべての市民活動がNPOをめざすべきだとは思わない。ボランティアによってゆるやかに運営される活動、問題関心を共有化する人が自由に集う活動、具体的な問題がおきたときに盛り上がる運動、様々な活動スタイルや個人の関わり方があっていい。そうした多様な活動スタイルのひとつとして、教育の分野でのNPOの可能性をもっと模索してもいいのではないかと思う。自分の子どもが学齢期をすぎてしまえば関心が薄れてしまいがちな教育問題。そうした教育に対する人々の関心や参加のあり方を否定するのではなく、広範な人々がその最も教育に関心をもつ時期に関わり、その成果を蓄積しつつ、次世代の活動への支援や教育環境の変革へともつながるような多様な場やシステムを、市民がつくりあげるには、NPOという装置は有効なのではないだろうか。

■さまざまな分野の市民活動が「教 育」を担う
 教育をテーマに掲げた市民の活動が見えにくくなってきたと、先に述べた。しかしそれは「教育」という分野に明確に位置づけられる活動が見えにくくなってきたということでもある。他方では、環境保全や福祉、まちづくりに関わる活動の中で「教育」や「学校」が、重視され、実践されつつある。
 特に地域の環境保全活動においては、子どもたちが活動を担う場面も多く環境学習(教育)に力が注がれている。「横浜市環境保全活動助成金」の交付を受けた市内の環境保全団体が一堂に会して交流する「横浜市環境保全活動助成団体成果発表会」(横浜市環境保全局主催)が毎年3月に開催されているが、98年度成果発表会においては、30団体、 130名あまりの参加者のうち、約50名が小・中学生であった。川や森をフィールドとして子どもたちの環境学習の場ともなっているこうした活動では、地域の小学校や教職員との連携をはかりつつ活動を進めていることが多い。学校の授業やクラブ活動として、市民団体といっしょになって自然観察や調査などを行うこともある。
 また、まちづくりを子どもたちとともに進める試みも各地で増えつつあり、そこでも市民団体が中心を担いつつある。アメリカやイギリスでは、環境学習やまちづくりを支援するNPOが、学校の環境学習プログラムの開発を行ったり、子どもたちの参加を募り、環境学習やまちづくりの提案などを行っている。
 地域福祉に取り組む活動においても、「ねざす」NO18で「地域福祉施設でシニアリーダーを担う高校生」として紹介した川崎愛泉ホームのように、コミュニティの世代間交流や子どもたちの活動支援を通して、学びの場をつくってきたように、地域の支えあいを子どもたちもいっしょに考え学んでいこうとする活動が増えつつある。「川崎市ふれあい館」では差別のない地域社会を実現するために、民族共生学習(教育)を行っている。「教育」は、様々な社会的課題の中のひとつの独立したテ−マというより、すべての課題に共通する重要な視点であるということが、市民の活動の中で実践されつつあるようだ。
 このように、様々な活動がそれぞれの活動の一貫として「教育」を取り込むことが、教育の多様化・多元化することにもつながるだろう。ただ、現在のところ、「教育問題」に取り組む活動、環境保全活動の一貫として環境教育にも取り組む活動、福祉や人権の視点から共生教育に取り組む活動などが、お互いに接点をもたないことが多いことが課題ではないだろうか。こうした様々な教育に関わる活動が地域という共通のフィールドで接点をもつことで、地域社会全体を視野に入れつつ、多元的な教育実践を展開することが可能となるのではないだろうか。そしてその実践の中から、学校が何を担うべきか、地域の市民活動やNPOが何を担うべきかが明らかになってくるのではないだろうか。

■地域における「学校」の機能
 今、学校(特に小・中学校)は、様々な機能を期待されている。校庭開放や空き教室のコミュニティスペースとしての活用など、コミュニティ施設としての機能、災害時の避難場所として小・中学校が指定されることが多いように、防災拠点としての機能、そして行政や地域の市民活動からも、子どもたちとともにまちづくりを進めるパイプ役としての機能が期待されている。
 学校がコミュニティスペースとして機能するには、教職員の地域の活動に対する十分な理解が必要となる。学校が地域防災拠点として指定されている場合は、その運営は自治会・町内会などの代表者からなる運営組織に委ねられている場合が多いだろうが、教職員の運営参加も不可欠であるし、教職員が事務局を担うことも多いだろう。そして環境やまちづくりなどの市民活動と学校の連携が図られている場合、それは現時点では、積極的な教職員の努力によるところが大きい。
 教職員が忙しすぎ、子どもたち一人ひとりに十分な対応をするゆとりがないといわれる状況で、これ以上教職員の負担を増やさないでほしいという意見もあるだろう。またしつけも含めて、学校に子どもの教育をすべて委ねればいいというような風潮もある中で、学校はもっとスリム化すべきであり、これ以上学校に期待しないでほしいという意見もあるだろう。
 そうだろうか。
 子どもたちも含めた市民の多様な活動に支えられて、地域のコミュニティレベルでの自治が具体化することが、教育を市民の手に引き寄せるためにも必要なのではないだろうか。コミュニティの単位としては、生活に身近な範囲として小学校区、中学校区がしばしばモデルとなる。小学校、中学校は文字通り、こうした区域に既に存在している公的施設である。思い切って小学校や中学校を地域に開かれたコミュニティ施設だと考えてはどうだろうか。コミュニティ施設として、子どもたちに学習の場も提供する。そして子どもたちの学習の場は、学校以外にも地域に多元的に存在する。現在、学校に課せられたカリキュラムも、教職員がすべて担うのではなく、地域の多元的なグループやNPOが担い、実践的によりよい学習プログラムを提案する。教職員は、「教育」を一手に引き受けようとせず、コミュニティにおける、子どもの学習の支援者であり、多元的な学習の場と子どもをつなぐコーディネーターである、と考えられるようにはならないだろうか。
 

 おわりに

 地域社会のあり方を市民自らが考え実践しようとする活動が増えつつある。それをまちづくりと考えるならば、教育もまちづくりのひとつである。
 今、教育に関わる市民活動は転換期にあるのではないかと思う。そして学校も、どのような方向にいくかはさだかではないが、転換をせまられている。子どもたちにとって、息苦しいといわれる学校だが、一方で、市民や教職員の中には地域と学校の関わりを深めつつ、新たな学校像を模索しようとしている人たちがいる。
 しかし、こうした試みは主に小・中学校ではなかろうか。4年間、「地域の活動から−市民活動紹介」の連載を続け、様々な人から話を聞いた。また、地域の環境保全活動やまちづくり活動の中での「教育」への取り組みにも接することができた。その中では、連携の対象として、また批判の対象として小・中学校がたびたびちらついた。しかし高校は市民の活動から見てどのようにとらえられているのか、今後何が期待されているのか、ほとんどわからなかったというのが正直なところである。
 大学区制のもとでは確かに小・中学校のように地域に根づくのも難しい。しかし地域に存在する以上、地域社会と高校の関係を今一度考えてみることも必要なのではないだろうか。

(かわさき あや、教育研究所員・まちづくり情報センターかながわ)

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