なぜ、ベンキョーが嫌いか
−高校生100人に聞きました−

綿引 光友  

 
 

 はじめに

 2年生を対象とした選択授業で、全員に「3分間トーク」をさせた。その前に生徒から発表テーマを公募し、希望の多かった5テーマ(学校、最近の高校生、校則、アルバイト、茶髪・ピアス)にしぼった。そして、ここから各自が1つのテーマを選び、教壇に立って自分の考えを述べるのである。
 ひととおり終わったあとで、「トーク」のしめくくりとして全員に、「学校・授業・バイト・友達」とのテーマによる小論文を書いてもらった。それらはそのまま印刷し、「小論文集」として小冊子(25ページ)にまとめ、生徒に配布し、熟読させた。その中から、2人の文章を以下に引用する。(下線は引用者)

 今、友達といるのが楽しい。だから、私にとって学校は友達に会いにくる場となっている。(略)
 今の友達、最高だし、今一番大切なのが友達だし。学校を機会に友達に会いにきているだけ。親や大人は「学校は勉強するもの!」なんていうけど、みんな「本業は勉強」なんて思ってない。今は、高校卒業しなきゃある程度の所の会社とか入れないから来てるダケだし。まじめに勉強しにきてる人なんて、15%もいないと思う。友達に会いにきてる人。しょうがなくきてる人とかの方が100%に近いと思う。
 もし、先生たちが「それは違う。勉強しなきゃどうたらこーたら」言ったって、どんなに生徒のためって生徒に言いながら言ったって、その話を聞いたところで、誰も勉強しなきゃなんて思うはずないし。「高校は義務教育じゃないんだから、やる気ないヤツは入いんなきゃいいんだ!」とか言うけど、高校なんて半分義務教育みたいなもんだと誰もが思ってると思う。
 もっと授業とか静かにしろって先生が思うのなら、それなりに先生も考えて静かにさせればいい。先生にも責任ある。 (2年 A)

  今までのみんなの発表を聞いて、いろいろと共通点があることが分かったような気がします。特に「学校」というテーマの中では、学校に何しに来てるか分からないということです。これが一番印象に残りました。
 実は僕も学校に何しに来てるか分かりません。勉強も好きじゃないし、嫌いな先生もいます。授業の時でも、友達としゃべっていたり、時には寝たりする時もあります。 となると、やっぱり一番にくるのは「友達」ではないでしょうか?学校に来るのは友達に会うため、という方が多いんじゃないかと思います。いわゆる学校とは、友達との交流の場、そして遊び場という感じがします。(略)
 そして、この遊びが終わると「バイト」という言葉が出てきます。今では部活と言っているより、ましてや「バイト」と言っている人の方が多いと思います。バイトってやっぱり遅くまでやってる人が多いと思うから、けっこうハードな1日を送っている人も多いと思います。(頑張れ!)学校もバイトもけっこう遊びみたいで、共通点があるような気がします。僕らはどんな大人になるんでしょう?? (2年B)

 ここでは2人の文章しか示さなかったが、彼らが書いたものを通読してみると、ほとんどの生徒が異口同音に「何のために学校に来るのかわからない」「勉強はなんのためにするのかわからない」と書いている。さらに「勉強は大嫌いだ」「なんでガマンしてまでこんなつまらないことをやってるのか」といった声も聞こえてきた。アルバイトをしている生徒の中には、「学校で勉強するより、バイトでの勉強の方が役立つ」とか「学校に行くことよりも、バイトなどをして経験を積んだ方がよっぽどいい」と考えている者も多かった。ベンキョーを拒絶し、ベンキョーから逃走しようとしている高校生のホンネがここに示されている。
 周知のように、教育研究所編集による『神奈川の高校・教育白書97』(1997年9月発行)の巻末に「高校生の学校に対する意識の変化を探る−「学校不適応」と思われる生徒100人に聞きました−」と題する独自調査結果とその分析が収録されている。この『白書』中には、授業への参加度に関する質問項目はあるが、数字に表す関係上、授業や勉強(学習)に対する考え方や意識についてまでは聞いていない。
 そこで筆者は、冒頭の生徒の小論文に示された生徒のホンネを真摯に受け止め、「『苦行』ともいうべき試練」(『白書』60ページ)ととらえられている授業、さらには「勉強」というものを高校生がどのように考えているのかをさらに探ろうと考えた。そして、単刀直入ではあるが、敢えて「なぜ勉強が嫌いか」とのテーマを掲げ、作文を書かせることにした。具体的には、「勉強というものが嫌いになったのはいつか、なぜ嫌いになったのか」といった点にふれながら書いてほしいと注文をつけた。そして、生徒の生の声をもとに、彼らがなぜ学びから逃走しているのか、これからの授業をどうすれば「学びの復権」が可能となるのか、といった点について考察を試みることにしたのである。たまたま私が全学年の授業を担当していたこともあって、2学期の授業の合間や中間テスト後などを利用しながら、「なぜ勉強が嫌いか」との問を生徒に突き付け、100人の生徒(1年38人、2年31人、3年31人)からホンネを引き出すことができた。
 

 なぜ嫌いになったのか−15人のメッセージ−

 100人分の作文をすべてここに記載したほうがよいかもしれないが、紙数の制約もあるので、ここでは各学年わずか5人ずつの計15人を選び、引用する。彼らの悲痛な叫びにも似た教育要求にどう応えたらよいか、学校や教師のあり方が厳しく問われている。
 以下に、1年生から学年別に順番に並べ、紹介する。なお、幾分なりとも読みやすくするため、引用者の判断でポイントとなりそうな箇所に下線を引いた。まずは1年生の意見。

(1)1年生の場合

 勉強が嫌いになったのはいつか、あんまり覚えてないけど、たぶん小学校に入学してだいぶたってからだと思う。入学したての勉強なんて、なんにもしなくても簡単にできるものだったし、親も今ほど勉強しろとうるさくはなかったから、勉強じたい嫌なイメージがなかったと思う。
 しかし、学年が上がるにつれ、だんだん学習の内容が難しくなってきて、テストで百点満点をとることが難しくなってくる。そうすると、よい点をとっていた今まで、何も言わなかった親がだんだん勉強を強要するようになり、友達と遊ぶ時間もおしんで勉強、勉強というようになる。自分はもちろん、やっても自分の何の得にもならない(その時は成績とかは、良くても悪くても自覚がなかった)勉強より、今、友達と楽しく遊ぶ方がダンゼン良かったと思う。しかし、これはうちの場合だが、やらないと遊ばせないとか、おやつをあげないとか条件を出されれば、やらざるを得ない。しかも、やっている内容がわかれば気持ちいいものだけれど、わからないとおもしろくないものだ。でもわかるまでやらされる。そういう積み重なる強要で、勉強のイメージがだんだん嫌な方へ変わってきたのだと思う。 (1年A)

 私が勉強を嫌いな理由は、はっきりいっておもしろくないからです。たまに興味のある単元もあるけれど、ほとんどは習っても将来役にたつことのないものばっかりだと思います。
 数学の足し算、引き算、掛け算、割り算とかは生活している中では必要なことですが、その他の√だとか、σだとかは一体何のために習うのだろう?といつも思います。一体何のために、役にもたたない計算問題や練習問題を解かなくちゃいけないのか、誰かに教えてもらいたいものです
 化学でも、役にたつものを勉強するのはぜんぜんかまわないのですが、これもまたほとんど役立つものなどないと思います。そんなムダなことに時間をつかうのならば、もっと自分の時間として有効につかっていきたいと思います。(略) (1年B)

 一番嫌いな理由はメンドーくさい。私は小学校の頃から勉強はキライ。前は嫌いというより、遊びたかったからだ。中学の時は部活が忙しくて、ヒマ、やる気がなかった。今はだいぶ落ち着いて、自分のできる教科は嫌いでも好きでもないくらいになった。私が勉強したくないのは、いくらやってもテストで点数がとれない、わからないからだ。特に授業が楽しくない教科は苦手。
 ただ先生が黒板に書いているのを写し、説明を聞いているだけではおもしろくない。先生達も、もう少し授業を楽しく受けれるようにしてほしい。具体的にはよく分からないけど、楽しい授業がいい。楽しい勉強のしかたを教えてくれれば、少しは勉強する気分になれるのではないか。つまらない授業だと、かなりおしゃべりが多い気がする。
 (略)特に勉強は、自分で「自分は勉強ができない」と思うから、やる気が出ない。まずは、自分に自信をつけさすことが大切だ。 (1年C)

 中学1年ぐらいから勉強は嫌いだね。だってさ、勉強なんて大人になってから意味あるの?って思っちゃうね。大人になったって使わないのなら、中学、高校って勉強しなくていいんじゃない?私はそう思うけどね。
 私が嫌いになった時、なんでそう思ったのかわからないけど、きっと中学に入ったら、中間、期末のテストがあったからだと思う。小さいころから、勉強って好きなほうじゃなかったから、テストがあるたびに泣きそうになりながら勉強してたんだ。今だって同じだよ。中間、期末があるたびに、赤点とらないようにって必死になって勉強してるのに、全然出来ないんだよね。(略)
 勉強ができなくたって私達は大人になっていくんだよ。けど後悔はきっとするんじゃないかな? (1年D)

  勉強が嫌いになったのはたぶん小学校1年のときぐらいだった。算数の問題が全然解けなくて、先生におこられたことがある。それで嫌いになった
 もうひとつは、親とかに勉強しなさいとか、春休み遊びなしとかやらされたりした。遊びだったら、自分の好きなことができるし、だいたい自由だった。しかし、勉強をしないと成績は下がるし、学校の授業がわからない、将来が苦しくなる。勉強のことになると、親はすぐむきになる。そして嫌な話ばかり聞かされる。とても嫌だ。だから勉強は嫌だ。(略) (1年E)

(2)2年生の場合
 つづいて2年生はどのように書いているだろうか。

  小学校のときは勉強が好きだった。中学校に入っても最初はけっこう好きだったけど、中学校からは定期テストというのがあって、それだけで成績を決められるというふうになってから、小学校の時のような知識を増やすための勉強から、いい成績をとるための勉強になってしまって、なんか勉強に対する意欲がなくなってしまった。たしかにいい成績をとるための勉強でも、知識は増やすことはできる。でも、自分の中で、別にいい成績なんかとらなくても、そこそこの成績をとって自分の好きなことをやっていった方が楽しいというふうになってしまった。(略) (2年C)

 小学校の時にさかのぼってみると、まず小1、小2の時は、漢字を習い始め、算数を習う。算数は頭を使うから、頭が痛くなってくる。
 小3ぐらいになると、親が「塾に行け」と言ってくる。普段ならまだみんなと遊べる時間なのに、その時間を使って塾に行き、勉強をする。学校でも勉強して、塾に行っても勉強をして、家に帰っても、親が「予習、復習しなさい」と言って、遊ぶ時間がなくなってしまう。僕はそれが自分達が勉強を嫌うきっかけになったのだと思う。
 子ども達だって、自由に生きる権利はあるのだから、そんな早い時期に勉強させなくてもいいと思う。親が子を厳しく、良い子に育てようとする気持ちはわかるけど、子どもの意見も聞いてあげるべきだと思う。(略) (2年D)

一言で言えば、勉強というものが僕たち学生の価値を測定するものだからだ。この考え方に気づいた時、勉強が嫌いになったんだと思う。それまでは勉強を楽しみ、まるで遊んでいるかのようにやっていたと思う。
 勉強を好きにさせるには、今の制度を変えた方がよいと思う。今のやり方のままでは、ほとんど学生が勉強を好きにはなれず、「しかたないからやる」「今だけがまんする」という気持ちでしか、勉強ができないと思う。これはしかたがないと思う。だって遊んでいた方がおもしろい。遊んでいれば人に価値を測定されたりしない。
 僕は、人に価値を測定されるのはとても嫌いだ。だって人の価値や可能性は無限なのだから、測定するということはその時だけであり、次の日になれば価値が変わっているかも知れないからだ。  (2年E)

 勉強が嫌いになったのは中学2年の時でした。それまでは勉強が好きでも嫌いでもありませんでした。頭もそこそこ良かったし、テストもけっこういい方でした。
 でも中2の時、親に「試験1週間前だから外に出るな」と言われました。中2の時は毎日、友達と遊んで楽しかったので、そのときの僕にとってはつらかった。でもしょうがないから勉強をしていました。けれど、学校から帰ってくるとすぐ勉強。土曜、日曜は一日中勉強で、嫌でした。そして勉強なんかしなくてもいいやと思い始めたのです。それからは毎日遊びまくっていました。けどそのたびに親に怒られていました。僕は勉強をしたくないけれど、しないと怒られるけど、そんなに束縛されたら誰でも嫌になると思います。それからは楽な方へと流されていき、今では学校以外では勉強していません。 (2年F)

 なぜ勉強が嫌いかというと、他人と比べられるのも1つの原因なんだけど、本当の原因は、今やっている勉強が本当に自分の将来に役にたつのか、ということです。今、アルバイトをしていますが、将来のために役にたつのは勉強よりも、社会に入って経験を積んだ方がいいのではないかと思います。(略)
 今の社会は、人間の価値の測定を成績ではかったり、そうでなかったりと、やっていることがよくわからないです。もっと大人達がしっかりしてくれなくては困ります。そして今の教育をちゃんとしたものにしていってほしいと思います。 (2年G)

(3)3年生の場合
 最後は3年生のメッセージである。

 数学や英語などわからないからおもしろくないし、おもしろくないからわかろうとしないといった悪循環の繰り返しで、ますますわからなくなるといった理由で勉強が嫌いです。でも反対に好きな科目には、興味をもち、積極的に勉強に取り組むことができるし、一番の違いはやっていておもしろいということです。
 今まで嫌いだった科目も、わかろうと努力をすれば、徐々に好きになっていくかも しれないのに。その少しの努力が僕には足りないのだと思います。これからは、その少しの努力をがんばって、嫌いな科目を克服していきたいです。 (3年A)

 なぜ勉強が嫌いかというと、これからの人生であまり役にたたないからです。少しは役にたつこともありますが、全く役にたたないものもあります。そんなものは勉強するだけ無駄だと思います。しかし、そんな役にたたないことを覚え、勉強しなくては大学に行けず、これから先の選択する幅が狭く、行きたいところにも行けない、つらい人生が待っているのです。そんなことは腹立たしいことだと思います。
 それに勉強はどう考えても、楽しくないと思います。遊んでいた方がどう考えても楽しいので、勉強せずに遊んでしまいます。勉強が楽しいものであれば、きっと好きになっていたと思います。 (3年B)

 少なくとも勉強が好きになったことは1度もありません。多分、私だけでなく、ほとんどの人間が好きではないと思います。その理由の1つに、テストが必ず成績を左右することが原因だと思います。何時間もかけて机に向かって集中した日々が、たった50分もの間に運命が変わってしまうのが許せないのです。一時期は、将来に役立たせるための勉強と思っていたが、現実はそうであっても、私の中では否定的になってしまうのです。
 高校生活も残りわずかとなり、よくここまでやってきたなあと思います。勉強が嫌いで嫌いでたまらなかった日々から解放され、本当に将来の自分の生き延びるための道を歩むための勉強が待っています。ここでは嫌いな勉強も、自分のためにやらなくてはいけないと思います。 (3年C)

 私は中学のときは、テスト前とかにはかなり勉強してました。それでテストも80点ぐらいはとってました。それでもまわりが頭よすぎるので、80ぐらいの点数をとっても、よくて5段階で3、悪いと2でした。それで私はやる気をなくしました。努力していい点とっても、よくて3。努力なんて無駄だと思うようになりました。それで今ではこんな感じです。どうせ勉強なんかしたって、私は駄目なんだって思います。
 今、私の弟が同じ苦しみに合っています。弟には私みたいになってほしくないので、がんばるよう応援しています。1回私みたいにやる気をなくすと、何に関しても努力しないようになってしまうし、逆に努力しようと思っても、そう簡単にはできなくなります。(略) (3年D)

 なぜなら堅苦しいからだ。これを覚えなければ駄目だ、というのが義務的で嫌だ。でも自由に出来たり、興味のあることなら大好きだ。(略)
 僕は小学校の頃、早く英語を習いたかった。でも、中学校に入ってすごくガッカリした。本来、英語は大好きだったのに、文法という、これを覚えなくてはいけないというので、あまり好きではなくなってしまった。小学校の頃の勉強は、なぜか出来るとおもしろかった。けど、中学、高校へ入ると、出来ても楽しくはなかった。なんでだろう。 (3年E)

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