特集 : シンポジウム「17歳〜高校生の生活実態と学校」
 
5.日教組が提起した総合学習

(1)総合学習の意義
 1976年5月、日教組の委嘱によって設置された中央教育課程検討委員会(会長・梅根悟和光大学長)が「切実な国民的検討課題」に対する「唯一の民間の包括的試案」として、「教育課程改革試案」(以下、「試案」と記す。『教育評論』1976年5・6月号)をまとめた。この「試案」の目玉の1つが総合学習であったが、この総合学習という言葉は同じく日教組によって設置された教育制度検討委員会(1970年12月〜1974年5月、会長・梅根悟)の出した「第2次報告」(1972年6月)にはじめて登場した。すなわち、同報告の「教育はどうあるべきか」の「基本原則」の7項目目に「実践的・社会的活動を保障し、そのために総合的な学習を組織すること」とある。ここでは「総合的な学習」とあるが、本文中には以下のように「総合学習」という用語で統一されている。
 「(略)総合学習は、それに先行する個別的な教科の学習でえたさまざまの知識や技能を活用する機会となるとともに、また問題のより完全な解明と解決のためには、今後、個別的な教科での学習や教科外の活動で、なにをこそいっそう深く学ばなければならないかを自覚させる機会となるであろう」(『教育評論』1972年7月臨時増刊号)
 「試案」では、教育課程を教科と教科外の2領域とし、「諸教科を総合して、生活課題を学習する」総合学習を教科の領域に位置づけている。総合学習の意義として、「個別的な教科の学習や学級、学校内外の諸活動で獲得した知識や能力を総合して、地域や国民の現実的諸課題について、共同で学習し、その過程をとおして社会認識と自然認識の統一を深め、認識と行動の不一致をなくし、主権者としての立場の自覚を深めることをめざすものである」9)としている。また「試案」ではこうした総合学習が出て来た背景として、「明治以降、大正・昭和期を通じ、日本の民間教育運動の遺産を継承し、それを今日的に発展させようとするもの」と説明している。前章の「源流」の中で紹介したいくつかの実践などを「遺産」として継承・発展させるとともに、50年代末からの高度経済成長や高校紛争などによって明らかとなった地域的・国民的諸課題の学習を深化させるためにも、総合学習を保障しなければならないというのである。

(2)総合学習の内容
 総合学習の内容として、次の6項目が列挙されている。
(ア)生命と健康にかかわる問題(医療・家族・性・公害などの問題)
(イ)人権にかかわる問題(けんか・差別などの問題)
(ウ)生産と労働にかかわる問題(遊び・飼育・栽培・収穫などの問題)
(エ)文化の創造と余暇の活用にかかわる問題(誕生会・学芸会・文化祭・マス・コミなどの問題)
(オ)平和と国際連帯にかかわる問題(原爆・平和・戦争・在日朝鮮人との連帯などの問題)
(カ)民族の独立にかかわる問題(安保・基地、アジアへの経済進出などの問題)
「試案」は小学校から高校までを4階梯(3年ずつに分割)に分け、それぞれの階梯ごとの特徴を示している。
 第1階梯−教科外活動の中でおこなうものとし、独自の総合学習はおかない。
 第2階梯−学級や学校内でおこった日常的問題や諸事件の中から課題をとりだし、とりくませる。高学年では時事的な問題の総合学習にとりくませる。
 第3階梯−時事的な総合学習が主流。文化祭などで地域課題を意識的にとりあげることが重要。
 第4階梯−時事的な総合学習にくわえて理論的な総合学習にとりくませる。共同あるいは個別による卒業研究が生まれることが期待される。フィールドワークを伴うことがのぞましい。
 さらに「試案」には、各階梯ごとに詳細な内容が説明されているが、ここでは第4階梯(高校)のものに限って項目だけ列挙しておこう。
(1)家庭科、保健、社会科、理科の協力体制による総合学習の展開
 環境と人間、性、医療と健康
(2)選択科目における「講座」設定による総合学習の展開
  地域研究、都市問題研究、現代文化研究、婦人問題研究、憲法と政治、生物研究、民族芸能研究
(3)「学活」に位置づけ展開する総合学習
 時事問題研究
 「試案」が提起した総合学習は、教科か教科外かといった領域をめぐって論争をまきおこし、教育課程上には位置づけられるには至らなかった。しかしながら、その後、私学を中心にして総合学習の理念を受け継ぎ、実践に移され、注目を集めている。また、平和・人権教育や環境教育の高まりも、総合学習の発展したものと見なすこともできる。
 「試案」が示されてからすでに4半世紀が経過し、こうした「試案」の存在そのものさえ知らない教員も少なくないだろう。教職員組合運動の分裂という不幸な歴史も加わり、今日では「試案」そのものもかなり色あせたものにはなってはいるが、日教組が作った輝かしい「遺産」ともいうべき総合学習を今日的にとらえ直し、「総合的な学習の時間」の取り組みの中で生かすことも可能ではないかと考える。
 

6.「総合的な学習の時間」がめざすもの

(1) 唐突に登場した「総合的な学習の時間」
  周知のように、「総合的な学習の時間」は中教審答申(1996年 7 月)において提案され、 それが教課審答申 (1998年 7 月) を経て、 学習指導要領で告示 (小・中学校が98年12月、 高校は99年 3 月) され、 小・中学校が2002年度から、 そして高校が2003年度から新たな要領のもとでの教育実践が展開される。 しかしながら、 本家本元というべき中教審 (中央教育審議会) では 「総合的な学習の時間」 に関して、 「真剣な論議が交わされた形跡がほとんど見られない」 との指摘がなされている 10)。
 議事要旨などから、「総合的な学習の時間 は中教審の「審議のまとめ」(96年 6 月18日) が出されるわずか 3 カ月ほど前になって突然、 挿入されたというものだが、 それを 「別の意図が働いて挿入されたのではないか」 というのである。 仮にそうだとすると、 なぜ、 「それほど突然に、 劇的でかつ断固として明記」 されたのか、 さらにはそれを誰が、 どのような目的でそうしたのか、 大きな謎に包まれている。

(2) 「総合的な学習の時間」の役割
  中教審答申を受けてさらに具体的な検討を行った教課審の議論では、 「総合的な学習の時間」 を次の教育課程に向けての 「助走期間」 と位置づけようとする考え方も出てきているというのである。 その議事録には次のように書かれている。
  「(略) 私はこの時間についていくつかの役割を考えます。 一つは、 学習時間の見直しを図るうえで総合的な学習の時間は有効に活用できるのではないか。 もう一つは、 現行の教科の内容を見直すデータを得ることができるのではないか。 さらに、 なんといいましても学校運営の見直しにこの総合的な学習の時間は非常に有効ではないかと思います」 11)
  「学校運営の見直しに (略) 非常に有効」 とは、 何を意味するのだろうか。 今回の学習指導要領改訂の基本方針をみると、 その 1 項目に 「各学校が創意工夫を生かし特色ある教育、 特色ある学校づくりを進めること」 とあり、 それをうけて 「このような観点から 『総合的な学習の時間』 を創設」 したとある。 しかも、 旧文部省のある審議官の一人が 「これからは、 ある意味では各学校の“知恵くらべ”“力くらべ”になってくると思います」 12)と述べているという。 このことは、「総合的な学習の時間」の内容が「学校の特色」となり、 さらには 「学校評価」 となるに違いないのだから、 学校間競争を助長する格好の 「刺激剤」 の役割を果たすことになるのではなかろうか。

(3) 「特色づくり」 と学校淘汰
  『総合教育技術』 (小学館発行) という月刊誌があるが、 その99年12月号に 「特色づくりと学校淘汰の時代」 という特集が組まれていた。 その中で同誌編集部は次のように述べている。 「学校はホテルではないという批判もあるだろうが、 安かろう悪かろうの公共宿泊所ではすまされないはずである。 『ぜひ学校の中身を見てほしい、 われわれは授業で勝負している、 一人ひとりの子どもを伸ばしている』 などと胸を張ってほしいのである。 患者は病院を選べるし、医師を選ぶこともできるはずである。子どもや親が学校を選び、教師を選ぶのも当然のことかもしれない」
  こうして見ていくと、 確かに 「総合的な学習の時間」 は知識の詰め込みや暗記に偏った従来の学習方法を改める契機となることも事実だが、 一方では、 「特色づくり」 に失敗すれば、 「学校淘汰」 すなわちスクラップアンドビルドが学校に押し寄せてくる。 前述したように、 突如挿入された不可解な経緯を考えると、 「総合的な学習の時間」 が今後、 各学校現場にいかなる事態をもたらすか、 十分注意を払ってみていく必要があると思う。
 

7. 「総合的な学習の時間」 の授業展開とその後

(1) 現場の創意工夫は可能か
  「総合的な学習の時間」 は先行き不透明な 「時間」 といってよいと思うが、 これを 「総合学習展開の場とし、 『かけがえのない自分』 『生きる見通し』 の発見につながるようなカリキュラムを構想」 13)していけば、 確かにカリキュラム改革や学校改革につながるかもしれない。 さらに、 次のような一節もある。
  「これまでの財産を引き継ぎ、 それらをさらに創造的に発展させながら、 『総合的な学習の時間』 を私たちの総合学習の実践の場としていくことが求められているのである」 「いま、 私たちに求められているのは、 この総合学習を、 私たち自身が自ら学び、 自ら考え、 そしてなによりもそれらを自ら楽しんでいこうとすることではないか。 私たちが学ばず、 考えず、 楽しまないような総合学習では、 子どもたちが学び、 考え、 楽しんでくれることなどあり得るはずがない」 13)
  学習指導要領では、 「総合的な学習の時間」 に限ってその指導内容における国の基準を示さず、 さらにその名称さえも 「各学校において適切に定める」 としており、 現場の主体的判断や創意工夫、 さらには教育の自由を尊重しているかのように見える。 したがってこれを 「部分的に自主編成の教育課程」 ととらえ、 「明治以来の革命的な大事件」 14)と見ることも可能だが、 果たしてそうだろうか。

(2) 教科・科目の再編に向けたステップ
  「教師がゆとりをもち、 自由で豊かな発想ができなければ、 総合学習も学校改革も成功しません」 と福島・三春町で学校改革を進めてきた長谷川道雄が語っている 15)が、 学校や教員をとりまく状況は 「ゆとり」 どころか、 「ゆ (う) と (お) り」 ともいうべき 「上意下達」 の世界へと逆戻りしつつあるのではないか。 文部科学省は 「ゆとり」 や 「弾力化」 さらには 「選択幅の拡大」、 「創意工夫」 を生かした教育課程、 教育活動などをことあるごとに説いている。 しかしその一方で、 職員会議を校長の補助機関とし、 教員に対する管理強化や 「日の丸・君が代」 の強制化を押し進め、 ついにはそうした 「総仕上げ」 として教育基本法さえも改悪しようとしているのである。 こうした動きを見ていけば、 「総合的な学習の時間」 に 「フリーハンドが与えられている」 と喜ぶのは早計ではないか。
  今後、 実践が進むにつれて、 この 「総合的な学習の時間」 をテコにした 「学校のリストラ (スクラップアンドビルド)」 が進むであろうし、 将来的には、 大胆な教科・科目の再編成が出てくる可能性も高い。 教育課程審議会の 「中間まとめ」 が発表された直後、 同審議会の三浦朱門会長は 「教科の再編は大きな問題だが、 総合的学習の時間はその最初のステップだと考えている」 と述べた 16)というが、 そのような見通しのもとに 「総合的な学習の時間」 が 「目玉」 として新設されたとすれば、 これは 「トロイの木馬」 かもしれない。

8.おわりに

 非力を顧みず、約1世紀にも及ぶ総合学習の歴史をたどってみたが、最後に、歴史的教訓として何を学び、今後どうすればよいか私見を述べたい。
今まで見てきた経過から、「総合学習は、確かに多くの場合、学習指導要領の枠からはみ出たところで実践されてきた」17)との事実を確認することができた。唯一の例外は、1941年にスタートを切った国民学校における「綜合教授」である。その5年前に出された内閣調査局の「小学校教育改革要綱」(1936年12月)には、「詰込教育ヲ排除スルコト」とあり、次のように書かれている。65年前の文章だが、中教審・教課審答申や新学習指導要領などに記された考え方とほとんど変わらない。まさに「歴史は繰り返す」ということであろうか。
 「現在ノ教育ハ児童ノ理解力、負担力ヲ顧ミズ徒ニ多量ノ事項ヲ概念的、小学問的ニ詰込ムガ為ニ各科目トモ徹底セズ生活ノ指導力トナラザルノ欠陥アリ故ニ教科目教授事項ニ根本的整理ヲ加エ、自学自習ヲ主トシテ創造応用ノ力ヲ養成スルヲ要ス」
やや大胆に言えば、1世紀におよぶ下から築き上げられた総合学習の水脈は、上からの力によって断ち切られたかのように見えたが、実は脈々と今日まで続いてきたと見てもよいのではないか。そうした歴史を無視して「総合学習」と言わず、わざわざ「総合的な学習の時間」などという別の呼称を使ってまで、これを上から押し付けるのはどういうことなのだろうか。「(過去の)成功・失敗例に学ぶというのは、当然なすべき作業で、改革の定石」であるにもかかわらず、「文部省はそれをした試しがない」18)というが、なぜ「過去」に目をむけようとしないのだろうか。
 「学校の組織と機構は頑固であり、1世紀前とほぼ同じ相貌を示している」19)との指摘がある。本気で「教育の基調を転換」しようとするのであるならば、今までのような「上から下へ」といった手法による教育改革、学校改革ではなく、教育改革の進め方そのものの「基調の転換」を図らなくてはならない。稲垣忠彦は「改革は教室や学校、地域という実践の場において、実践を担当する教師の自信とそれを支える支援によって展望をもちうるのである」20)と述べているが、含蓄のある言葉だと思う。「構造改革」が叫ばれて久しいが、なによりも教育行政や授業・指導要領等のあり方の転換、すなわち、教育の民主的構造改革が今こそ強く求められているのではなかろうか。

(わたひきみつとも 教育研究所員県立長後高校教諭)

注および引用文献

1)中央教育課程検討委員会「教育課程改革試案」『教育評論』1976年5・6月号
2)次に掲げる文献を引用または参考にしてまとめた。

 天野正輝編著『総合的学習のカリキュラム創造』ミネルヴァ書房、1999年
 稲垣忠彦「授業の創造と教師の成長」『岩波講座・現代の教育(3)授業と学習の転換』岩波書店、1998年
 今谷順重編著『総合的な学習の新視点 21世紀のヒューマン・シティズンシップを育てる 』黎明書房、1997年
 梅原利夫・西本勝美『未来をひらく総合学習』ふきのとう書房、2000年
 柴田義松『教育課程 カリキュラム入門』有斐閣、2000年
 長尾彰夫『総合学習をたのしむ』アドバンテージサーバー、1999年
 久田敏彦編『共同でつくる総合学習の理論』フォーラム・A、1999年
 丸木政臣・中野光・斎藤孝編著『ともにつくる総合学習 学校・地域・生活を変える 』新評論、2001年

3)佐藤秀夫『学校うらおもて事典』小学館、2000年
4)宮原誠一・丸木政臣・伊ヶ崎曉生・藤岡貞 彦『資料日本現代教育史1』三省堂、1974年
5)長尾彰夫『総合学習としての人権教育』明 治図書、1997年
6)林 尚示「カリキュラム運動期の教育課程 研究」天野正輝編著『総合的学習のカリキ ュラム創造』ミネルヴァ書房、1999年
7)中野光「学校改革と総合学習」丸木政臣・中野光・斎藤孝編著『ともにつくる総合学習 学校・地域・生活を変える 』新評論、2001年
8)前掲書7)
9)前掲書1)
10)梅原利夫『指導要領をこえる学校づくり』新日本新書、1999年
11)中野光「総合学習の歴史と課題」『歴史地理教育』2000年4月号
12)前掲書7)
13)日教組カリキュラム改革委員会編『新学習指導要領[高等学校編]ここが問題。さて どうする 21世紀カリキュラムづくりへの道しるべ 』アドバンテージサーバー、2000年
14)成田幸夫・善元幸夫「対談・子どもたちは自ら学んでいく『総合学習』」『世界』1999年7月号
15)長谷川道雄「インタビュー・夢を語る教育改革を」『世界』2001年4月号
16)梅原利夫「カリキュラム改革のゆくえ 教課審『中間まとめ』の分析 」 『教育』 1998年2月号
17)柴田義松「高校での『総合学習』をどうすすめるのか」『歴史地理教育』1999年8月号
18)前掲書17)
19)佐藤 学・苅谷剛彦・池上岳彦「教育改革の処方箋」『世界』2000年11月号
20)稲垣忠彦「授業の創造と教師の成長」『岩波講座・現代の教育(3)授業と学習の転換』岩波書店、1998年

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