寄稿
神奈川の「ア・テスト」はこうしてなくなった
中野渡 強 志

 はじめに

 昨年(2001年)5月に発足した「入学者選抜・学区検討協議会」は「中間まとめ」を今年の3月に県教委に提出した。それは、従来の複数志願制を廃止するとともに調査書については基本的に絶対評価をそのまま利用する等といった内容であった。
 同協議会が開催した県民フォーラムでは、複数志願制の廃止については多くの参加者から賛意を得るとともに、絶対評価に対する不安からア・テストを復活して欲しいといった発言も飛び出し(5/25 平塚商工会議所ホール)参加者から笑いを呼んでいた。 
 くしくも、廃止へ大きく傾いている複数志願制は、ア・テストを廃止(他に全日制高校計画進学率の引き上げなど)のために91年11月に設置された県高等学校教育課題研究協議会(略称:「高課研」)の報告で県教委が制度化したものであった。ちょうど10年を経て、県教委は複数志願制を廃止するために改めて協議会を設置し、答申させようとしており、その時に廃止したア・テスト復活の意見が県民から出てくることになった。
 新制高校が発足し半世紀の間、いつの時代においても、高校入試のあり方が県民世論を巻き込み、時には中学側と高校側が真っ向から対立する場面もありながら推移してきた。
 新制高校の発足時に、学区については小学区制を主張する中学側に対し、高校側はそれに反対している。GHQの勧告もあり、50年3月の入試は横浜は小学区(10学区)とし全県19学区で、さらに選抜資料は指導要録のみで実施された。入試をめぐる対立はその後も続き、その年の高校入学選抜方法研究審議会で選抜資料については指導要録を一本とする中学側の案と、全県一斉のア・テストを中学校以外で行い指導要録に記入する高校側の案とが鋭く対立、結論的には「合否判定困難な生徒についてはア・テストの結果を問い合わせることができる」こととした。さらに、高校側の強い要望もあって、1952年に国・社・数・理の4教科のア・テスト結果(1年〜3年)が記入され53年度入学者選抜から選抜資料となった。約40年経て主張は逆転し、高校側からア・テストを選抜資料から除外すべきだとの意見が出されるようになった。
 「高課研」第2次答申で「アチーブメント・テストについては、直接の選抜資料から除く」ことになった。私はその高課研に発足時から委員としてかかわってきた。ほぼ2年間にわたる高課研での議論はア・テスト問題に終始したといっても過言ではない。ただ、ア・テスト以外の課題についても一定の時間を費やしてきた。その点については「新神奈川方式のシナリオ−新しい高校入試制度の原図をふりかえる(高校教育課題研究協議会発足から答申への記録)」と題して「ねざす19号別冊」(1997年4月)で述べてきた。
 今回は神奈川で約40年の間、神奈川方式と称されてきた入試制度の大きな柱となってきたア・テストがどのような論議のなかで廃止になったのか、「高課研」議事録や当時の新聞記事等から整理して検証してみることにした。

 「高課研」発足の経過−運営委員会が設置される

 「高課研」が発足したのは91年11月21日であった。「高課研」は大学教授など学識経験者から5名、横浜・川崎市の教育長など行政から4名、中学側は校長会・神教組から3名、高校側は校長会(県立2、市立1)3名、組合関係(神高教・浜高教・県立高教組)3名、中学・高校のPTAから3名、私立学校代表1名、マスコミを代表して神奈川新聞の論説委員1名の計23名で構成されている。会長は清水嘉治・神奈川大学教授、副会長に平出彦仁・横浜国立大学教授が選出された。
 「高課研」は原案作成のため運営委員会を設置し、9名の委員を選出した。副会長の平出彦仁氏が運営委員長になった。私は、運営委員に選ばれ、運営委員会・協議会両方に参加することになった。第2次報告(最終答申)を県教委に答申したのは93年12月25日であったのでちょうど2年間の審議の期間を費やしたことになる。その間、研究協議会が7回、運営委員会が16回(臨時を一回含む)開かれた。
 県教委からの諮問事項は(1)高等学校(全日制)への進学機会に関すること、(2)公立高等学校入学者選抜制度に関すること、(3)その他高等学校教育に関することの3課題であった。
 「高課研」発足前後は中学卒業生が減少してきており、計画進学率を上げることへの県民からの強い要求と神奈川方式といわれるア・テストによって入る高校が決まってしまうとする県民からの不満が高まっていた時期であった。従って、これらを改善するために設置されたものとマスコミもそのように報道し、高課研委員も暗黙に了解していたところであった。「高課研」報告は「進学率の引上げ」と「ア・テストの廃止」となり、その答申を受けた県教委が具体的な施策にとりかかることになるだろうと予測していたのは私だけではなかったであろう。  
 「高課研」が発足した同じ年の91年4月に「第14期中教審」報告があり、それを受けた文部省は「高等学校の改革の推進に関する会議」を設置し、4次にわたって報告を出し、特色ある高校づくりと高校入試の多様化を推進してきた。そして、93年2月には高校入試の多様化を基本とする文部省事務次官通知の中で業者テストによる偏差値を使っての選抜指導を批判した。同年12月に「高校入試の多様化」について文部省が全国調査を発表している。これらはいずれも「高課研」の審議中であり、さらに92年10月に埼玉県教育長による業者テスト批判が全国的に広まり、当時の文部大臣が神奈川のア・テストを批判するといったようなこともあった。それらの資料が「高課研」の審議の中で事務局からその度に配布された。それらを強く意識して発言する委員も出てきて、それらの影響を強く受けていくことにもなった。(この項は「ねざす19号別冊」1997年4月発行の拙稿を加筆訂正したものである)

 県民はア・テスト廃止をリーク記事で知る

 1993年9月17日付けの朝日新聞は神奈川の公立高校の入試制度でア・テストを選抜資料から外す方針であるとすることを特ダネ記事として報道した。それは「高課研」の内部資料を極秘に入手してのものであった。
 その記事の中でア・テストについて次のように記述していた。「ア・テストは1950年度から始まった。53年度から受験校への『報告書』にア・テストの成績が記載されるようになり選抜資料となった。文部省によれば、調査書や学力検査以外の公的テストを選抜資料にする『神奈川方式』は他に例がないという」。 
 この報道で「高課研」最終報告は選抜資料からア・テストを除外することになるだろうと多くの県民は確信することになった。この報道のきっかけになった内部資料というのは、「高課研」が12月に最終答申を予定している内容であった。報道があったちょうど2ケ月前の7月16日の運営委員会(第11回)で突然、事務局(県教委)から「公立高等学校入学者選抜制度について」と題する「素案」なるものが提起された。
 それまでの運営委員会ではア・テストにかかわる功罪について真っ向から対立した意見もあり、まったく結論を出すほどにはいたってはいなかった。ところが、「アチーブメント・テストについては、直接の選抜資料から除く」とし、調査書と学力検査の比率を50:50となっている「素案」の骨子を読んだ運営委員のほとんどが、「どうしてこんなに早く結論を出すのか」と唖然としてしまった。
 さらに、同月27日の全体会である研究協議会(第5回)で運営委員会の審議を無視したかのようにア・テストについては、数字を除いて同じような文言で運営委員会からということで提案された。こうして「素案」なるものが一人歩きし始めることになった。

 またもリーク記事でア・テスト廃止が

 朝日新聞の内部資料の極秘入手による報道はその後も続いた。93年11月10日の第6回研究協議会は最終答申前の最後の全体会であった。事務局である県教委から、一部マスコミにこの資料が流れているので会議終了後に回収したい旨の話があった。しかし、委員から「資料を回収すると言われたが不愉快である。説明だけでも1時間もかかっている。問題についていろいろ意見があり、回収されると次回の会合にもうろ覚えになるし、また素案との関係もわからないし、組織としての討議にも困るんで、委員の方々の取扱注意ということで善処して欲しい。」と言う意見があり回収しないことにした。取扱注意という再確認をして終わったが、次の日(93.11.11)の朝日新聞朝刊一面トップに「アチーブメントテスト選抜資料とせず 神奈川県見直し」と断定的な記事が掲載された。
 他の新聞社も一斉にア・テスト廃止をめぐる記事が掲載されるようになった。かわいそうなのは神奈川新聞であった。新聞社からマスコミ代表ということで運営委員も出し、すべての会議内容を知り得ているのに記事として書けない状況であった。

 第1回研究協議会(91年11月21日)から「ア・テスト」で対立


 「神奈川方式の功罪」と題して日本教育新聞は次のように報道している。なお、第1回協議会のみがマスコミに公開しての会議であった。「初回から県独自の選抜方法である神奈川方式(中2のア・テスト20%、内申書50%、本試験30%で選抜)に対して功罪両方の意見が続出、四半世紀続いたこの方法の行方が注目される」「第1回会合では全委員が発言する機会を設けたが、中でもはっきり意見が対立しているのは神奈川方式。『入試激化の中で、ア・テスト、本試験と2回入試があるようなもので、初めのころと趣旨が違ってきている』など見直し論が続出する中で、中学校長会委員は『業者テストが導入されていないなど、神奈川方式が中学生活に果たすメリットは大きい』と擁護論」。

 運営委員会でもア・テスト問題で活発な論議

 第2回研究協議会まで運営委員会は次のような日程で開催された。第1回91年12月26日、第2回92年1月27日、第3回3月16日。
 第3回運営委員会までのア・テストの論議を事務局が「実施時期」と「選抜資料にすること」に分けて次のように整理した。これらの意見が平行線のまま2年間続けられることになる。


【実施時期について】
反対意見
○質的な選抜テストであるア・テストが中学の段階で行われているため、中学校の早い段階から受験勉強にはいるということで、2年生でクラブ活動をやめる生徒がいるなどの影響があると聞いている。
○公立高等学校の入学者選抜においては、中学2年の段階のア・テストが大きな比重を占めており、3年になってから伸びる生徒に不利である。このような生徒の救済措置を考えるべきである。

賛成意見
○ア・テストの実施時期を2年生の学期末にしているのは、1年生では入学したばかりであり、3年生では進路が目前になっているので、現在の実施時期が生徒にとって負担が少ない。       


【選抜資料にすることについて】
反対意見
○ア・テストを進路指導上の参考資料にするのは良いが、選抜資料とすることに問題がある。ア・テストの本来の趣旨は、生徒が中学2年生までの学習内容をどの程度理解しているかを教師と生徒が知り、教師にとっては指導の反省材料とするとともに、生徒にとっては自己反省の材料にするためのものである。しかし、現実にはア・テストによって高校入試が決まると生徒も保護者も考えており、そのための模擬試験まである。従って、ア・テストを本来の目的に沿ったものに戻すべきである。
○ア・テストについては、本来の目的に戻し、入学選抜の資料とせず、むしろ、中学1年から3年までの成績を高校に出し方がよい。
○「希望するものが希望する学校に入る」ような進路指導ができるようにア・テストが入学選抜の資料として使われてきたのだが、中学の指導要領の改定に伴っ て、特に選択科目との関わりで、ア・テストが入学選抜の資料としてふさわしいか問題があり、検討が必要である。
 
賛成意見
○ア・テストによって公立高校の選抜が決まるわけではない。高校入試のいわゆる一発勝負ということになれば中学校の現場はかなり混乱することが予想されるので改善の方法を模索することはよいが、廃止を前提としての議論はすべきではない。中学生の実態をもっと明らかにした上で討議する必要がある。
○中学校間の格差は現実としてある。その格差を埋めるのに全県統一テストであるア・テストが役立っている。また、中学校ではア・テストの結果だけを高校入試について断定的に指導しているわけではない。仮にア・テストに失敗した生徒がいてもフォローしている。
○ア・テストについては、入学選抜資料としての比率の問題、新学習指導要領からくる選択科目などの問題作成上制約など改善すべき点があるが、やはり、生徒の進路指導上の目安として役立っている。また、ア・テストがあるので神奈川県では業者テストが入ってきていないというメリットがある。

 「高課研」以外でもア・テストついて活発な論議

 運営委員会(第1回〜3回)が開かれていた時期にア・テストに関わって次のような出来事があった。
・自民党かながわフォーラム21「教育シンポジウム」“明日の教育を考える”(92年1月31日)
 このシンポジウムは、教育長や神高教委員長も参加した。パネラーの発言を神奈川新聞の記事(92年2月17日付け)から採録してみると、やはり入試問題とりわけア・テストに大きな関心を呼んでいたことがわかる。

渥美精一(神奈川県教育長)
「今の神奈川の制度はそれほど悪くないと考えています。入学者選抜制度は絶対的なものがありません。長年の歴史を積み上げて今日の姿になっているわけです。」

山田瑤子(主婦・元横浜市立小学校小学校校長)
 「現行の選抜資料の比重のかけ方を、ア・テストそのまま、中学校内申30%、高校入試50%に変更すると良いと思います。高校の選択権が重視されるべきだからです。現行だと、中学校側により多くの選択権があり、これが点数による『輪切り』の弊害を招いている。」

山際正道(神高教委員長)
 「公立高校は、特別な特色を持つべきではありません。その学校の中で子どもの個性が展開されることが重要だと思います。高校入試はすべきかどうか基本的に考えなければなりません。例えば、心や体に障害を持った子どもたちも高校への入学を希望しています。こういう子どもたちにも高校教育を保証する視点に立ったときに、入試が必要なのかが今、問われていると思います。」

黒羽亮一(筑波大教授)
 「入試制度には絶対的なものがないのだから、相対的にいいものを実施する方向というものになります」

鵜川昇(かながわフォーラム21会長、桐蔭学園理事長)
 「全県のレベルを見るという点で、ア・テストの持つ意味は非常に高い。しかし、技能教科は必要ない。点数では比較できないからだ。いわんや、これを選抜資料にするのは、生徒の勉強意欲をそぐという点で、論外である。」
 会場からの発言もア・テストを批判するものであった。

・マスコミもア・テストについての記事を掲載するようになる
 92年2月29日付け読売新聞はア・テスト問題で特集を組み賛成・反対意見を紙上で展開してていた。その一部を紹介する。
入試と切り離して(ア・テスト反対意見)
 ア・テストは学年末の締めくくりとして学習の成果を発揮する有意義な試験だと思う。しかし、受験に組み込まれている限り、たった2日間である程度自分の進む道が決定されるというのは、やはり恐ろしい。中学生活が縛られ、ままならないものになるとしたら、それこそ最大の損失になるのではないか。ア・テストは成績の良し悪しではなく、学習したことが良く理解できているかをチェックする手段として活用されるべきであり、入試の合否判定の有力な資料に使われるのは改善されるべきで重要事項だと思う。ア・テストは単なる実力試験とし、入試と切り離して実施されるべきだと思う。
  (茅ケ崎市萩園、主婦山口美代子34)

地域格差のない評価(ア・テスト賛成意見)
 地域の中学の中に、レベルの格差があり、A校では5の評価の者が、B校では7などと不公平が現実問題として起こっている。比較という意味で、内申点が正確なものでないならば、全員が同じ試験を受けた上での評価が、最も正しい合否判定資料となる。それが入試一本では、緊張のため、実力を発揮しえない子供も出てくるだろう。その点、ア・テストというチャンスがあれば、気持ちの上で救われる子供も多いと思う。確かに2年生のうちからの受験準備は大変だが、高校受験という最終目的がある限り、それは仕方のないことではないだろうか。
(藤沢市辻堂元町、主婦 金子洋子 41)

・県議会でも論議(92年3月3日)
 県会本会議で一般質問にたった当時の松沢成文(自民党県会議員)氏の教育の自由化政策に対して、長洲知事は「(自由化政策は)昔からある議論。自由化と平等化の調和を図ることが大切で、自由化の方向に、振り子を少し振っても良いと思う」と答弁し、渥美教育長は「選抜の自由化幅が大変難しい。狭くては個性が生かされず、広げることで高校間格差を広げ、受験競争を激化させる心配もある」とア・テスト方式の具体的な見直しなどについて県教委は慎重な姿勢を崩さず、具体的な答弁には踏み込まないままとなった。

・県民に意見募集、フォーラムも開催
 第4回運営委員会(92.5.30)で県民からの意見を聴取するために次の要領で意見募集及び高等学校教育フォーラムを開催することになった。
【意見募集】
 期日は9月1日から12月25日まで。
 県庁、各地区行政センターの県民相談室、各市町村役所内の教委で専用の意見・提案用の用紙と封筒があり、それを使って県教委に郵送する。問い合わせは県教委高校教育課テーマは「進学率と入学選抜制度」
 最終的に手紙の数は637通になった。
【高等学校教育フォーラム】
 次の2会場で開催することになった。
 横浜市西区の西公会堂(11月7日)
 400人
 厚木市中町の総合福祉センター(11月28日) 400人
 両会場とも意見募集の応募者から主婦、中学生、中学教員ら4人が賛否両論を発表した後、会場から意見を出してもらう。
 県民フォーラムに参加した現場の高校教員から次のような感想が私のところに寄せられた。
 初めに高課研の清水会長から二つの柱、つまり、「・生徒急減期にむかって進学率をどうすべきか・進学する生徒の多様化に対して、現在の選抜の方法でいいのか、特色ある高校への選抜方法が今まで通りでいいのか」について意見を聞きたいということ、また平成5年度末までに報告をまとめたい、現在県民の意見が360以上寄せられていることや文部省の高校教育改革推進会議が入試改革の報告を出していることにもふれた挨拶があった。続いて平出副会長から進学率などについて若干の説明と県教委高校教育課長からの配付資料についての説明があった。ここまで40分ほど。
 次にすでに県教委に意見を応募した人の中から4人の方の壇上からの意見発表がなされたが、発言時間はまちまちでなかには十数分もかけられた人もあった。
 会場からの一般発言に移るが、進行は清水会長自身がおこない、一人3分間の発言に制限される。発言は、進学率のことでも選抜制度のことでも自由にしてほしいということであったので、論点が定まらずに進行し、言いっぱなし、聞きっぱなしといった感がいなめない。発言者は19人であった。
 最後に平出氏からコメントがあったが「神奈川方式よしとする層の考えの人との兼ね合いも……」という部分はフォーラムの性格にも疑問を持たせるものであり、「東京に負けない改革を……」という発言には、参加者から抗議の不規則発言も出る場面もあった。
      (92.11.7横浜西公会堂)

 文部大臣が業者テスト批判、さらにア・テストも

 神奈川のア・テストについて「高課研」で議論をしている最中、業者テストとア・テストの関係について文部大臣まで巻き込んで論戦が展開されていた。
 92年2月、埼玉県教育長が「業者テストの偏差値結果を私立高校側に提供しないように」と指示した。(このことは92年秋に明らかになり報道され大きな話題を呼んだ)
 その年の11月、鳩山邦夫文相(当時)は「公教育の場で、業者テストがまかり通り、高校の青田買いともいえる事態に利用されていることは、基本的にあってはならないことだ」と厳しく批判した。(朝日新聞92.11.14)
 全国の中学校で「業者テスト」が常態化し、都市部ではテスト結果が私立高の「推薦入学」の選抜に使われていた。文部省は緊急調査をおこなった結果、利用していないは、北海道、長野、神奈川、静岡、大阪の5道府県であった。
 92年11月25日の記者会見で渥美教育長は埼玉県を中心に問題になっている一連の「業者テスト」の問題に触れ、アチーブメント・テスト(ア・テスト)について「いろいろ批判があったが、使っていないところには業者テストが入ってきている。そう考えると、今まで神奈川でやってきたことが見直されているのではないか」と、改めてア・テストの存在意義を認める見解を述べるとともにア・テストと業者テストとは違うことを明言した。(読売新聞92.11.26)
 しかし、鳩山文相は12月8日の衆院文教委員会で、業者テストと絡めて、神奈川で実施されているアチーブメントテストについても「業者テストと同様の使い方をされ、合否判定に使われているならば望ましいことではない」と述べ、中学2年の3学期という早い段階で実施され、成績が高校側に提出されて入試の合否判定材料の一つとなっている神奈川県のアチーブメントテストに批判的な考えを示した。(神奈川新聞92.12.9)
 12月10日、渥美教育長は鳩山文相のアチーブメント批判に対して県会文教常任委員会で「文相発言は、入試は卒業直前の時点におこなわれるべきだという考えだろう。神奈川方式は全体をみればそうなっている」と述べ、神奈川方式を十分に理解した上での発言ではないと反論した。さらに「ア・テストは20年間の知恵と工夫を総合したものだ。ベストかどうか自信はないが、考えられるベターな方法だ」と強調した。(神奈川新聞92.12.11)
 翌年の93年2月22日に文部省は次のような事務次官通知を出した。

3.業者テストの偏差値を用いない入学者選抜の改善について
・高等学校の入学者選抜は、公教育として適切な資料に基づいて行われるものであり、業者テストの結果を用いた選抜が行われることがあってはならないこと。
・中学校における進路指導は日頃の教育活動の成果を十分に評価すべきものであり、業者テストによる偏差値等に依存した進路指導を行わないこと。
・高等学校は、業者テスト実施者はもとより、学習塾に対しても資料を求めたり、保護者や生徒から業者テストの偏差値等を求めたりするようなことはあってはならず、直ちに改善すること。

 さらに、文部省は「現時点で(業者テスト追放通知で指摘した)早期の選抜をしているのは神奈川県だけ。業者テストでなくても志望校に振り分けに使われるテストは見直すべきだ。県の担当者にも改善を求めた」と直接、神奈川県にア・テストについて是正を求めてきた。(神奈川新聞 93年5月26日)

 運営委員会で中学側と高校側が激突

 93年4月26日に第1次報告「公立高等学校(全日制)進学機会の在り方」について木下教育長(93年4月1日より渥美教育長から木下教育長へ)に提出した「高課研」は、県教委から「学校・学科の特色に応じた多様で弾力的な選抜方法について」というテーマが与えられて(4月23日第9回運営委員会)、入試選抜制度の本格的な論議に入った。
 ア・テストについてその存廃をめぐって高校校長会委員と中学側委員が対立する場面がこれから、そして最後まで続くことになる。
 最終報告後(93年12月)に多くの新聞がそのことを取り上げて報道していた。
「高課研委員は中学側が3人、高校側が6人。数の上から見れば高校側の主張が通りやすい環境であった。とはいえ、高校側で『除外』の旗色を明確にしてきたのは校長会。教職員組合は『ア・テストは受験競争を排除してはいない』と主張してきたが、『存廃』については明言してこなかった。」(毎日新聞 93.12.29)
 確かに、私は、5月24日運営委員会で次のように主張した。
 「ア・テストがあることによって地域の学校に入るとか、あるいは学校間格差が解消されるならばよいが現実はそうではない。ア・テストがなくなることで格差が解消されるならば廃止した方がよい。格差がますますはっきりしている。そういう意味で使い方が問題である。私学でも専願の時の条件になる。中学生にしてみればア・テストは相当にウエイトとして強いものを持っているのが確かである。ごちゃまぜに子どもたちが入ってくる選抜があればよいと思う」
 同じ日の運営委員会では、高校校長会委員は具体的な数字も含めて、高校側の割合の拡大を迫っていた。「中学校側が70%をもついまの形は、公平の立場からみても、挑戦する立場からも、多様化の点からも50−50で形を整えることが、基本的な入試のあり方としてはバランスをとった正しい姿でないか」

 突然、ア・テスト除外の「素案」が出る

 7 月16日の運営委員会で「選抜資料の比率を、中学校で作成する資料(調査書)50%、高等学校で行う学力検査50%」とするとともに「学校・学科・専門コース等の特色に応じて、この比率を弾力的に扱うことを可能にすることが望ましい」とし、学習検査(アチーブメント・テスト)については、「直接の資料から除く」とした「素案」が事務局である県教委から提示された。内容はほぼ高校校長会の意向に沿ったものであった。
 あまりにも唐突だったため、次のような意見が出された。
 「素案が提起されたが、必ずしも共通な理解にたって整理されたかどうか疑問を感ずるところがある」「2回の運営委員会でのフリートーキングで意見を交換してきた。必ずしも合意に達したと思われないもの、意見として出ていたものも含めてできているように思われる」
 それに対して、事務局の回答は、「あくまで議論したものを集約し、とりまとめたものを出している。数字などはここでさらに議論されることと思うが、抽象的では議論が進まないと思うので論議の中で出てきた数字をあえて出した」「たたき台である。この線でするとか、違った意見ならそこで審議すればいいのではないか。結論が出ないでは困る」というものであった。
 早速、中学側の次のような反論があったが、高校側の妥当で合理的という意見に押し戻されてしまった。
 「ア・テストをなくし比率を半々にすることは、他の府県に実態がある。それをわかっていて後追いすることはない。これでは中学校で指導できない。塾が進路指導をする。塾に行かない子どもをどうするのか問題がある。大して影響がないと確信が持てればいいが、持てないときは慎重にあって欲しい」
 「月並みなものでも評価したい。平凡なものでも世論が支持すればいい。ア・テストがあるために業者テストの防波堤になっているというが、一方ア・テスト対策のために余計な勉強をしている。50−50が妥当で合理的と思う」
 そこで、中学側はせめて数字を出さなで欲しいという姿勢に変わっていった。
 「中学生や親が混乱を起こすのは必死である。急激な変化は教育現場にはなじまない。……高校の多様化に目を向けて、中学校の混乱に目をつぶることは、中学校の正常な教育活動が運営できるかどうかという重大な要素を含んでいる問題である。数値を出すのは時間をおいて欲しいというのが実感である」
 この日の運営委員会は、「強い反対意見があったことを付して提案するかどうか」「たたき台であるから付帯することはまずい。見直しの方向だけを決めておいて数字を出さないでおくとよいのではないか」といった意見が出され、全体会である協議会に数字を出さないということで、中学側の怒りを収めることになった。

 ア・テスト除外はそのまま協議会(全体会)に

 7 月27日の協議会(全体会)に出された「素案」には、選抜資料の比率について「学力検査の結果を重視できるようにする」とし学習選抜については「学力検査の結果を重視できるようにする」比率についての具体的な数値を避け、学習検査については「直接の選抜資料から除くべきである」と断定した。
 早速、「委員長から必ずしも意見の一致を見ていないものがあると指摘があった。…
…先日の運営委員会に出された素案とこの事務局の案は大きく違っている。事務局の素案としての扱いで今日も討議するのかどうか。事務局の素案ならば、運営委員会の議論がどう反映されているのか」の質問に対して、事務局は「素案については先日の運営委員会で、今までの議論の中で出てきた意見を整理して素案を作ったと説明している。本テーブルついては運営委員会での賛成反対意見は口頭で説明すると理解していた」と回答し、早速議論に入った。
 中学校側は「素案」の扱いに慎重をと、また議論が足りないことを主張した。
 「前回の運営委員会で50−50が出た。そうやっている県では、実際業者テストが入り模試をやって大騒ぎをしている。その実態を踏まえ問題を明らかにしながらやっていくべきことを指摘し、それについて調べることを依頼した。7月16日になぜ素案が出たのか。これは12月の県会で議員の質問に対して教育長が12月までに答申を出しますということで突然出たのである。十分議論しながら立場立場に立って、子どもに視点を据えて一致できることは必ずある。議論を十分しながらやっていこうと改めて提起させていただきながら、この素案の扱いは慎重にお願いしたい」
 高校側は選抜資料としてア・テストは本末転倒と断定した。
 「神奈川方式のメリットは中学校の卒業生を確実に高校に入れられることであった。それがいろいろな面で批判を受けるようになった。それはまず、希望の学校を受けることができなくなった。すなわち偏差値で決まってしまう。……ア・テストに関して、ア・テストそのものが文部省などでいろいろ話題に話題になっている通りであるが、本来学習した内容がどの程度定着したか、それを基にして次の学習をどうするかを考えるのが目的であった。その目的以外の入試に使われているのは本末転倒で主旨から外れている」
 さらに、中学校側は受験戦争に巻き込まれない神奈川方式を評価した。 
 「中学校の進路指導で反省しなければならないところはあるが、子どもたちが中学の生活で受験戦争という大変な経験をせずに、豊かな学習を踏まえながら高校の進学へつながる道筋を作っていきたいというのが神奈川方式だと思う」
 一方、PTA代表委員は「受けたいところが受けられない」として受験機会の複数化を提言した。
 「父母の立場で云うと、受験生や親の不満は根本的にいえば受けたいところは受けられない、選択が狭いということである。今までの議論は中学側と高校側の比率の問題が主になっているが、それだけでなく違った方策もあるのではないかと思う。たとえば受験機会の複数化、単に現在の欠員の穴埋めでなく積極的な2次募集の方法を探っていく必要があるのではないか」

 何とか抵抗する中学校側

 9月3日の運営委員会では、「資料は調査書、学習検査、学力検査の3本立てで現行どおりとするのが84.4%、そのうち、その資料を現行どおりとするのが70.9%であった」と冒頭に中学校長会委員は中学校長会のアンケートを紹介して、なんとか抵抗を試みた。高校校長会委員も直ちに反論し、高校校長会として教育委員会にア・テスト除外を申し入れてきた経緯まで述べていた。
 「事務局案に全面的に賛成である。入学者選抜方法はどんな方法を使っても議論のあるところである。ただ公平さには一番の眼目にしなければならないのではないか。そういう意味で2年次にするア・テストを資料に使う問題、本テーブルで出た内申書の諸問題(学校差、個々の教師、親のあり方の問題)などが出ている。校長会としては神奈川方式は見直す時期に来ているのではないかと考えている。ア・テストは資料からはずすべきである」「高校の校長会として神奈川方式の見直し、ア・テストの見直しを教育委員会にお願いした経緯がある」
 一方、私学側委員は私学において従来から推薦などにア・テストを利用してきたこともあり、中学校側の意見に賛意を示していた。
 「私学は第三者的な立場であるが、神奈川で業者テストが入らなかったのはア・テストがあるからである」「ア・テストをなくせば二度と復活することはない。なくしてよいかどうか疑問である」
 その後も中学校側と高校側で意見が続いていた。
 「神奈川の選抜制度が他県のそれと比べて、業者テストがあるかないかの他によい面があるのか。そんなにないのではないか。」
 「業者テストがあるかないか、それがポイントである。業者テストが各学校現場に与える影響を考えると、東京では9月から月例テストを毎月やっている。それは正常の教育活動とは言えない」
 「ア・テストをやりそれに基づいて進路指導をする。しかし、他県では業者テストは選抜資料にはせず、合否の判定にはしていないが、ア・テストは資料でもあり合否の判定にかかわっている。選抜の資料にしなければあっても意味がないということにならないか。」「学習検査が歴史と伝統をもつなかで、非常に客観性、妥当性、信頼性の高いものと評価されている。中学校の教育課程の中に位置づけられている権威ある、全国に誇れる学習検査であるから、当然選抜資料として生かすべきである。」

 お互いに最後の切り札を

 10月15日運営委員会では、最初に高校長会委員から「いろいろなタイプの学校」作りのためにも、ア・テストを除外する必要があることを強調した。
 「高校増のときには神奈川方式はベターな方式である。しかし、高校はどこを切っても金太郎飴のように画一的であり、格差が歴然としてあった。この学校格差のほとんどは偏差値から出ている。これではいけないということから、学校に個性をもたせるよう、いろんなタイプの学校を作る努力をした。この点学校の独自性を生かすために行政も援助することは重要である。いろいろなタイプの学校ができることによって、従来の偏差値によって学校を選ぶ基準が変わってくる。推薦の導入を含めて従来の考え方とは違う選抜方法が生まれてくるのではないか」
 一方、中学校側はふれあい教育の視点で「日常的な中学生活の積み上げが進学に生かされる制度が望ましい」「改善が結果的には業者テストや学習塾に依存せざるを得ないような制度は好ましいとはいえないと考える。入学者選抜制度の見直しに当たっては、ふれあい教育の立場から高校教育と中学教育がつながるように、そして、希望する子どもたちの誰しもが進学が保障されるような制度改革であること。意欲・希望がもてるような進路指導のあり方について検討されることが必要である。」と高校側を牽制したが、「ア・テストは水戸黄門の印籠みたいなもので、生徒に対してこういう客観的な評価があるとして納得させてきた。それがア・テストの存在ではないだろうか」と中学校の進路指導について批判した。
 それに対して中学側は「ア・テストですべて決まるという誤解がある。現行の比率が50−20−30であるが実際具体的に数値に置き換えて計算すると、ア・テストの占める比率は7.41%であり、学力検査は30%しかないというが39.8%である。基本的には現行の方式はベストではないがベターであると思う」と反論したが、ア・テスト除外の流れを変えることにはならなかった。

 中学校側の妥協案もつぶされる

 11月29日の運営委員会で「この委員会の中で話し合ったことを踏まえて文章を作ってきたのですが、刺激的すぎるとの指摘もありましたので工夫をしていきたいと思います」ということで、文書表現をめぐっての議論になってきた。もはや、中学校側の反論もなく、最終の12月18日の運営委員会での「学習検査は標準テストであり、その結果については調査書に盛り込んで欲しい」という中学校側の最後の妥協案も、「学習検査の結果を調査書に盛り込むことは高校に直接的にしろ間接にしろ資料を与えることになり、今までの議論はなんだということになる。巧妙なア・テストかくしと世論は受け取るかも知れない」との反論で、あっさりとつぶされてしまった。

 揺れる県民の意見
 (「高課研」最終答申前の県民の声)

 各新聞の読者の声などの欄にはア・テストの功罪の意見が毎日掲載されるようになった。

「入る所より行きたい所」
  ア・テストを選抜資料から除外するという方針を積極的に支持したい。今の方式は入試以前の段階で70%の資料が出そろう。中学側がイニシアチブをとって、様々な弊害を生んできた。輪切り、すなわち行きたい高校より入れる高校にわり振ってしまう。それが公立高校離れや中途退学者の増加を招いたと思う。中三になって伸びる生徒もたくさんいるのに、中二で行うア・テストを資料に加えるのはおかしい。  
   (秦野市 平野英利 中学教師 56歳)

「塾が不要のア・テスト」
  長男は中学三年で、県立高校を受験するのなら塾に通わず家庭学習で十分だと思ってやってきました。それなりに結果が得られました。それもア・テストがあったからなのです。県立受験の場合、内申が大切で九教科全部できなくては、いわゆる上位校には入れません。内申は技能教科四教科が重視されます。技能教科はペーパーテストよりも実技が重んじられます。ア・テストは技能教科の点数を半分にするため、公平な評価が得られます。中学三年の二学期は内申に響くため、子供たちは言いたいことも言えずに我慢しています。高校を子と親が決めることができる唯一の資料が、ア・テストの結果なんです。ア・テストの問題は難問ではありません。幅広くコツコツ勉強すれば解けます。神奈川方式が一番と思っていただけに「廃止になるかもしれない」と聞いて驚いています。
   (大和市 嶋田とし子 主婦 48歳)
 (朝日新聞 「読者のプラザ」93.11.26)

 それでも何とかア・テストの存 続を(場外での抵抗)

 中学校側は校長会から2名の委員を出しているが、「高課研」でほぼア・テスト除外の方向が決まっていた時期に横浜市立中学校長会が、いわば場外での抵抗を試みた。
 93年12月9日付けで 横浜市立中学校長会(横浜市内145校の中学校長が参加)がア・テストの存続支援を求め県会文教委員全員および県教育長に提出した。文書はB5版で8ページ。「神奈川方式における学習検査の取り扱いについて(お願い)」と題して中島寛会長名で提出した。内容はア・テストが選抜資料から外された場合は「客観的な資料不足のため、進路指導が手探り状態となる」「生徒や親は学校より学習塾に頼り、模擬テストへの依存が高くなる」などの問題が起きる、と述べている。さらに、「選抜資料に占める割合を低くしてでもア・テストは継続すべきだ」として「ア・テストの割合が10%か15%ではどうか」と数字を出して存続を求めている。(神奈川新聞93.12.15)

 都立高校で調査書重視は4校  (東京はすでに入試改革が)

 神奈川が93年12月に「高課研」第2次報告で、調査書と学力検査の比率について「両者の均衡がとれるようにすることが望ましい」とそれまでの割合を変えようとしたが、東京はすでに大きな変化を示していた。調査書重視は4校(都立高の入試)。
 東京都教育庁は93年4月22日、次の年の都立高校入学者選抜実施要綱を発表した。従来のグループ選抜から学区ごとの単独選抜方式に変わるのに伴い、学力検査の教科数選択や傾斜配点、実技・面接が実施できる「特色ある教育課程を有する高校」212校のうち103校が3教科、13校が教科の配点に比重をかけるとともに、各高校における学力検査と調査書の比重は5:5が266校ともっとも多く、6:4は57校、4:6は4校にとどまることになった。調査書重視は4校ということである。(日本教育新聞93.5.8)

 おわりに

 神奈川の入試制度でまず問題にしなければならないことは、「高校間格差」をどう緩和・解消するかにかかっていた。ア・テストがそのことにどれだけ影響を及ぼしていたか、ア・テスト除外後の入試選抜からはそのことは見えてこない。
 「偏差値追放・業者テスト廃止」を声高に叫ぶ文部大臣に引きづられ、県教委の「始めにア・テスト廃止ありき」の腹で審議は一気に第2次報告へと突き進んでいった。さらに、1993年2月22日に出された文部省通知を取り入れながら、学校間格差をさらに拡大させるおそれのある制度などが報告されることになった。「ア・テスト除外で中学側委員に敗北感」といった新聞記事は、私にとっては「ア・テスト以外で敗北感」と読み替えることができる第2次報告であった。
 さすがに、高課研委員を出している神奈川新聞は、当時の社説で「本県の公立高校の有り様で、最大の懸案は学校間格差をどうするか、ということだ。高課研の報告が迫力に欠けたきらいがあるのは、この問題を正面から突いていないためだろう。敵は本能寺なのに清水寺を攻めた。矢は急所をはずれてしまっている。ここに不満が残る」と第2次報告の問題点を的確に指摘していた。
 その後、県教委は、「報告」にもとづき94年5月に「高校入試改革改善案(中間報告)」を出し、7月には「入学者選抜制度改正大綱」を発表した。そして、同年9月の「魅力と特色ある高校づくりの推進」を各校に命ずる教育長通知と、1年の移行期間の後の96年7月の入試要項の作成を経て、現在の入試制度へと至った。

※このレポートの文中の「 」付き文は高課研議事録より筆者が選別して引用したものである。なお、議事録は神奈川県の情報公開制度によりすべてアクセス可能である。

 資料編

ア・テストの歩み
1947年4月(以下、年月は略)新制中学発足。
50.2 「中学校学習検査(ア・テスト)」を全学年で初めて実施。公立中学全生徒を対象に、国語と数学の2教科。
52 高校側の要望により、高校から中学へ合否判定が困難生徒のア・テスト結果について問い合わせることができるようになる。ア・テストが選抜資料になる第一歩であった。
53 国、社、数、理の4教科に増える。中学校から提出される報告書の中にア・テストの結果を記入。ア・テストが選抜資料としての本格的な利用。
55 選抜資料としての報告書:アテストの比率が8:2となり、ア・テストが明確に選抜資料に位置づけられた。
57 56年の学校教育施行規則の改正を受けて、学力検査(入試)の実施。検査会場は中学校、検査監督は中・高校の教員、採点は高校の教員であたり、報告書・「ア・テスト」・学力検査を対等に評価することとする。神奈川における戦後最初の入学試験の実施。この年の神奈川県の高校進学率は60.3%(全国51.4)。公立高校数58校(新制高校発足時よりわずか3校の新設)
58 学力検査会場を高校に移す。
59 英語が加わり、9教科に。
68 ア・テストを全学年で実施。選抜資料は3学年のみ。
  「D=a(調査書)+0.6×b(ア・テスト)+0.6×c(入試)」を導入。第1次選考で85%をD値によって合否を判定する。残り15%を第2次選考として高校独自で選考。「神奈川方式」が確立。
 a(調査書):全学年9教科、5点満点、計135点を100点に換算
 b(ア・テスト):素点を10段階に評定し直し、9教科、計90点を100点に換算
 c(入試):5 教科、 50点満点、 計250点を100点に換算
69 3年での実施をやめ、2年の分だけが選抜資料に。     
70 1,2年の分とも選抜資料に。
73 調査書、ア・テスト、入試の比率が50%、25%、25%となる。ア・テストは2年生のみの実施に。
 D=a+0.5×b+0.5×cに変更
85 調査書、ア・テスト、入試の比率が50%、20%、30%となる。特記事項記入者を15%以内とする。第1次選考は80%に。
96 調査書、ア・テスト、入試の比率が50%、10%、40%となる。(移行措置)
97 ア・テストがなくなる。調査書、入試の比率が60%、40%となる。

(なかのわたり つよし 県立相模台工業高校定時制教諭)
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