ねざす談議(35)

「志を大にし……」

 
小山 文雄

 明治から大正にかけて、 正統派福音主義を掲げ 「福音信報」 を主宰し、 日本キリスト教界を主導した牧師に植村正久 (安政 4 〜大正14) が居る。
 明治27年大晦日のことだが、 彼は伝道上の打合わせのために出張していた大阪から、 長女澄江 (11歳) にあてて、 来年は一つ年を加えて 「おとなの方に近寄られ候」 ことだから 「暫時なりとも落ち付きて母上と祈り語りて志を養うが大切に御座候」 と書きおこした手紙を送った。
 そして 「父は貧にして困り居り候得共、 神の為と云う大事を心掛け、 其れのみ専に務め居り候」 と告げると共に、 あなた達姉妹は世間の子女と比べれば、 「金銀衣服の上などには不自由の事」 が多いとは思うが、 「其れしきの事に屈託致し、 苦に病み恥じ縮かまり候は、 小人と申すものに候、 御身も幼少の時より志を大にし、 世間の女子等と異なる精神ある様心懸なさるべく候」 と励まし、 「明日より明後日までは満城の春、 世間豪華の子女綺羅を飾るにやあらん 御身は粗服して質素に母や妹と真正の春を楽しむ様致されよ。 まことの春は飾りなきうちに楽しく味はるべく候」 と、 神と共なる春への思いを促していた。
 時は過ぎて17年後二女の環 (21歳) がアメリカのウェルズレー大学に留学していた時、 外国伝道中の植村はそこに立ち寄り、 一夜を共に過ごして別れた翌日、 早速に環にあてて手紙を書いた。
  「啓 昨日は名残り惜くも別れたり。 父は思わずも目を沾ほしぬ。 御身が異郷のたび寝心細く寂寞しからんと思い遣らる。 されど前日にまし諸事大人び、 世の中の経験も稍や惇しつつあるが上に、 主耶蘇に頼ること故、 うきにもたえて雄々しく奮闘せらるべしと信ずるぞかし」
 この励ましに次いで植村は、 日に日に大人びてゆく娘に次のように求める。
  「大人びて世間の経験を積みたればとて、 幼かりし頃の単純、 誠実、 理想的の夢、 天真爛漫、 熱切なる同情は何時までも失わざれ。 常に聖書のうちに身を潜め、 密室の祈り怠りなく、 あけくれ基督とともに生活せられなば、 御身の人格は益気高く世にも有益なるものとなり、 ひろく神の栄をも彰はしつべきぞ。 唯慎しむべきはアムビションのために煩悶して徒らに身を徒らに心を砕くことなり。 人の前の誉は、 時として道のため、 人格のため、 主に於てならば、 之を失うもよし、 落第するもよし、 半途にして帰国するもよし。 唯だ正しき意味の成功を期せられよ。 神は御身を大いに用いたまうならんと父は確信す。 ヨセフの身の上を思えかし」
 理に偏せず、 情におぼれず、 条理と情愛を織り込みながらの、 このきっぱりしたもの言いは、 読むごとに心打たれて、 なぜか教育の 心 に思いが移る。
 父は娘にさらに語を継ぐ   「前の夜、 スケネクタデーに泊りしとき、 世の虚栄に染るのおそろしさを御身 〔あなた〕 が寝ものがたりにせられしを深く心に銘じたり。 父は此の思想を御身に与えられし神に感謝す。 よくも心付きたまいぬ。 其志を失わず、 質素に、 正直に邁往せられよかし。 ……吾が家のものども皆同心一致世の虚栄と戦かいて、 基督者の面目を常に発揮せではいかで止むべき。 神よ吾等の薄志弱行なるを憐みたまえ」
 澄江あてには 「志を大にし」 と、 また環には 「其志を失わず」 と言う、 植村正久にとってその 「志」 は 「信仰」 そのものなのだ。 「信仰は即ち志である。 基督の命令を奉じ、 それに志を傾け、 誠意を以て従う事である」 という立言は 「志」 に寄せるその思いを最も単的に表明していると言えるだろう。
 いま私はこの二通の手紙に示された
倶に生きる姿勢 と きっぱりとした愛情 に深く心を寄せている。 それらは師として世に立つ者の基本なのだと。
 私にとって人生そのものでもある 「教育」 に寄せて言うなら、 伝えるべき事への研鑽と伝えるべきの思いへの沈潜とが組みあってこそ 「教」 と 「育」 が果たされる、 それを改めて胸に納めて稿を閉じよう。


 終稿の辞
『ねざす』 の創刊にかかわり、 求められて 「ねざす談義」 の執筆を続けて17年、 なお語り続けたい思いはするが、 いままた求めに応じ筆者の座を退く。 感懐深きものありだが、 倉皇の間、 意通じ難きを恐れ、 今はただ読者諸氏の長年の好誼を謝するのみ。 キケロの 「老境について」 の一節を引いて御挨拶を閉じよう。
「ソロンがある小詩によせて自分は日に日にあまたまなびつつ老いてゆくというている。 その事実はソロンにとってあっぱれのことであるが、 そういう心のよろこびにくらべては、 全くなにひとつより大いなるよろこびはこの世にあるはずがないのである」 (吉田正通訳、 岩波文庫)
 諸氏のさらなる研鑽を祈るや切。
         2009年秋

(こやま ふみお 教育研究所共同研究員)
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