●学校の現場から●

クラス通信の行方
 
小 口 映 雨

 クラス通信を書き始めて20年近くになる。 最初の頃は手書きで、 イラストなどもいたずら書きに近いものだった。 クラス通信は、 同僚に勧められて始めたのだが、 いつしかクラス経営にはなくてはならないものとなっていった。

 その内容は担任をしている生徒の学年によって変化する。

 1 年生のクラス通信は、 4 月に入学した生徒たちのクラスづくり、 高校生活をスタートするための入門編のようなものになる。 必然的に、 自己紹介などプライベートな内容も多くなる。 自己紹介の特集は入学直後の生徒たちに人気があり、 よく読んでくれた。 その内容がきっかけで話題ができ、 新しい友人ができるケースも多くみられた。
 自己紹介特集はインタビュー形式で個人面談の内容をのせるもので、 出身中学校・中学時代所属していた部活動・入学して頑張りたいこと (高校生活の抱負)・好きな科目など、 よくある自己紹介の質問とともに、 生徒個人のプライバシーにかかわる内容も掘り下げて聞いていく。 誕生日・血液型・星座・好きな色・好きな食べ物・よく聞く音楽や好きなアーティスト・マンガや本などで気に入っているもの、 などである。 生徒にとってはこちらの情報の方が重要らしく、 クラスではその後、 CDや漫画の貸し借りがあちこちで見られるようになる。 中には、 クラスメートから誕生日おめでとうと、 朝のHRで言われてびっくり、 嬉しそうにしていた生徒もあった。
十数年前から続いているこの入学特集も、 最近の個人情報取り扱い事項にふれ、 中止をせざるをえない状況が生まれてきた。
 確かにクラス通信は、 クラスメートだけに当てた情報の発信であるとはいえ、 不特定多数の多くの人に読まれる可能性のあるものである。 その紙面に、 個人情報がびっしり詰まっているのだから、 管理職としては放っておくことはできなかったのだろう。 こういう内容の文書の発行は困る、 と言われ、 発行の際には必ず学年主任 (総括教諭) と管理職に見せ、 許可を得てから発行するようにと注意を受けた。
 その時のクラス通信では、 クラスの生徒のペット (ペットの犬や猫のおとぼけたエピソードや、 増えすぎて困ったペット情報 (大抵メダカなどの魚類が多かった)、 兄弟との日頃の様子、 家族とのコミュニケーションの様子などもインタビューされ、 載せられていた。
 高校生になり、 家族とのコミュニケーションも中学時代とは違った様子をみせる生徒たち。 親との会話の様子や喧嘩をして反省する様子などのクラス通信に載せた友人の話を読むと、 生徒も自分自身を振り返り 「やはり親には素直にならなければいけないな」 と反省することも多かったようだ。
 そして、 対人関係や進路で悩んでいる様子なども自分と同じ悩みとして共感でき、 さりげなくアドバイスを求め合ったりしていた。
 管理職に校長室へ呼ばれて、 このような文書の発行はならぬ、 と再度の注意を受けると、 さすがにこの特集を続けていくのは難しい、 と断念した。 その際には、 クラス通信を読んでいてくれる生徒と保護者に向けて、 個人面談の今まで通りのインタビュー内容が載せられないと、 おわびの言葉を載せた。 すると生徒や保護者から、 今まで通り特集を続けて欲しいと要望が寄せられた。 その理由は、 このようなものである。 保護者からは、 「高校生になり、 部活や塾などで帰りも遅く、 なかなか学校の様子やクラスの様子がつかめない。 そのような中で、 クラスメートがどのような人柄なのか、 どのようなことで悩み頑張っているのか、 クラス通信を読むと様子がわかり、 安心した。 家庭での会話も増えた」 という。 学校行事の際にクラスの生徒の様子もよくわかる。 「友人はいるのか、 どのようにクラスメートとかかわっているのか」 そのようなこともクラス通信をきっかけに聞くことができた。
 このような要望は、 生徒からも寄せられた。 「せっかく楽しみにしていたのに、 どうして載せてくれないのですか」 というものが多かった。
 このようにして個人情報が流出する、 と差し止めになったクラス通信個人面談特集であるが、 ある日とても考えさせられるような出来事が起こった。
 それは、 最近はやりのプロフ・ブログの引き起こしたものだ。
 ある生徒の作成したプロフには、 休日に友人と遊んだ様子や人物が特定できる写真、 などが載っていた。 友人のニックネームや高校名も載せられていて、 すぐに個人が特定できるものであった。 私にとっては、 このような個人情報をインターネット上に配信していることがまず信じられなかったし、 生徒たちの個人情報への無防備さは恐ろしいまでに進んでしまっているのだ、 と実感した。 今までは 「どこまでの個人情報をクラス通信に載せていくことがいいのか」 迷いながら、 「ある程度親密な関係を作り上げるために、 クラスの友人しか知り得ないような情報網としてのクラス通信がある」 と考えてきた。 しかし、 このプロフ事件をきっかけに、 もう一度個人情報の守秘について考えてみる必要が出てきた。 あからさまに自分や友人の情報を世間一般に向かって流出している生徒たち。 生徒だけでなく、 個人的にホームページなどを持ち、 自分のことを不特定多数の人間に向かって発信している大人たち。 芸能人がこのブームの始まりだとは思えないが、 最近はアクセス数で人気を争っているようなところもある。  
 試しにクラスの生徒に 「プロフ・ブログをやっていない生徒はどれくらいいますか?」 と質問したところ、 クラス35人中かかわっていない生徒は、 5 人程度しかいなかったのである。 多くの生徒は、 プロフやブログで自分の悩みやその日の行動など、 昔はこっそり日記帳に書いてだれにも見られないようにしていた内容をインターネット上で公開していた。
 この感覚のずれはどこから来ているのか。 自分のことを不特定多数の人間に分かってもらいたいという欲求が生徒たちに必要以上に高まっているのだという事実。 これをどのように解釈したらよいのか。 ジェネレーションギャップを感じ、 生徒たちが急に遠い存在に見えてきた。
 クラス通信は学校で作られ、 流される個人情報の宝庫である。 しかし、 その情報はクラスメートにあてて発信されたものであり、 不特定多数の人間に向かってのメッセージとは異なっている。 自分の情報をクラスメートに向かって投げかけるとき、 自分を理解し自分との距離を縮めて欲しいと考える。 それと同時に、 その情報を受け取る人にも、 発信する側にも責任を持つことが要求される。 「クラスについて考える」 などというテーマで、 クラス通信に自分の意見を寄せるとしよう。 あいまいな意見や投げやりな考え方はできない。 そのような発言 (発信) をすれば、 即自分の責任問題となるし、 クラスの友人に不信感を抱かれてしまい、 その後の人間関係が難しくなることもあるだろう。 だからこそ、 発言や考え方に責任を持ち、 いい加減なことは発信できないのだ。
 プロフ・ブログの類はどうであろう。 受け手の顔も見えない、 何を言っても自由。 いい加減なことを言ってもすぐに次の日に訂正したりして。 まるでコロコロと変わる自分の気持ちや発言を楽しむかのようなものも多い。 つぶやきツイッターもしかり。 そのような情報で慰められたり勇気づけたりしている人がいることが、 信じられないぐらいだ。
 この時代の流れの中で、 クラス通信を通して生徒たちに伝えて行かなくてはならないものとは何であろう。
 クラス通信であろうが、 プロフ・ブログの類であろうが、 情報を発信すれば、 個人として特定され責任が求められる。 その大前提に立ったうえで個人情報を発信するべきなのだ。 学級会で個人の意見発表が行われることと同じ。 インターネットでも学級会で意見を述べるのと等しく責任があり、 個人の特定ができるものなのだということを、 生徒たちに伝えて行かなくてはなるまい。 プロフでつぶやくことはできても、 実際の友人関係のなかでコミュニケーションができない生徒を作らないために、 情報と個人の責任のあり方をはっきりと認識させて行かなくては、 誰も個人情報を本気にとらえてはくれない時代が来てしまう。 あなただけにそっと相談したいことを持たない人間の悲しみ。 そのようなことにならないうちに生徒たちへ、 「心の扉の鍵はもう少し慎重に開けて行こう」 と伝えていきたい。

(こぐち うつめ 鎌倉高校教員)
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