キーワードで読む戦後教育史 (3)社会科の転換
 杉 山   宏

 はじめに

 講和後、 戦後教育に対する批判が広く行われたが、 その批判は、 特に戦後教育改革の中核であった社会科に集中される形となった。 批判の内容は、 道徳教育に問題があり、 地理・歴史教育では系統性に欠ける面がある、 というものであった。 社会科は青少年が社会生活を理解し、 その進展に協力するようになることを目指すものであるとし、 問題解決学習、 体験学習を社会科学習の眼目とした初期社会科に、 終止符を打つ事になった1955年・56年の学習指導要領改訂へ向けての動きがこの時点で表立ってきたのであり、 声高に叫ばれるようになったのであった。

 文相、 教課審に諮問

 1952年 8 月12日に最後の学者文化人文相天野貞祐が辞職後、 自治庁長官岡野清豪が兼任で党人文相として登場した。 岡野文相は就任直後に、 広義の修身科の復活、 歴史科の独立について意見表明を行っていた。
 52年12月23日付の 『文部広報』 は、 岡野文相が12月19日に教育課程審議会に対し、 @教育課程の改善特に高等学校の教育課程 について、
A社会科の改善、 特に道徳教育・地理・歴 史教育について、
B高等学校通信教育の実施科目拡充につい て、
 の三点を諮問したことを記している。 そして、 諮問理由として、 「社会科については種々批判がある。 たとえば社会科で行われている道徳教育ではふじゅうぶんであるから道徳教育の強化方策を考えるべきである。 地理や歴史に関する児童・生徒の知識や理解を低下させないようにするため指導計画の大改訂をする必要があるとか、 中には独立した教科にしたほうがよいと主張する者もある。 このような議論が出ることは現行社会科の指導計画や指導面においてうまく行っていない点があるのではないか」 と記していた。
 53年 7 月 9 日の第16回特別国会衆議院文教委員会で、 地歴教育について論議が行われている。 即ち、 現在の教育では歴史教育は行われておらず、 断片的に引出した産業発達史だとか、 生活史のほんの一部分が断片的に行われているにすぎず、 愛国心を植え付けるための歴史教育が行われていない。 とする意見に対し、 大達茂雄文相は、 「歴史、 地理教育の重要である点につきましては、 まつたく御同感でございます。 今日の社会科の内容が、 社会生活におけるある事象をとらえ、 その事柄を中心として、 あるいはそれの歴史的な面あるいは地理的な面を、 その事柄を中心として教え込んで行く、 こういうやり方のように私は思うのでありますが、 なるほどこれは非常に優れた、 いわば秀才といいますか、 非常に頭のいい子供、 あるいはもつとずっと進んだ人、 そういう人々にとっては、 縦横に社会の事象とあわせて歴史、 地理というものがなされるということであれば、 これもけっこうかと思いますが、 一般の生徒児童を対象とする限り、 そういう段階に入る前に、 歴史、 地理についての系統的な知識を与えるということが、 どうしても欠けているのではないかと私は思うのであります。 先般申し上げました意味も、 私は今日社会教育において歴史、 地理という要素がないとは思わぬが、 ともかく系統的に歴史の知識、 地理の教育をするということが大切だというふうに考えておりまして、 せっかくその方向に、 学校における教育課程の是正をいたして参りたい、 かように考えております」 と答弁している。

 社会科問題協議会の動き

 この文部省側の動きに対し、 教育学者らによる反対の動きが起こり、 社会科問題協議会の結成となった。 即ち、 答申案の内容が新聞報道されると、 海後宗臣氏 (東大教育学部長) の発議で、 53年 8 月 1 日に関係者の会合がもたれ、 社会科問題に関する懇談会として発足したが、 同月 4 日の第 1 回総会では趣旨に賛成する10余団体の出席を得て、 第 1 次声明を発表し、 社会科解体反対運動に立ち上がった。 4 日に出された協議会の 「社会科改訂に対する声明」 の内容は、 「この答申案を読んでただちに気付くことは、 あれでもよいが、 これでもよいといった、 きわめて遠廻しのばく然とした論旨のうちに、 地誌や年代史をできるかぎり早く取上げたいという意図が貫いていることと、 道徳教育や地理、 歴史を独立させるか、 させまいかの枠組論に終始して、 その内容をあいまいにしているということであります。 そこには実質的に社会科を解体し、 地理、 歴史、 公民に分割する道をほのかに開いておいて、 それぞれの学習内容の決定は、 特定の政治勢力の支配下にある文部官僚の手に、 事務的に委ねられる危険があるやに見受けられます。 内容について僅かにふれている部分、 たとえば中学校歴史の学習内容について 『社会史に偏しすぎることなく、 日本人の感情や思想等に関する面を取り入れよ』 とか、 『現行の四つの時代区分 (原始、 古代、 封建、 近代) は、 時代区分の一例』 にすぎないと特にことわられている点を、 従来現政府の文教政策として、 しばしば表明された 『万国に冠たる歴史』 教育や、 ためにする 『愛国心』 教育への要請を背景にして考える時、 前述のわれわれの危惧は決して単なる思いすごしではないと信じます」 「われわれはひとしく教師の実践成果にもとづく、 現行社会科の改善をこいねがい、 科学的地理、 歴史教育、 及び民主的な道徳教育の徹底を希望しているのであって、 社会科基本精神は近代教育学の当然の帰結であり、 これをゆがめることは許されません。 社会科の改善は日本の子どもたちが、 自主的に、 科学的に、 日本社会の現実に対決し、 平和と独立を求め、 民主的方法でその生活を建設してゆくように育てることをいっそう促進するものであってほしいと思います。 その意味で、 われわれは、 審議会ならびに今後の執行にあたる文部当局が、 絶対にこの基本精神を骨抜きにしないことを強く要望します」 としていた。

 教課審文相へ答申

 8 月 7 日に教育課程審議会は、 社会科の改善に関する答申を文相宛に行った。
 答申は 「自分で物事を考え、 判断しようとする態度や、 友だちと協力する態度をはじめ、 民主主義の基本的諸要素が次第に育成されつつある」 と記し戦後の社会科教育を評価しながら、 「一方、 社会科の指導は、 学校によっては必ずしもうまく行っていない点のあることは率直に認めなければならない。 たとえば児童・生徒が、 地理や歴史について、 きわめて当り前の事実を知らなかったり、 雑然とした物知りになるにすぎなかったり、 教師はその指導において、 児童・生徒の自主的活動を重んずべき意味を取り違えて形式に流れ、 むずかしい宿題を課していたずらに父兄に過重な負担をかける場合もあり、 旧来の指導法のままにとどまって、 教科書にある知識の注入に偏しすぎ、 民主的社会における道徳の理解や、 道徳的判断力の養成がじゅうぶんに行われていない場合もある」 ともしている。 また、 「社会科においては、 児童・生徒に、 地理や歴史の基本的知識や理解、 特に地誌や年代史に関する知識や理解を身につけさせることを軽視してはならない。 しかし過去の教育のように多くに地理的および歴史的事実をただ記憶させることに主力が注がれる教育になってはならない」 と系統学習の必要性を表現柔らかく打ち出している。

 社会科問題協議会、 声明連発

 この答申が出されたのに対し、 社会科問題協議会は、 直後の 8 日、 臨時に拡大幹事会を開き、 更に11日の第 2 回総会では第 2 次声明を公表し、 直に文部省側にこの決定を手交している。 当面の運動としては、
@統一強化のため各大学、 諸団体に訴え、 加入を促進する。
A国民の理解を得るため宣伝活動を充実する。
B 9 月よりの文部省プランに対処するため日教組の賛意を得て、 第 3 次教研活動推進の中でこの問題を取り上げさせる。
Cまた文部省は教授細目式の細案を出してくるから、 協議会としても細案で対決するよう準備を進める。
 など積極的な方法を掲げ、 世論の喚起と組織化に乗り出すことにした。 第 2 次声明の際の参加団体と代表者は次の通りであった。
 東京大学有志 (海後宗臣)  東京教育大学有志 (石山脩平)  東京教育大学有志 (山田栄)  東京学芸大学有志 (倉沢剛)  名古屋大学有志 (小川太郎)  北海道大学有志 (城戸幡太郎)  埼玉大学有志 (海後勝雄)  神戸大学有志 (長井八蔵)  日本教育学会有志 (長田新)  日本社会学会有志 (福武直)  日本教育社会学会 (岡田謙)  教育科学研究運動全国連絡協会 (宗像誠也)  日本生活教育連盟 (梅根悟)  教育技術連盟 (野瀬寛顕)  日本作文の会 (今井誉次郎)  歴史教育者協議会 (高橋一)  郷土教育全国協議会 (桑原正雄)  東京都小学校社会科研究会有志 (遠藤五郎)  日本民俗学会有志 (和歌森太郎)  日本子供を守る会 (羽仁説子)  新日本文学会 (国分一太郎)  歴史学研究会 (江口朴郎)  教育紙芝居研究会 (佐木秋夫)  日本文学協会 (小野牧夫)  歴史教育研究会 (片岡並男)  教育文化振興会 (新井恒易)  日本文化人会議 (務台理作)  民主主義科学者協会歴史部会 (林基)  野間教育研究所 (土屋忠雄)
 第 2 次声明は 「われわれが重大な関心をよせていた、 文部省教育課程審議会の 『社会科の改善に関する答申』 は、 去る 7 日、 文部大臣に届けられるとともに、 同日、 その内容が発表されました。 さきに、 われわれは、 その答申案が新聞紙上などに伝えられたのを契機として相集り、 し細にその案文を検討した結果、 そこに憂慮すべき意図のかくされていることを確認し、 警戒すべき諸点を指摘した声明書を発表して、 審議会ならびに文部当局に慎重な考慮を求めると同時に、 心ある教師諸君と国民各位とに訴えたのでありました。
 われわれは、 この度、 正式に具申された答申の内容に接し、 再び会合して、 つぶさにその行文を吟味したのでありますが、 伝えられた案文に比して、 前にわれわれの指摘した諸点の、 かなり改善されたあとがうかがわれ、 われわれの精神が少なからずとりいれられたかたちになっていると見うけられます反面、 なおわれわれの容認しえないところが、 強く残されていることを否定することができないのであります」 「社会科の使命につき、 案文では 『元来社会科は、 わが国の教育における民主主義の育成に対し、 重要な役割をになうものである』 と、 やや消極的にのべられていたのが、 答申では 『元来、 社会科は、 わが国における民主主義の育成に対して、 重要な教育的役割をになうものであり、 その基本的なねらいは正しい』 とうちだすことになって、 今日の教育における社会科の意義を明確にしそれを変質させようとする意図の正しくないことをはっきりさせた」 と一部評価しながらも、 この修正を、 単なる字句の修正に過ぎないとするようなことは、 断じて許されないと釘をさしている。 更に、 改善されなかった点として、 「地誌や年代史に関する知識や理解を身につけさせることを軽視してはならない」 「現行の四つの区分 (原始、 古代、 封建、 近代) は、 時代区分の一例であって、 これが固定的なもののような誤解を与えないように注意すること」 などを挙ていた。 そして、 「われわれのもっとも遣憾とし、 むしろ憤激にたえないのは、 文部当局の 『社会科改善』 の進め方である。 さきに、 われわれはその拙速主義を厳重にいましめ、 その民主的な運営をつよく要望したのであるが、 その点に関し、 当局は反省のあとを全く示していない。 そして、 われわれは、 ここにこそ問題の本質を見るのである」 と指摘していた。 次いで、 前回の声明書の趣旨を重ねて徹底させるため、 として、 「秘密主義をやめる」 「官僚の主導性を排する」 など 6 項目の要望を掲げている。

 文部省、 「方策」 発表

 他方、 文部省は答申に応じ、 8 月22日に 「社会科の改善についての方策」 を発表した。 その内容は 『文部時報』 の昭和28年 9 月号に掲載されているが、 「文部省としては、 学習指導要領における誤解を招きやすい箇所を修正したり、 説明不足の部分を補うとともに、 種々な機会をとおして、 社会科の性格を明確にし、 指導上の適切な助言を与えることに努めて、 教師の社会科に対する熱意を失わせないようにすることがたいせつであると考える」 とし、 学習指導要領の取り扱いやすさを目指すとしている。 「地理、 歴史などの教育について」 では、 「小・中学校の地理や歴史の教育、 ならびに政治・経済・社会の教育については、 小・中学校の指導計画に一貫性を与え、 かつ、 教師に取り扱いやすいものに改めたい」 「 (小学校) 上学年においてもこれまでと同じく、 地理や歴史などの科目には分けないが、 その内容には、 日本や世界諸地域の生活の仕方 (衣食住の様式) その他の学習を取り入れて、 第 6 学年の終りまでには、 中学校における地誌的学習に対する基礎が養われるような計画を考えたい。 年代史的学習は、 小学校上学年の児童にとっては、 ややむずかしいと考える。 そこでこれはおもに中学校に委ね、 小学校では、 これとよく連絡する程度において、 わが国の各時代のようすについての理解が得られるように留意する」 「地理、 歴史、 その他の面についての理解事項やその学習内容を具体的に示し、 それらの組織の仕方についても、 それぞれの学校の条件に応じて、 着実な学習効果があがるように考慮を払う」 としている。
 この 「方策」 の延長線上に乗るところの55年度改訂の学習指導要領は表題から試案の文字が消え、 更に、 58年度の改訂からは法的拘束力があるとするような文部省の一連の動きが出て来る段階で、 「地誌的学習」 「年代史的学習」 の用語を使用し、 「理解事項や学習内容を具体的に示し」 として、 文部省による学習内容への強い関与も有り得ることを示しているのであり、 社会科問題協議会などの疑念も当然といえるであろう。

 社会科問題協議会三たび声明発表

 文部省が 8 月22日に 「社会科の改善についての方策」 を発表し、 8 月25日には、 全国都道府県指導事務主管部課長会議を招集したのに対し、 社会科問題協議会が、 8 月27日第 3 次声明を発表した。 それによれば 「審議会の答申においても、 文部省の方策においても、 その用語は慎重をきわめ、 社会科の 『基本的なねらいは正し』 く 『これを健全に育てる』 ことを強調し、 学習指導要領の改訂についても 『文部省としては、 学習指導要領における誤解をまねきやすい箇所を修正したり、 説明の不足の部分を補う』 のであるというなど、 いかにももっともらしい表現をとっている」 としながら、 「しかしながら、 方策をし細に検討すると、 それはやはり一種の偽装にすぎないと判断される」 としている。 そして、 要請の第 1 項目として 「文部省の示す方策を実施すれば社会科の基本精神はゆがめられる」 ことを挙げ、 中学校の問題なのに、 中学校の説明箇所では明瞭にしていない部分が、 小学校の説明の箇所に出ていると指摘している。 即ち 「小学校上学年の地理、 歴史教育の説明に関連して、 明記されているところによれば、 『地理的内容を主とするもの』 とは、 『中学校に於ける地誌的学習』 であり、 『歴史的内容を主とするもの』 とは 『中学校に委ね』 られた年代史的学習ということになる。 その結果、 ある学年では地誌的学習、 他の学年では年代史的学習、 さらに別の学年で公民科 (?) 的学習を実施することとなり、 これが中学校の社会科として期待されている実質なのである。 われわれは文部省がこのように社会科を名目化することにより、 表向きは逆コ−スに乗るものではないと称しつつも、 かねて意図している反動的教育内容を復活する道を開いていることをおそれるのである」 としている。 第 2 項としては、 答申原案が社会科不振の原因に教師の未熟を挙げていたが、 答申はそれを是正し、 教師養成や児童生徒数、 教材教具の充実にも問題のある事が述べられていると評価しながら、 しかし、 「方策」 においては 「こうした原因は、 学習指導要領などにおける説明に、 明確を欠く点があったため」 とされおり、 要請書は、 このことが文部省の指導助言の拠り所とされ 「官僚支配の強化がめざさている」 という懸念を挙げている。 第 3 項は、 「教育課程審議会の決定がふみにじられている」 とし、 その論拠として、 「地誌的学習」 「年代史的学習」 の語は、 最終審議で 2 ヵ所にわたり削除されたはずであるのに、 「方策」 では使用されている。 「方策」 の教科書の項で使用された 「地理的内容を主とするもの」 「歴史的内容を主とするもの」 は、 同様削除された 「社会科地理」 「社会科歴史」 の変形であり、 教課審決定がふみにじられている。 とし、 更に 「決定的なことは、 予定を延期し、 両日にわたって行われた最終の審議会総会における修正に対し、 文部省が原案は字句の上で多少修正されたが、 趣旨に関しては少しも変更されていないと言明している点であっ」 た、 と審議会軽視を指摘している。 第 4 項として 「正しい社会科の改善を要望する」 を挙げ、 「自主的、 民主的、 批判的な精神を育てる社会科を、 反動的な地理、 歴史、 修身にすりかえないこと」 など 6 点を挙げている。

 社会科の方向決定最終段階

 文部省は学習指導要領改訂の具体的作業を進める中、 数回にわたり中間報告を行っているが、 その第 4 次報告を受け、 社会科問題協議会は、 54年 5 月12日第 5 次声明を発表している。 声明内容は、 方策のいう 「社会科の基本的なねらい」 とは何か、 明快な回答を要求するとしている。 次に、 「本改訂案は理論的にも生活から遊離した断片的な知識主義の学習に道を開いたと云うべきである」 と述べている。 更に、 「学年によって学習領域のある分野に重点を置いて計画した場合」 と 「各学年の学習領域がさらに広い分野にわたるように計画される場合」 という中学校社会科の二本建案の実態は何か、 と問うている。 また、 民主的な道徳教育、 科学的な地理、 歴史教育が目指されているか、 と問い詰めている。 しかし、 これらの社会科問題協議会の問い掛けとは懸け離れた 「社会科の目標と学習領域案」 が発表された。
 文部省は、 55年 2 月11日に 「小学校社会科の目標および学習の領域案について」、 2 月22日に 「中学校社会科の目標および内容について」 を共に、 第 5 回中間報告として発表した。 前者は、
(1) 各学年に具体的目標、
(2) 各学年の学習領域案、
から成り、 後者は、
(1) 中学校社会科の基本的目標について、
(2) 中学校社会科の具体的目標について、
(3) 中学校社会科の指導内容について、
(4) 中学校社会科の指導計画について、
から成り立っていた。 この資料は、 55年度から新しい社会科の授業に入った学校現場において、 新学習指導要領が発刊されるまでの拠り所となった。 資料の全文を掲載した 『文部広報』 が文部省によって、 都道府県教育委員会に、 管下の小中学校該当部数だけ一括送付された。
 2 月22日、 社会科問題協議会は、 文部省の社会科改訂案に反対する声明を発表した。 即ち、 「この度発表された 『社会科の目標と学習領域案』 は、 日本の社会科が現場教師の実践の努力を通して、 ようやくこの民主的な力を育てようと成長した時に、 一挙にその努力をふみにじり、 社会科の生命を抹殺しようとするものである」 とし、 道徳教育、 地理教育、 歴史教育、 系統性のそれぞれについて問題点を挙げた後、 「以上のような社会科教育の結果は、 子どもたちに科学的批判力を育てず、 知識の強制的暗記を促し、 入試準備に拍車をかけ、 結局は人間教育を圧殺するであろう」 と断じ、 「今一度委員会にさしもどし再審議を要請すべきではなかろうか」 と声明を締め括っている。

 学習指導要領改訂発表

 文部省は、 55年12月10日に小学校の学習指導要領昭和30年度改訂版を、 次いで56年 2 月20日に中学校のそれをそれぞれを刊行した。 中間報告の時点で、 初期社会科に終止符が打たれており、 現場は中間報告を拠り所に既に系統学習へ大きく舵を切っていた。 この学習指導要領改訂が社会科教育にとって大転換点であったことに疑いはない。 しかし、 この学習指導要領は、 改訂の方向を何故か明確な表現で示すことを避けている。 即ち、 『中学校学習指導要領社会科編昭和30年度改訂版』 の 「まえがき」 に 「このたび改訂された社会科は、 その基本的な目標において、 従来と変りないが、 改訂の要点を従来のものと比較して示すと次のとおりである」 と記してから、 5 項目の改訂要点を列挙している。 即ち、
1. 小学校との関連をいっそう緊密にし、 義務教育一貫の立場から、 目標や内容の示し方にじゆうぶんの連絡を保つようにした。
2. 内容は、 必要な事項についてはさらに充実させるとともに、 全体としては、 思い切って精選して、 中学校生徒の発達段階に応じたわかりやすいものにした。
3. 従来は 「一般社会」 と 「日本史」 との指導計画を別個に立ててもよいことになっていたのを、 社会科の指導計画を一本化し、 日本史も社会科の指導計画の中に織りこんで計画するようにした。
4. 従来のような学年別の単元組織を示すことなく、 地理的分野、 歴史的分野、 政治・経済・社会的分野に分けて示し、 各学校において、 いろいろの指導計画が立てられるように幅をもたせた。
5. 道徳教育については、 学校教育全体の教育計画の中で、 その目標が達成できるように考慮していくことは、 従来と変りはないが、 社会科においては、 それぞれの学習内容に即して、 道徳的な理解や判断力の育成が無理なく行われるように留意した。
とある。 例えば、 「従来のような学年別の単元組織を示すことなく、 地理的分野、 歴史的分野、 政治・経済・社会的分野に分けて示し、 各学校において、 いろいろの指導計画が立てられるように幅をもたせた」 という文を取り上げるならば、 分野制は学習指導要領社会科編昭和22年度版の 「従来の教科の寄せ集めや総合ではない。 それゆえに、 いままでの修身・公民・地理・歴史の教授のすがたは、 もはや社会科の中には見られなくなるのである」 とする立場とは、 全く立場を異にしているものといえるであろう。 また、 学校側に指導計画を立てる場合に幅を持たせるというが、 既に現場では55年度 4 月から新しい社会科の授業が行われており、 中学校の分野別の社会科は、 所謂 「座布団型」 と呼ばれる授業形態をとり、 各分野の学習分野別学習は学年が指定されたといってよく、 文部省のいうようにいろいろな指導計画が立てられる幅が学校現場にあったのであろうか。 中学校社会科教師は、 新しい教科書と文部省初中局発表の 「中学校社会科の目標および内容について」 を手に社会科の 「基礎学力」 は何かということに追われていたのが、 55年度の学校現場であった。
 教育課程審議会と社会科問題協議会のやりとりに終始してしまったが、 中教審もおおむね教課審の路線に従った答申を行っていた。

   (すぎやま ひろし  立正大学講師)