私が早期退職をした理由
 
川崎 真弘

 私はこの春、 定年まで11年残して退職しました。 よく、 「どうしちゃったの、 川崎さん」 とか 「なぜ辞めたの?」 とか聞かれます。 でも、 ぼくは逆に尋ねたい気持ちです。
「あなたはなぜ辞めないの?」
「こんな仕事、 やってられるか!」 と思ったことありませんか?職員会議や校長交渉で 「こんなことでは皆がやる気をなくす」 と言ったことはありませんか?
「あなたはなぜこの仕事を続けているのですか?」
 私の場合、 理由は単純です。 仕事が嫌になったから辞めるんです。 あ、 でも 「仕事が…」 というと正確には伝わらないですね。

 誤解されると困るのですが、 授業をはじめ生徒と接することが嫌になったわけでは決してないんです。 いや、 (幸いにも) 楽しいことの方が圧倒的に多かったと言っていいでしょう。 もちろんうまく行かなかったこともありますし、 授業中に生徒と対立した (←柔らかい表現) こともあります。 でもこちらが色々工夫をして、 生徒の顔に 「理解した!」 とか 「なるほど!」 という表情を浮かばせることができたときの快感は 「教師冥利に尽きる」 ってところですね。
 授業以外でも部活動や生徒会活動等、 生徒と係わる部分では楽しいことの方が多いですし、 よく係わった生徒達は卒業後10年20年たっても集まる時に声をかけてくれます。 本当にありがたいことで、 「教師をやっていてよかった」 と思わせてくれます。

 生徒達が与えてくれるのはプラスの感情の方が圧倒的に多いのになぜ辞めるのかといえば、 教育委員会 (いや教育局、 もしかすると県議会もかな、 よく解らないので以後 「県」 と呼ぶことにします) のやることがあまりにも理不尽で、 それにより引き起こされるマイナスの感情の方が生徒達によるプラスより圧倒的に大きくなったため、 この仕事を続ける意味が無くなった、 ということなのです。
 マイナス要因が私が所属していた学校固有のものなら数年我慢して転勤すれば問題は解決するわけですが、 「県」 がとりあえずの要因ですから、 少なくとも神奈川県内で異動しても何の足しにもなりません。 そしておそらく大なり小なり国内全体が似たような状況になってると思われます。
 私立も無関係ではないでしょう。 ここのところ文科省は 「私立バッシング」 を熱心に進めていますから。 パッと思い出しても、 必修単位不足、 大学合格者数水増し、 そしていじめ自殺。 たしか文科大臣だったと思いますが、 今夏のいじめ自殺の時に 「また私立かって感じだ」 とテレビで発言しています。 「ほっといたら何やるか解らないから文科省が統轄する」 という方向に持って行きたいのは見え見えです。
 余談ですが、 県内の有名私立K高校に勤めている方から聞いた話。 そこでも数年前から校長に 「シラバス、 シラバス」 と言われているそうです。 もっともその人は 「そんなもの書けるかっ!」 と言ってまだつくってないそうですけど。

  「理不尽な思い」 が年々強くなり、 ついに辞める決心をするところにまでなったのですが、 いつ頃からこんな 「理不尽な思い」 をするようになったのでしょう。
 思い出してみると新採用の頃から始まっていました。 私は82年採用ですが、 すぐに鈴木善幸・中曽根の 「人勧凍結」 がありました。 組合で 「公務員にはスト権がない代わりに人勧がある」 と聞き一応辻褄が合うようになってるんだな、 と感心した矢先だっただけにインパクトは強烈でした。 中曽根への嫌悪感は今も変わりません。
 次は80年代後半から始まる 「日の君強制」 です。 よくあれだけ理屈にもならない理屈を恥も外聞もなく校長は言った (言わされた) もんだなと思います。 「県」 は合理性なんか気にしてないんだな、 と強く思わされました。
  「日の君」 の次に90年代末から始まったのは勤務時間問題です。 最初は 「特勤」 の形式だけの問題だったのですが、 そのうちに 「勤務時間外に働くのはサービス残業、 だが早く帰るのは一切まかり成らぬ」 という 「やらずぶったくり」 状態が日常化してしまいました。 「県」 は 「人の善意につけ込む」 ことを平気でやるんだ、 倫理性も気にしてないんだ、 と気付かされました。
 この辺りからは坂道を転がり落ちるようなもので、 2000年には 「職員会議の補助機関化」 が強行されました。 前述の勤務時間についてですが 「昔だって、 そんなに早く帰れていた訳じゃなくプラスマイナスを合わせればマイナスだった」 という人も多いでしょう。 でも 「自分が主体的に学校の運営に係わっている」 という意識があればかなり我慢できました。 ところがそのような意識をもてないような方向にシステムはどんどん変わっていってしまったのです。 これはかなり強く私の 「やる気」 を失わせました。
 そして 「長期休業中の研修報告」 のバカバカしさとそのゴリ押しです。 今世紀に入ってからのことなのでみなさんの記憶も新しいと思われますから内容は省きますが、 組合本部にご足労をかけ 「県」 の主張も随分聞きましたが、 その過程で、 「こんなバカバカしい県の言うことを聞いていたらダメだ」 と確信しました。 「定年を待たずに早く辞めよう」 と強く思うようになったのはこの頃からです。
 その間も個人的なこと (私及び周囲、 で見聞したこと) で理不尽なことは幾つもありましたが、 ここに載せるのはやめておきましょう。
 私にとって決定的だったのは実は 「観点別評価」 です。 これまでの諸問題はほとんど教科指導ではないところ話でした。 「日の君」 に授業で真剣に取り組んでいる方には申し訳ありませんが、 一歩下がってみていた自分がここにいます (本当にゴメンナサイ)。 私は物理の教師ですから自分の本分ではない、 という感覚があるんですね。 でも、 教科指導に関しては自分は25年間プロとして取り組んできたという自負があります。 少し大げさですが、 すべての 1 時間 1 時間で 「なぜ、 ここでこういう教え方をしているのか」 ということについて誰とでも意見を戦わせる準備があります。 もちろん自分が間違っていることも多いでしょうから、 議論等によってそれが解り、 少しでも良い授業になればと思っています。 ところが、 今回 「県」 が推し進めた 「観点別評価」 はどうでしょうか。 この 「観点別評価」 そのものについての反対意見もいくらでも持っていますが、 ここはそれを言う場ではありません。 「これまでも指導要領に縛られてきたじゃないか」 という声もあるでしょうが、 正直言うと私は守ってきませんでした。 物理の学習上必要があると思えば教科書に載っていようがいまいが教えてきましたし、 必要性が薄いと思えばとばしたり 「読んどけ」 ですましたりしてきました。 とにかく我慢ならなかったのは
「物理教育上なぜ有効かということについてろくな説明もなく」
「授業の中身までそれに合わせて変えさせようとし」
「しかもそれを勤務評定という形で損得づくで押しつける」 そのやり方です。
 結局授業そのものに介入してくることが明白になったので自分が納得行く方向で授業をすることができないのなら学校に於いてプラスの面はほとんど無いという結論に至ったのです。
 授業でもフラストレーションが溜まり、 それ以外でも理不尽なことを要求されるのではこの場に身を置いておく必要性がないではないですか。

 改めてみなさんに聞きたい、
「あなたはなぜ辞めないのですか?」

 少しでも神奈川の教育を良くしたい、 という方もいらっしゃるとは思いますが、 わたしはそんな 「善意の人」 にはなれません。 まして 「県」 のような 「人の善意につけ込む」 連中の部下としてそのように振る舞う気には全くなれません。 前述の勤務時間問題のときに、 横浜中地区の某校長が 「やりたくない人は勤務時間外の部活をやらなくて結構です。 『善意のある方』 だけでやりますから」 と言い放ったのは忘れられません。
 ここまでわざと書かなかったのですが、 もちろん 「収入を得るため」 という人も多いでしょう。 それはそれで仕方ない話でご愁傷様というしかありません。 幸いなことに私には子供もなく、 存命の親は年金がしっかり出ているので、 乱費さえしなければ現在の蓄えで何とかなると思っています。 ならなくなったら 「食うため」 と割り切って何でもできるでしょう。

 長々と駄文につきあっていただき有り難うございます。 最後にエピソードを一つ。
 やめると決めてから一番困った瞬間は、 大学のOB会に顔を出したら出席していた大学 1 年生の女の子が目をキラキラさせて 「教員を目指しているんですけどどういうことをしたらいいですか?」 と聞いてきた時です。 この時はホントに困ってしまって、 当たり障りのないことしか言えませんでした。 ま、 新採用に10〜20人も逃げられたという話を聞き、 率直に 「ろくなモンじゃないよ」 といってあげた方が良かったなと反省しています。

  (かわさき まさひろ 元県立高校教員)
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