語られたこと 語られなかったこと 語ること
「民間出身校長に聞く」 を読んで

 
中村 裕之

(1) はじめに

 これから教育はどうなっていくのだろうか。 ネット社会の中で育った生徒たち、 現場のますますの多忙化、 戦後教育の枠組みの崩壊、 など、 閉塞感が覆う状況の中で、 未来に向けて何をどう教育 (教員) が発信するのかが問われている時代だとも言える。
 ここ10年余りいわゆる 「教育改革」 が進められている。 たとえば総合学科の創設に見られるように、 「カリキュラムは学校の外に (も) ある」 ことの発見は、 市民や企業などと協働して子どもたちが生き生きとする大きな成果を挙げている例を生んでいった。 これに関しては残念ではあるが、 現場の保守性と世間の逆風が進捗を躊躇わせている。
 また、 ここ数年は 「ゆとり教育批判」、 「学力向上」 が叫ばれほとんどそれが 「教育改革」 と同義化している。 そのための手法として 「市場原理」 にその多くを頼ろうとする傾向が顕著であり、 そのことがますます閉塞感を増長させていると私には思える。
 民間出身校長はこうした難問が山積する教育界に 「地域や学校の状況・課題を的確に把握しながら、 リーダーシップを発揮するとともに職員の意欲を引き出し、 関係機関等との連携・折衝を適切に行う」 (『ねざす』 39号p75〜76 以下ページ参照はすべて 『ねざす』 39号) ものとして幅広い人材を確保するために採用が始まった。
 すべての事柄が適切な時期に総括が必要であるように、 民間出身校長についてもスタートから数年を経た現時点での総括が必要であると私は考える。 『ねざす』 39号の 「民間出身校長に聞く」 はその総括のひとつであろう。 興味深く読ませていただいた。

(2) 語られなかったこと
『ねざす』 を楽しみに読んでいる読者の一人として、 今回の宮原紳氏へのインタビューをたいへん期待をして読み進めた。 宮原氏が一体何を語るのか?に関心があったからだ。 しかし読後感として最初に思ったことは、 このインタビューの 「語られていなかった」 部分についてである。 それはこれを読んだ多くの読者に共通することかもしれない。
 つまり、 宮原氏が 2 年間で校長を退任した経緯についてこのインタビューではまったく触れられていないからである。 神奈川県で民間出身校長 2 人目である宮原氏の突然の退任は氏と直接面識にない私にとっても驚きであった。 なぜ退任されたのだろうか? 現場との摩擦や軋轢だろうか? 教育行政との間の問題だろうか? それとも個人的な理由だろうか? と。 もちろん出処進退は個人に帰するところではあるが、 宮原氏が期待をもって迎え入れられ、 しかも 「総合産業科」 という総合学科ともまた違うまったく新しい学科の校長であっただけに、 その経緯についてはぜひ知りたかった気がする。 実際に総合産業の校長として勤務されたのはわずか 1 年だったからでもある。
 もしくは活字にできない事情があったのかもしれない。 いずれにしてもいつか明らかになってほしいと私は思う。

(3) 語ったこと
 宮原氏が 「語った」 部分で私が関心を持った点も多々あり、 2 つの点について私なりの感想を述べていこうと思う。
 まずはこれからの学校のあり方について、 「国語や数学という基礎学力は当然必要なんだけど、 それにプラスして、 何が必要か、 今の世の中の動きであるとか、 仕組みがどうなっているかとか、 を少しでも知ってから、 進学とか就職を考えた方が役に立つ」 (p77) とある。 宮原氏は 「民間企業で仕事をしてきた人間から見ると」 として、 それを学校の使命 (ミッション) としている。 「キャリア教育でいろいろなことを経験してほしかった」 (p88)、 も同様の趣旨と思われる。 これは私たちが総合学科の実践でやってきたこととも一致する。 総合学科では入学年次に 「産業社会と人間」 を履修させ社会と自分を知り自己の進路選択につなげていくこととも通底する。
 その方法についてインタビューでは 2 つの興味深い事実を示唆している。 ひとつは 「ボランティア」 で来てくれる外部講師を多く開拓したことであり、 もうひとつは 「総合産業実習」 のエピソードである。
 学校が学校の中だけで教育を完結する時代はもう終わっている。 外部資源と言うか、 学校に協力してくれる人たちは多数いる。 学校はそうした外部の力を取り込みながらも外への発信を積極的にしていかなければならない。 インタビューでは 「お金がないから無償のボランティアを探した」 という部分もあり、 それをプラスに拡大解釈すると 「学校づくりに必要なものはまず人である」 とはならないだろうか。 学校の外にいる人、 外にいる人と学校をつなげる私たち教員、 の両者がうまく絡み合って進むのがこれからの教育のスタンダードになるのかな、 と改めて感じた。
  「総合産業実習」 については他の資料を見ていないので何もいえないが、 新しい取り組みをまず取り入れるところは非常に大切であると思う。 私は学校を野球に例えると10対 9 で勝てばいい、 と思っている。 つまり 9 点取られても10点取れば勝つわけであって、 失敗 (マイナス) があってもそれ以上の成功 (プラス) があればいいのではないかということである。 話はそれるが、 今日の閉塞的な状況はこれも野球に例えると 1 対 0 で勝たなければならないという意識がそれぞれに強すぎるのではないだろうか。 私たちが新しいことにチャレンジしなくて、 子ども達にはチャレンジしなさい!といえるのかなと思ったりする。 この 「総合産業実習」 が民間出身校長が学校に新しい風を吹き込むために始めたものならば、 幾多の困難はあってもその学校にあった形にして改良しつつ継続してほしいと思った。
 次には学校の組織のあり方についてである。 職員会議のあり方と教員の仕事のあり方について興味深く読ませていただいた。
 職員会議は不要、 との考えが示されているが、 それには権限を分掌に委譲する、 という条件がついている。 私は職員会議は不要とは思わないが、 この 「権限委譲」 は新しい考え方かもしれない。 もちろん案を作るとされている 「主任」 がどう案を作るかということが問題ではあるが。
 ふと昔の職員会議について考えてみた。 私が以前に勤務していたいわゆる課題集中校や新タイプ校、 では学校づくりが急務でありそのための共通理解や議論が職員会議で行われていた。 「ボトムアップ」 により楽しく充実感のある仕事ができた源泉のひとつがこの職員会議であった。 しかし以前勤務したある学校では声の大きい同僚の意見のみが通り、 他は無力感が漂っていて徒労に思えることばかりだった。 こうした職員会議に戻ればいいとはけっして思わない。 しかし教育の世界は民間とは違う。 違うのであれば、 違う意思決定の方法があってもいいはずだ。 権限委譲をキーワードに新しい試みはできないだろうか。
 また教員の仕事のあり方については、 スーパーティーチャー等について語られている。 教員はスーパーマンではないとも言われている。 これはたいへん示唆に富んでいる。 教員の仕事は宮原氏の指摘されるとおり、 教科に関すること、 担任、 など教育の中身に関することでいいや、 と思う。 いや、 こうした原点に戻らない限り明るい未来は見えてこない。

(4) 最後に
 今回の記事は最初にも書いたようにたいへん期待をもって読み進めた。 民間出身といってもその前歴は様々であり、 そうした前歴が生かせる学校に配置されるかどうかにより、 評価は変わってくるだろう。 さらに、 教育という世界は変わらなければいけない部分はあるが、 何をどう、 なぜ変えるか? についてはまだ議論が収斂していない。 その中で民間出身校長の果たせる役割とは何だろうか? ということの考察はこれからも様々なところで必要になってくるだろう。
 それは別にして、 こうした民間出身校長の声が教育行政に果たしてどの程度届いているのかと思った。 同時に、 我々教員にどのくらい届いているのかなと思った。 神奈川の教育は神奈川の教員全体で担って創るものである。 なかなかそういう雰囲気にはならない時代ではあるが、 再び 「騒然たる教育論議」 が 「ねざす」 を発火点に起こってくれたら嬉しいと思っている。
 今回の宮原氏へのインタビューを契機に多くの民間出身校長がホンネの部分で多くを語る時期に来ているのではないだろうか。 もちろんそれは民間出身校長を始めとする管理職だけではなく、 我々教員も同じであることは言うまでもない。

(なかむら ひろゆき 県立横浜清陵総合高校教員)
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