今こそ高校発の大学入試改革を
 
 

 大学入試改革の主体

 高等教育のユニバーサル化が進行する一方で、初等中等教育も大きく変化しようとしている。大学入試改革も、それらの一連の教育改革の中に位置づけられるべきであるが、高校関係者の中には、それが実現可能なのかを危惧する声が多いようである。

  • 学校5日制、週休2日制の導入とカリキュラムの抜本的見直し、それとの関係での大学入試のあらい直しが、同時並行していかなくてはならないだろう(北海道)

  • 小中学校の教育課程における指導内容(量)の精選が進む中、大学入試制度の改革が追いついていない現状があり、今後、そのひずみが高校教育に悪影響を与える可能性が懸念される(栃木県)

  • 第15期中教審が第1次答申を出し、学校5日制の完全実施を含め、「生きる力」「ゆとり」を全面に出して検討している。それには、これまでの学力中心の評価方法を変える必要がある。それに連動して、大学入試全体のあり方や、入試方法も多様である必要があると思われるので、新しい入試制度に向けて、改革をお願いしたい(三重県)

 最後の意見のように、大学側により一層の自覚や研究を求める意見は他にもみられる。

  • 各大学の各種の入試制度は、あまりにもバラバラすぎて、高校現場が混乱するような方向に進んでいるように思える。もっと高等教育機関の責務として、大学側が高校現場を研究し、ある一定の統一性と、その中での大学の独自性を持たせるべきだと感じている(大阪)

 しかし、これまでの経緯からもわかるように、こうした高校側の要望に大学側が応えることは、元来、無理な話なのである。これは決して大学の意識的な悪意によるものではない。それぞれの大学には、それぞれの組織原理が存在する。そのもとで、国立大学や一部の私立大学は優秀な学生の確保を最優先し、また他の私立大学では受験者・入学者の確保が最優先される。さらに大学には高校を研究する人的・時間的な余裕がない。出題者は各自の専門分野の研究者であり、高校の学習指導要領を熟知しているはずもない。したがって、試験問題に関する次のような意見も大学側には届きにくくなっている。

  • 二次試験には、全般的に難解な問題が多すぎるのではないか(岡山県)

  • センター試験の出題内容をもう一度見直す必要がある。必ずしも基本的なものとはなっていない(広島県)

 前節でふれたように日本の高等教育は私立大学に依存しており、こうした現状で大学入試改革が大学のイニシアティブのもとで行われる限り、大学入試による高校教育への悪影響が除去されることはないと考えるべきであろう。大学内部からの改革に期待できない以上、外部からの力が必要である。その力となるべきは高校である。高校側が主体となってこそ、大学入試の抜本的改革が可能になる。
 

 抜本的改革のための課題

高校間格差の是正が必要
 大学入試の抜本的改革が行われれば、高校間格差も結果的には是正されることになるだろう。高校教育への悪影響も格段に小さくなるはずである。だが、現在の高校間格差は、全国の高校が一体となって大学入試改革のヴィジョンを築くことを阻害する。改革による利害が、各高校の序列によって異なるからである。このことを調査データで確認しておこう。現行の入試改革における「多様化」「推薦入試の拡大」の二つについての意見をみると、その評価は高校により大きく違っていることがわかる。

[入試の多様化について]
 肯定派

  • 各大学ごとの特色ある多様化した入試を実施するのが望ましい(青森県)

  • 多様な入試制度の導入は、高校での多様な教育課程の実践のためにも必要である(福島県)

  • 大学入試制度がいろいろな形で行われることにより大学の個性が出せると思うので、一層の改善を望む(埼玉県)

  • 各大学は、予備校が対応できないほど個性的で独自性のある入試を実施してほしい(東京都)

  • 生徒一人一人の特性を生かすような多様な入試制度に、これからも努力していただきたいと思います(山梨県)

  • もっと多様な入試制度の導入を期待する(福井県)

 否定派

  • 教科、科目数の多様化は、進学校では、まぎらわしい(茨城県)

  • これだけ多様な入試科目を設定されたのでは、高校における選択授業の内容あるいは選択そのものが、生徒に極めて重い負担をかけることになります。特に、一大学により、学科別にバラバラな選択科目を課するようでは、本当に困ります(愛知県)

  • 大学側の受験生集めのための入試制度多様化には弊害が多すぎる。大学側のポリシーを疑う(愛知県)

  • 多様化しすぎると高校側の対応が追いつかない(愛媛県)

  • 入試の方法及び内容は統一してほしい(愛媛県)

  • 各大学独自の入試のやり方があっていいと思うが、生徒に負担をかけないようにするのが理想である。センターテストは共通問題ということで、受験勉強がしやすくなった(福岡県)
     
    [推薦入試の拡大について]
    ・肯定派・
     ・推薦入試の枠を広げてほしい。推薦の拡大は、高校の主体性を育てる上で非常に大事である(福島県)
     ・専門高校生用の特別推薦枠をお願いします。専門高校生用の大学の設置を希望します(神奈川県)
     ・職業高校特別枠の増加、各種公的資格の取得による受験科目免除(新潟県)
     ・高校の責任において推薦者を決める(いわゆる指定枠)を、高校の規模に応じて拡大して欲しい(長崎県)
     ・高校3年間で学んだり取得したりした資格、特技を生かせる推薦枠の拡大(熊本県)
     ・「総合学科」について、推薦を別枠として定員をお願いしたいと思います(宮崎県)

 否定派

  • 推薦入試の増加により、高校の評価・評定がどんどん甘くなっている(東京都)

  • 推薦入試の導入の結果、安易に大学を選ぶ生徒が増えた。「入試に失敗して自殺・・・」というような悲劇は減少したかも知れぬが、強い精神力を育てることになっていない。推薦では、本来の学力で入学できると思われる大学より1ランクか2ランク下の大学にしか入れない。これは生徒にとって不幸なことである(東京都)

  • 「調査書」は高校間格差があり無意味。「推薦書」もHR担任の作文力を試すだけで受験生とは無関係。大学は高校側に選抜を任せないで自前で選抜すべきである。高校側に提出させる書類で選抜するなら、何万円もとる「受験料」は高校へ払いもどすべきでしょう(静岡県)

  • 推薦入学枠を削減する(愛知県)

  • 指定校推薦や一般公募推薦などは廃止すべきである。大学によって条件もまちまちである。推薦という名の学生集め、学生確保である(兵庫県)

 こうした、ある種の利害の対立を乗り越えるためには高校間格差の是正が必要であるが、それほど容易なことではない。格差の克服は、やはり大学入試改革の結果として得られるものであろう。それでは格差が存在する現段階で大学入試改革のヴィジョンを描くためには、何が必要だろうか。

教育のシビルミニマムの確立
 ここで教育のシビルミニマムの確立を提案したい。よくいわれるように、これからの社会では知識産業が主力となっていく。生涯学習も、こうした知識基盤型社会へ移行するなかで必要とされてきたのである。これからの社会で働き、生きていくために最低限の知識や技術を与えることが、教育のシビルミニマムである。「新しい学力」が示唆する学習態度や意欲も大切であるが、最低限度の知識がなければ、その意欲を生かすことも難しくなる。多様化・個性化の名による切り捨てが行われてはならない。
 最低水準の設定には多くの議論があろうが、たとえば矢野(1991)は「高校段階では、中学の知識が完全にマスターされれば十分であり、大学では、高校の知識が完全にマスターされ、体系づけられれば十分だと思う。それほどに、現在の中学・高校が教えている水準は高い。専門家だけがその分野の水準を評価するからどんどんむずかしくなってしまうのである」と述べている。高校教師による評価が最も妥当な基準である可能性は高い。今後、卒業生の過半数が高等教育に進学するとしても、3〜4割が高校卒業後に社会に出ていく状況は変わらないだろう。その意味で、高校卒業生に社会人としての知識・技能のシビルミニマムを確保することが高校の重要な役割だからである。
 高校教育にはもともと、進学準備教育と社会人完成教育の2つの側面があった。これまで高校は進学準備教育における実績のみで評価されてきたが、完成教育の面でも評価されなければならない。これはもちろん、就職実績という意味ではなく、教育のシビルミニマムをいかに保障するかという意味である。
 高校は教育のシビルミニマムに関する自律的な基準を設定し、卒業生には最低限の知識や技術を与えたと責任を持って断言できるようになる必要がある。大学進学者に関しても同様である。高校教師の作成による試験問題で一定以上の得点をあげれば大学進学には十分であると、大学や社会全体に認めさせる必要がある。
 もちろん、高校教育におけるシビルミニマムはすぐれて社会的な問題である。高校内部にとどめずに広く世間の関心を促し、このシビルミニマムを確立する必要がある。高校関係者は、大学に大学入試改革を任せていては教育の荒廃が進むばかりであることを深く認識すべきであろう。この事実を社会に発信して協力を求め、イニシアティヴをとるため、現段階での利害対立を越えて行動に移していくこと。教育改革の気運が高まっている今こそ、高校にこうした努力が求められている。
 

 まとめにかえて−高校発の大学入試改革を−

 以上、どのようにして大学入試改革をより望ましい方向へ向けることができるかを、歴史的・国際比較の視点もまじえながら考察してきた。現在、日本の大学はユニバーサル段階への移行期にあり、大学入試の改革はこれまで以上の急務となっている。そのなかで、改革の主体は高校関係者をおいて他にない。高校と大学の接続関係の改善のためにも、何より大学入試の高校教育への悪影響を取り除くためにも、高校を改革の主体とした抜本的な大学入試改革が行われる必要がある。
 高校と大学の接続に関しては、最近、大学生の「学力低下」問題が話題となっている。本稿ではとくに取り上げなかったが、この問題は教育のシビルミニマムと深くかかわっている。何が学力であるかは、言い換えれば、何が教育のシビルミニマムであるかという問題である。この問題に関する議論を文部省と大学関係者に任せていてはならない。高校はむしろ、教育のシビルミニマムの基準を確立するうえでの主導権を握るくらいの気概を持たなくてはならない。高校発の大学入試改革こそ、教育システム全体を見通した教育改革のスタートになるはずである。

<注>
1)全米の大学1548校のうち、公立大学は46%を占める。
2) ほとんどの大学では、各大学の要求する成績を満たしていれば全員入学させる基準内全入制(selective)を採用している。SATおよびACTは年に複数回の試験が実施されており、ハイスクールの1年生から受験できる。受験者は何回受験してもよく、もっとも良い成績を入学申し込みに利用することができる。
3)1996年『学校基本調査』によれば、全国の大学生のうち77%が私立大学に在籍している。 

<参考文献>
伊藤正則『アメリカとヨーロッパの教育改革から学ぶ』明治図書、1995年
喜多村和之『現代アメリカ高等教育論』東信堂、1994年
中島忠直編著『世界の大学入試』時事通信社、1986年
日本教職員組合 大学・高校改革プロジェクト『教育再生へのステップ』1997年
佐々木享「大学入試制度と高校教育」『教育』1979年 
・・・・『大学入試制度』大月書店、1984年
マーチン・トロウ『高学歴社会の大学』東京大学出版会、1976年
矢野眞和『試験の時代の終焉・選抜社会から育成社会へ・』有信堂高文社、1991年

(つぶらい かおる 東京工業大学、教育研究所所員)

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