シンポジウムをふりかえって
 
井上 恭宏

 ここではシンポジウムでの討論を踏まえて、 私なりにまとめをしてみたい。
  「貧困の連鎖と学校」 と題されたシンポジウムは、 「非正規切り 3 万人」 「新卒者の内定取り消し331人」 という報道がなされるなかで行われた。 金融危機以降、 景気の調整弁としての 「派遣切り」 が激化するまっただなかでの討論会である。 非正規雇用者は全労働者の40%近くを占め、 内定取り消しの乱発は 「第 2 のロストジェネレーション世代」 を生み出そうとしている。 12月には 「年越し派遣村」 が、 2009年 3 月には 「年度末派遣村」 がつくられている。
 相対的貧困率 (所得の高い人と低い人を並べ、 真ん中の人の所得の半分以下の所得を貧困ラインとして設定し、 貧困ライン以下の人の全体に対する割合を示したもの) が13.5%となり (2000年。 アメリカの13.7%に次ぐ 2 位)、 ワーキングプアとハウジングプアという 2 つの大きなうねりのなかで 「暮らしの難民化」 が起こっていると稲葉さんは指摘している。
 仕事がない、 住む家がない、 貯金がない、 食べるものがないといった 「経済的貧困」。 困ったときに頼れる人がいない、 話を聞いてくれる人がいない、 アパートや仕事の保証人がいないといった 「人間関係の貧困」。 この 2 つの貧困が 「暮らしの難民化」 を進行させ、 若者や家族をバラバラにしていく。
 2008年 6 月に起こった 「秋葉原の事件」 の容疑者は、 派遣社員として静岡県内にあるトヨタ系列の下請け工場で働いていた。 「(容疑者は) ある日、 出勤した際にツナギ (作業着) がなかったことがきっかけで〈暴走〉を始めたと言われています。 ロッカーにツナギがなければ、 同僚に聞いてみればいいのではないか、 というのが健全な感覚ですが、 彼にはそれができなかった。 そこに派遣労働者の置かれている状況の特徴がある」 と稲葉さんは言う。
 2005年のOECDの報告によれば、 日本は 「社会的孤立の状況」 に関する調査のなかで、 「友人、 同僚、 その他宗教・スポーツ・文化グループの人と全く、 あるいはめったに付き合わない」 と答えた人の比率が15.3%で 1 位になっている (ちなみに韓国は7.5%で 8 位)。
 稲葉さんは 「生を無条件肯定できない社会」 へと向かいつつある現代社会への警鐘を鳴らしている。 憲法第25条の生存権は、 誰であっても無条件に生きる基盤を保障する。 他方、 世間からは、 実際はごくわずかしかいない生活保護不正受給の問題が過剰に語られたり、 「生活保護を受けているのに刺身を食べているのはけしからん」 といった批判がなされたりする。 「生活困窮者の暮らしをチェックして、 他者が〈生きる〉ということに対してハードルを設けようとする人々は、 実は自分自身の〈生〉も無条件に肯定していないのではないか」 とのことである。
 こうした傾向に加え、 生まれたときから 「勝ち組、 負け組」 について語られ、 ダンボールハウスやブルーシートがあたり前の光景になった子どもたちには、 「生活に困っても社会は手を差し伸べてくれない」、 「だから、 ああならないように頑張りなさい」 という無言の 「教育」 がもたらされてきた。
 横浜で1983年におこった 「少年たちによる野宿者襲撃事件」 は、 いまや 「驚くべき事件」 ではなくなっている。 最近のケースでは、 加害少年は 「(野宿者は) 世の中の役に立っていない。 汚くて社会に迷惑をかけており、 死ぬのを待っているだけ。 死んでもしかたがない」 と供述している。 先進各国で野宿者襲撃は頻発しており、 経済のグローバル化、 新自由主義による格差拡大が進行した先進各国に共通する現象となっている。
 神奈川の定時制高校は、 ここ数年で爆発的に新入生が増加している。 全日制を希望する生徒が全日制に入れなくなっているからである。 「経済的貧困」 と 「人間関係の貧困」。 しのびよる 「暮らしの難民化」 の影。 そうした状況のなかを定時制生徒が学び、 生きている。 シンポジウムでは定時制高校の現場での生徒と教員の格闘と共闘の姿がリアルに語られた。
 2007年度の高校中退者は全国で 7 万人。 家計の問題や家族の不和。 学力不振と社会への不信。 「暮らしの難民化」 は、 中退者をも増大させている。 「難民化」 が 「再生産」 されていくことになるのだろうか。 アンドレ・ゴルツは 「学校教育は本質的に選別的なもので、 社会的不平等に文化的基礎を与えるものだ」 と述べている。 これは社会的不平等に正当性を付与するのが近代学校の役割だという批判である。 定時制で格闘する教師たちがシンポジウムでくり返し指摘していたのは、 「高校教育が、 社会的格差を広げ、 固定化していく機能を果たしてく状態は改められるべきだ」 ということである。
  『ワーキングプア 日本を蝕む病』 (ポプラ社 2007) に、 小学校に入学して朝食というものがあることを知った青年へのインタビューが掲載されている。 彼は部活動など、 お金のかかる活動には参加しないようになり、 しだいに友達そのものが居なくなったと語っている。 現代の 『蟹工船』 とも呼ばれた小説 『メタボラ』 (桐野夏生 朝日新聞社 2007) に登場する青年は、 家族の崩壊のなかでフリーターとなり、 過酷な派遣労働のなかで自死の道を選んでいる。 これらはルポルタージュや小説の世界のことだが、 自分で自分につけている 「目隠し」 をはずせば、 すぐ隣に見える 「難民化」 「漂流」 の現実である。 今回のシンポジウムは、 そうした現実を直視する機会を与えてくれた。

(いのうえ やすひろ 教育研究所員)
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