寄稿
普通高校における障害のある生徒の受け入れについて
島 村 照 一

はじめに
 前任校栗原高校で2000年 4 月から2003年 3 月まで障害のある生徒が在籍し卒業して行きました。 ことに知的な障害のある生徒が普通高校で高校生活をともにするのは非常な困難をともなうものですが、 意味のあることだと思います。 そもそも社会にはさまざまに多様な人びとが存在するものです。 学校というのは同年齢の仲間を中心として成立しています。 さらに高校は 「うすく輪切られた学力の幅の中」 に位置する生徒たちの集団です。 とは言っても実際に通学している生徒たちが多様な存在であることは、 そうなのですが、 少なくとも障害のある生徒が在籍することはまれでした。 そして今もほとんど制度は整わず、 障害のある生徒の高校入学は現場では日々の多忙さの中に忘れ去られています。
 今から十数年前、 横浜の全同教の大会で講師の日高六郎さんが acceptable な学校という話をされていたのを今でも覚えています。 生徒の受け入れ体制について、 私たちはどうしてもいろいろな理由をあげて、 消極的に対応しがちですが、 そうではなくて、 まず受け入れ、 それから一つ一つ問題解決をしていく姿勢がなくては、 学校は少しも変わらないというのです。 ほぼ同じころのことです、 ある 「課題集中校」 に勤務している方と話をする機会がありましたが、 文字通り難題山積する中で障害のある生徒も受け入れているのだということをうかがいました。 もっと 「上位の」 余裕のある学校が近隣の障害のある生徒を受け入れるべきなのではないかと思って、 その後、 自分の職場の同僚たちと障害のある生徒の受け入れについての学習会をすることになりました。 高校の側にそうした受け皿がないとなかなか障害者が高校に入るというのはむずかしいものです。 まもなくそうした機会が実現しましたが、 私自身は他校へ転勤してしまったため、 体験することはできませんでした。
 私が栗原高校に転勤した 2 年目、 2000年 2 月に 「障害のある志願者の受検方法等申請書」 が当該生徒の出身中学校の校長より提出されました。 「入学者の募集及び選抜実施要領」 の 「X選抜の方法」 の 「7 障害のある受検者についての配慮」 によって、 1 人の女子生徒が受検しました。 選抜の結果、 選考基準に照らして、 合格ライン内にあったので、 合格となり、 入学しました。
 まったく前述した受け皿などない状態での出発でした。 本稿での紙数ではとてもその全体像をお知らせすることは困難ですので、 他校でも参考になるような点を選んでお話をします。

1. 入学後の受け入れ体制の整備
 出身中学校を訪問して、 同校での在学中の様子等について、 情報を収集し、 校務分掌検討委員会において、 教室の配置、 介助者の待機場所で、 当該生徒の休息場所でもある控室が必要なこと、 副担任を 2 名配置して、 そのうち 1 名が保護者との連絡や、 必要な場合に介助員と連携して作業を行なうことになりました。 県教委からは非常勤介助員 1 週間あたり32時間が配当され、 主として勤務される方と補助的に勤務される方の 2 名で担当することになりました。 また実習をともなう教科については、 ティーム・ティーチングで当るため、 非常勤講師を要請したのですが、 初年度は家庭科においてしか実現できませんでした。 校内での基本的な身障者用施設は他校よりは整っており、 体育館身障者用スロープ (1983年)、 エレベーター・スロープ (1993年)、 身障者用便所・階段手摺 (1994年) があったことが幸いしました。
 急ピッチに新学期に向けた受け入れ体制の整備が行なわれましたが、 生徒の状態などについては、 詳細はわからず、 学年を中心にして 「障害のある生徒の受け入れ対策委員会」 (のちE.H.P.委員会) がその後の具体的な対応にあたることになりました。 早速、 入学後すぐに実施される県下一斉テストの扱いについて検討に入らなくてはらならなくなります。 結局、 テストについては、 教室をはなれて、 控室で受験することになりました。

2. 単位認定ついて
 時間がたつにつれて、 発話することもなく、 生活のすべてに介助が必要な生徒であることがしだいに明らかになる中で、 単位認定の方向性を見いださなければならなくなります。 1992年の神奈川県の 「障害児教育あり方研究会」 の報告書なども参考にしてさまざまに検討しました。 単位認定は不可であるとして、 留年させる。 履修のみ認めて、 学年進行する。 また、 単位認定の可能性を探究して、 出席を評価して、 各教科の単位を認定する。 各教科で個別対応授業を行い、 単位認定をする。 体育以外は 「自立支援のための活動」 として単位認定を行なう。 等々、 さまざまな方法は出ましたが、 1 学期段階では職員全体のコンセンサスを獲得するまでにはなりませんでした。
 その後、 第二教育センターへの教育相談 ( 6 月20日)、 高校教育課と障害児教育課からの学校訪問 ( 7 月5日)、 校内での単位認定についてのフリートーキング ( 9 月 5 日)、 専門家により巡回指導 ( 9 月13日) をへて、 結局、 養護学校で行われている教育内容を参考にして単位認定をめざすことになりました。 以下のようなコメントをいただきました。

@ 養護学校では履修のみで卒業が可能であり、 地域に生きていくことが目標であるので原級留置はないということ。
A 保護者はクラスでの授業を望んでいるが、 つねにクラスメートと一緒にする必要はない。
B 養護学校高等部では、 高校に準ずる教育として国語、 社会、 数学、 理科、 音楽等の知的な学習と自立活動を主とした学習があること。
C 体育の個別対応授業では、 主体的な活動ができている。 この時には太鼓をたたく、 輪投げを何回か成功させる、 柔らかなボールを使ったパス、 ストレッチ等を行なった。
D 車イスに 1 日座り続けることは、 本人にとってかなりつらいことである。 せめて休み時間は床でリラックスすることが必要であること。

 こうした結果を参考にして、 12月の職員会議では、
提案 1 .履修により学年進行をさせる。 3 年次に単位認定を行なう。
提案 2 .体育以外の個別対応授業は学校設定教科 (科目) の申請を行なう。
という決定がなされました。
 学校設定科目は、 一方で、 養護学校の経験者の 1 名加配を要求しながら、 つぎのような科目を考えました。
学校設定教科 「社会生活」 の中に以下の科目をおく。


そして、 それぞれの科目の内容は、 養護学校の学習指導要領も参考にして、 次のような内容にしました。

言語表現T
@コミュニケーション
 1. コミュニケーションの基礎的な能力に関すること。
 2. 言語の受容と表出に関すること。
A環境の把握
 1. 保有する感覚の活用に関すること。
 2. 感覚を総合的に活用した周囲の状況の把握に関すること。
 3. 認知や行動の手掛かりとなる概念に関すること。
*言語表現Uは発達に応じて上記の内容より高度なものをめざすものとする。

数理処理T
 @数の概念の獲得をさまざまな教具を用いて行なう。
 A日常の生活の中で数を発見する。
 B長さ・重さ・量などのちがいを理解し生活の中で活用する。
 C図形を理解し、 生活の中で活用する。
*数理処理Uは発達に応じて上記の内容より高度なものをめざすものとする。
課題研究T
@健康の保持
 1. 生活のリズムや生活習慣の形成に関すること。
 2. 健康状態の維持・改善に関すること。
A心理的な安定
 1. 情緒の安定に関すること。
 2. 対人関係の基礎となること。
B身体の動き
 1. 姿勢と運動・動作の基本的技能に関すること。
 2. 日常生活に必要な基本動作に関すること。
*課題研究Uは発達に応じて上記の内容より高度なものをめざすものとする。
 
 このようにして、 個別対応授業を行なうにあたって、 本人の発達・改善の可能性の高い科目を設定し、 あわせて 6 時間の授業でおこる身体的な負担を軽減し、 身体をリラックスさせ、 気分転換させることにしました。 このようにして部分的にではあれ、 単位認定の可能な科目がつくり出されました。

3. 実際の授業では?
 こうした方向性に向かうきっかけになったのは、 1 年次の体育での個別対応授業による成果でした。 栗原高校の 『「障害児教育研究推進事業」 研究報告』 (2001・2002年度、 以下 「研究報告」 と略記) につぎのような体育の担当者の報告がされています。

特に、 クロリティには興味を示し、 自分で輪を持ち、 投げ、 得点できるようになった。 また、 ボール投げ・ボール転がし・キャッチボールにおいては、 各種ボールを使い、 パス (転がし、 はじく、 たたく、 投げる等) の上達が見られ、 対人で簡単なゲームができる可能性がでてきた。 特に、 ソフトバレーボール、 ビーチボールを転がしてパスすることは継続性がでてきた。 また、 ビリヤードボールを転がすゲームにはかなり興味を示した。 今後、 いろいろな工夫をすることにより、 まだまだ可能なボールを使ったゲームができ、 クラスの生徒と一緒にできるようになると思われる。 また、 クラスの生徒と一緒にゲームをすることを目標に風船バレーボールを練習したが、 対人では、 徐々にではあるが、 パスができるようになってきたが、 上記の転がす (平面の動き) のものにくらべ、 空間にある風船については、 多少難しさがあるようである。 今後工夫をすることにより、 ネット越しにゲームができるようになると思われる。

 そして、 ようやく2001年 5 月から非常勤講師による個別対応授業が週 4 日間行なわれることになりました。 「車イスに座っているだけで、 何もできない」 という固定観念がつぎつぎに覆されることになります。

…車イスに座ったまま、 座る位置を前方にずらして浅く座らせ、 「○○、 立つよ」 と言うと (その際、 介助員の親指をそれぞれ握らせる) 両足を床に着けて立とうとする。
移動は床をごろごろ転がって、 目的位置まで行くことができ、 あぐら、 または横座りの形で安定してすわり続けることができる。 うつぶせ、 あおむけ、 横寝、 座位を本人の意のままに変えられる。 時にひざ立ちの形になって立ち上がりたい気持ちをあらわすこともできる。 体は柔らかく、 腹筋力もあり、 手を使わずにあお向けの状態から起き上がることもできる。 頭を打たないように、 自分で浮かして守ることができる。
…音楽にも好みがあり、 テンポの速い曲や 「ダンゴ三兄弟」 や 「ポケモン」 の曲は好きだが、 童謡でもゆっくりしたテンポのものは嫌いである。 人の話し声が好きで、 教室や廊下の生徒の声に耳をすます。 人の声の聞き分けもでき、 自分で知っている体育の先生の放送の声に反応したりする。 BGM的に音楽のある方が眠らず、 表情も生き生きしている。 ……。 (「研究報告書」)

 等々、 教員にとってはさまざまな発見がありました。 通常のクラスでの授業にも表情の変化が表れます。 勢いあまって授業中に机を倒すなどということも起こってきて、 新たな問題になります。 「机はいらないのでは?」 という教師、 机は 「当然、 必要である」 という保護者の思いの間でさまざまな工夫の結果、 2 年次の年度末には、 学校の既存の机・イスを専門家に改造してもらうことになります。
 さまざまな課題をクリアーしてこの年には、 「社会生活」 3 科目の修得がされました。 3 年次の科目の準備がされましたが、 学校設定科目の合計単位数は最大20単位までという制限があるため、 「言語表現U」 ( 4 単位) については、 開講しないことにして、 一般のカリキュラムの中で 4 単位分の個別対応授業をすることになりました。 3 年次のこれらの授業は、 2 年次とはちがって、 担任と副担任で当ることになりました。

4. 最後に
 以上のように体育や 「社会生活」 による個別対応授業を核にして、 卒業時の判定会議は他の生徒とは別に開かれましたが、 担任があっけなく思うほどに短時間で卒業が認定されることになりました。 入学当初には想像がつかないことでした。 毎日、 片道1時間の通学を自家用車で続けられてきた保護者の苦労はいかばかりであったでしょう。 「もっと近くの県立高校が受け入れてくれていたら……」 と私たちも思います。 しかし、 彼女が在学してくれたことで私たちはさまざまの対応を迫られ、 職員の協力体制のもと何とか、 卒業までこぎつけることができました。 同級生たちも彼女の卒業を祝福してくれました。 クラス編成などでは彼女の在籍するクラスを最優先にしていただきました。 学年集団の協力のもと受け入れ体制が整えられました。 クラスの生徒たちは最初戸惑ったにせよ、 じょじょに彼女がいて当たり前と感ずるようになります。 教室の移動の際、 段差のあるところでそばにいる生徒に協力をしてもらって、 車イスを持ち上げてもらうこともありました。 意外に思うような生徒の方がかえって彼女を 「無視する」 ことなく、 対応してくれるものだということも発見でした。 紙数が限られていて、 書き足りないこともありますが、 それは、 前掲した 「研究報告書」 を利用していただければと思います。 形式的に他の生徒と同じ尺度で知的障害のある生徒を扱ったら、 進級・卒業させることはできませんが、 栗原高校で行なわれたことが他校でも活かしていただけたら幸いです。
    
(しまむら てるかず        県立上溝高等学校教員)