スペイン・イタリアの
教育事情見聞記

≫ 学校評議会を中心に ≪

                                       黒 沢 惟 昭

◆はじめに
 昨年 (03年) 3 月下旬、 教育総研主催の海外視察の旅に団長としてスペイン・イタリアの各地を巡った。
 ところで今回の視察は、 周知のような米英軍によるイラク侵攻と重った。 まさに出発の日 (20日) が爆撃の日になったのである。 経由地のローマから 4 時間程で、 私にとっては初めての国スペイン、 そして初めての都市マドリッドに到着。 乗機が高度を下げ始めた頃、 金色に輝く眼下のマドリッドの夜景に思わず歓声をあげた。 イタリアもそうだったが、 入国はまったくかんたんで、 入国手続きをしたのかどうかも意識しない中に、 迎えのバスに乗り込んだ。 ここまでは戦争の影響はなかった。 しかし、 地上では激しいデモがつづいていた。 私たちのバスもしばしば停止、 迂回を余儀なくされた。 虹色の中に 「PAZ(平和)」 と記された大小の旗が街の至るところに見られた。 後に訪問したイタリアでも文字が 「PACE」 に変わっていたが、 ミラノをはじめイタリア各地のビルやタクシーに掲げられていた。
 さらに驚いたことは、 最初に訪問したマドリッド郊外の公立学校の正面に 「戦争を始めるのは易しいが、 平和を維持することは難しい」 と大書きされた垂れ幕が掲げられていた。 校内にはいると、 子どもたちに囲まれて校長が出迎えてくれた。 「開戦」 という機会を活用して、 いまちょうど平和学習を始めたところだという。 案内された教室では二人の教師が共同で授業をしていた。 通訳によると、 平和の尊さを学習中のようだった。 詳細は理解できなかったが、 さしずめ日本で言えば、 戦争という機会をとらえ、 平和をテーマにしたティームティーチングによる総合学習と言うことであったと思う。 同じ時に、 日本の公立学校でこのような光景が見られたであろうか。 平和憲法下の日本で。 私は寡聞にして聞いていない。 もし実施すれば恐らく 「偏向教育」 などという的外れの批判が起こったのではないか。 このことに想いが至り、 複雑な感慨に襲われた。
 念のために言えば、 その時のスペインは米英軍を積極的に支持した保守党 (国民党) の政権だった (最近当時の野党社会労働党に政権が替わった)。 時の政府の決定とは反対の意思を公立校が表明し、 臨機に授業に組み込める理由の一つは、 学校の自治の確立であり、 それを保障する背景には様々なものがあるだろうが、 要石としてこれから説明する 「学校評議会」 の活動があると思う。

◆スペイン
 ヨーロッパの多くの国でつくられている学校評議会は、 教員と保護者による学校運営のための委員会である。 日本でもいくつかの地域で類似の組織が作られてきた。 とくに1990年から川崎市でつくられた 「地域教育会議」 には私も専門委員として創設にかかわったが、 その時モデルにしたのがイタリアの学校評議会であった。 しかし、 日本でつくられた学校評議会は、 イタリアやスペインと違って議決権がみとめられるような機関ではない。
 スペインで訪問した学校は郊外の新興住宅地にあり、 子どもの数が250人ほどの小中併設校であった。 教員との交流の場は小学校であったが、 まず驚いたのは校長が教員の選挙によって選ばれ、 一定の講習の後に就任するという制度である。 任期は 4 年から12年が限度で、 その間、 学校規模によって 2 〜 7 万円程度、 給与が上乗せとなる。 校長は赴任すると教務担当と事務の責任者を教員の中から任命し、 これら三役が学校運営の執行部となる。 校長は資格試験の合格者の中から任命される。 この学校の校長は30代と思われる女性教員であった。 これもまた日本では考えられない。 後述するイタリアに比べてもスペインの学校はより民主化が進んでいるのではないかと思う。
 スペインの学校評議会はまさにこの 「学校の民主化」 を目指し、 70年代後半、 現在の野党 (訪問時) である左派の社会労働党の政権時代に教員組合とほかの労働組合が力を合わせて創設したものである。
 評議会のメンバーは校長のほか教員、 保護者各 5 人に行政側の代表 1 人であるが、 中学校以上ではこれに生徒代表 2 人が加わる。 教員は 1 年ごと、 保護者は 2 年ごとに選挙で選ばれる。 審議の大枠は国の法律によって定められているが、 各学校の予算、 カリキュラム、 校外活動などが主なものである。 各学校の評議会をベースに、 市、 州、 国段階の学校評議会がある。 肝心の評議会の財政の詳細については聞き漏らしてしまったが、 与党 (訪問時) の国民党はこの制度に反対で、 廃止のための立法化も進めていた。 そのためもあって、 予算削減の傾向にあるという。
 評議会は年 5 回以上開催されるが、 相当に時間と労力を費やす割には手当が十分でなく、 やる気をなくしている評議員も多いという。 この結果低迷している評議会もあるとの説明だった。
 しかし、 さまざまな課題を抱えつつも、 学校民主化のために評議会制度は必要だと多くの教員が強調していた。
 今回の政権交替によって、 学校評議会活動は再び盛り上がりを見せているのではないか。 またそのことを祈っている次第である。 以上が学校評議会を中心とするスペインの教育事情の見聞である。
  (視察の執筆分担は、 スペインについては小澤さん、 イタリアについては私であったので、 スペインの教育事情の全体については、 総研の 「報告書」 の小澤さんの論稿を参照されたい。 ここでは学校評議会を中心に見聞を綴るにとどめた。)

◆イタリア
 三日間のスペインの研修を終えて、 私たちは第二の研修の地北イタリアへ向かい、 ミラノに宿をとった。 以下にその見聞記を綴るが、 イタリアの執筆は私であった関係もあり、 学校評議会以外の興味深い事情についても触れる。
 翌日訪問した学校はミラノ市内の比較的中国人の多いといわれる地区の小中併設校である。 ここはイタリアには多い数校の連携校 (チルクロという) であり、 訪問先の女性校長はそれらの学校の校長も兼ねている。 各校の児童の増減に応じて、 チルクロ内の教員が勤務先を移動するとのこと。 これは日本でも試みてよいおもしろい制度ではないか。
 校長、 副校長、 そのほか集まってくれた教員が代わる代わる語ってくれた話を系統的に再構成することはできなかったので、 ノートに基き箇条書きに記す。
(1)まず授業がすぐ始まるので先に話をさせてくれといった体育科教師の話。
@体育は必修で、 午前のみ授業のある生徒は週 2 時間で、 午後も授業のある生徒は週 3 時間履修するが、 教師の立場からは毎日 1 時間の時間割り当てが欲しいとのことであった。
A内容としてはミニバレー、 ボーリングが多く、 場所は校外の競技場を利用して実施する。
(2)次いで英語科教師の話。
@ 1 クラスの生徒数は平均18〜21人程度であるが、 外国人居住者が周辺に多くいるので多少の変動がある。
A授業時間数は週30時間コースと36時間コースによって異なり (先の体育教師の午前のみ、 午後までというのもこのコースを指しているようである)、 前者で週 3 時間、 後者で週 5 時間である。
B教員の持ち時間は週18時間であり、 1 時間は国の規準は60分である。 この学校では 1 時間55分で実施し、 残り 5 分をまとめて博物館の見学や、 補習、 希望者対象のラテン語授業に当てている。
(3)校長、 校長代理による全般的な話。
@この学校は 2 つのコース (午前のみ、 午後まで) に分かれてカリキュラムが組まれている。 子どもたちは行事は一緒にやるが授業はすべて分かれて行っている。
A教員二人一組のティームティーチングが行われ、 しかもイタリア語と他教科 (外国語ほか) のクロスカリキュラムも同時に実施されている。
B年に 2 度ほど学内の成果を保護者に伝える会 (日本で言えば 「保護者会」?) が開かれている。
C全教員が参加して、 教育内容、 方法、 時間割などを決める 「教員会議 (日本で言う職員会議)」 が開かれている。 議長は校長である。 教員、 保護者、 子どもの状況をもっともよく把握しているという理由から討論の最終的決定は校長が行うことになっている。
D以上のように校長の権限が強いことが注目されるが、 その資格は次のようである。
 ・大学卒業者で 7 年以上の教員経験・国家レベルの評価試験の合格者 (ただしこの試験は最近は州レベルに移りつつある)。 この試験に合格し、 得点の高い人ほど早く校長になれるが全国各地への転勤もある。
(4)学校評議会
 有名なこの学校評議会について、 今回の海外視察の前に配布された文科省文献による資料にはこう書かれている。 概略は前述したが、 念のために引用しよう。
  「各学校は、 学級、 学年、 学校レベルで評議会を置くことが法令により定められている。 学校評議会は、 教科書採択、 授業時数の延長、 学校行事、 修学旅行や長期休暇中の野外活動等、 成績に関係する事項以外の学校活動のすべてについて、 審議・決定する権限を持つ。 後期中等教育の場合、 学校評議会は、 教員 6 〜 8 名、 教員以外の学校職員 1 〜 2 名、 親の代表 3 〜 4 名、 生徒代表 3 〜 4 名から構成されているが、 中学校の評議会においてもほぼ同様の構成となっている。」
 因みに私たちの訪れた中学校の学校評議会は以下のようである。
@構成は、 教員 8 人、 保護者 8 人、 事務職員 2 人、 これに校長が加わる。
A議長は保護者が務める。
B教員会議で決められた、 教育内容、 方法、 時間などをここで審議し最終的に決定する。 さらに予算もここで決めることも注目される。
(この学校における生徒の参加については遺憾ながら未確認)
(5)通学については原則として、 居住地域の学校に就学するようであるが越境入学も多く、 学校の 「商品化」 (市場化) も進んでいるため、 統廃合も多いとのことである。  
 以上、 箇条書きであるが、 校長、 副校長を主とするヒヤリングの概要である。 この後、 自由に校内の授業を見学。 やはり少人数クラス、 およびティームティーチングのためもあってか各クラスには活気がみなぎり、 教師・生徒の親密度が非常に強い印象を受けた。 私たちも各教室で歓迎され日本の教育について質問を受けた。 ただし、 日本でも (地域、 場所によって差はあるだろうが) さいきんは少子化のために少人数クラスも多く、 大方はこの学校と同じような状況である、 とは同行の小・中学校の教員の感想である。
 校内を一巡すると出口は私たちが先刻校長に迎えられた中学校の入口のちょうど反対側でなんとそこは併設の小学校の入口にあたっていた。 いったん昼食のため校長と別れ、 朝から同行してくれた組合書記とともに、 組合役員との懇談の場に向かった。 そこで教員組合S.N.A.L.S(Sindacato Nazionale Autonomo Lavoratori Scuola) 書記長、 州の教育長ほかとの昼食を兼ねた懇談となった。 以下はそこで得た話。
(1)学校評議会
@構成は、 校長 1 人、 教員 3 人、 保護者 5 人 (高校は 3 人)、 事務職員 1 人、 行政側 (中学校は市、 高校は州) 1 人、 そこに高校の場合には生徒 2 人が加わる。
A会長は保護者から校長に移行しつつある。 これは校長の権限をより強め、 経営者としての自覚をもたせ、 教育の市場化に対処するためだという趣旨のことを教育長が言っていたのが大変印象に残った。
B前述の 「教員会議」 は今後も残るが次第に権限はこの評議会に移譲していくとのことである。
(2)普通高校 (進学校) の中退者が多いので、 義務教育を 2 年延長して、 柔軟に進路変更ができるようにする方針とのことである (ただし法制化の詳細については未確認)。
(3)前述した 「校長代理」 は、 従来は教員の選挙で選ばれたが現在は校長の任命制である。 (イタリアの政権が中道左派から中道右派に移行する中で、 教育の 「市場化」 が推進され、 その文脈で、 「経営者」 としての校長の権限強化が実施されつつあるようである。)
(4)以上の状況に対し、 先の書記長ならびに同席の組合書記は次のような組合の見解を述べた。
@教育の目的としては次のことを期待している。
・自分のことを評価し、 批判できる子どもの育成・よき市民の形成・社会性のある子どもの育成
A組合としては次のような課題の解決のために努力している。
・ 2 年ごとの給与、 4 年ごとの勤務条件の見直し、 改善・授業時間を18時間以下に抑える。 事務職員、 業務員の削減 (リストラ) 阻止・補佐教員の正教員への登用 (従来は行われたが、 現在は停滞している)
(5)ミラノの組合のスタッフは19名、 組合費は給与の0.5%。
(6)組合役員は 5 週間のバカンスをとる。 そのため 8 月は 2 週間、 事務所を閉鎖する。
 さいごに、 私たちが日本の教員 (公務員) はストライキができないというと、 書記長は 「ストを打てない組合なんぞ考えられない!闘え、 闘おう!」 と吠えるように叫んだ。
 懇談後、 私たちは再び午前に訪問した学校へ戻り、 2 〜 3 時間にわたって教育実習生も含む10余人の教員たちと今度はゆったりとした懇談の機会を得た。 件の校長は風邪のためもあって欠席。 参加者は全員女性教員 (因みにこの学校では男性教員は音楽担当の 1 人だけである)。 午前中のヒヤリング、 見学の補足も兼ねたのであるが、 それぞれが思ったことをどんどん語り出すので、 うまく整理できないのが遺憾であるが、 以下メモ風に綴ることにする。
@まず異口同音に述べたことは教員の給料が低いことである。 他の職業との比較ができないので低賃金がどの程度なのか定かではないが、 勤続35年の場合の年収は19,000ユーロ、 2,632,500円。 物価指数が不明なので日本との比較はできないが、 とにかく低いとのこと。 なお、 1 年目の教員の年収は13,000ユーロほどである。 したがって、 初任者と永年勤続者との賃金格差が少ないことも教員たちの不満のもとである (年功序列のないためか)。
Aただし、 低賃金でなぜ教員を続けているのか?という私たちの質問に対しては、 教師が好きだ、 それなりの使命感を持っている、 という答えがほぼ全員からかえってきた。 これに私たちは大いに感動した。 ただし、 給料が上がれば、 誇りはさらに高まることも全員が答えた。
Bなお校長の給与は教員の 2 〜 3 倍らしい (ただし実際には、 教員は校長の給与がいくらなのかあまり知らないとのことである)。
C給与の増額を希望するなら校長になればよいではないか?という質問に対しては全員がたちどころに否定した。
D教員の資質については 「やさしさ」 と同時に 「厳しさ」 が要求されるという答えが多かった。 またこの地区は前述のとおり、 中国人が多いのでイタリアにはない異文化を学校に運んできてくれることは、 大いにうれしいという教員の声も聞かれた。
E学校の予算は、 教育計画を学校から市に提出し、 それに応じて市から予算が配当されるとのことである。
F勤務状況については、 週15時間の授業のほか、 校外活動の指導なども含めて勤務時間の総計は30時間である。 ただし宿題などの点検は教員の仕事外で家庭で親・保護者が行うというのは日本との違いとして注目される。
G 1 年から 2 年への進級時に 1 学級 2 人位の留年 (落第) がある。 実際にはこれまで皆無だが何度でも落第は認められるとのことである。 進級の可否はそのクラスを担当する教員全体の会 (クラス委員会) で決定する。
H退職金は出るが、 年金が一定程度充実しているので額はそれほど多くはない。
I障害児についてであるが、 生徒250人に 1 人の割合で教員補佐がつくことが定められている。 本校は生徒数970人なので 4 人の配置がなければならないが、 「障害」 の度が低いという理由で2.5人しか配置されていない。
J障害児の診断結果を教育委員会に提出するが、 その程度によって 「補助」 の内容が決まる。 18時間すべてにわたって 1 人の補助がつく場合もあれば、 「教室内だけ」 あるいは 「教室外だけ」 という場合もある。 因みに、 本校には 7 人の障害児がいるが、 介護者は市が派遣してくれる。
K外国人の障害者の費用はすべて市が支出してくれる。
 さいごにイタリア滞在とともにしだいに蘇りつつあった貧しいイタリア語を何とか 「再生」 して、 つたないイタリア語でお礼とお別れの挨拶をのべてヒヤリングの時間を終えた。 以上まとまりもなく、 いまにして思えば、 再質問、 確認したい点が多々残るが、 とりあえず概要を記した次第である。
 その後、 私たちはファエンツァという地方の都市の、 同じくチルクロの小学校で障害児教育の現場を見学、 さらにボローニャ大学のクォーモ教授のゼミナールに参加してイタリアの障害児教育の説明も受けたのであったが、 紙幅の制約で割愛せざるをえない。
 以上、 わずかの期間の、 視察と銘打っても実際は垣間見程度にすぎないかもしれない。 しかし、 いま日本に濁流の如く押し寄せるネオリベラリズムによる教育 「改革」 の現状を思うと、 スペイン、 イタリアにおける現状に対するレジスタンスの精神、 そうした土壌のなかで実現されている教育の、 学校の自治への強い意志には深い感動を禁じ得なかった。 前述した川崎の地域教育会議の事例などに学び、 各地に濁流を阻止・逆流させる拠点を構築し、 それをネットワーク化することの必要性をつくづくと思うのである。 不十分なこの見聞記がそのために多少とも役立てば幸いである。

付記 以上の見聞記の成稿にあたっては、 教育総研の 「報告書2003年度」 のほか山梨日々新聞 (03年 4 月12日付)、 神奈川新聞 (04年 9 月 6 日付) への寄稿文を参考にしたので、 それらと重なる部分があることを断っておきたい。 併読していただければ幸いである。


   
(くろさわ のぶあき 教育研究所代表)