寄稿
「希望格差社会」 に対峙するごくありふれた教育実践
馬鳥  敦
 
1 はじめに
 「教えるとはともに希望を語ること」 とはフランスの詩人ルイ・アラゴンの名言であるが、 日本における格差社会の進行は、 「希望格差社会」 という将来に対する希望をもてない階層が再生産されるという局面を生み出している。 その最前線の一つが、 神奈川県の公立高校の学校現場であることはまちがいない。
 本誌2007年11月号に掲載された 「研究所独自調査2007学校間格差と階層差」 は、 各県立高校の授業料減免者率と卒業生の進路状況から、 @高校入試における受験難易度と授業料免除率の間には強い正の相関が見られ、 それは近年急速に強化されていること、 A家庭の収入格差が大学進学率などの教育格差に顕著に反映されていることを、 数字的データや学校事務職員からの聞き取り調査をもとに実証している。
 こうした状況の下、 悪戦苦闘する教職員の一人として高浜高校における 3 年間のささやかな実践について、 ふりかえってみたい。

2 学校再建
 高浜高校といえば、 1931年に設立された地域の伝統校であるが、 女子校時代の末期には、 年間で100名に達する中途退学者を出す 「課題集中校」 となった。 2003年に男女共学、 2004年に福祉教養コースを導入し、 本格的な 「学校再建」 をスタートした。 教職員の努力と卒業生を含む地域のバックアップによって、 再建は着々とすすんだ。 学校要覧に掲載されている 「卒業生進路状況」 の数字は、 この過程を見事に語っている。
 2008年 3 月の卒業生の進路状況をみると、 卒業生220名中、 大学・短大進学者が108名となり、 全国の普通高校の平均を上回る50%に達した。 また、 進路未決定者はヒトケタとなった。

3 朝自習
 私は、 12年間にわたって神高教の本部執行部を務め、 7 年間の休職専従期間が終了したことから2004年 4 月より学校現場に復帰した。 そして、 2005年 4 月に、 実に17年ぶりに念願の学級担任となった。 また、 担任の中で最年長であったことから、 主任手当が支給されなくなった 「学年主任」 に選出され、 結果として 3 年間にわたって学年の教職員の連絡調整を務めることになった。
 学年団の方針としては、 「教職員の協力体制の強化」 を重視し、 @各クラス生徒の課題・情報などの共有化、 A連絡体制を密にして諸課題への迅速な対応、 B学年通信の定期的発行、 を目標とした。
 あるクラスが、 入学式直後の 4 月 7 日から漢字の朝自習をはじめた。 これは生徒が 8 時30分に登校して、 朝のホームルームがはじまるまでの10分間漢字の課題を行うものである。 漢字の使い方もマスターさせることによって、 文章表現力を身につけさせることを目的とするが、 結果として遅刻防止指導もめざすものであった。 学年団として、 「全クラスでやろう」 と迅速に意思統一をして、 4月13日から実施することにした。 毎日、 20問の課題プリントを印刷し、 毎朝生徒の机上に配布することになった。
 連休明けまでは、 ほとんどの生徒がこの課題に真剣にとりくんだ。 しかし、 6 月を過ぎたあたりから、 脱落する生徒が出はじめた。  しかし、 この段階では捨てられているプリントはほとんどなかった。 10月を越えると教室にプリントが散乱するようになった。 12月になると、 紙飛行機が飛んでくると他学年からの苦情が出るようになった。 8 時30分には一人もいないクラスもあった。 それでも、 このとりくみは 1 学年終了まで毎日継続した。 いささか精神論的ではあるが、 生徒には教職員集団の熱意だけは伝わったようだ。

4 頭髪指導
 生徒へのメッセージの発信は頻繁に行った。 学年通信も 1 年間で13号、 学年集会も事あるごとに実施し、 学年主任の司会の下、 教員がそれぞれの思いを熱く語り、 生徒は真剣に聞いた。 学年という小さな教員集団であろうとも、 統一した教育理念・思想を持つことは困難であろう。 生徒には、 「この学年の教員は個性が強い。 教育に対する考え方も違っていると思う。 しかし、 皆が自立し、 この学校に誇りをもって、 将来の進路を決めて卒業させていくことでは、 一致団結している。 信頼してもらいたい」 と話した。
 そこで、 頭髪指導である。 「生徒心得」 では、 頭髪の染色・脱色を禁止している。 学年団では、 この学年から頭髪指導を徹底したいという意見が多数派であった。 (ちなみに私は少数派!) 極端に染色・脱色している生徒については、 定期的に呼び出し、 学年として指導を行った。 当該の生徒と話し合いをねばりづよく行い、 納得性を重視した。 この結果、 3 年間茶髪を貫いた生徒も数人いたが、 全体として大きく 「改善」 された。 「学校再建」 の過程の中で、 様々な頭髪に関する考え方があることを前提にした、 生徒との話し合いを重視した指導であったと確信している。

5 クラス編成
 1 学年も後半にさしかかった12月の忘年会の席上、 何人かの学級担任からクラス替えしないで 2 学年もこのままで行ったほうが、 学習指導・生徒指導も効果的になるのではないかという意見が出た。 高浜高校では、 県立高校の普通科一般コースでは一般的だと思うが、 毎年クラス替えを行ってきた。 もちろん、 毎年クラス替えを行うことは生徒が新しい人間関係を形成する上で教育的なメリットがあるだろう。 学年団で話し合った結果は、 「クラス替えを行わないことによって学校に登校できなくなってしまう可能性のある生徒がいなければ、 このままクラス替えを行わず担任もそのまま持ち上がってしまおう」 ということだった。 事前にこの方針を生徒に提案したところ、 生徒間では賛否両論あったが、 不登校となる生徒はいないだろうと慎重に判断し、 2 学年は学習指導体制の強化を目的として 1 学年のクラス・担任のままで行くという 「決断」 をした。 (担任 1 名が転出したためそのクラスは副担任が担任となった。) 春休みには不満をもった生徒の 「反乱」 もあったが、 9 月の文化祭、 10月の修学旅行を経ると生徒間の絆は強くなり、 全体として落ち着いた学習環境が形成された。
 3 学年次は、 「課題集中校」 時代に設置された 「総合系」 を廃止し、 「文科系」 と 「理科系」 の 2 系とした。 このため、 一般コースでは 2 年間じっくりと観察した生徒間の人間関係を活かしながら、 絶妙なクラス分けを行い、 クラス担任・教科担当の配置に工夫を凝らした。
 この体制が功を奏したと確信しているが、 生徒が学習に集中できる環境づくりがすすみ、 前期の 「成績優秀者」 (評定平均4.0以上) は220人中実に87人に及んだ。

6 むすび
 進路指導は、 学年全体でとりくむ体制を形成した。 生徒には、 学級担任か否かにかかわらず、 一番相談しやすい教員のところに行くように宣言した。 その結果、 1 ・ 2 学年の学級担任の指導を受ける生徒もいた。
 進路ガイダンス、 個別の進路指導、 AO入試指導、 小論文指導、 面接指導などの十分な時間を確保するため、 学年会議はどうしても必要な場合に限定し、 結果として年間 3 ・ 4 回しか開催しなかった。 しかし、 朝の打合せ、 回覧、 日常的な意見交換・話し合いによって、 学年団の協力体制は維持することが出来たと考える。
 ここで進路指導を展開していく中で、 格差社会の現実に直面することになる。 結果として、 生徒220名中、 大学・短大に108名、 専修学校・専門学校に66名が進学することになったのであるが、 100万円に達する初年度納入金を容易に準備できた生徒は多くない。 必死にアルバイトで稼ぎ出した生徒も少なくない。 授業料減免を受けている保護者の多くが、 自分たちが進学できなかった上級学校に子どもを進学させるため、 「教育ローン」 を含め必死に努力している場面に直面した。 「教育ローン」 を利用できる基準に達していない場合 (所得が一定の基準に達していなければ借りることができない!) は、 「最後の砦」 として、 市社会福祉協議会の貸与制度を紹介した。 新自由主義を唱え、 義務教育以外の教育を自己責任の分野と規定する人々に、 この現実を直視してもらいたいと考える。
 3 年間、 学年団として、 進路学習、 総合学習などをあらゆる機会を通して、 将来の進路のステップと考える教育を展開してきた自負を持っている。 今年度の進路未決定者 8 名の中には、 難関大学への進学をめざす生徒、 ダンサーのオーデション合格をめざす生徒も含まれている。 一方、 今年度急増した大学・短大進学者に、 自己の進路を明確に展望する 「キャリア教育」 を展開することが効果的にできたかという自信はない。 しかし、 「希望格差社会」 に対峙するしたたかな教育実践を追求していくことが、 この時代を生きる教職員の使命と考えている。

(ばとり あつし 藤沢総合高校教諭)
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