ねざす談義(23)
「願うや切」
                    小山文雄

 近来、政治家の荒んだ発言が相次いでいる。年格好だけからすれば、私が教壇に立っていた時の生徒の年齢層に入るわけで、教育が行き届かなかったのかなと、いささか責任も感じる。世を挙げての理性の軽視、後退を嘆いてはきたが、もはや止めるすべはないのか。

 むろん有識の人は居る。この問題を問われて高村薫さんは、

 「要するに、言葉に行き着く。複雑なことを考える思考能力が危機にひんしている。だから感情論にしかならない」

 と言う。また首相の言葉遣いに、

 「単純で粗雑で荒っぽい普段着の言葉が極限まで行った例でしょう。そういう人が首相になる国になったと言うことですよ。日本が」

 と、それを日本社会の危機的状況ととらえ、その背景については、「書き言葉に親しまなくなった」ことをあげている。(引用は朝日新聞 03年7月24日付)

 2500年ほど遡ろう。子路に「現代の政治家」を問われた孔子は「器量の小さい者ばかりで、とても問題にならないよ」(「論語」貝塚茂樹訳、以下同じ)と答えているが、この問答は、子路が「士」について問い、孔子が「己を行うに恥有り」をまずあげたのに始まる。つまり大昔から、政治家に恥知らずが少なくなかったということである。

 むろん日本も例外ではない。明治23年に第一回の総選挙が行われた時、中江兆民は大阪から立候補して当選し、11月に開会された帝国議会に臨んだ。この議会では政府提出の予算案に対して、議会側は二度も否決して削減案を提出しながら、政府側の切り崩しにあって三度目には政府案を可決してしまった。兆民は主筆をしていた「立憲自由新聞」で、議会を「無血虫の陳列場」と切り捨て、「已みなん、已みなん」と議員を辞職してしまった。「無血虫」は冷酷な、恥知らずな人間を罵る語である。

 第一議会からしてこのていたらくだから、帝国議会であろうと民主国会であろうと、議員=政治家なるものに全幅の信を置くことはできないのだが、かといって兆民のように「已みなん、已みなん」と退くわけにもいかない。なにしろ長い間多くの人から、それがたとえ習慣的呼び名にすぎなかったにせよ、私は「先生」と呼ばれつづけてきたのだから、「師子」は獅子、「師子奮迅」の働きをしなければすむまい。

 そこで又、孔子の言を聴こう。

 「温故而知新、可以為師矣」(ふるきをあたためてあたらしきをしる、もってしとなすべし。煮つめてとっておいたスープを、もう一度あたためて飲むように、過去の伝統を、もう一度考え直して新しい意味を知る、そんなことができる人にしてはじめて他人の師となることができるのだ)

 ゆっくり温め、少しさまして、味わいを確かめながら飲むように、新しさについては、連続と変容の関わりに思いをひそめながら考える。その上で少しずつ伝えていく。「教育」の働きというのはそうしたものだ。「教育は百年の計」と昔から言いならわされてきた。「それ行けドンドン」で百年が計られるか。区をあげて、市をあげて、県をあげて、国をあげて「効率」を称え、「比較」を広言し、「順列」の公表を計り、それ等をこそ教育の「活性化」とする、その狂奔の態はあまりに見苦しい。「教」は「狂」に無く「常」にのみある。

 最近、12才の少年の事件に触れて、防災担当という大臣が、「親は市中引き回しのうえ打ち首にすればいい」と発言したことに対して、これを思考能力欠如の「感情論」の一例とした高村さんは「これを言うことが大変に教育的配慮を欠いたひどく極端な意見であるといった自制が働かない」と批判した。「防災担当」が「災害」をふりまくこの様を、現代のカリカチュアと苦笑いして見過ごすわけにはくまい。

 兆民は、「考えることの嫌いな国民」について筆を費やしたのち、「新聞記者の口吻もて言えば」と、次のように書く。

 「わが邦には口の人、手の人多くして脳の人寡し。明治中興の初より口の人と手の人と相共に蠢動して、そのいはゆる進取の業を開張し来れることここに三十余年にして、首尾能く今日の腐敗堕落の一社会を建成せり」

いま私によぎる思いは、この文章の明治中興を「民主国家創成」と、三十余年を「五十余年」と置きかえた時のなんとも言えぬ口惜しさだ。兆民はこの一節を「わが日本人民何の天に罪かある」と、長く封建制度の下で抑圧されていた人民を思う言葉で結んだが、現代は民主国日本だから「人民」もまた罪を負わねばならないだろう。

「師」たちよ、腹を決め、腰を据え、憂いを湛えるまなざしの真摯な人として、「弟子」たちに真っ向から向かってよ、と願うや切。