君はスキーか、沖縄か
 
 

 確かに準備は大変だった

例年と同様だが、1年次の3月上旬の学年末試験期間を利用し、妙高高原(スキー)及び沖縄への下見(教員はコース別に2人ずつ)が行われた。97年4月、2学年となってすぐの学年会で、学年所属の教員(クラス担任6人、副担任4人)をコース別(沖縄6人、スキー4人)に分け、以後の準備等はそれらの教員があたることになった。また、1年次までは2人だった旅行係担当教員を沖縄コース3人、スキーコース2人とし、両者の調整および総括を筆者が担当することにした。
 一方、本格的な事前学習の展開に向けて、6月には入ると2学年関係の各教科担当者に対して「修学旅行事前学習についてのお願い」と題する文書を作成し、それぞれの教科の授業の中で積極的に取り組んでほしいとの要請を行った。更に夏休みには、2学年からの課題ということで、ひめゆり学徒隊員3人の証言を印刷したプリントを配布し、感想文を書かせることにした。しかもこの課題は、スキー、沖縄のコースに関係なく全員の課題とすることに学年会で決定した。学年が全員同じ目的地に行く修学旅行ならば、統一した事前学習に取り組めるが、選択方式の場合、そのようなわけにはいかない。しかし、ひめゆり学徒隊と同様、「共通教養として沖縄戦の実相を知ることは大切」との共通認識にもとづき、97年11月には、2年生全員に映画「ガマ−月桃の花」を見せた。保護者にも鑑賞を呼び掛けたが、事前の申し込みはあったものの、当日参加者はゼロであった。
 過去2年間、本校では沖縄に関する詳細な資料を盛り込んだ分厚い『修学旅行のしおり』を作成していた。私たちの学年の場合、スキーと沖縄それぞれの参加者共通の『しおり』としたため、実務的な内容だけに限って掲載し、わずか50ページ足らずのものとなった。少々長くなるが、この『しおり』の全文を次に引用しておきたい。

(略)今回は、『本校史上初めて』といわれる分割・分散方式の修学旅行となります。しかも、沖縄とスキーといった、中身も方面も全く異なります。この修学旅行に、私たちは「青春・平和・夢・未来―――感動と平和の旅98―――」と名づけました。スキー体験と平和体験学習と通して、感動する心、平和を考える心を育んでほしいとの思いからです。ぜひこの修学旅行を、皆さんの夢と未来を決定づけるエポックメイキングにしてほしいと強く念じています。
 皆さんはもう忘れているかもしれませんが、この修学旅行のスタートは入学式当日、実施した保護者対象の「修学旅行アンケート」にさかのぼります。その後すぐに皆さんに対しても実施し、何度も旅行委員会とアンケートを繰り返し、最終的に希望が多かった2方面とすることに決めました。多くの学校が「たった1つに決め、全員がそこに行く」方式を採用する中で、私たちが敢えてそうしなかったのは、「たった1回」の人生だけど、「道はさまざま」と考えてほしいと思ったからでした。教育界で個性化が連呼される割には、あいかわらず「みんな一緒」の修学旅行がほとんどです。そうした流れに逆らいながら、生徒の希望や個性をできるだけ尊重した修学旅行にしようという今回の挑戦は、おそらく全国的にも珍しい取り組みではないかと自負しています。(略)
 ところで集拓旅行は、今からちょうど112年前の1886年(明治19年)2月に始まったとのことです。当時、「長途遠足」と呼ばれ、銃器を携行し、野外での軍事演習を含む11日間の「行軍」でした。
 今、皆さんには「銃」のかわりに「自由」があり、行く手には「戦場」ではなく、「夢と未来」そして「平和」があります。日常の学校生活では味わえないさまざまな体験を通じて、考え、学び、「平和」の中でともに生きる

 この『しおり』とは別に、それぞれのコース毎に手作りの『しおり』も作成された。沖縄コースの場合、『平和学習ノートU――沖縄の心を学ぶ――』と称する、いわばフィールドノート式の冊子(B5サイズ22ページ)を創り、これを生徒たちに持たせ、現地で見聞したことをメモらせるよう指導した。摩文仁の平和祈念資料館やひめゆり平和祈念資料館では、ただ漠然と見学するのではなく、生徒たちがこの『ノート』に書かれている設問に答えながら展示を見ることができるように編集した。この手法は、95年度の本校15期生の学年実践に学び、採り入れた。設問の数をできるだけ絞ったつもりだったが、実際に取り組んでいる生徒たちの姿を見ていると、さらなる工夫が必要だと実感させられた。
 

 選択方式は高い支持を得た

修学旅行の本番(98年1月20日〜23日)の直前、『記録的な大雪に見舞われ、「急行」になるなどのハプニングがあった。大雪はスキーコースにとっては望むところだが、沖縄コースにとっては、「大雪のため、羽田から飛行機が飛べなくなったらどうしよう」といった大きな悩みともなった。しかし、期間中は両コースとも怪我や病人もなく、ほぼスケジュールどおりに消化し、成功裏に終わることができた。生徒1人辺りの旅行費用は、計画段階では2万円近くの差があり、割安なスキーコースへの希望者が多くなるのではないかとの予想もあったが、最終的な旅行代金の清算では次のようになった。

 スキーコース…66,966円
 沖縄コース……75,648〜77,833円(コースにより差がある)

 旅行後、LHRを2時間枠とってアンケートへの記入後、お世話になった方々へのお礼状、感想文、50字ピースメッセージ(これは沖縄コースへの参加者のみ)などを書かせた。クラスも解体し、生徒個人個人の希望による参加にもとづき実施された修学旅行であったが、はたして生徒の受け止め方はどうか、正直なところ大変気掛かりであった。
 「本人の希望によって行き先・コース・内容が選べる方式についてどう思いますか」と聞いたところ、次のような数字となった。全体の9割近くが「よい」と答えていることは、高く評価されてもよいと考える。

  沖縄コース スキーコース 全体
よいと思う 85.8% 94.0% 88.8%
よくないと思う 14.2% 6.0% 11.2%

さらに「もう一度行けるとして、同じコースを選びますか」との質問に対しては以下のようになった。

  沖縄コース スキーコース 全体
はい 60.8% 68.7% 63.6%
いいえ 39.2% 31.3% 36.4%

 先の質問と同様、スキーコースを選択した生徒の方がこの方式を強く支持していることが分かる。このことは1年次の秋にコースを決めた際の動機とも関係しているように思われる。すなわち、「あなたは1年の秋の段階で、コースを決めるとき、どのような理由で自分のコースを決めましたか」(複数回答可)との問いに対しては、次のような回答結果が得られた。

沖縄コース %

 

スキーコース %

 友達と同じコースにしたかったから 38.1  スキーをやってみたかったから 55.2
 スキーはやりたくなかったから 33.9  友達と同じコースにしたかったから 43.3
 土地の魅力にひかれたから 28.9  旅行費用が安かったから 22.4
 遠くへ行きたかったから 24.8  スキーをやったことがあったから 17.9
 なんとなく 18.2

 なんとなく

17.9

(%は回答数/アンケート枚数×100として計算した)

 スキーコース参加者のうち、半数(51.5%)は「スキーを初めて経験する」生徒であった。しかしながら全員一律のスキー修学旅行とは違って、「スキーをやってみたかったから」との積極的な動機で参加したからか、引率教員も驚くほどスキー講習への取り組み姿勢がよかったということだ。集落旅行の行き先を1ヶ所に限定し、全員をそこへ連れて行くとの画一的な方法は見直しが必要ではないだろうか。
 

 おわりに

 修学旅行に行く直前になって、私のクラスで「行きたくない」と申し出てきた生徒が2人もいた。まさに「寝耳に水」であった。保護者も含め説得に当たったが、本人は「絶対に行きたくない」との一点張りであった。よくよく聞いてみると、団体旅行が苦手で「中学校のときも行かなかった」ということがわかった。大半の生徒にとって、「高校生活最大の思い出は修学旅行」とうけとめられているが、それでもさまざまな理由や事情から「行けない」生徒が存在することも確かである。そうした生徒であっても、修学旅行に無理やり連れていった方がよいのだろうか。
 近年、声高に叫ばれている「多様な教育の提供」や「柔軟な学びのシステムの実現」といったスローガンを修学旅行レベルでとらえ返してみると、私たちが実践したような選択方式による修学旅行がもっと研究されてもよいのではないだろうか。さらに先に紹介した私自身の担任としての経験も踏まえれば、「修学旅行に参加しない」との選択肢も認められてもよいのではないかと考える。
 いうまでもなく、修学旅行というものはその準備から実施に至るまで、教員にとっては莫大な時間と労力を投入しなければならない。ポケットマネーをはたいて事前に何回も現地へ下見に行き、さらには出来上がった『修学旅行文集』をこれまた自費で持参し、修学旅行でお世話になった方々や団体などに手渡している教員もいる。こうした多くの教員の涙ぐましい熱意と努力に支えられて、修学旅行が続けられているいっても過言ではないのだ。
 これまたよく言われるフレーズだが、「生徒のさまざまな希望やニーズに幅広く応える」ことの修学旅行の中で実践するとすれば、全員一律方式ではなく、何ヵ所かの候補地の中から選択できるアラカルト方式の修学旅行がもっと考えられてもよいのではないだろうか。もちろん行き先が増えればその分、準備や指導にあたる教員の負担も今まで以上に増えると予想される。しかし、各や砂パック旅行が無数にあるご時世にもかかわらず、教育活動の一環として修学旅行を実施しようとするならば、生徒が主役となって企画する多様なスタイルの修学旅行(学習旅行というべきか)が実践されてもよいだろう。
 明治以来110年以上もの長い歴史を持つ修学旅行であるが、一方では「経費が高すぎる」といった批判もあり、その見直しが求められている。また神奈川でも海外への修学旅行の解禁も時間の問題かと思われるが、そうなればなおさらに、修学旅行の多様化が進むと予想される。新しい「学習指導要領」では「体験学習」や「総合的な学習」が目玉となっている。それらの関係からも、今後、修学旅行のあり方について再検討が必要となってくるだろう。

(わたひき みつとも、教育研究所所員・県立都岡高校教諭)

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