バトンリレー 研究所員による 「書評」

アルフィ・コーン  『競争社会をこえて』 & 『報酬主義をこえて』


 この 2 冊の本(1)の著者、 アルフィ・コーンはアメリカ東北部のケンブリッジで仲間とともに共同生活をおくっている。 いくつかの大学で講義してはいるが、 彼はアカデミックな世界におさまっている人物ではない。 学生時代をふりかえって、 彼はこんなことを言っている。 「1982年の秋に競争というテーマで卒業論文を書いてみようと考えた」 (『競争社会をこえて』 あとがき)。 あるいはこうも言っている。 「私は実験レポートをネズミの観点から書いて提出した。 ネズミとしてはただバーを押すだけで、 一人の大学生に朝食行動をとるように訓練した、 といったふうに書いたのである (『報酬主義をこえて』 はしがき)」。 このレポートのせいで彼は心理学入門の単位を落としそうになった。 「競争に反対すれば、 反アメリカ的だとみなされる」 ような国、 スキナー流の行動主義が圧倒的な力を持つ国にあって、 コーンは学生時代から反抗的だった。
 競争をめぐる議論では、 こんな言葉を聞くのがふつうである。 「過度の競争には害がある」。 「適度な競争は必要だ」。 どちらを言っても同じ程度の賛同をえることができる。 ただ 「適度」 をどの程度と考えるか、 どこまでいったら 「過度」 と考えるか、 それしだいで、 「もっと競争すべきだ」 という主張と 「競争を抑制すべきだ」 という主張が分かれるだけである。 報酬を約束することの是非をめぐる通常の議論もおなじである。 「過度に報酬を約束することには問題がある」。 「適度な報酬は必要だ」。 けっきょく程度が問題になるだけである。 コーンが展開しようとしているのはこんな中途半端な議論ではない。 競争そのもの、 報酬を約束することそれ自体を、 彼は全面的に否定しようとする。
 コーンの書き方は容赦ない。 これでもかこれでもかと様々な角度から論じている。 何もここまで書かなくてもと思うほどである。 彼によれば、 あのダーウィンの言うことさえ、 競争社会の擁護者は誤解している。 ダーウィンも 「生存競争」 という言葉を 「比喩的に」 用いているにすぎないのである。 経済の分野であっても、 競争は生産的ではない。 誰かの失敗を前提にして勝利が得られるなどという仕組みに、 生産性が認められるわけはないのだ。 ゲームの中での競いあいも不必要である。 まして、 競争によって人は成長する、 競争により人は向上する、 そんな主張には何の根拠もない。 競争の程度が問題なのではない。 競争そのものが有害無益なのである。 報酬の約束についても同じである。 その頻度や中味が問題なのではない。 報酬の約束そのものが有害無益なのである。 心配することはない。 競争などなくとも、 報酬の約束などなくとも、 人は成長するし、 仕事を成し遂げるのだ。 これをコーンはていねいに立証しようとする。 その書き方は執念深くさえある。
 何がコーンを仕事にかりたてているのだろう。 彼もまたアメリカ心理学会の一員、 しかも学会賞を受けた優秀な一員である。 行動主義の大家スキナーとの交流もあったようである。 そのスキナーについてコーンは言う。 「B.F.スキナーは主としてネズミやハトを使って実験しながら、 主として人間についての本を書いた人物と言っていいだろう (『報酬主義をこえて』)」。 彼はひとりの人間としてのスキナーはまんざら嫌いでもなかったようである。 しかし、 人間をネズミに似たものとしてあつかおうとするその姿勢を許すことはできなかった。 コーンをスキナーから分かつものは、 その人間観のちがいである。 競争などなくとも、 報酬の約束などなくとも人間は成長するし、 より高い価値を生み出すことができる。 偏見にとらわれない目でよく観察しさえすれば、 職場でも、 学校でも、 その実例をいくらでも見つけることができる。 コーンの仕事の背景には、 おおらかともいってもよいような、 だがていねいな事実の観察と分析に裏付けられた、 あかるい人間観がある。
 ところで、 コーンは日本の教育にも言及している。 40年代のルース・ベネディクトからはじめて、 80年、 82年の別々の報告を引用しながら、 「アメリカよりもはるかに競争意識がすくないといわれている」、 と日本の教育を評価している (『競争主義をこえて』)。 だが、 日本はいま 「教育改革」 の真っただ中、 急速にアメリカに近づこうとしている。 このアメリカモデルの拡大を、 コーンはどう考えるだろう。 コーンが発信するホームページには 「疫病がアメリカの学校に蔓延している」 という言葉が記されている。 この部分には 「この疫病は日本の学校にも広がりつつある」 という言葉がつけくわえられることになるのだろうか。


       註

(1)アルフィ・コーン 山本啓・真水康樹訳  『競争社会をこえて』 法政大学出版会、 1994年
 アルフィ・コーン 田中英史訳  『報酬主義をこえて』 法政大学出版会、 2001年

   (ほんま しょうご 教育研究所員)