特集T 通信制高校は今
通信制サポート校からの報告
 
川島 光貴
 第一学院学院(現第一学院)という学校をご存じだろうか。本稿の沿革をご説明し、そのあと前の二報告にならって今の生徒の現状を中心に報告させていただきたいと思う。
  • 本校の沿革

    第一高等学院(現第一学院)は、26年前、1985年に、当時大検と呼ばれていた、今でいう高卒認定試験の予備校として開校した。今日も高卒認定試験の本番、本試験の当日で、今日、明日と本校の先生たちもみな会場に出向いている。1998年には高校コースを開校、2002年には高校コースを全国に展開するようになった。高卒認定試験の場合は、高校卒業の資格は得られず、学歴にはならない。あくまで、大学や専門学校等に進学をするためのものになる。保護者、生徒から、高校卒業の学歴がほしいと、いう希望が非常に多くなり、高校コースを併設することにしたわけである。高校コースは通信制高校(大阪にある向陽台高等学校)のいわゆるサポート校という位置づけであった。当時の横浜校の生徒はとにかくやんちゃで、当時、修悠館高校さんなどもなく、中学校で荒れていた子たちが集まって来るような高校だった。先ほどの報告にあった、たばこの件や暴力の件を聞いていると、懐かしい半面、「ああ、そんな時代もあったな」という実感がある。その後、2005年、通信制高校をグループ内で開校することになり、それがウィザス高等学校(現第一学院高等学校高萩校)である。提携という形だと教育方針や教育理念でずれが出てくるところがある。そこで、当時の小泉首相の、いわゆる構造改革の特区というものを日本で初めて活用して、通信制高校をグループ内で開校することになったわけである。私どもは、文部科学省が、当時の大検を通じて活動してきた実績が認められたものと考えている。ウィザス高等学校は、茨城県の高萩市という、福島県寄りの茨城県にある、広域制の通信制高校である。さらに2008年、ウィザスナビ高校(現第一学院高等学校養父校)を兵庫県の養父市に、同じく広域制の通信制高校として開校した。この2校合わせて、私ども第一高等学院は全国に36校校舎があるが、6000名の生徒が在籍している。第一高等学院は、通信制高校のいわゆるサポート校としてだけではなくて、もともとのいわゆる高卒認定試験の予備校、それから大学受験の予備校としてもやっているので、全生徒合わせると、2011年の3月で9000名の生徒を抱えている。卒業生は、60000名を超えており、その中には、例えばサッカーの香川真司選手や原口元気選手など日本を背負うような活躍をしている卒業生がいる。

  • 生徒の現状

    先ほど昔はやんちゃばかりというお話しをしたが、ここ、3〜4年、生徒の質というのが大きく変わってきた。本校には、中学校3年生から直接入学をして来る生徒の他、他の高校から転校をして来るケースも多い。全日制の高校でなかなか友人関係がうまくいかない、校則が厳しい、勉強がついて行けない、もろもろ個々の状況を持った中で転校してくることが非常に多い。そういった生徒を見ていると、中学校で1日も学校に行ってないとか、入学式だけ行ったとか、小学校からもう不登校というような生徒が、大部分を占めるようになった。
    また中学校に通えていないため、学力がついていないので、一旦公立の通信制高校に進学をしたが、単位の修得ができず、進級・卒業ができないため、公立の通信制高校から転校してくるケースも多い。

  • 生徒像の変化、時間割、登校日数

    第一高等学院横浜校では、生徒が登校をして来て、そこでレポートを織り交ぜた授業を展開していくというような形で、通信制高校のカリキュラムをサポートしている。そのあたりの普段の生徒の状況をお話したい。
    月曜日から金曜日まで、1時間目が9時20分から始まり、時間割としては7時間目、4時50分まである。ただ、全員がすべての授業に出るというわけではない。生徒ごとに時間割は異なっている。転校生の場合は、前籍校で履修した内容によって、卒業までにどの科目が必修科目として必要なのかとかいうようなところを、担任の先生と保護者と生徒とで、まずこれが高校を卒業するためには必要だよねというようなところからスタートして時間割を組んでいく。生徒によっては登校してくる日数というのが、平均すると3日から4日になる。ただ、先ほどお話したように生徒個々の状況は異なる。なかなか学校に通ってくることができないという生徒がやはり多くいるので、週1日から始めてみよう、という子も中にはいるし、すごい進学校から転校してくるケースもある。例えば慶応さんですとか、桐蔭さんなどから、転校してくるケースもある。そういった生徒は勉強がすごくできる。彼らはちょっとしたきっかけで学校に通えなくなってしまった、このままでは留年してしまう、などといった場合に転校してくる。こうしたケースの場合は大学進学というものをメインに置き、そういった授業を中心に時間割を組んでいくので、週に5日間、登校して授業を受けるというような形になる。生徒それぞれの状況に応じた中での時間割が組まれるので、100人いれば100通りの時間割があるという形になる。本校では、クラスというものは設けていない。何年何組というのはない。クラスという中でうまくいかなかった子というのが非常に多いということもあるし、私どもの教育理念として「1分の1の教育」というのを掲げているからということもある。これは26年間変わっていないが、生徒一人一人に対しての対応をしていこうということで行っているので、先ほどの1対40とか、1対50ということではなくて、生徒それぞれに合った形の対応をしていくので、何年何組というような形のクラスというのはあえて設けていない。生徒がそれぞれ自分の時間割に沿って、2時間目はここの教室で国語総合を受ける、3時間目はここの教室で理科総合Aを受ける、そして昼休みを挟んで4時間目は、受験に向けて英語の演習授業がここの教室でやる、というような形で動いて行くような、大学のような形の授業体系だと思っていただけるとイメージしやすいのかな、と思う。登校してくるということに関しても、なかなか登校がすんなりとできる子ばかりではないから、担任の先生なり教科の先生なりが苦労をしながら生徒を学校に呼ぶケース、などというのももちろんあるが、平均すると、横浜校のケースでは、登校してくる割合というのは一日で80%ぐらい、今横浜校に在籍をしている生徒というのが、300名近くいるが、80%ぐらいの登校率で推移している。横浜だけではなくて他の地域の校舎もそのぐらいの割合になっている。
    中学校に一日も行ってないというようなケースなどの場合、学力が心配だと、いう子が非常に多い。ここ最近、中学校3年生から入学してくる生徒の中で特に多いので、授業の中に中学校レベルの授業というのを、通信制高校の単位としてではなく、時間割の中に組んでいる。例えば英語でいうと、アルファベットから、ABCから、そこからできない子が多いので、そこから始める授業を設定している。数学であれば四則計算、足し算引き算、掛け算割り算から始める。高校のレポートは教科書に準拠した形の内容なので、そのレポートを授業内で混ぜて、普通に先生が授業をやりながら、レポートを混ぜていく。本来の通信制高校の形ですと先ほどお話あったように自学自習という部分があると思うが、なかなか16歳17歳の子が自学自習というのは難しいので、授業をやりながらレポートを織り交ぜていくっていうような形をとっている。(レポートは最終的にマークシートに記入をし、データを通信制高校に送る)
    また、大学進学ということでいえば、卒業生は横浜校であればこの前の3月で100名だが、そのうち80%の子は進学する。六大学とかそういったところに進学をする子もいるし、専門学校、就職などそれぞれの希望進路の実現を目標に向けて努力しているわけである。やはり就職に関しては非常に苦労しているところはある。
    親御さんとしては授業料も気になるところだと思うが、生徒の実情に合わせるため、様々なコースを設けている。例えば年間30万の自宅学習のコースから年間約90万円の通学する特別進学コースまで揃えている。

  • 卒業後を見据えて

    先ほど、修悠館高校の先生が疑似全日制ということを言われたとき、ドキッとしたが、本校も実は疑似全日制に近いのかなというような感じがした。登校して生徒と先生が接する、行事もあるので生徒同士の交流だとかそういった勉強以外の部分での生徒指導というのも常日頃から行っているわけだが、それには少し意味がある。
    生徒はほとんどが3年間で卒業していく(毎年の卒業率約99%)。留年はまずない。中には体調面などでちょっと事情があって半年だけ卒業が延び、9月卒業という者も稀にいる。問題は3年間で卒業したあとのことだ。学校にいる3年間は、積極的に生徒をかまってやって、話してやって、いろいろ話を聞いてという形で過ごせるので、それはそれでいいのだが、では、この子たちが社会に出たときにどうなるのか、という心配がある。社会できちんと適応できるのか、という心配だ。本校のような学校は実はたくさんある。横浜駅近辺だけでも何校もあるけれども、中には年間4日間の出席でOKです、という学校もある。その学校の子たちは、今はいいかもしれないが、その後どうするだろうなという心配がある。だから、私たちあえて登校する形をとっている。登校を、1日から始めてそれが2日になる、3日になる、もちろん生徒それぞれの状況あるのでようやくそこで、「よかったね2日来られるようになったね」「3日来られるようになったね」と、生徒が成長していく。そこで初めて3年たったあとに大学行くなり専門学校行くなり就職するなりした時に、大学や就職は週に1回でいいわけはないから、生徒たちが困らないようにしてあげたいなと考えている。そのギャップを埋めてあげたいということが、私たちの日々指導をしている中で生徒に伝えたい一番の根本的な部分であり、登校を促して、そこでコミュニケーションを取るというようなことを目指している部分だ。とにかくコミュニケーションを取ることが下手な子たちが非常に多い。修悠館高校の方から、8時から5時までPSPの通信でゲームをやっている、というケースがあるという話があったが、私どものやっぱり学校にも、8時から5時までずっとゲームをやっている子どもはなかなかいないが、それに近いような子はいる。休憩室で、友だちと4人くらいで通信のゲームをやっている。そこでの会話っていうのはあまりない。コミュニケーションを、そのゲームの中では、とっているのかもしれないが、言葉を発したり、表現したりというかたちではほとんどない。しかし、今社会ではやはり明確な形でコミュニケーションをとることが求められている。今社会で活躍するために必要な能力というのは、コミュニケーション力と、それから主体性というのが、企業、社会で求められている能力だと思われる。それが、今の生徒にはすごく欠けているので、これをどうにかつけさせてやりたいと思っている。勉強も大事だが、今の社会が求めている力を色々なプログラムの中で、私たちは、セルフコーチプログラム※などと呼んでいるが、表現をする機会とか、自分の長所なり短所を自分で発言したりとか表現したりとかする機会を設けながら、生徒に接している。そのあたりが、教員も苦労するところだし、生徒や保護者の方にとっても、なかなかうまくいかないのが現状ではある。

    ※セルフコーチプログラム:「ポジティブに自分を受け止める」などのテーマを設定し、グループワークなどによって実施する。自己肯定感を高めるためのプログラムとして位置づけている。

    中には親御さんが学校の前まで車で連れてくるケースもある。その車から出ない。車から学校に入れない。私なり担任なりが車のところまで行って、そこで説得が始まる。そこからようやく学校に入って来るが、居ても1時間いられるかなというような子がいる。その前には親御さんが家でその車に乗せるまでの格闘があると思う。その段階で駄目だったときには親御さんから電話がかかってくる。「今日だめです」「今日はもう車にも乗れません」。親御さんと話をして、何曜日と何曜日と週2回ぐらい、時間も決めて、生徒が多くいない時間に、先ほどお話した9時20分から始まってお昼まわる2時くらいまでは生徒が多くいるので、その授業が終わってある程度生徒が少なくなった、夕方の時間3時とか4時ぐらいにだいたい設定する。「今日は学校までは来ました」いうようなこともある。調子が良い時はひょっと入ってくる。とことこと車から降りてくる。そこで職員室まで来る。「おお。よく来たじゃん!」「今日は一人で来られたね、頑張ったね」っていうような子も、一人や二人ではない。
    またコミュニケーションをとる練習の場でもあり、単位を修得するために必要なこととしてスクーリングがある。
    スクーリングとは年に1回、2泊3日で通信制高校であるウィザス高校(茨城県高萩市)で行われる授業である。
    3日間の中では、そば打ちや陶芸などを地元の方に教わる体験学習を中心に、様々なプログラムがある。
    それにより友達や地元の方とのコミュニケーションを取りながら、生徒が成長するためのひとつの場にもなっている。

  • おわりに

    今日、私は、26年前に第一高等学院、それから途中でウィザス高校、ウィザスナビ高校という通信制高校を立ち上げたということをお話した。さてじゃあ、生徒たちはどこの学校の生徒なのか。ここにいる方には、「第一高等学院はウィザス高等学校という通信制高校のサポート校だな」「ウィザスナビ高等学校のサポート校なんだな」というのはご理解いただけるとは思う。しかし、生徒にはわかりにくい。普段生徒は毎日第一高等学院、例えば神奈川県在住なら私どもの横浜校に通っている。彼らが履歴書とか、大学に提出する願書などに書くときに、だいたい第一高等学院と間違えて書く。「いやいや違うんだよ、君たちはウィザス高等学校という通信制高校に在籍をしているから、そこの学校名書かなければいけないんだよ。」という話を必ずする。それでもやっぱり間違える。生徒はアルバイトの履歴書を書くときも第一高等学院と普通に書いている。そこで、生徒のことを一番に考えたときにこれは一緒にした方がいいのであろうということで、2012年4月、今年度の4月から校名を変更して、「第一学院」になる予定である。ウィザス高等学校、それからウィザスナビ高等学校が「第一学院高等学校」という名前になる。

  (かわしまみつたか 第一学院横浜校校長)

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