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憲法を変えてはならない
白山高校教員 瀧澤 裕一

 戦後の教育は、 戦争放棄を謳った日本国憲法の精神を根付かせることが重要な目的であったのですが、 教育基本法が 「改悪」 され、 約 1 年半、 事態は刻々と悪化しているように思います。
 「教職員組合は未だに 『日の丸・君が代』 にこだわっている」 といわれることもありますが、 入学式、 卒業式などで 「国旗・国歌」 に敬意を表すことを強制しようとする目的は、 「国旗・国歌」 のもとに国民を統合し、 「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」 と教えるこむことにあるのではないでしょうか。 これにこだわらないでどうしようというのでしょう。
 最近、 沖縄や横須賀で、 アメリカ兵によるさまざまな事件が起きていますが、 横浜では1977年、 米軍機が民家に墜落しました。 3 歳と 1 歳の兄弟が亡くなり、 4 年後にその母親も亡くなっています。 昨年 9 月はその30年の節目を迎え、 中高生を中心に、 小学生から大人までが参加した緑区市民ミュージカルがこの事故を取り上げ、 この事件を語り継いでくれました。
 そして、 労働組合等による実行委員会主催の集会もありました。 やっと本題に入ります。
 この集会では、 岩波新書 「戦争で死ぬということ」 の著者、 島本慈子さんの講演がありました。 こうした集会の講演は多くの場合、 自分がいつも話していることだけを話して終わることが多いのですが、 この日の講演は違いました。
 1977年の事故の惨状についての話から始まりました。 多くの文献を調べてきていて、 大やけどを負った住民の様子を綴ったものが紹介されると、 それは、 広島・長崎の原爆の被害を聞いているようでした。
 今起こっている、 あるいはこれから起ころうとしている戦争は、 1945年までのような過去の戦争とはちがうという人が多いが、 決してそうではなく、 「戦争のエキス」 は変わらない、 という話になっていきました。 その中で…
 1945年 8 月 6 日、 広島に原子爆弾を落としたあと、 ホワイトハウスがトルーマン大統領の声明を発表しました。 「われわれは原子爆弾の生産のために 2 つの大工場を持ち、 多くのより小さな工場を持っている。 もっとも建設事業の盛んだったときには、 従業員の数は12万 5 千人を超えた。 多くはすでに 2 年半働いているが、 『自分が何をつくっていたか』 を知っている者はきわめて少ない。」
 原子爆弾はごく少数の科学者によってつくられたものではありません。 多くの科学者、 技術者、 労働者によってつくられたものです。 そして、 原子爆弾をつくることに携わった多くの人が、 自分の知識、 技術、 そして労働によって、 あの惨劇が起こったことを知らないのでした。
 ここから話は現代の日本に移っていきました。
 今、 日本には憲法 9 条があります。 日本は武器の一部分であっても輸出していません。 もし、 憲法 9 条が変えられ、 武器を輸出することができるようになったり、 日本の軍隊が武力行使できるようになったりとすると、 日本における労働の質が変わります。 これまで、 何をしても 「人を殺すため」 に働くことはなかったのですが、 これからは本人が自覚しなくても、 「人を殺すため」 に働いているのかもしれない状況になるのです。
 ここまで聞いて、 ハッとしました。 憲法 9 条が変えられ、 日本が戦争のできる国になると、 私たちが教えていることが 「人を殺すため」 に利用されることになるのだということに気がついたのです。 私が教えた数学が、 私が教えた情報の技術が、 「人を殺すため」 に活用されるのです。 私の知識が、 戦争に生かされることになるのです。
 思いをあらたにして、 日本国憲法をまもり、 いつまでも日本が戦争のできない国であり続けるよう、 これからも行動をしなくてはいけないと痛感した集会となりました。

【参考文献】
 岩波新書 「戦争で死ぬということ」
 岩波ブックレット  「この時代に生きること、 働くこと」

 

(たきざわ ゆういち)

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