キーワードで読む戦後教育史 (10)
技高問題 (2)
杉山 宏

(四)
 1960年が激動の一年であったことは、 戦後61年間を通して見ても極めて明らかなところであろう。 しかし、 翌61年も教育界にとっては、 転換期となる年であった。 前号で述べた 「学テ」 施行の年であって、 選別教育への大きな一歩を踏み出した年であった。 また、 従来、 中堅技術者の充足のためとして 「専科大学制度創設」 を主張していた産業界等がその策を変え、 5 年制高等専門学校開設という方策を採り、 戦後教育の基本線であった単線型の学校制度体系が改められることとなった。 短大と併存する形態の高専設置案が出され、 法制化されたのであった。
 61年 3 月13日付 『文部広報』 に、 次の様な 「 5 年制専門教育機関設置要綱案と解説」 という記事が掲載されている。
 本省では、 かねてから現行の短期大学制度とは別に、 中堅技術者を養成するための機関として、 5 年制の高等専門学校を設けることについて検討していたが、 3 月 9 日の中央教育審議会 (会長天野貞祐氏) 総会で、 「 5 年制専門教育機関設置要綱案」 が承認された。 本省では、 さっそくこれに基づいて具体的な立案を進め、 できれば学校教育法の一部改正案として、 今国会に提出する予定である。 この法律が成立すれば、 昭和37年度から新たに中学校卒業を入学資格とする 5 年制の高等専門学校が発足することとなるわけである。
  5 年制専門教育機関設置要綱案
一 専門的能力をもつ職業人を養成するために、 新たに 5 年制の専門教育機関を設けること
二 新たな 5 年制専門教育機関はおおむね次のような制度とすること。
  1. 名称は、 高等専門学校とする。
  2. 専門の学芸に関する教育を施し、  職業に必要な能力を育成することを 目的とする。
  3. 修業年限は 5 年とし、 入学資格は 中学校卒業程度とする。


三 短期大学制度は現行のとおりとすること。
  解 説
  • 高等学校の段階と大学 2 年の段階とを合わせた 5 年制度の教育機関を設けるべきであるということは、 すでに中教審でも種々の観点から審議を行ない、 昭和29年以来 3 度にわたって答申が行われている。
  • 本省では、 これらの答申に基づいて法案を作成し、 すでに 3 回にわたって国会に提出したが、 いずれも審議未了に終わった。
  • 今回本省は、 さきに作成した案に若干の修正を加え、 新しい構想に基づく 5 年制教育機関設置要綱案を作成して、 中教審の審議を求めた。
  • 中教審は、 目下大学制度全般にわたってその改善方策を審議中であるが、 専門的教育機関に対する緊急な社会的要請もあり、 この案件についてだけ大学制度全般についての審議と切り離して結論を出したものである。
  • この案件については、 中教審の第15回特別委員会 (大学制度の目的、 性格を審議するもの) で審議され、 同委員会としてはこのような新しい制度を設けることについては異議がないこととして認め、 9 日の中教審総会でもこれを適当と認めて承認した。

とあり、 中教審も単線型学校体系の見直しの必要性を認めた形になった。 教育刷新委員会の論議段階でも、 高校が 3 年という年数に拘らないことは認めていた、 しかし、 4 年制、 5 年制の学校であっても高校であるとしており、 大学 2 年と高校段階の 3 年と合わせて、 新しい高専と言う学校をつくるということは、 教育刷新審議会 (教育刷新委員会) の後継機関である中教審としては、 自らが造ってきた教育の基本的在り方の大転換であり、 戦後教育の部分否定であった。
 この 5 年制高専は、 6 月17日に 『学校教育法の一部を改正する法律』 (法律第144号) が、 第38国会で成立したことにより実現することになった。 戦後教育の基本であった 6・3・3・4 制の単線型学校制度に、 終止符が打たれた。
 61年 8 月25日に、 日経連・経団連連名の 「技術教育の画期的振興策の確立推進にかんする要望」 が出されたが、 「学校の技術教育施設および設備の拡充、 近代化のために、 国の予算あるいは助成費を大幅に拡大し、 国立、 公立学校の技術教育にかんしては国費、 公費をもって十分な拡充が可能となるよう措置するとともに、 とくに私立大学の技術教育内容の質、 量両面にわたる強化にたいし、 国としても、 各種助成金の大幅増額、 補助対象の拡大、 ならびに融資機関への国庫出資の増大、 寄付への免税措置など一段の助成措置を講ずること」 と、 高校・大学における、 技術教育施設設備拡充等について国に要望している。 また、 高専実現に 「工業高校ならびにこのたび創設された高等専門学校の健全な発展充実のために国として十分な財政措置その他積極的な助成施策を講ずること、 また高等専門学校については、 過渡的措置として、 さし当たって既存の教育制度との関連を考慮して制度の有効な活用をはかり、 すみやかに実効をおさめるようにすべきである。 なお、 事態の緊急性にかんがみ、 産業界としても、 これら政府の施策が確立、 推進されるにおいては、 これにたいして具体的協力をおしまぬ所存であることを申しそえたい」 と、 産業界の要請による中堅技術者養成の教育機関の実現を歓迎すると共に、 協力方を申し出ている。

(五)
  『文部時報』 の60年11月号に、 文部省は学テ実施の根拠として、 「目下政府が立案中である36年度より45年度に至る国民所得倍増長期計画において、 広く人材を開発することを必要としているが、 何よりも、 優れた人材を早期に発見し、 その者に対する適切な教育訓練を施すことがたいせつである。 この見地から、 義務教育の終了期において生徒の能力、 適性を見出し、 その進路を指導していくことが必要である」 という文を載せている。 そして、 学テの具体的な目標として挙げた項目の中に、 「能力、 適性等に応じて進学させ、 教育させるための客観的資料とする」 とも記している。 中学校段階で、 産業界が要求する人的能力別に振り分ける為のテスト施行と、 言えるものであった。
 61年 7 月 7 日の神教組第16回定期大会で、 学テ闘争の方針として、 「差別教育を促進し学校格差を拡大し、 中学校教育を破かいする文部省の一斉学力調査と対決する」 ことを決めている。 一方、 県教委は、 勤評闘争の中で確立された県教委と教組との話し合による解決という形態は、 学テには適さないとしていた。 「学力テスト問題は話し合いの枠外」 である、 という考えが教委内部にあった。 しかし、 神教組は県教委のこの考えを抑え、 7 月16日県教委に、 学テに関する交渉申し入れを行い、 交渉ルールの取り決めを行なった。
 話し合いで解決する方法が学テ問題でも確認された、 と 『神教組四十年史』 は述べている。
 神教組は、 9 月12日の第122回中央委において、 「学力テストのもつテスト性を排除し、 本県独自の完全なる実態調査とし、 文部省の意図を粉砕する」 等の具体的方針を確認した。 神教組はこの中央委の方針に基づき16回の交渉を持ち、 学力調査神奈川方式を作り、 9 月27日に中央委で承認された。
 神教組は、 氏名は記入しない、 指導要録に記入しない、 選抜の資料にはしない、 秘密を守り公表しない、 条件整備に役立てる等の確約で文部省に抵抗した、 としている。
 神教組は10月 5 日に県教委との間に神奈川県学力調査実施事項並びに了解事項の正式調印を行い@、 県下の教職員は挙げて県教委並びに市町村教委に協力することを約束した。 この了解事項によれば、 「問題の選択、 作成は県教委の責任において行なう。 この場合、 本県の実情に即するよう配慮する」 という項があり、 神奈川の学テは、 文部省の一斉学力テストとは一応、 異質なもののように取れる面があった。
 しかし、 日教組は神奈川方式について、 61年10月の第56回中央委において 「神奈川県独自の調査という代案を武器とした闘争戦術は結果的に全国一斉調査日である10月26日に、 文部省の作成した問題を県下ほとんどの中学校において画一的に調査が実施される可能性が極めて強い神奈川教組を批判して、 全国統一闘争への参加を要請した」 にも拘らず、 神奈川等が統一闘争の戦列から離脱したことは批判される、 としていた。
 浜教組は市教委に、 地方教育行政法第54条第 2 項は単に資料 (調査結果) の提出を規程している条項に過ぎず、 調査行為まで規程していないことを確認させ、 教育行政の為の資料なら悉皆の必要はない。 として、 10月21日に 「調査指定校の数は 6 割とする」 等 5 項目の事項を市教委と浜教組の間で確認した。 浜教組は横浜方式と呼んでいる。 浜教組は、 神奈川方式に貫流する 「労使協調」 「協調を通じて繁栄へ」 と言う神教組の指導理念は到底承服出来ないとした態度をとっていた。
 この様に、 神奈川方式、 横浜方式等が承認されて行く機運が神奈川県内にある中で、 前述の如く、 佐々井労働部長が技高新設に当たって 「新らしい後期中等教育の構想を現行法規の中でわれわれ流に実現してみせたものである」 と述べていたのであった。 労働部長の記述ではあったが、 県教委にも県独自の後期中等教育の在り方を探る面があった、 と考えられる。

(六)
 技能教育施設における訓練と高校教育との連携の実現によって、 初級技術者養成機関の一層の充実と共に、 熟練技能者養成機関の具体化を計るような動きが出て来た。
 61年10月31日に、 『学校教育法等の一部を改正する法律』 の改正が行われ、 第45条に第 2 項を加えている。 同条の 2 には 「高等学校の定時制の課程又は通信制の課程に在学する生徒が、 技能教育のための施設で文部大臣の指定するものにおいて教育を受けているときは、 校長は、 文部大臣の定めるところにより、 当該施設における学習を当該高等学校における教科の一部の履修とみなすことができる」 とあり、 高校教育と職業訓練施設との連携への道が法制度上で開かれた。
 62年 3 月31日に 『学校教育法施行令の一部を改正する政令』 が出され、 新たに同施行令に 「第 4 章 技能教育施設の指定」 が加えられて、 法第45条の 2 の規定による指定を受けるために、 技能教育の内容、 教育担当者、 設備及び運営の方法が適性であること等の基準が設けられた。 また、 同日、 文部省令第 8 号として 「技能教育施設の指定等に関する規則」 が定められ、 学校教育法第45条の 2 の規定による文部大臣の指定を受けようとする技能教育のための施設の設置者が提出しなければならない申請書に記載する事項を列記している。 即ち、 技能教育の種類と修業年限及び科目毎の年間の指導時間数、 技能教育を担当する者の数、 技能教育を受ける者の数、 施設及び設備の状況や技能教育を担当する者の数が、 技能教育を受ける者の数を10をもって除して得た数以上であること等であった。
 5 月29日には文部省告示で、 技能教育施設と高等学校が連携することが出来る高等学校の科目が示された。
次いで、 6 月19日には 『学校教育法等の一部を改正する法律、 学校教育法施行令等の一部を改正する政令等の制定につい』 と題した文部省次官通達が出されているが、 「高等学校定時制の課程または通信制の課程と技能教育施設との連携について」 では 「高等学校の定時制の課程または通信制の課程に在学する生徒が、 技能教育のための施設で文部大臣の指定するものにおいて教育を受けているときは、 校長は文部大臣の定めるところにより、 当該施設における学習を当該高等学校の教科の一部の履修とみなすことができることとした」 とあり、 「技能教育施設の指定に関する事項」 に関しては 「指定の基準については、 修業年限が 3 年以上のものであることとするほか、 技能教育のための施設の設置者の資格、 年間の指導時間数、 技能教育を担当する者の資格、 技能教育の内容を定めるとともに技能教育を担当する者の数等の基準については文部省令で定めることとした」 とある。 更に、 「技能教育施設の指定等に関する規則について」 は 「文部大臣は指定技能教育施設ごとに高等学校の校長が教科の一部の履修とみなす措置 (以下 「連携措置」 という) をとることのできる当該施設の科目 (以下 「連携措置に係る科目」 という) を指定し、 当該科目およびこれに対応する校長が連携措置をとることのできる高等学校の科目を官報で告示するものとしたこと (第 6 条第 1 項)」 「連携措置をとろうとする高等学校の校長および指定技能教育施設の設置者は協議して、 あらかじめ連携措置に必要な計画を定めなければならないこととしたこと (第 7 条)」 「高等学校の校長は、 第 7 条の規定による計画にもとづき第 6 条の規定により告示された連携措置に係る科目を学習した生徒の学習の成果が、 当該科目に対応する高等学校の科目の目標に達していると認めるときは、 当該生徒について、 当該高等学校の全課程の修了を認めるに必要な単位数のおおむね三分の一以内で単位の修得を認定することができることとしたこと (第 8 条)」 とある。 この通達でみる限り高校側が主体性をもち、 高校在校生が技能教育施設で教育を受けた場合に関する規定といえる。 学校教育の立場から、 即ち、 後期中等教育の多様化の中で考えている。 しかし、 労働省は 「連携措置は高等学校の職業に関する教科の科目にげんていされ、 社会、 国語、 外国語等の一般学科については行なわれないわけである。 この点も残された問題の一つである」 と述べ、 言外に産業界の要求によって数学、 理科、 工業英語、 社会科、 保健体育などの科目へも拡張する可能性のあることを示し、 より良い熟練技能者養成の立場から考えている。

(七)
 技高の開校日、 63年 4 月を半年後に控えた、 62年の神奈川県議会 9 月定例会で、 知事は追加更正予算案の説明を行い、 文教対策の費用にも触れているが、 技高については言及していない。 質疑応答の中で教育長は 「新設高校 9 校の内 5 校が来年 4 月に開校を予定しており」 「全日制の収容能力はただいまのところ 9 校の新設を入れて…」 と言っていたのであって、 定時制の技高については全く取り上げていない。
 日経連教育部長は 「企業内の職業訓練が既に職業訓練法に準拠して組織的な訓練体系を備えつつあるとき、 別の学校教育体系によって事業内訓練の特色を損なうことがあれば、 まさに二兎を追う愚に等しい」 「技能教育施設を指定するに当り、 その教育編成、 教科内容、 実施計画などを学校式に画一化することのないよう十分に留意すべきである」 といい、 労働省職業訓練局管理課が 「連携措置の実施に当って、 認定職業訓練を行なっている事業所は、 職業訓練本来の目的を損ない、 連携措置によって訓練の水準を低下させることのないよう十分留意しなければならない」 と述べている。 このように職業訓練側からの強い圧力が懸けられており、 学校側の教育現場としての体制が確固としておらない限り、 学校の自主性の確保は容易ではないというべき状態であった。
 9 月20日に、 日本商工会議所は 「工業教育の振興に関する要望」 を政府及び関係機関に提出したが、 「将来初級技術者として第一線に活躍を期待されている工業高等学校における産業教育の振興充実策について、 政府の善処を期待するものであります。 とくに高等学校における工業教育のための機械設備、 施設の現状は、 日進月歩の産業技術の革新に必ずしもこたえておらず、 その重要性が閑却されている」 「産業教育の規模の拡大、 内容の向上とともに、 これを担当する一貫した行政機構を確立する必要があるので、 現在の産業教育行政機構を再編成されたい」 とあり、 教育現場の施設が技術革新に合わせて更新されて行くことは至難なことであり、 これを強く求めれば、 工業高等学校の実習は企業現場を借りなければならなくなり、 その形態は大きく変化せざるを得なくなる。
 同年11月 5 日、 文部省は教育白書 『日本の成長と教育』 において 「教育の拡充を図るための経費は、 生産の上昇を引き起こすための投資とみることができる。 この意味で教育に支出される経費を教育投資と呼び、 その教育投資の蓄積を教育資本とみることができよう。 教育投資は教育を受けた人々の能力という形をとって蓄積されるのであるから、 教育資本は生産に従事する人々によってになわれる資本である」 「教育は消費の性格をもつものではあるが、 同時に投資として重要な意義をもっている。 生産の過程において、 特に技術革新の成果を生産過程におりこんで軌道にのせてゆくための欠くべからざる要素である。 このような時代にあっては、 教育を投資とみる視点が一層重視されなければならない」 と、 中等教育及び高等教育への投資を主張し、 経済発展に占める 「人的能力」 の重要性を強調している。
 投資を 「利益を得る目的で、 事業に資金を投下すること」 と考えれば、 将来の生活水準をより高いものにするために、 教育を受ける側が教育を投資の対象にすることは、 現在の社会機構の下では当然のことと言える面もある。 しかし、 教育を行う側も同じ考えであって良いであろうか。 教育を投資とみる視点でみれば、 また、 「教育」 と 「訓練」 の領域で重なる部分がより多くなるであろう。
 このような産業界や文部省の意見が公表される中、 神奈川県教委は、 12月22日に県立技術高校設置の基本方針を検討していた。 しかし、 12月 3 日から同月14日まで開かれた神奈川県議会12月定例会においては、 知事は追加更正予算に関する説明の中で、 厚木東・磯子工業・相模台工業の各高校について説明しており、 専決処分の中で、 向の岡・小田原城北の両工高に関する件の承認を求めているが、 技高の名称は出て来ない。 教育長の説明に新設校として、 川和・追浜・大和・新城・平塚商の名称が見えるだけであった。

(八)
 63年 1 月14日、 経済審議会人的能力部会が 『経済発展における人的能力開発の課題と対策』 という答申を内閣に行い、 戦後の単線型学校体系の更なる変換を要求している。 同答申は、 能力主義の徹底、 ハイタレント・マンパワーの養成等を提言している。 「第 1 章 人的能力政策の必要性」 は、 「人的能力政策の意義」 「人的能力政策の背景」 の 2 節からなり、 従来は安価な労働力に恵まれていたが、 労働力増加率の鈍化が予想され、 しかも産業構造の高度化は、 労働力の質的向上を強く要請することとなる。 また、 67年〜68年以降若年労働力不足が常態化する可能性が強く、 国際的視野に立って人的能力の養成活用を考えることも必要である、 としている。 「第 2 章 人的能力開発の課題」 は、 「人的能力開発に関する理念の変革」 「人的能力の伸長」 等の節からなり、 従来の先進諸国の模倣技術ではなく、 自主技術確立を可能にするような基礎的能力の涵養が重要であるとし、 「基礎的能力の涵養とは、 現実の問題解決の方法を他に依存しないで自ら考え、 自ら生み出してゆくという態度と能力をつけることである」 と記している。 更に、 わが国では技能労働力の養成コ−スが社会的制度として確立していないという問題があり、 この問題は、 中等教育完成の一環として解決を図るべきものであろうともしている。 「第 3 章 人的能力の基本方向」 は、 「教育訓練の拡充と刷新」 等の節からなり、 「中等教育の改善」 の項では、 「全日制高校については、 産業界の需要の変化と進学者の増加による供給側の条件の変化に即応した改善が必要である。 普通課程については基礎的で平易な一般向きのA類型の教育課程において、 職業科目、 とくに技術革新時代にふさわしい実践的教科の履修を促進する必要があろう。 職業課程については、 工業高校の拡充はいうまでもないが、 とくに基本的な学科である機械、 電気、 化学等に関する学科の拡充が必要である」 と述べた後、 定時制高校については、 健康保持の観点から通学日の一部を昼間通学に移行することが望ましいとしている。 即ち 「現在の形態の高校に進学しなかった青少年を教育するためのつぎのような構想の中等教育の制度が考えられる。 これは一週間のうち何日かの昼間通学を原則とするものであり、 教育内容は一般教養課目と職業教育訓練に関するものとにわけられよう。 そして、 教科は教室で、 実技は現場でという原則の下に、 多様な教育の形態が考えられる」 とし、 そして 「教員、 設備、 教育内容等が一定の基準にあうかぎり、 職業訓練施設、 各種学校、 経営伝習農場等の発展したものにおいて就学することも、 中等教育の一環として認められるべきであろう」 とある。 これは、 中学校卒業者全体の人的能力を活用するために、 経済発展第一主義に後期中等教育を対応させる在り方の提言であって、 学校教育と職業訓練との結合を唱えたものであった。
 神奈川県教委は、 1 月10日から30日にかけて、 技高の教育課程・教員問題の検討を行い、 2 月 7 日に技高構想 (第 1 次案) を文部省中等教育課に提示したが、 学科名及び技高と職業訓練所との関係が問題点とされ、 研究事項となった。 8 日には菅井教育次長が、 技高を設ける予定の平塚、 鶴見、 川崎の各職業訓練所を視察している。
 神奈川県議会 2 月定例会第 1 日目の同月18日、 内山岩太郎知事は、 技高新設に関して 「今回県立職業訓練所 4 ヵ所に技術高等学校を付置し、 1 年間の全日制教育と就職後 3 年間の定時制教育とを結合した新しい教育、 訓練を試みることとしたが、 これは青少年の適性に基づきその負担を軽減しつつ、 技術革新に即応する優秀な技能者への道を開こうとするものである」 と述べているが、 「職業訓練所に技術高等学校を付置し」 の知事の言に技高の置かれるであろう立場が予想された。 同月26日の同県議会において、 土屋利保議員 (自民) は 「県が実施しようとしている技術高校について、 これを高校生急増対策の肩代わりであるとか、 戦前における徒弟制度の復活であるというように考えている者がいるが、 これはどうか。 金持ちの子弟は普通高校へ、 あまり豊かでない家庭では技術高校へという差別教育になりはしないか。 また、 労働部と教育委員会とがタイアップしてこの制度を作ったという事情を知りたい。 さらに、 このシステムは文部省も認めているのか」 と質問したのに対し、 教育長は 「技術高校は、 高校生急増対策の振り替えではなく、 普通高校には別途対策を講じている。 徒弟教育を行うという考えはない。 また能力に応じて教育を行うが、 技術高校について差別する考えはない。 文部省も技術高校の設置については了解ずみである」 と答弁し、 労働部長は 「技能労働者の不足は本県では今年 2 月には90,000人であり、 これに対して供給は5〜6,000人程度であるので職業訓練事業を充実してきている。 技術高校の生徒は職業訓練生であると同時に高校生である。 この技術高校は技術革新に応じ得る者を大量に養成しようとするものである」 としている。 常磐浄議員 (社会) の質問 「技術高校については、 高校の管轄、 学校教育法に基づく教科の配分、 教員の配当、 授業料、 各種学校の先生と同様な仮免あるいは臨免の先生でよいのかどうか伺いたい」 に対して、 教育長は 「技術高校については、 県教育委員会で管理し、 教科は指導要領に基づき、 教員は約10名の補充を考え、 授業料は第 1 学年300円、 それ以後200円である。 資格は設置基準にのっとり可能な限り立派な資格の人で行う」 と答えている。
 開校を目前に漸く、 技高が公的の場でやり取りされるようになった。
 神高教は組織分裂の問題対応に追われたのか、 この時点では、 技高問題に組織として関与したということを示す資料は見当たらない。 63年 7 月14日に開かれた神高教第21回定期大会議案書の各専門委の活動の項では、 前回の議案書と同様に 「定・通専門委活動」 となっており、 内容も記述に多少の違いはあるが文意は全く同じものであり、 技高の名称は無かった。 64年 7 月19日の第22回定期大会議案書は 「定通・技術高校専門委の活動」 と改称し、 技高問題を取り上げ、 生徒・職員の置かれた諸矛盾を挙げ、 「今後これを一つ一つ解決していかなければ、 技術高校自体の破滅さえ考えられます」 としていたA。 しかし、 問題山積の神高教は、 その後の技高問題への取り組みは、 遅々として進まなかった。

註@ 61年10月 5 日、 鈴木県教育長と三好神教組委員長との間で、 以下の様な 「神奈川県学力調査の実施についての了解事項」 が調印されている。
  1. この学力調査は、 県教委が教育諸条件の整備改善に資するという行政目的を果たすための実態調査であり、 大量視察によつて、 基本的学力の地域的格差の傾向を、 集団的量的に正確に知ろうとする、 実態調査である。
  2. この調査の内容から基本的な学力を定義し、 固定化する考えはない。 学力については、 現場において、 より高度の考えをもつていると思われるので、 このような積極的な学力観をさまたげる態度はとらない。
  3. この学力の実態調査は、 学力の標準検査とは異なるところもあり、 その結果によつて個々の生徒の学力の測定をしたり、 またはそれによる処理 (たとえば育英奨学生の選抜試験に転用したり、 いわゆる人的資源に利用するなど) を行なうものではない。
  4. 問題の選択、 作成は県教委の責任において行なう。 この場合、 本県の実情に即するよう配慮する。
  5. 調査に当たつては、 調査用紙に生徒の氏名は必要とせず、 番号によつて表示する。
  6. 実態調査であるこの学力の調査は、 関係教師、 生徒間に特別な緊張不安を必要としないもので、 平常の学校運営の中で行なわれてこそ、 その信頼度が安定するものである。 したがつて特別に調査の準備と称して正常な教育計画を変更したり、 ゆがめて教育を行ない、 生徒の成長に悪影響を与えてはならない。 この点については趣旨の徹底に努力する。
  7. 中学 1 年の生徒は、 青年期初期であるのに加え、 教科中心の学習形態に対しても過渡期であり、 小学校から中学校への移り行きを順調にすることに努力が注がれる必要がある。 したがって学力調査は行なわない。
  8. 学力調査は県教委の責任において実施するとはいえ、 各学校の教育計画の日程変更と生徒に問題を課するという教育活動が行なわれるものであるので、 各学校現場が積極的に協力する関係で実施されるものである。 したがって県教委は業務命令によつて強制するという態度ではなく、 地教委および学校教職員と協力して行なうものとする。 なおやむを得ない特例については両者で話し合うものとする。
  9. この調査後の教育諸条件の改善は、 勤務評価の記録の領域をおかすものではなく、 また教師の身分に影響を与える人事異動などとは別途のものである。
  10. 小学校の学力調査に関しては、 その必要性をはじめ、 重要な事項などについて、 こんご別途に話し合う。
  11. 本県の高校入学者選抜方式は、 前年度と同様ア・テストが記入された学習指導要録が重要な資料である方針に変わりはない。 したがつてア・テストは、 この学力調査と関係なく実施するものである。
  12. 結果処理に当たり、 個々の学校間、 地教委間の比較を行なわず、 また個々の生徒、 個々の学校、地教委単位の調査結果は公表しない。
  13. 一般に学力は、 生徒、 教師の学力のみでなく、 学校の施設、 設備、 教具、 教材、 学習時間などの充実の度合いも重要なので、 県教委は調査の結果を資料とし教育効果向上の見地から、 これを具体化するため誠意をもつて努力する。

註A 同議案書の技高関係の記述部分は、 「経過」 として、
 昨春より発足した四技術高校 (川崎・横浜・大船・平塚) は職業訓練所にそれぞれ併設されたもので、 職業訓練所の高校化といえるものであります。 全国でも初のケースでありますので、 当初より、 問題点を承知で発足させてあります。 その法的根拠は昭和36年 「学校教育法」 の一部改訂で、 その45条の 2 になりました次の各項であります。 「高等学校の定時制の課程または通信制の課程に在学する生徒が、 技術教育のための施設で文部大臣の指定するものにおいて、 教育を受けているときは、 校長は文部大臣の定めるところにより、 当該施設における学習を当該高等学校における教科の一部の履修とみなすことができる。」 要するに、 文部大臣が認めれば工場等でおこなっている企業訓練のための実習等を、 高校の単位の一部として認めることができる (高校の全課程の単位数の三分の一まで) というわけで、 通信制教育と企業との間で行われていたものを更に職業訓練所の訓練生にも適用したものであります。 「 1 年生は、 訓練生であると同時に技術高校生であり、 (一部訓練生のみのものもいますが、 技術高校生のみはあり得ないものです。) 午前中の指導で、 24単位、 1 年終了と同時に訓練所が就職を斡旋し、 2 年生以降は、 原則として昼 1 日、 夜 1 日 (学校によって違います) で、 毎年16、 7 単位ずつ、 これに勤務先の工場での作業や、 訓練所内の校外実習を、 年 5 単位と換算し、 計89単位とする建て前ですが、 未だ全学年の教育課程編成は充分できておりません。」
  職員は、 労働部職員と教育委員会職員とがあり、 本来訓練所に学校が併設したものである性格は不変で、 所長と校長が別箇の場合が多く、 教員は労働部職員が教諭、 或いは助教諭の資格で併任辞令をうけております。 1 年生が特に問題が多く訓練生であると同時に技高生という二つの身分証明書をもち、 ホーム・ルーム、 クラブ活動、 生徒会活動はありません。 訓練生としては授業料がなく、 技高生として300円の授業料があります。 1 人の生徒を二つの監督官庁が取扱っていますが、 土曜を除いて、 毎日 8 時間の授業の中、 教育庁教員の取扱う授業は12時間にすぎず、 生徒指導も又、 訓練所指導員が取扱い、 恰も時間講師的、 単位認定的存在になっています。 職業訓練簿にある訓練時間数と学校教育法にもとづく学習指導要領の時間数がびっしりと複雑に結びついて、 1 年生の時間数を多くしています。
  われわれは勤労青少年を後期中等教育に参加させ、 技術革新に伴う公教育を普及させるという美名だけで見すごすには、 余りに多くの矛盾点をもっているといわざるを得ません。 そこには企業教育と公教育の教育方針のくいちがい、 管理機構の二元性から生れてくる教育方針のくいちがい、 そして当然そこに働く教職員の勤務条件 (例えば 1 年生は夏休みはないとか、 管理規則が正しく制定されていないとか) の苛酷さ、 施設、 設備の貧困とか普通の高校職場では考えられない大きな苦悩があります。 今後これを一つ一つ解決していかなければ、 技術高校自体の破滅さえ考えられます。
 とあり、 また、 「方針」 として、
   2 月 県会で 「技術高校についてはその性格を明らかにするとゝもに、 高校としての内容を十分具備するための方策をたてるべきである」 との要望事項がなされていますが、 後期中等教育の差別的改編には反対する角度から、 今後私たちは技術高校の教職員連絡協議会 (今後専門委とする方針) をつくり、 本質的な解明と共に具体的な解決をはかっていきます。
  としている。 「破滅」 の語を用いていて、 技高の末路を言い当てているが、 しかし、 神高教のこの後の取り組みは、 必ずしも、 適切なものとは言えない面があった。

(すぎやま ひろし 教育研究所共同研究員)
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