キーワードで読む戦後教育史 (11)
技高問題 (3)
杉山 宏

(八)
 技高問題に対する神高教の対応がかなり後まで遅れるのに対し、 県議会における知事の技高新設発表の直後、 『時事通信社』 は技高開設に関する記事を全国に流している。 即ち、 『時事通信内外教育版 2 月26日号』 は次のように伝えている。
  「神奈川県は63年度から横浜、 川崎、 平塚、 大船の 4 公共職業訓練所内に新しく技術高校を開設する方針を決め、 4 月開校に間に合うよう準備を進め、 4 校計580人を近く募集する。
 この技術高校の構想は県労働部、 県教育委員会の協力で計画し、 勤労青少年に勉学の機会を開きまた技術革新の時代に要求される技能者の養成と後期中等教育とを結びつけようとするもので、 全国初の試みである。 4 技術高校とも第 1 学年は職業訓練法の規定に沿って全日制の教育を受け、 第 2 年以降の 3 学年間は就職しつつ修業する定時制教育 (週 1 日 1 夜、 または週 3 夜) とすることになっており、 一般教養と専門学科の主体は学校で、 実技実習の主体は訓練所で、 という方針で学業の充実をはかる計画である。
 とりあえず 4 月に実験的に 4 校を開設するが、 将来は県下11の全公共職業訓練所に技術高校を併設する考えであり、 工業高校とは違った優秀な熟錬技能者の養成を目ざすことにしている。 しかし神教組は、 定時制高校教育を安直に工員養成機関化するもので、 学校教育法のいう人間形成をふみはずし高校教育をゆがめるものだとして批判的な態度をとっている。」
 更に同紙は、 鈴木県教育長の談話として 「昨年の教育白書で教育投資論の立ち場から教育と経済との関連が強調されて、 現在の高校教育のままでは時代の要求に合わないことが指摘されながら、 具体的な方向は打ち出されなかった。 今度の技術高校の構想は欧米各国の状況も参考にし、 後期中等教育の質的充実、 特に技術教育の充実に力点を置いて練り上げたもので、 教育の適切な機会を拡大するものだ。 当面 4 校を開校するが、 今後も調査、 検討を進めてゆくゆく増設を計ってゆきたい」 という文を載せている。
 県教委は、 2 月県議会で技高開設を発表した後は、 開設迄約 1 ヵ月という時間的問題もあったであろうが、 積極的に動き出し始めた。 3 月 2 日、 県教委は、 技高運営の基本方針と具体策 (教育課程、 教職員、 設備などの諸問題について) について検討し、 4 日には菅井教育次長が、 NHK総合テレビジョンで、 技高の構想について全国放送している。 更に、 8 日に文部省中等教育課長・職業教育課長に技高構想 (第 2 次案) を説明し、 了承を得ており、 10日には神奈川県議会において、 技高 4 校の設置が議決されている。
 3 月11日に開かれた産学、 研究懇話会 (於プリンスホテル) において、 鈴木県教育長が 『新しい教育の課題』 と題した講演を行い、 技高に関して論述している。 先ず技高設立の社会的環境として、 「昨年、 国つくりの基礎は人つくりであるという池田発言以来、 62年という年は教育という問題が、 非常に大きな社会のトピックスとして取り扱われた年であります。 勿論、 教育の問題は、 毎年騒がれる問題で、 多くは日教組対文部省という角度からでありましたが、 昨年は、 経済の問題、 社会の問題、 また政治の問題として大きくとりあげられた年であります。
 経済審議会の人的能力部会の答申が今年の 1 月にあり、 また文部省から昨年秋 『日本の成長と教育』   教育の展開と経済発達  といういわゆる教育白書が出ましたが、 これらはいずれも具体的に教育の問題を論じております。 大体三つの問題があります。
 第一の問題は63年から65年にかけて、 いわゆる戦後のべビーブームのしわよせが高等学校へ押し寄せてくる。 しかし、 これは大戦を経験した凡ての国にあてはまるもので、 日本だけのものではありません。
 第二の問題は、 国民所得の倍増、 いわゆる高度の経済成長ということが、 教育の面に反映しているということであります。 これは具休的には高校への進学希望率の急激な上昇という形態をとって現われております。 すなわち従来の高校進学率50%台が62年度は61%と急激に増えております。 文部省の推定によりますと、 70年にそれでは止まらないのではないでしょうか。 神奈川県だけみても、 今年の中学卒業生の高校進学希望率が74.2%という数字を示しております。 この調子では65年〜69年頃には80%になるのではないかと考えられるわけです。 このような国民所得の向上に起因する進学熱の昂揚、 これが第二の問題であります。
 第三の問題、 これが一番大きな問題でありまして、 技術革新 (Innovation) の社会的、 経済的要請であります。 第二次大戦以来、 いわゆる、 技術革新というものが、 労働の質というものに対して強い要求をもってきておるということであります。 以上のようなことが、 いわゆる人つくりという問題の大きな背景になっておりますが、 殊に第二の問題に関連して、 第三の社会的要求というものが、 今日の教育に対する最も大きな挑戦であろうと考えます。
 これに対して、 教育がどのように対処しようとしているか、 という問題の一つとして、 文部省が出したものが 『日本の成長と教育』 という、 いわゆる教育白書でありまして、 この白書は昨年度から本年度にかけた、 かくれたるベストセラーとなっているようであります。 官庁の出した出版物で、 これ程売れる本は極めて珍しいことだそうです。
 この白書が何を意味するかということは、 非常に興味深いことであります。 従来、 教育というものが、 余りにも教育的な、 換言すれば教育が学校教育という、 一つの租界の中に立て籠っておった、 これは日教組も、 文部省もその点において全く同じ態度であります。 それがこの白書において全く新らしい視野から教育を考え始めたということであります。 この白書の題名に 「教育の展開と経済の発達」 というサブタイトルをもっていることからも、 それは明らかであります。 この白書は教育を一つの投資として見ようとし、 教育投資という名で呼んでおります。 この教育投資という言葉は日本では非常に耳新らしく聞えるのでありますが、 これは欧米において決して突如として出てきた言葉ではないのであります。」 と述べ、 技術革新の社会的、 経済的要請は学校教育を新しい視野から考え始めたとした後、 「我々は職業・社会的な非常に大きな要求である職業訓練を学校教育の中に組み入れようと試みた……技高は、 職業訓練所に併置する」 と述べており、 職業教育を学校教育の中に組み入れるとしながら、 その学校を職業訓練所に併置するとしている。 このことが技高廃校の一因となった。

(九)
 所得倍増計画下の日本経済の推移は、 一般的に労働者の賃金を上昇させ、 企業内の労資協調路線は広がりをみせた。 勤評闘争が激化していく中で、 神高教から脱退者が出て第二組合が作られ、 60年代半ばにかけその組織を伸ばしていった。 この頃、 全国の労組加入者においても総評に比して同盟会議の組合員数は伸びていて情勢は産業界からの教育論の提示にとって追い風であり、 また、 戦後の単線型の教育体系に変化を求めていた文部省にとっても好機であった。
 前述の経済審議会答申は、 62年 7 月の諮問に対する答申であったが、 同答申の冒頭の文は 「従来日本経済において、 労働力が経済成長の阻害となることはほとんどなかった」 とあり、 その文を受け、 技術革新が進展する中で 「経済政策の一環として人的能力の向上をはかることの必要性がある」 としている。 経済発展のための人的能力の開発が、 人的能力政策の目的としていた。 この経済審議会は、 養成訓練分科会等を持ち、 学校教育の中でのハイタレント養成はわが国の発展にとって緊要のこと等の報告を行っている。 文部大臣もこの動きを受け、 後述の様に、 63年 6 月24日に後期中等教育の総合的検討について中教審に諮問している。 鈴木教育長の講演にもあったが、 前年11月 5 日に文部省調査局調査課で作られた教育白書 『日本の成長と教育』 で教育投資の語が使用されており、 技高発足の条件は整いつつ在った。 後に、 文部官僚自身が 「勿論60年代の文教政策においては、 世界の傾向と同様に、 経済主義的な側面が全面に出ていたことは否めない」 と言っている。
 文部省は16日に、 技高設置について初等中等教育局の局議(1)で了承し、 文部省における技高担当は職業教育課長に決まった。 職業教育課長は、 20日、 神奈川県教委の技高に関する具体的構想について説明を受け了承している。 また、 22日には神奈川県産業教育審議会が、 技高構想に賛同している。
 25日、 県教委は委員会規則を改正し、 技高設置を正式に決定している。 設置される技高と科及び募集人員は、 横浜技高 (電子技術科40名、 印刷科30名)。 川崎技高 (機械工作科40名、 機械仕上科30名、 機械製図科40名、 溶接科40名、 電気工作科30名、 建築製図科30名)。 平塚技高 (機械工作科30名、 機械仕上科40名、 溶接科30名、 金属加工科40名)。 大船技高 (機械工作科40名、 機械仕上科40名、 機械製図科40名、 電子技術科40名) であった。

(十)
 63年 4 月 1 日に 4 技高が 4 職業訓練所に併設の形式で開設され、 校長・教頭の発令が行われている。 横浜工業技術職業訓練所に横浜技高 (内田正直、 三井甲子男)、 中原職業訓練所に川崎技高 (庄司雄司、 遠藤宗平)、 平塚職業訓練所に平塚技高 (志沢明、 松下重美)、 大船職業訓練所に大船技高 (笹尾利男、 関野昭平) であった。 同月 4 日から 6 日に入学志願者の願書受付が、 11日に合格者発表が行われ、 18日平塚技高、 20日川崎技高・横浜技高、 22日大船技高と 4 校の開校式並びに第 1 回入学式が相次いで行われた。
 4 校の科別の入学志願者数と入学者数は以下の如くであった。 横浜技高 (電子技術科33・32 印刷科13・12)。 川崎技高 (機械工作科38・37 機械仕上科34・33 機械製図科22・22 溶接科34・34 電気工作科26・25 建築製図科17・17)。 平塚技高 (機械工作科34・34 機械仕上科40・40 溶接科30・30 金属加工科34・34)。 大船技高 (機械工作科32・32 機械仕上科18・18 機械製図科29・29 電子技術科27・27)。 県教委の設置公表の遅れのためか、 4 校で計16科あったが、 志願者が定員を越えたのは川崎の機械仕上科と平塚の機械工作科のみで、 定員と志願者が同数であったのは平塚の機械仕上科と溶接科の 2 科で、 これ以外の12科は志願者数が定員に満たなかった。
 入試業務、 開校式、 入学式は行われたが、 技高関係の職員は63年度当初は校長と教頭のみで、 年度途中に横浜・川崎・平塚の 3 校に事務職員が配置されただけであった。 ために、 初年度の学級担任は 6 学級の川崎を始め総て教頭が兼務している。 国社数理英体の普通教科は全部 2 単位 (電子技術科のみ数学 3 単位) で、 川崎でも 1 教科週12時間で、 専任教員採用は難かったのであろうが、 ホームルーム、 生徒指導等どのように行ったのであろうか。 この普通科専任教員不採用という県教委の技高対応の在り方、 考え方が、 その後の技高問題惹起の一要因であったと考えられる。
 5 月 1 日発行の 『教育評論』 140号に記載された 「産学協同の現実と問題点」 に、 日本鋼管鶴見製鉄所と横浜市立鶴見工業高校との連携について 「鶴見工業高校には鶴鉄の養成工だけを収容する機械科別科がおかれ、 普通科目の全部と専門科目の大部分を学校が受け持ち、 専門科目の一部と実習を企業内訓練所が受けもつ。 1 年生週 6 日、 2 年生週 4 日、 3 年生週 2 日の昼間通学を行ない、 3 年間で訓練所の教育を修了すると同時に学校のほうも別科を修了することになるが、 このままではまだ高校卒の資格を得ることができない。 訓練所の課程を修了すると同時に連携制は解消されるが、 高卒資格をとるため 1 年間、 夜間定時制に週 1 日だけ通学する」 とある。 しかし、 この制度は、 鋼管鶴鉄側の意志で62年度採用者から廃止されている。 高校昼間別科と企業内職業訓練所との問題であったが、 生徒の立場をどの様に考慮して、 企業側の意志で制度廃止という結果となったのであろうか(2)。
 比較的低姿勢の池田内閣にあって、 高姿勢をとった荒木萬壽夫文相が、 63年 6 月24日に、 中央教育審議会に対して 『後期中等教育の拡充整備について』 と題する事項に関し諮問している。 この諮問において、 文部次官は 「検討すべき問題点」 として 「第一は 『期待される人間像について』 であります。 ……とくに、 心身ともにとうや性に富む重要な成長期にあり、 それぞれの適性に従って能力を展開する時期でもある義務教育後のすべての青少年を対象として後期中等教育の拡充整備を図るにあたっては、 各種の形態の教育機関が予想されますのでこれを一貫する理念を明らかにする必要があり、 そのためには今後の国家社会における人間像はいかにあるべきかという課題を検討する必要があると考えるのであります」 としており、 諮問の狙いは、 荒木文相が教育基本法に欠けていると考えるものを充足させるためのものであったともされていた。 更に 「第二は、 『後期中等教育のあり方について』 であります」 と続け、 高校教育に関する検討問題を挙げた後、 高校に就学しない青少年に対する教育についての問題を述べ、 総ての青少年を対象とし、 個人の能力、 適性、 進路等に応じて後期中等教育の拡充整備を図るため、 目的・性格・教育内容・方法・教育機関の形態、 教員、 教育機関の形態と教育制度上の位置付け等について検討する必要があるとしている。
 翌64年 4 月 1 日、 横浜技高に機械工作科及び機械仕上科を設置し生徒各40名を募集し、 相模原職業訓練所に併設して相模原分校 (溶接科・金属加工科・自動車整備科) を新設し各40名の生徒募集を行っている。 また、 大船技高には追浜職業訓練所併設の追浜分校 (溶接科、 自動車整備科) を、 平塚技高には秦野職業訓練所併設の秦野分校 (機械工作科、 電気工作科) を各々新設し、 両分校共に各々計70名の生徒募集を行っている。 また、 既存の学科で一部生徒募集の増減があったが、 63年度 4 校で計580名であった募集人員は、 64年度では 4 校 3 分校で計930名と大増員となった。 しかも定員割れは 4 本校では、 18学科中 3 学科であり、 追浜・秦野は手元の記録では志願者数が科毎の記入でなかったり、 未記入で明確ではないが、 相模原を含めて大量の定員割れは無かったと推定され、 技高 2 年目は志願者数からは漸く軌道に乗かかったかに見えた。 多様化路線の中で、 この年看護高校が新設され、 また、 商工高校が岡村製作所と連携教育 (週 2 日の登校で、 あとは企業内と通信制 (商工の教員が平沼高校通信制の講師の兼任辞令を受領し対応する) で単位をとる) を開始した(3)。
 7 月11日に横浜技高は校舎の一部が落成したので、 本校所在地を横浜市保土ヶ谷区中尾町65番地に移転した。 技高は公共職業訓練所に併置するのであるから当然であるが、 この所在地は横浜工業技術職業訓練所の所在地であった。 この 7 月、 大船、 川崎両技高に神高教分会が結成されている。
 11月17日に経済審議会は 『人的能力の向上と科学技術の振興』 と題した中期経済計画を発表し、 経済発展のための人的能力開発政策は計画的に進められなければならないとしている。 また、 同日経済審議会労働分科会報告 『人的能力開発向上政策の方向 (特論)』 も発表されている。 同報告中に、 「働きながら毎日通学するということは心身の成長期にある青少年にとつて、 かなり過酷であるから、 働く青少年の教育に対する社会の理解を深め、 出来るだけ昼間に教育が受けられるよう適切な施策を講じる必要がある。 また、 定時制課程、 通信制課程と企業内教育訓練等の技能教育施設との連携を一層緊密化し、 現在認められている科目以外のもので適当と認められるものは認定出来るようにするなど、 在学者の負担の軽減を図る施策を推進する必要がある。 また、 高等学校通信制課程については、 途中脱落を防止するため、 定時制課程との連携を促進するとともに、 単独の定時制、 通信制併置校を設ける必要がある。 ……高等学校定時制課程について、 産学協同の観点からその整備充実を図る方式を推進することも有効な方法である。」 と、 定・通と企業内教育施設との連携強化を呼び掛けると共に、 勤労青少年に昼間勉学の機会を与えるようにと主張しているが、 64年頃で、 昼間学習を推奨することは、 企業と高校の連携が必然的に前提となっての話であった。 その立場からであろう、 産学協同での定時制課程整備充実推進を呼び掛けている。
 更に、 「高等学校以外の教育訓練機会としては、 現在、 各種学校、 公共職業訓練、 事業内職業訓練、 企業内各種学校、 社会通信教育、 勤労青年学校、 青年学級等があるが、 高等学校進学率は一人当り国民所得との相関で推計すれば68年には76%程度になることも予測されるので、 後期中等教育の完全普及の必要性は一層切実なものとなり、 これらも包括して後期中等教育の一環として整備充実の方向を検討する必要がある。 この場合、 これらの教育訓練の水準を高め、 ある一定基準を越える教育訓練を修めた者に対し、 高等学校卒業者に匹敵する社会的処遇が認められ、 教育訓練を魅力あらしめるものとするための方策について検討すベきである。 なお、 比較的短期の教育訓練を受けている者、 何らの教育訓練の機会を得ない者に教育訓練の機会を与える方策について検討する必要がある。」 と一定基準を越えた多様な施設の利用を訴えている。
 12月 1 日、 横浜技高は、 県立鶴見職業訓練所に併置の鶴見校舎を設置規則の改正により鶴見分校とし、 12月25日、 川崎技高は、 中原職業訓練所の開設に伴い、 同職訓と併置されることとなり、 川崎職業訓練所に川崎技高の南分校を開設した。
註 (1) この時の初等中等教育局の局議決定の内容は
 1 .この技術高等学校は教科・科目のうち、 実習については、 実習の総時間数の 7 /10以内において、 公共職業訓練所における実習をもってこれにかえる。 この実習は、 実習担当教員の指導のもとに行う。
 2 .この技術高等学校の学科の規模および内容は、 専門教育を施す学科として適当な規模および内容があると認められるようなものでなげればならない。
註 (2) 鋼管鶴鉄と市立鶴工の連携制度廃止について 「現在のところ、 多くの企業では、 工高卒採用者は間接部門 (工程管理、 保守など) に、 中卒採用者はますます労働内容が稀薄になっていく直接部門に割当てられているが、 中卒採用者が高卒程度の知識・技術をもち、 且つ高卒資格を取得したあかつきにおいても、 あいかわらず中卒採用者として単純な仕事をくりかえさなければならないとしたら、 そこには中卒採用者の企業からの 「脱出」 がみられる、 無理をして大学へ進学する。 労働条件のよい他企業へ転職する、 時には給与そのものは下っても、 自分の能力が生かせるように思える仕事。 中小企業へ移ってしまうという事態が起り、 また昇進に対する可能性その他がうまくいかない場合には、 愛社精神は180度転回して、 労働組合へ傾き、 組合活動家になってしまう。 鋼管鶴見の連携廃止の裏には、 そのような理由が含まれていたように思われる」 と、 この 「産学協同の現実と問題点」 の執筆者原正敏氏は、 同論文の中で述べている。
註 (3) 岡村製作所と商工高校の連携教育において、 学年別の在籍数とカリキュラムの概略は下記の表の通りである。
(すぎやま ひろし 教育研究所共同研究員)
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