権利のための闘争

教育研究所代表 杉山 宏 

 1月20日、第147回通常国会が召集された。昨年7月の国会で国会法が改正され、今国会から衆参両院に憲法調査会が設置されることが決定されており、2月16日先ず、参院憲法調査会が開かれ本格的審議を始め、ついで17日衆院でも開始された。この会は「申し合わせ」文書に「調査を行う」だけと明記され、「議事提出権がないことを確認する」とされている。しかし、憲法改正の発議権を唯一持つ国会での憲法論議であるから、当然その審議内容にはそれなりの重さがあるといえるであろう。
 日本国憲法が成立して以来、半世紀以上を経て、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重などの原則は国民の間に定着したといわれている。しかし、国政選挙をはじめ各種選挙の投票立の低さや、国会論議の不十分さもあったが憲法調査会の設置が決まる段階でのこれを巡る国民の関心度を考えるとき、国民の権利意識の低さを感ぜざるを得なかった。
 日本の歴史を読み返した時、日本国民の権利意識と欧米諸国民のそれとの差を痛感させられる。社会機構の在り方によって、日本人が自らの人権が抑圧された時、抑圧されたものを取り戻すことが自分達の当然の義務として、奪還しようとする闘いを大衆闘争として組んだことがあったであろうか。目前の利益のために闘うことはあっても、社会制度の矛盾のために大衆が行動を執った例としてどのようなものがあったであろうか。百姓一揆にしても為政者への嘆願であり、打ち壊しにしても社会体制の変革を目指したものではなかった。元来、日本人の性格は、体制順応型の性格であったといえようが。特に朱子学が身分制的秩序イデオロギーとして体制教学化された近世以来この性格が一般民衆に浸透し、20世紀末の今日でも多くの人の思考のどこかに残されているのではなかろうか。その意味で、権利意識に乏しい日本国民の中にあって、現憲法は占領下での米国の押しつけとし、自主憲法制定を唱える人がいるが、その殆どが、平和主義や基本的人権に制限を加えようとする改正憲法案原案を持っていることも頷ける。

 戦後間もなく、おそらく憲法学者の中村哲先生であったと記憶するが、日沖憲郎氏訳の岩波文庫本のイェーリングの『権利のための闘争』を読むように勧められたことがあった。星一つの小冊子であったが、世の中にこんな考えがあるのかと驚き、感動した思い出がある。先日、改めて岩波文庫のこの本を見る機会があった。翻訳者は村上淳一氏に代わっており、ブックカバーに解説として「自己の権利が蹂躙されるならば、その権利の目的物が侵されるだけではなく己の人格までも脅かされるのである。権利のために闘うことは自身のみならず国家・社会に対する義務であり、ひいては法の生成・発展に貢献するのだ。イェーリング(1818〜92)のこうした主張は、時代と国情の相違を越えて今もわれわれのこころを打つ」と記されている。権利=法の目標は平和であるが、そのための手段は闘争であるという。権利は闘い取るものという。
 欧米の人々の多くがそうであるように、闘い取った権利は各人の身に付いており、権利が侵されれば、直ちに反撃する。しかし、ただ与えられた権利は、侵害されても他人事の如く痛みを殆ど感じない。今日の日本の現状は、天賦不可譲の人権さえも侵されそうだが、その動きへの対応は鈍い。高等の党首が基本的人権について「公共の福祉及び公共の秩序に従う」としているという。基本的人権を尊重するために公共の福祉が考えられ、弱肉強食のジャングルの自由にならないために公共の秩序があり、その存在のためには基本的人権が侵害されても止むを得ないなどということでは、順序が逆になってしまう。

 権利意識に乏しい日本国民も基本的人権確保には断固闘うべきであり、国会に設置された憲法調査会の動向には、監視の眼を十分開かせる必要があろう。ただ与えられた権利は、侵害されても痛みを感じないと前述したが、日本国憲法が作られるまでの経緯では、内外の多くの人々の尊い犠牲が払われており、この貴い犠牲となられた方々のためにも、日本国憲法が保障する諸権利が侵害されたら「権利のための闘争」を激しく展開していくべきである。「憲法を見直す国会の動向を監視するのは国民の責務だ」といえる。
 十五年戦争への道を歩んだことへの反省が現在でも激しく行われているが、あの時代は、教育の国家統制が完璧に行われていた時代であり、国民の殆どが「権利のための闘争」などという言葉とは無関係な時代であった。しかし、現在は、一部で逆方向へ引っ張る人達もいるが、悲惨な戦いの反省を十分行える条件下にある。しかしながら、日本が再び戦争に巻き込まれる可能性の高い新ガイドライン関連法が国民全体の中で、論議らしい論議もないまま成立している。
 四半世紀も前だが、宮沢俊義氏は「日本国憲法は、過去30年の間に、日本国民の間に定着したといわれる。憲法改正論もいささか下火になったように見える。しかし、憲法を『尊重し擁護する義務』という看板はそのままにしておきながら、その下でたくみに憲法をもぐるならわしも生まれつつあるようである。憲法を裏からもぐるよりは、本当に改正の必要な点があれば、表からその改正を唱えるほうがいい。このことを憲法は教えていると思う」と『全訂日本国憲法』の「全訂版はしがき」で述べている。宮沢氏のこの言は、戦前への回帰を目指した改憲論がやや下火になった当時のことであり、そのような戦前回帰論の出る状態の中で一般国民に国民主権、平和主義、基本的人権の尊重などが比較的定着したという意味であった。宮沢氏は日本国憲法第9条は「どのような戦争をも予想していない」とされていた。憲法第9条はそのままで、実質的軍隊を持つことへの批判であった。宮沢氏が亡くなられてから、23年余りたった。表から改正を唱える人も出てきた中での憲法論議、21世紀の歩み始めは「権利のための闘争」からになりそうだ。

(すぎやま ひろし 立正大学講師 元県立横浜日野高校校長)  

 

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