シンポジウム参加者アンケートの声から
                                       手 島   純

 シンポジウム当日アンケートを実施しましたので、 その結果について簡単に報告させていただきます。 ただし、 当日の参加者が少なく、 回収したアンケート数が21枚であったことをお断りしておきます。

◆ 属 性
 属性については表1〜3の通りで、 男性が多く、 また年齢は40歳台・50歳代が90%を超えた。 職業は高校教職員が多数を占めた。


◆ シンポジウムの感想
 シンポジウムの感想については、 表4の通りで、 「よかった」 「ややよかった」 が多く、 参加者数は少なかったものの、 シンポジウム自体の内容については概ね好評であっ
たと思われる。 アンケート数も少ないので、 それぞれの項目別に理由として書かれたものを拾い上げてみた (要点のみ。 以下同じ)。

  [よかった] 理由
  • 立場の異なる視点から話を聞くことができ、 私自身の捉え方を少し広げることができたと思う。
  • 今すすめられている高校改革について、 その内容の一端について知ることができた。
  • 問題点を知ることができた。
  • もやもやしていた問題認識が自分の中で少し整理された。
  • 長後の改革に興味がある。
  • 論点がはっきりした議論だった。
  • 広田さんのレジュメの結語に感銘を受けた。
  • 公立学校の役割について改めて考える機会を得た。


  [ややよかった] 理由
  • 職場だけでは聞けない視点の話を聞けた。
  • 財政・権力の意向への批判的視点に乏しい。
  • 議論の切り口をある程度整理できたと思う。
  • 色々な考え方が聞けてよかったが、 自分で考えなければいけない点が少し理解できた。
  • 犯罪防止の受け皿としての学校のあり方とか、 企業の研修のスリム化とか雇用形態の変化とかに関わる高校改革の話はおもしろかったし、 もう少し広げたほしかった。
  • 基礎学力とは何かを考えるキッカケになった。 今、 何を考えるべきかについて考える機会となった。

  [普通] の理由  記述なし

  [やや悪かった] の理由
  • 議題・問題が大きく広いのはわかるが、 論点がわかりにくかった。

◆ 「教育改革」 について
 「教育改革」 の現状、 あるいは将来像についての意見については以下の通りである。
  • 教育が人間 (社会) 形成の役割と競争原理に基づいた成果が求められることは昔も今も変わっていないと思った。
  • 改革することが先行するのではなく、 子どもたちにとって、 どういう形になることがよいのかを考えた改革になってほしいと思った。
  • 生徒を企業化した学校の商品として扱おうとしている。
  • 今職場で接している生徒に授業や生徒指導、 生徒会指導でいっぱいいっぱいで 「教育改革」 とか、 教育の将来像なんていうことなど考えられないのが現実。
  • 現場がつぶれてしまわない様に、 教職員が頑張り周囲が支えないといけない。
  • 私学も含めた将来ビジョンの構築が必要だと思う。 理念なき市場原理ではない公教育の形成が必要です。
  • 混沌としていて将来像についてはわからない。
  • 新しいタイプの高校という言い方は、 新しいタイプの居酒屋というキャッチフレーズとかわらないのでは?
  • 広田さんも書いているが、 改革しなくてもいいものまでどさくさで改革されつつあると思います。 改革すべきことと、 改革不用なものを明確にしていくことが必要な気がする。
  • 公立性あるいは公共性を守る教育改革を構築するのが我々の役目である。 新しい学力観以降、 小学校でも公立性を崩す教育が進んでいる。 低い階層の子ども達が市民として生活できる基盤を学校は担っていかなければならない。
  • 学区撤廃による県立高校の序列化、 そしてその中位〜下位における高校のあり方 (そこにいる生徒に対するいわゆる後期中等教育をさずけることを含めて) がどうなるかがとても不安だ。 高校とは15〜18歳までの子どものたんなる居場所にすぎないかもしれない。 そこで飽きさせないように何を教えるかに変わっていくと思う。
  • 子ども達に必要と思われるものを自信をもって教える。 各教員が自分がよいと感じることを生徒に向かって発信する。 効率をあまり求めない方がよい。

◆ まとめ
 シンポジウムはその性格上、 どうしても論点が拡散してしまう傾向にあるが、 今回はそのことに留意したコーディネーターの進行もあって、 参加者に問題点や論点の整理のサポートができたのではないかと思われる (それでも 「論点がわかりにくかった」 という意見はあったが)。
 教育改革については、 学校現場の教員からはあまり 「歓迎」 されていないことが分かる。 なぜ歓迎されないかの分析が求められよう。
   
(てしま じゅん 教育研究所員))