「学力」 について
教育研究所代表 佐々木  賢
 
 教育再生会議は学力向上策として以下の 5 つの施策を提言した。 第一は授業時間数の10%増、 第二は教科書の頁数増、 第三は習熟度別クラス編成、 第四は土曜補習、 第五は全国学力テストの実施である。
 OECDが行い約40ヶ国が参加したPISA (国際学力テスト) の最新データでは、 日本は読解力で14位、 数学で 5 位、 科学で 2 位である。 アメリカは読解18位、 数学28位、 科学22位である。 イングランドは資料不足で除外されたが、 アイルランドをみると、 読解力 7 位、 数学20位、 科学16位である。
 フィンランドは読解力 1 位、 数学 2 位、 科学 1 位だが、 教科書を教師の自由裁量にし、 統一カリキュラムはあるが全国一斉テストはなく、 習熟度別クラス編成や補習はせずに、 授業時間数は英米より少ない。
 さて、 PISAでは生徒の意識調査も行っている。 その中で 「本を読むのが好き」 の質問に、 国際平均が30.8%だのに、 日本は12.8%、 「勉強は将来の仕事の可能性を広げる」 の質問に、 国際平均77.9%だのに、 日本は42.9%といずれも低くなっている。
 家庭での過ごし方の質問では 「宿題をする」 のは国際平均1.7時間だが、 日本は1.0時間と少なく、 「テレビを観る」 のは国際平均1.3時間だが、 日本は2.7時間と 1 時間以上も長い。
 もう一つの資料を見ておこう。 国の教育費支出をGNP比で示すと、 フィンランド 5.5%、 デンマーク 6.5%、 スウェーデン 6.3%、 アメリカ 5.1%、 イギリス 4.5%であるのに比べ、 日本は3.5%と極めて低い (04年度OECD調査)。
 以上の資料が示すところによると、 本を読むのが嫌いで、 将来に希望を持てずに、 家では宿題をせず、 テレビを観て見ている生徒を相手に、 少ない教育費で、 国際学力テストで上位の成績を上げた日本の教師たちの姿が浮かび上がる。
 教育再生会議はPISAの成績が低いアメリカやイギリスの教育行政を真似し、 成績の上位のフィンランドと全く逆の施策を提言した。 それに加え、 劣悪な環境の中で苦闘し、 業績を上げてきた日本の教師に対し、 免許法の改正や研修を義務付け、 不適格教師の排除を提言した。
 だから当然、 教育学者から批判の声が上がる。 「授業時間数を増やし、 教科書を厚くし、 土曜日補習をする詰込み学習では学力問題は解決しない」、 「フィンランドのように、 社会に参画し、 将来の生活に役立つ問題解決能力や批判精神やコミュニケーション能力を評価する教育を目指すべきだ」 という批判である。
 これはこれで一つの批判なのだが、 教育再生会議の意図は別にあるのではないか。 教育のあり方は社会構造と連動している。 教育方法だけ切り離して論じては片手落ちになる。 北欧の教育政策は他の社会政策と呼応している。 完全雇用を目指し、 労働者の権利を認め、 社会福祉を充実させ、 国民生活の平準化に努力をしてきた。
 だから教育行政で、 成績別クラス編成より総合制を、 競争や学校選抜より連帯や共同性を、 国民意識より地域文化意識を、 テストや成績より学習意欲を、 知識の注入より問題解決学習を重視してきのだ。
 最近のロンドン・タイムズ (〇六年一〇月一七日) は 「前年に比べ〇六年は学力向上対策費に九億ポンド (約二千億円) かけたが、 小学校と中・高校で失敗校が一五五七校に増えた。 成績不良で廃校にさせられた学校は〇五年に一二校だったが、 〇六年には二五校と倍増した」 と報道した。
 米ワシントン・ポストのコラムニスト、 マイケル・ケリーは 「アメリカの教育改革後の二五年かけ一二五〇億ドル (一兆二千五百億円) かけたのに、 成績向上の成果は何もない」 と述べている (〇一年四月二六日)。 格差社会では子どもたちの成績の底上げは難しいのだ。
 学力は国民の貧富の格差と希望の格差をよく現す。 日本はアメリカやイギリスと同じく競争原理に基づく社会である。 労働政策では派遣や業務請負の会社が労働者からぴん撥ねする制度を作り、 地域の町工場や商店街を潰して高卒の就職先を無くし、 税制では、 高額所得者を減税して大衆課税を多くした。
 東京の下町の公立中学の進路説明会には保護者の出席が一割に満たない。 その地域で 「将来の夢は」 と女子中学生に聞いたところ、 「コンビニのアルバイト」 と答えたという 「朝日新聞、 06年 3 月21〜23日 「分裂にぽん」)。 希望の格差が生まれているのだ。 コンビニのバイトを夢とする生徒たちに学力向上が期待できるだろうか。
 日本政府はフィンランドのように平等化や福祉社会を目指してはおらず、 競争と格差を促す政策をしている。 教育再生会議は政府の政策と離れた提言はできない。 その政策に見合う教育政策とは、 成績上位者を上げることに専念し、 全体の底上げは狙ってはいないといえる。
 あからさまにそうは言えないから、 成績下位者へはバウチャー (教育切符) やチューター (家庭教師) を与える。 だが英米の実態をみると、 この制度で利益を得たのは教育産業のみで、 底辺の生徒の成績は上がっていない。 底辺校の生徒の成績をあげるには、 貧困層の最低賃金を上げたり、 福祉や社会保障こそ必要なのだ。
 教育再生会議のもう一つの意図は教育に市場原理を導入し民営化することにある。 授業時数を増やたり、 教科書を分厚くするのは教育商品の絶対量が増え、 教科書会社の収益が上がる。 学校選択の自由や中高一貫校は学校という商品の種類を増やす意味がある。 現に株式会社や公設民営学校の準備は着々と進んでいる (「ねざす」 38号、 金沢信之 「株式会社立高等学校と公設民営化路線」 参照)。
 一斉テストは企業の収益が上がる。 荒川区や足立区の一斉テストはベネッセが請け負っている。 アメリカの最大手テスト業者ピアソン社は年4000万人にテストを実施している。 ピアソン社は2003年にイギリスの高卒認定テストの公的機関エデクセル委員会を2000万ポンドで買収した。 イギリスの高校生500万人がアメリカのテスト業者の対象となる (ロンドン・タイムズ03年10月28日)。
 学校内部で行う評価は内部評価、 教員評価や学校評価や一斉テストは外部評価という。 外部評価は費用がかかる。 北欧では外部評価を止めている。 逆に日本の教育再生会議は外部評価を進める提言をした。 民営化への道を進むことが分かる。
 教育民営化への道は公立学校の評判を悪くする必要がある。 国際学力テストを見るかぎり、 日本の教師は困難な状況にめげずに、 生徒の成績を上げてきた実績がある。 この事実を隠し、 教師を悪しざまにいうのは民営化を目指しているからであろう。 最近では、 未履修問題やいじめ問題で文科省や教育委員会や校長まで、 悪しざまにいわれた。 民営化に向けて、 教育官僚の総入れ換えが始まったといえる。
(ささき けん)  
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