ねざす談議(28)
「片影・漱石先生」 (その一)
小 山 文 雄

ここ数年、 しばらくぶりに漱石先生と付き合っている。 それも文豪漱石ならぬ、 門下生との交わりの中の 「先生」 とだ。
  「交わり」 に 「淡きこと水の如し」、 つまりべたつかない君子の交わりがある。 また 「雲霞之交うんかのまじわり」 すなわち俗世間を超越した交友もあれば、 親友の固い交わりに、 二人心を同じくすればその利きこと金を断ち、 同心の言はその香り蘭の如しという 「金蘭之交きんらんのまじわり」 もあり、 互いにおまえ・きさまと呼び合う親しさの 「爾汝之交じじょのまじわり」 もある。 漱石先生を軸とした漱石山房にはそうしたさまざまな交わりがおのずと形作られていた。 羨ましいかぎりだ。
 仏教に 「対機説法」 の教えがある。 ここに 「機」 というのは、 教えを受けそれを吸収して動き始める資性のことだ。 資性、 資質はそれぞれ異るから、 そのそれぞれに適するように教えを説く、 それが対機説法、 つまり 「人にんを見て法を説く」、 むろんそこには状況も加味されよう。 さすがお釈迦さん!そして、 漱石先生もまたその名手だったのだ。 寺田寅彦、 小宮豊隆、 鈴木三重吉、 森田草平から芥川龍之介等に至る門下の面々への手紙を読むと、 つくづくそれを思う。
 それはそれとして、 漱石先生が初めて中等教育に携わった松山中学の校友会雑誌への寄稿に 「愚見数則」 がある。 そこには二十ほどの短文中に 「勿なかれ」 が頻出する。 狐疑する勿れ・躊躇する勿れ・善人許りと思ふ勿れ、 悪人のみと定むる勿れ・人を崇拝する勿れ、 人を軽蔑する勿れ・多勢を恃んで一人を馬鹿にする勿れ・厭味を去れ・小智を用いる勿れ、 権謀を逞ふする勿れ・威張る勿れ、 諂へつらふ勿れ・妄りに人を評する勿れ・欺かれて悪事をなす勿れ、 喰はされて不善を行ふ勿れ。
 ざっとそんなふうだが、 ひるがえって今を思うと、 此等の 「勿れ」 を取り外したところに 「現代」 が浮かび上がってくるようだ。 そこでは混濁と混迷が幅を利かす。 それは次の一節に集約される。
  「損徳と善悪とを混ずる勿れ、 軽薄と淡泊を混ずる勿れ、 真率と浮跳とを混ずる勿れ、 温厚と怯懦とを混ずる勿れ、 磊落と粗暴を混ずる勿れ、 機に臨み変に応じて、 種々の性質を見あらはせ、 一有って二なき者は、 上資にあらず」
 この後段が肝腎要かんじんかなめだ。 漱石先生は単純な徳目主義の形式論には決して陥らない、 なぜなら一有って二有る者だから。 変態百出は文学や思想に止まらない。 世は常に変化の相を伴う。 綾取りの輪が川になり橋になり、 転じて琴にも鼓にもなるように、 変化の相にこそ 「人生」 は浮かび上がる。 それを知りつくせばこそ漱石先生は、 変化を貫くものとして 「理想」 に思いを移す。
  「理想を高くせよ、 敢て野心を大ならしめよとは云はず、 理想なきものゝ言語動作を見よ、 醜陋の極なり、 理想低き者の挙止容儀を観よ、 美なる所なし、 理想は見識より出づ、 見識は学問より生ず、 学問をして人間が上等にならぬ位なら、 初から無学で居る方がよし」
 人間が 「上等」 になることを目指すのが教育の本旨とすれば、 教育を業とする先生は常に自らを 「上等」 に仕立てあげようとする人でなくてはならない。 そしてそこに 「美」 を写し出さなくてはならない。 ああ、 師たるや難し、 だ。
漱石先生は又言う、 世間の通り相場つまり世間一般の評価を目的にして動く者は才子、 人たるの品格の高下を規準として事を行う者は君子、 と。 これを世における栄達という語に添わせれば、 栄達は才子に多い。 しかし 「君子は沈淪 (世に埋もれる) を意とせず」、 ということになり、 そこで生を閉じる。 ここでも又、 師たるや難し、 だ。
 こうした漱石先生について門下生たちは、 その 「高潔」 を軸にこもごも語る。
  「生一本の、 雑り気のない、 純粋な美しい魂」 を称える小宮豊隆は、 師がその魂を護り通すことに 「火のような情熱」 を傾けもしたと言う。 そして、 「あんな暖かな、 あんな親切な、 またあんな他ひとの長所ばかりを見てくれて、 他の短所を取り扱うのに思い遣りのある、 そのくせ自分の愛や親切や意見を、 他に決して押しつけようとはしない、 良い先生はないと思っている」、 とまで言っている。
 また漱石門下随一の科学者であり文人でもあった寺田寅彦も言う。
  「色々な不幸の為に心が重くなったときに、 先生に会って話をして居ると心の重荷がいつの間にか軽くなって居た。 不平や煩悶の為に心の暗くなった時に先生と相対して居ると、 そういう心の黒雲が綺麗に吹き払われ、 新しい気分で自分の仕事に全力を注ぐことが出来た。 先生というものの存在そのものが心の糧となり医薬となるのであった。 こういう不思議な影響は先生の中のどういう処から流れ出すのであったか、 それを分析し得る程に先生を客観する事は問題であり、 又しようとは思わない」
 金蘭之交に寄せて言うなら、 ここにもまさに蘭灯が灯り、 蘭芳が漂う。 改めて師たるは難しと嘆かざるを得ない。
(こやま ふみお 教育研究所共同研究員)

 
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