所員レポート
 フリーターは何を告げているのか?
意識調査から見たフリーター像

                                        本 間 正 吾

 毎年多くの高校生が進路未定のまま卒業していく。 進路の見通しがつかないままで社会にでていくのは、 さぞや不安だろうと思う。 だが、 そんな心配をよそに、 彼らは意外に明るく社会に出ていく。 彼らはどう考えているのか。 いくつかの調査データを追いながら、 彼らが何を考えているのかを探ってみたい。

1.「フリーター希望者」 はいるのか?

 フリーター生活をおくっている若者の多くは正社員になることを拒否しているわけではない。 まず次のグラフを見ていただきたい(1)。
 いま正社員になっている者と比較すれば 1 割ほど数値が下がる。 とはいえ、 フリーター生活を送っている者の 7 割以上が、 もともとは正社員になることを希望していたのである。 「フリーター希望者」 という言い方は、 この調査結果を見る限り、 適切な言い方ではないだろう。 フリーターを 「希望」 する者など、 実際にはほんのわずかしか存在しないのだから。
 正規に就職することを希望しながら、 なぜ彼らはその道をあきらめたのか。 答えはかんたんである。 就職先がないのである。 高校段階で見るならば、 就職希望者に対する求人数の割合 (求人倍率) は02年1.26倍、 03年1.21倍にすぎない(2)。 現在の雇用状況は深刻である。 そもそもこの数値は平均にすぎない。 地域によってはこんなものではすまないところもある。 学校による格差も大きい。 学校間の格差は、 「実績」 のある企業、 これまで卒業生を送り出している企業をどれだけ持っているかに左右される(3)。 それほど 「伝統」 のない学校にとっては、 生徒の就職先の確保は、 好況下であってもエネルギーを要する仕事であった。 神奈川でも就職希望者の多い普通科高校のほとんどは新設校である。 不況に入るとともに、 学校間の格差がさらに開いていることが予想できる。 だが、 もっと深刻なのは、 この求人倍率が就職を早々とあきらめた生徒の存在によって確保されている数字だということである。 彼らが就職試験をあきらめることなく、 「就職希望者」 として残っていれば、 求人倍率は 1 倍をかんたんに割っていたはずである。 求人倍率の1.21倍という数字は、 多くの生徒が 「就職希望者」 から脱落した結果、 かろうじて保たれている数字に過ぎない。
 なぜ彼らは早々と就職をあきらめたのか。 この答えもかんたんである。 この厳しい状況で就職するためにはそれなりの条件が必要である。 無事に就職するためには高校時代の成績がよくなければならない。 欠席が少なければ少ないほど就職活動には有利である。 逆に欠席が多いことは、 就職活動においては決定的に不利に作用する。 だから、 担任も 「欠席すると後で困るよ」 と生徒にうるさく言うことになる。 それにもかかわらず欠席の数は増え、 やがて担任は 「これ以上は増やさないように」 と優しく言い換えるようになる。 それでも欠席は増えつづけ、 挑戦する前に就職をあきらめる。 そして言う。 「どうせ無理だ」 「フリーターでいい」 と。 担任は彼らの頑固さの前にため息をつくことになる。 端から見るならば、 彼らは意志強固な 「フリーター希望者」 に見える。 これが 「フリーター希望者」 発生の経緯である。
 では、 なぜ彼らは他の進路を選ばなかったのか。 これも答えを見つけるのに手間はない。 進学するためには入学金や授業料を払うだけの経済的余裕がなければならない。 大学であろうが専門学校であろうが、 かんたんに支払える金額ではない。 支払うことが不可能と思えば、 最初から進学をあきらめることになる。 そこまで深刻な状況でなくとも、 余裕をもって支払えるとはいえない場合が多い。 その場合には、 多くの親は 「本人が望むなら進学させたい」 と言う。 しかし、 子どもの立場からすれば 「それではがんばる」 とかんたんに答えるわけにはいかない。 進学した後について自信がもてないのである。 もし、 自信がもてるならば、 借金をしてでも進学するだろう。 親もそのための協力を惜しまないだろう。 しかし、 自信がもてない生徒にとって、 経済的なハードルは越えがたいものになる。 「学力」 と 「経済力」 の関係のなかで、 進学の断念はおこる。
 もちろんこうした事態に陥ったのは、 本人の責任だということもできるかもしれない。 だが、 もともとすべての就職希望者に席が用意されているわけではない。 就職できるかできないかというラインは相対的なものである。 誰かが就職すれば、 誰かが就職できない。 とりあえず進学したところで、 この構造は同じである。 結論を先延ばしするだけである。 そしてまた、 一度どこかでつまずいた者にとり、 「休まず学校に来なさい」 「よい成績をとりなさい」 という勧めに応えることは、 言う側が思うほどかんたんなことではないのである。
 こうしてフリーターの大群が発生する。 就職を希望しながらも早々と就職戦線から離脱した者、 就職戦線にとどまりながらも希望をかなえられなかった者、 いずれにせよ就職への未練を残しながらフリーターとなった者たち。 これが現在のフリーターの大多数の実状である。

2. フリーターは親に甘えているのか?
 さてフリーターになってからの彼らの意識に目を向けてみる。 ここから先は、 千葉県で行われた調査の結果を見ながらすすめたい(4)。 この調査はフリーター100人を対象におこなった詳細な調査であり、 彼らの生活や考え方を知る上で分かりやすいものでもあると思う。
 フリーター増加の背景に、 家庭の余裕、 家庭の甘さとの関係を指摘する人がいる。 そのあたりはどうなのだろう。 次のグラフを見て分かるとおり、 たしかにフリーターの多くは親と同居している。
 この調査の対象となったフリーターのほぼ 9 割が20才以上である。 20才をすぎても大半が親と同居している。 親に甘えていると言われるのももっともである。 だが、 家庭に余裕があるから親と同居する結果になったとは言えない。 彼らの多くは、 自分の家庭が 「豊かでない」 と感じているのである。  もちろんフリーターではない者も含めて比較した調査ではない。 また具体的な家計調査をしているわけでもない。 あくまで感じ方を聞いているにすぎない。 とはいえ、 意識において、 彼らの多くが家庭の豊かさを感じていないことはたしかである。 そして、 図 4 に見るとおり、 彼らのほとんどが家庭からの経済的援助を受けていないことからも、 この意識は裏付けられるだろう。 もちろん親と同居していることにより、 水道、 電気代の負担はないだろう。 あるいは食費も浮くかもしれない。 だが、 かなりの割合のフリーター (36%) は、 ある程度の金銭、 多い者は 5 万円以上を親に渡しているのである (親に金銭を渡している中の約 2 割)。
 もっとも、 彼らが正規に就職していたとしても、 アパートを借りて暮らすことは難しかっただろう。 おそらく寮にでも入らない限り、 親と同居することになるのもやむを得ないだろう。 親と同居せざるを得なくなる状況は、 フリーターであろうがなかろうが、 たいしてかわりはない。 また、 彼らを家から追い出さない親の責任を問うこともできないだろう。 親と同居でもしなければ彼らの生活は成り立たないのだから。
 ただ、 フリーター生活を送る者が、 そうでない者よりも親に甘えているわけではないことだけは、 言ってもよいだろう。 別の調査でも、 「(独り立ちした方がよい時期について) むしろフリーターの方が若い時点をあげている。 フリーターに親への依存傾向が強いとはいいがたい」 という結果がでているのである(5)。
 
3. フリーターは働くことが嫌いなのか?

 フリーターとよばれる若者たちの勤労意欲を問題にする人もいる。 だが、 街中で見かけるフリーターはこの国のサービス産業を支えている。 あるいはメーカーの工場、 建設業の作業現場の労働力としても重要な役割をはたしつつある。 インターネットでそうした募集を検索することは容易である。 もしかしたらこの国の経済は、 もはやフリーターなしには成り立たなくなっているのかもしれない。
 では、 彼らは割に合わない仕事を厭っているのか。 そうでもないだろう。 彼らが働いている職場の勤務条件はむしろめぐまれていない場合が多い。 時給も上昇せず、 最低賃金すれすれのケースも多い。 勤務時間が深夜に及ぶこともある。 あるいは単調で気苦労の多い仕事も彼らが担っている。 千葉県のこの調査では、 フリーターが現在従事している業務のトップは男女ともテレフォンアポインターであった (18%)。
 彼らはどれほどの時間働いているのだろう。 図 5 と図 6 は、 フリーターに 「最近 3 ヶ月間の平均出勤日数と労働時間」 を聞いたものである。 日数で言えば大半が 5 日以上の出勤、 時間数で言えば大半が 8 時間以上の勤務である。 日数と時間数の相関関係については分からない。 しかし、 「片手間仕事」 とはいえないほど働いていることは確認できるだろう。 フリー・アルバイターという言葉が適切かどうかもわからない。 それほど、 彼らは 「普通に」 働いている。
 じっさいこれぐらいの時間働かなければ、 まとまった収入を得ることは難しいだろう。 スキルの向上とそれに伴う賃金の上昇がないフリーターにとって、 最低賃金の額が収入に大きな影響を与えるはずである。 最低賃金の額について、 橘木俊昭は近著の中で日本の 過 酷な 状 況 をあきらかにしている(6)。 それによると、 日本の最低賃金は先進国中で最低ランクに位置する。 金額において日本は比較九カ国の中で下から三番目 (最高位のベルギーのほぼ半額)、 フルタイム雇用者の賃金の中位に対する比率では九カ国中で最低の31%である。 しかも、 その最低賃金よりも下の賃金しか受け取っていない人が10%を占めている。 この数値において日本の下になるのは、 12%を占めるフランスである。 だがフランスの最低賃金はフルタイム雇用者の賃金中位の57%と日本の倍近い数値になっている。 賃金の下限を定めた最低賃金が低く抑えられ、 しかもザル法状態になっている国は、 フリーターにとってもっとも住み難い国と言ってよいだろう。 この意味で日本はフリーターを 「甘やかしている」 国ではない。
 
4. フリーターはいまの生活をどう思っているのか?

 ここまでのところから、 フリーター生活をおくる若者の多くについて、 こんな姿が浮かび上がってくるのではないだろうか。  もともと正規に就職したいと願っていたが、 その願いをかなえることができなかった。 親から自立したいとも思うが、 親元を離れるだけの収入をえることもできない。 そして片手間とは言えないほどの時間働いている、 あるいは働かざるをえない。
 では、 今の生活と正規に就職した場合を比較して、 彼らはどう考えているのか。 「フリーターとして感じたこと」 を聞いたグラフを見ていただきたい。 もちろん 「将来に不安を感じた」、 「収入も少ない」 と考えている者が多い。 ところが、 正規に就職した場合よりも 「いろいろな経験をすることができた」 と考えている者、 「自由な時間が持てた」 と思っている者も多い。
 さらに同じ調査で 「現在フリーターをしている理由」 を聞いた項目もある。 そこでは、 「仕事以外にしたいことがあるので」 「自由な働き方をしたかったから」 という回答が 1 、 2 位 (30%と21%) をしめている。 そして、 「仕事以外にしたいこと」 を聞くと、 1 位には 「趣味」 (56.7%) を、 2 位には 「ボランティア活動」 (33.3%) をあげている。
 フリーターであることにより、 趣味やボランティア活動につかう時間ももてた。 それが事実かどうかは別として、 少なくとも意識の上では彼らはそう思っている。 反対に言えば、 正規に就職してしまえば、 趣味やボランティア活動に費やす時間を持つことはできなくなる。 彼らはそう思っている。 この彼らの思いこみを、 「誤解」 といって片付けることができるだろうか。
 次ページの表はヨーロッパ諸国と日本を比較したものである(7)。 日本のフルタイム雇用者とパートタイム雇用者の総労働時間の差が、 ヨーロッパ諸国に比べて大きいことが見て取れるだろう。 とくに日本の男性フルタイム雇用者の勤務時間は長い。 一日あたりの労働時間は、 5 日制として10時間を超える。 しかもこれは平均である。 週あたり60時間以上の過酷な勤務をしている雇用者の数が増加している事態も指摘されている(8)。 5 日制ならば 1 日12時間以上という勤務に、 通勤時間が加わる。 家にいるのは10時間以下になってしまうだろう。 これでは趣味やボランティア活動に時間を使う余裕などあるはずもない。 フリーターの認識を 「誤解」 だと言って片付けるわけにはいかないだろう。 フリーターにとって住みにくい国は、 じつは正規に就職した者に対しても過酷な生活を強いる国なのである。

おわりに

 こんな考え方をしているフリーターに対し、 世の中そんなに都合よくできているわけではない、 趣味や自由な時間よりも我慢して働くことが必要だ、 と諭したくなる人もいるかもしれない。 もちろんフリーターの多くも仕事の大切さを認めている。 彼らも 「生活を維持するため」 に働かなければならないことは分かっている。 同じ調査で 「労働観」 を聞いたところ、 91%が 「生活を維持するため」 と答えている。 だからいずれは 「定職」 につこうとも思っている。 じっさい 「今の働き方からは変わっていたい」 と80%が答えているのである。
私もフリーターの生き方をとくに勧めているわけではない。 また、 フリーターになっていく者たちをそのまま送り出すべきだとも思わない。 むしろ、 こんな厳しい時代だからこそ、 フリーターになっていく者たちも、 正規に就職出来る可能性があるかぎり、 就職活動に挑戦すべきだとも思っている。
 しかし、 ここまで見てきたフリーターの考え方を不健全と言うこともできないと思う。 趣味を大切に考え、 自分にあった仕事を見つけたいと考え、 そのために自由な時間が欲しいと願う。 そして生活のために働かなければならないとも言う。 当たり前といえば当たり前な考え方である。 他方には、 趣味を犠牲にし、 不満があろうともひたすら我慢して働く人々がいる。 どちらが健全な考え方だといえるのだろう。
 高校においてキャリア教育、 一般的な職業・労働教育が必要だという提起がある。 昨年11月におこなわれた当研究所のシンポジウムにおいても、 シンポジストからその提起があった。 私もそれに同意する(9)。 しかし、 そうした教育が対象とすべきなのはフリーターになっていく生徒たちだろうか。 むしろ高校を卒業したら、 あるいはその上の学校を卒業したら、 すぐに就職する者たち、 学校から学校へ、 そして職場へと、 組織が切れ目なくつづく中にいる者にこそ、 職業・労働について考える機会が必要ではないだろうか。 仕事のために、 自分の生活も、 自分のやりたいこともすべて犠牲にする。 自由な時間もなく、 趣味に費やす時間もなく働き、 その挙げ句、 他人の仕事まで奪ってしまう。 そんな生活とは違った道を考えること、 これがすべての人間にとって必要なのではないだろうか。 もしかしたら、 これまで職業・労働について学ぶ機会、 考える機会をつくってこなかったことが、 今日の社会の困難な問題を引き起こす結果になっているのかもしれない。 これからの教育に切実に求められるものがここにあるように思う。

  【註】
(1) 内閣府 平成15年版 「国民生活白書」 所収の第2 − 3 − 4 図を使用
(2) 同上 第 2 − 1 − 2 図より
(3) 小杉礼子  『フリーターという生き方』  剄草書房 2003年 P.27
 小杉氏は、 実績企業 (過去10年間に卒業生が数名以上就職している企業) が多い学校ほど、 内定獲得率が高くなる傾向を指摘している。
(4) 千葉県商工労働部雇用労働課 「千葉県労働関係特別調査報告」 第 1 章 8 「フリーターの実態」 これは2002年 7 月から2003年 3 月にかけて、 フリーター100人を対象にした、 聞き取りとアンケートによる調査の報告である。
本稿の第 2 図より第 7 図までは、 この調査報告より作成したグラフである。
(5) 労働研究機構  『大都市の若者の就業行動と意識』 調査研究報告 No.146 2001年 P.62
(6) 橘木俊昭  『家計に見る日本経済』  岩波書店 2004年 P.124 
(7) 小杉礼子 前掲書 P.117
 この表にみるとおり、 男性におけるフルタイム雇用者とパートタイム雇用者の賃金格差は、 ヨーロッパ諸国で大きく、 日本では小さくなっている。 この現象を小杉氏は次のように分析している。 「 (ヨーロッパ諸国の) パートタイムや有期限での専門職は、 『期限に定めのないフルタイム』 専門職へのトレーニングという意味合いがあって、 それゆえに年収レベルに差があるのかもしれない。 あるいは、 日本の場合、 フルタイムの雇用者の総労働時間数が特に長く、 週52時間にも達している。 この長さがフルタイム雇用者の単位時間あたりの年収を引き下げている可能性があり、 そのためにパートタイムや有期限雇用との差が小さく見えているのかもしれない」。
 小杉氏は慎重に分析しているが、 表を見る限り目立つのは、 日本の男性フルタイム雇用者の長時間勤務と女性パートタイム雇用者の低賃金である。
(8) 橘木俊昭 前掲書 P.135
 橘木氏は、 総務省の 「労働力調査年報」 の資料をつかいながら、 とくに30〜44歳の男性雇用者の過重労働の実態を明らかにしている。 しかもこの現象は大企業において顕著にあらわれつつあるのである。
(9) 「フリーターになっていく生徒たちに何が必要か」 『月刊 ホームルーム』 11月号 学事出版 2001年

   
(ほんま しょうご 教育研究所特別研究員)