危機に瀕する定時制高校
                                       手 島   純

1. はじめに
 神奈川県の定時制高校は危機に瀕している。 この場合の危機とは、 生徒も教員も共に危機的な状況のなかに追い込まれているという意味である。 ここでは、 筆者自身の定時制経験や調査・研究及び最近の聞き取りをもとに定時制高校の現状を紹介し、 神奈川県における定時制高校がかかえる問題を明らかにしたい。
 定時制高校を取り囲む昨今の状況を見ると、 定時制の意義が薄められ、 単に全日制高校の受け皿としての役割だけを押しつけられているのではないかと思うことが多い。 私の危惧の所在はそこにある。 本論でその危惧の中身を明らかにすることで、 定時制高校のありかたや高校再編における定時制の位置づけを考える一助にしていただければと思う。

2. 定時制高校の存在意義
 定時制の生徒をその特徴で分けてみると、 年配者・勤労青少年・高校中退者・不登校経験者・外国人・障害者・低学力者などになる。 学習意欲のレベルでは、 とても熱心に学習をする者から、 まったくやる気のないように思えるものまで、 そのバリエーションは同質的な全日制より幅広い。
かつては勤労青少年が定時制生徒の多くを構成していたが、 日本社会が生産社会から高度消費社会へと変化した1970年ころから (1) 定時制高校は大きく変化した。 いわゆる 「働きながら学ぶ」 生徒を支える制度としての定時制高校の役割は変化した。 それは 「働きながら学ぶ」 かつての勤労青少年が時代とともに減ったからだ。 しかし、 定時制高校は現在ではまた違った役割が生じている。 その部分を簡潔に素描したい。
 小学校や中学校ではほとんど学校に行かず不登校というレッテルがはられた者が、 定時制には休むことなく通うといったことがある。 定時制の雰囲気がいいのだと言う。 全日制になかなか入れない知的障害者が定時制に入学し卒業するというのも少ない例ではない。 学力というのも大切だが、 定時制ではどんな生徒も教育の機会均等から排除しないというまなざしがある。 英語のアルファベットを最後まで書けない生徒が、 基礎から教えてもらう授業のなかで英語の学習をつづける意欲をもったりする。 日本語はどうにか話せても漢字はほとんどお手上げという外国籍の生徒も増えている。 スペイン語・中国語・ベトナム語・タイ語・ポルトガル語など、 定時制ではいろいろな外国語が飛び交う。 家庭の事情などで子どものころに学校へ行けなかった年配者などは、 こちらの頭が下がるほどに学習に熱心である。
 しかし一方、 授業は最低限だけにして、 あとは校内に隠れてたばこを吸っておしゃべりといった生徒は多いし、 授業に出ずに校内でバイクを乗り回したり、 器物を破損することも頻繁にあり、 部外者を連れ込んで問題をおこすこともある。 教師への暴言も少なくはない。 入学してさんざん手をやかせて、 さっと 1 年以内にやめる者も多い。 1 年次における定時制の中退率は高い。
 さらに、 忘れてならないのは階層化の問題である。 日本社会が不平等化しているという社会学者の指摘を待つまでもなく、 定時制高校ではその傾向がはっきり分かる。 家庭的にも経済的にも定時制生徒は非常にきびしい状況におかれている。 授業料をなかなか払ってもらえない家庭へ 「取り立て」 に教員がいくこともある。
 このように定時制高校ではその意義と問題点はかなり極端なかたちで混在し、 いわば清濁あわせ飲む状況での教育活動が行われている。 定時制を 「野戦病院」 にたとえる人もいる。
教員サイドからいうと、 定時制は全日制とは違う雰囲気のなかで、 教員自身も受容的な態度で生徒にかかわってきた。 「全日制のやり方は必ずしも定時制では通用しないよ」 などという言葉がかわされながら、 定時制教育のありかたが議論されるという場が成立していた。 「定時制において、 しばしば聞かされる 『学校の規則があまりきびしくない』 とか、 『教師の面倒見がよい』 といった特徴は、 定時制高校が生徒に対し非常にサポーティブであろうとすることを象徴しているのであろう。 そして定時制の学校世界が、 生徒にプラスの 『学校』 への意味を生成し、 かれらの疎外感を緩和するという重要な機能を果たしていることに、 もっと注目していくべきであろう」 などといった研究者の考察もある (2) 。

3. 定時制教員の疲労と苦悩
 定時制の教員は、 自分がうけてきた高校での教育とはかなり違う定時制の現状に面食らいながらも、 定時制高校の意義をどこか心の片隅にもちながらやってきたといえる。 しかし、 近年そのバランスが崩れ、 教員の疲労が高まり苦悩が深まっているように思える。 以下はこの 1 〜 2 年の間に定時制教員から聞いたことである。
・異動してはじめて行ったクラスでは 「お前だれだよ。 お前なんか知らねえよ」 なんて言われましたよ。 授業が終わると先生たちは疲れてガクーとして帰ってきますよ。 「夏休みが終わると (自分たち教員が) 学校に戻ってこられるかなー」 なんて話しています。
・生徒は授業に出ないで、 校内をバイク乗り回していますよ。 たばこもひどいし、 最近はよくビールの空き缶がころがっていますよ。
・生徒が大変なのは今も昔も変わらないけど、 教員へのしめつけがきびしく、 もうやってられないよ。 今までの勤務条件でどうにか生徒にも対応できたけど、 もう無理ですね。
・同じ学校なのに全日制の職員室にはクーラーがあって定時制にはないんですよ。 あまりの夏の暑さのために全日制は私費で設置したようです。 定時制は私費もないからそんなことできませんよ。
・生徒も大変だし勤務時間前の研修もとれないし、 異動したいんですが、 異動したくても定時制に異動希望する人が急減したから、 出られないんですよ。
 実は、 定時制教員の疲労度がいかに高いかは、 当教育研究所調査にもあらわれていた。 2003年におこなった 『「教育改革期における教員の意識」 調査』 というすでに配布済みの調査がある。 この報告において全日制と定時制という形での比較はしていない。 しかし、 ここでは調査の数字をもとに、 いくつかの項目で全日制 (+通信制) と定時制に分類して比較してみることにした。
 表 (表 1 〜 3 ) を見れば一目瞭然である。 「出勤時刻になると気が重くなる」 「教員をやめたいと思う」 「授業を楽しくやれない」 のどれをとっても、 定時制は全日制 (+通信制) より 「いつも感じる」 ことが多く、 「ときどき感じる」 ということを合わせてもその比率は高い。 これはかなり深刻な数字ではないだろうか。 全日制と定時制が同じ県の教職員である以上、 定時制教員のおかれた状況を改善しないと、 「意識」 の問題だと片づけられないし、 それは生徒に有形無形の影響を及ぼしていくのは必至である。
問題はなぜそういうことになったかである。

4. 疲労と苦悩を後押しするものは何か
 定時制教員の疲労や苦悩は増大し、 定時制生徒のますますの多様化にもうまく対応できなくなっている面もある。 その理由として、 高齢化 (これは定時制に限ったことではない) の問題もあるだろうが、 定時制教員の勤務時間や異動の問題も見逃せない。
 数年前と現在では定時制教員が学校にしばられる時間が全然違う。 会議や特に仕事がなければ、 学校に来るまで図書館等での研修が認められていた。 教材研究などの研修が可能だったのだ。 生徒がいないこともあってはじまりはゆとりがあるが、 帰りは勤務時間を過ぎることがままある。 帰宅は部活指導や生徒指導などで11時を過ぎるということもある (ちなみに私は生徒指導関係で朝 3 時まで職員室にいたこともある)。
 ところが今では、 1 時とか 1 時半からの学校勤務である。 言うまでもなくそれは公務員として 8 時間労働をしなくてはならないというしごく当たり前の 「適用」 だろうが、 実際は学校に行っても生徒がいるわけではないし、 かといって定時制普通教科などでは教科の準備室に机もない。 もともと昼間に定時制職員はいないことで学校の施設は作られている。 それが、 急に 1 時に来なさいといわれても、 じっと職員室に蟄居しているだけになる。 そして、 温暖化の進む今日、 エアコンのない夏の職員室では、 生徒が来る頃にはエネルギーも残りわずかという状況になることも多い。 そもそも同じ 8 時間労働でも、 朝の 8 時半から 5 時の勤務と 1 時半から10時では疲労度が全然違う。 遠距離通勤のため、 昼食も夕食も学校でとらなければならない教員もいる。
 こうした状況におかれている定時制の教員はどうしてもやる気をそがれる。 生徒をささえようとする意欲よりも、 まず、 自分の心身のしんどさに関心が向く。 体調も悪くなる。
以上の状況を改善するため、 少なくとも生徒が来るまでの間の研修を大幅に認め、 教員を学校にしばりつけることをやめるべきではないのだろうか。
 さらに、 一部の学校ではあるが、 他者とうまくコミュニケーションをとることができない教員が集中的に異動させられてきたという事実がある。 筆者自身は 「指導力不足教員」 の認定には反対の立場である。 どんな職場もいろいろな人がいていいと思っている。 しかし、 生徒や教員とコミュニケーションがとれない人や非常識な行為をくり返すような人が集中的に異動させられてきたら、 少ない人数の職場はパンクする。 これは定時制教育に対する差別的な異動である (このことは通信制でも見受けられた)。
 この 2・3 年はまた違った異動の問題が出てきている。 定時制高校への異動希望者が極端に減ってきているのだ。 定時制高校の大変さが他の課程の教員にも伝わってきている。 定時制への異動希望が減っているので、 定時制に希望していない者も異動させられてきている。 それでも教員の定数を確保できないから、 定時制高校から他校に異動した教員枠に臨任や再任用の教員を当てる傾向が強まっている。 非常に大きな問題である。
 この対策として、 定時制高校の経験を 「指定校」 (課題集中校)・養護学校・行政等の経験と同じように、 異動の際に考慮されるべき 1 校分としてカウントし、 異動の際の判断材料にするべきである。

5. 定時制生徒数の増加
 近年の教育改革―学校再編のながれのなかで、 全日制高校はボトムアップしてきたように思う。 ここはきちんと検証なされないとならないが、 なうての課題集中校 (教育困難校) も高校再編に組み込まれ、 生徒たちの実態も変わってきたとの指摘がある。 「今まで来ていた生徒はどこに行ったのだろうか」 とは当該学校の教員の指摘である。 それは一部、 夜間定時制高校に流れたという仮説はなりたたないか。 なぜなら、 『神奈川県の教育統計』 (表 4 ) によると、 全日制で生徒数が減っている状況にあって、 定時制生徒数は増えているからである。
 また、 横浜市では夜間定時制が再編されて朝・昼・夜に学べる 3 部制の横浜総合高校が創立したが、 そこでは倍率が上がり、 いままで夜間定時制に通っていたような生徒層が入れなくなり、 多くの禍根を残したことは記憶に新しい。
 定時制高校の生徒数が増えたことを希望者が増えたからと単純に理解してはならない。 むしろ定時制へ追い込まれる生徒が増えたと考えるべきだ。 高校再編計画と入試制度の矛盾が定時制高校を巻き込みながら、 しかも定時制を犠牲にしながら進展しているということなのではないか。

6. 定時制入試にかかわる問題点
定時制にかかわる大きな問題点に入試制度がある。 全日制高校でも入試に関しては問題が山積みであろうが、 さらに定時制では一線が踏み越えられたともいえる状況にある。
 2004年度から定時制の入試が全日制の入試と同じように前期選抜・後期選抜が実施されることになった。 全日制の多くは後期選抜で入試業務は終了である。 若干の定員割れした学校が 2 次募集 (欠員の充足) を行う。 定時制は欠員が多くの学校で生じるから、 ほとんどの学校で 2 次募集を行うことになる。 多くの定時制高校が 3 回目の入試を行うことになる。
 しかも、 それに加えて今年度は定員を満たしていない定時制高校について 4 月に入試 ( 3 次募集) を行うように県教委から連絡が入った。 計画にはまったくなかった急な話である。 3 月の学年末の忙しい中で、 何ら予定をしていなかった 4 月入試に入試担当者の落胆した表情は記憶に新しい。 実際、 入学式の後に試験を行うことになったが、 こんなことは今までなかった。 まったく計画にもなかった 4 月入試が行われることは前代未聞の事態である。 それは定時制高校を捨て石にして全日制入試の矛盾を隠蔽したとしか思えない施策で、 定時制は混乱した。 結局現場の職員が煩雑な入試業務をこなさなくてはならないのだが、 この責任はだれがとっているのだろうか。

7. 45人学級?
 入試の問題もあり、 ある定時制高校では2004年度に留年生も含めて 1 年のクラスが45人になってしまったという。 定期テストの際などは定時制の生徒の方が全日制より多いので、 机を教室に運び込むという。
 実は、 定時制は35人定員であったが、 2002年度に前述の横浜総合高校の問題もあり40人定員で新入生を募集した (これも計画性がなく、 急な変更であった) 。 そして、 2003年は35人に戻り、 そして2004年は40人なのである。 まさに朝令暮改である。 定時制の場合は留年生 (留年の理由として仕事の都合なども多い) もいて学習を継続する者も多いから、 40人定員だと45人学級のようなことが起きるのである。
 これは生徒にとって学習環境の低下であり、 それは教員のやりにくさに直結するのは目に見えている。 定時制生徒はそれぞれ個性があって、 教師がひとりひとりと向き合わなくてはならない部分が多いので、 一クラス20人以上になると大変であるというのが私の経験である。 45人学級は異常事態であろう。

8. 定時制にかかわる後期再編計画は  どうなるのか
 小規模定時制のよさは生徒の名前と顔をほとんど一致できることである。 中規模の定時制でも全員とはいかないが、 かなりの生徒を認識できる。 こうしたことがあって困難な生徒指導にも耐えられる側面がある。 しかし、 全国的な状況を見ると、 定時制は統廃合されている。 小規模の定時制高校は減らされている。 大規模校の方が選択科目を多様に選べるなどという説明があるのだが、 定時制は小規模点在こそが定時制のいいところを維持できるのである。
  「県立高校改革推進計画 後期実施計画」 (骨子案) において、 「定時制課程・通信制課程の改善として (継続)」 として 「多様な選択科目の設置や単位制の活用などの改善を図ります」 とあるが、 これは結果的には定時制高校の大規模化への道である。 定時制高校の現実をふまえての計画の実施になってほしいと思う。 しかし、 定時制にかかわる後期再編計画の情報はほとんど得られていない実情である。 現場を踏まえない定時制改革は定時制つぶしになる危険性がある。

9. おわりに
  実際に定時制教育にかかわったものとして、 定時制の今後がとても気になっている。 また、 定時制の教員から定時制の惨状を聞くことも多く、 筆を執った。 しかし、 筆者はすでに定時制を異動してしまったので、 できるだけ定時制教員と直接会ったり、 電話で話したりした。 どの場合も今の定時制の大変さが伝わってきた。
本稿が出るころには、 後期再編計画も発表されているだろう。 定時制はどのような形で後期計画に組み込まれるのだろうか。 定時制の意義を充分理解した上での再編計画でなければならない。 選択科目の多様性のみで、 その実、 財政上の問題で定時制を統廃合し、 小規模点在による定時制のよさが失われれば、 そのつけは日本の青少年問題にまで波及することを知らねばならないと思う。 定時制教育における取り組みのなかで、 非行の問題もふくめて、 どんなに多くの青少年を下支えしたか計り知れないからだ。

【註】
(1) 手島純 「高校再編時における定時制高校の課題と展望」 『ねざすNo.26』 で1970年辺りから定時制高校が変貌した様子を記述した。
(2) 片岡栄美 「学校世界とステグィマ」 『関東学院大学文学部紀要』 第59号、 1990年、 76頁。
   
(てしま じゅん 教育研究所員)