寄稿 

新任教員の視点から見た総合学科、 大師高校

松井 浩気

 高校再編が終わり 3 年が経つ。 神奈川県教育委員会からは2010年に 『県立高校改革推進計画10年間の成果と課題』 が出されているのでさまざまな場で議論があるだろう。
 統廃合や教育課程の再編などの足音が聞こえたのは、 私が高校 2 年生の頃である。 統廃合の話は当時高校生のなかでも大きな話題であった。 近隣の高校の統廃合が噂されると相手は自分の高校なのではなかろうかなどと話題になっていたことを思い出す。 高校再編の中で神奈川県にもたくさんの総合学科ができた。 吉田島総合を最後に総合学科延べ15校の設置で終止符は打たれるわけだが、 平成23年 3 月に示された 「これからの県立高校のあり方~最終報告~」 にあるように県立高等学校の課題は教育改革が終わりの時を迎えても多方面に存在する。 私自身も総合学科に着任してから、 様々な場面で疑問を抱きつつ、 挑んでいる部分が少なくないような気がする。 今回は、 いくつかの報告書をもとに県立大師高等学校の現状と取り組みを中心に、 私なりの意見を書かせていただく。
  1. 誰のための総合学科
      「現実の学校の中に自分自身を見失い、 高校に通う意味を見出すことのできず、 ただ通過点としての高校 3 年間が過ぎることをじっと待っている生徒たちが目の前にいる。 この生徒たちにとっての 『高校教育改革』 は、 教育制度や教育行政の問題ではなく、 彼ら彼女らとどう向き合い、 どのような学校を作っていくのかという具体的な課題だと思う」 と、 『ねざす』 16号に現大師高等学校校長の鈴木市朗先生が書かれている。 時代背景、 当時の生徒とは違うが、 現在も同じ状況の生徒は確実におり、 今なお大師高校の抱えている生徒の課題であるとともに、 学校課題であるように感じる。 様々な生徒が目の前にいる。 彼らの抱える課題は、 学習に努めようとするステップの軸足部の崩れにあることが多く、 その課題はそれぞれのバックボーンに起因し、 多岐に渡る。 原因が多岐にわたれば方策も多岐にわたる。 大師高校には、 彼らの心を刺激する授業が、 将来を意識し、 職業観を見出すことができる取り組みがある。 高校に通う意味は彼ら自身の内発的動機があって初めて顔を上げさせ、 見出させることができる。 最終的な目標、 鈴木先生の言われている「どのような学校を作っていくのかという具体的な課題」さえしっかり捉えられれば、 個々に応じた生徒対応をしつつ全体の生徒の成長や教員が目指すべき道筋ははっきりするのであろう。

    1. 生徒をどう成長させるのか
       具体的なビジョンが示されていないことは課題である。 本校も異動重点校のうちの1校である。 教員の入れ替わりは多く、 総合学科に改変された当初の学校の存在意義や草創期の教員の心の持ち様はなかなか継承されにくい。 「産業社会と人間」 を例にとると、 何のために設置されていて、 何を教えるのか、 教員の負担ばかり大きい、 という声はよく聞かれる。 本来やらなければならないことは、 はっきりしているのかもしれないが、 異動の多さと 「産業社会と人間」 の専属主任のような教員がいないことが、 「産業社会と人間」 を分かりにくくしているのではないだろうか。 学校目標は示されている。 しかし、 手段の柱は明確でない。 教員は、 生徒に学校に来て欲しい。 大師高校から羽ばたいて欲しいと思っている。 しかし、 白黒はっきりしない部分が多い。 大師高校だからこれはやる、 これはやらない、 というはっきりしたものも過去にはあったのであろう。
       私自身も総合学科とは、 大師高校とは何だろうかといろいろと調べ、 大師高校総合学科創設期の方々に話を伺ってみたが、 自己解決にしかなっていない。 校内の会議等で、 現状の課題に対する意見を挙げても、 私より長く在職する教員から返ってくる答えの殆どに具体的なものはなく、 どこか曖昧である。 共有はできずに終わるか、 皆分からないまま、 話は流れる。 結果、 自己判断・自己解決 (してないことが多いが) で、 なかなか組織として流れを作ることはできない。
    2. 目の前の生徒
       入学した 1 年生に、 「なぜ大師高校に入学したのか」 と、 聞くと、 クラスの半数ほどの生徒が 「総合学科」 だからだと言う。 その中には大きく分けて次の 2 通りが存在する。

      A. 将来の目標を既に見定めていて、 大師高校の選択授業を受講して目標を具現化したい生徒
      B. 目標がない、 やりたい事がないから総合学科を選択した生徒

       Aの生徒は、 目標達成に向けた支援を求めて学校に来ている。 私の担任するクラスに看護師になりたいという夢を持って大師高校へ入学した生徒がいる。 彼は、 1 時間半程の通学時間をかけて、 川崎市とは異なる市から通っている。 2 年次からは、 生活福祉系列の保育系の授業を選択し、 夢に向かいたいと意気込んでいる。 Bの生徒は、 将来への意識はあるのだが、 自分の適性や目標が分からずにいる。 総合学科なら将来を考え、 見つけることができるのではないかと入学してきた生徒である。
       現在の状況は異なるが、 A、 Bどちらの生徒も総合学科への期待を持って入学してきている。 彼らに対して用意されている多くの選択科目。 彼らが主体的に選択し、 自分とマッチしたものを見つけ、 深め、 それがどんな職業と結びついていくのか考える。 看護と決めている生徒も農業や地域国際、 芸術の授業を選択することで看護師へのアプローチの仕方は直線ではなく湾曲することになる。 この湾曲が人を深くする。 あとの成長は彼ら次第である。 総合学科は人生の土台作り。 体感の伴わない暗記だけ、 計算だけの学習、 基礎基本を徹底させるのも良いが 1、 大師高校にいて基礎基本への意欲、 向上学習の大切さを切に感じる。
    3. 総合学科の授業
       大師高校に着任し、 驚いた授業を一つ紹介したい。 「神奈川の環境問題」という授業である。 舞岡公園 (横浜市戸塚区・港南区) に生徒を連れて行き、 米を作る。 里山の中に田んぼがあり、 ここには昔の風景が広がっている。 ここが横浜なのかと疑うような場所である。 川崎から電車バスでおよそ 1 時間。 生徒は 「ここ何県?」 と聞いてくる。 工場地帯の川崎南部から来た生徒たちは、 ここが神奈川県で、 ましてや大都市横浜とは上手く結びつかない。
       そんな環境で、 市民ボランティアの方や地域のご家族の方々と一緒になって稲作体験をしていく。 生徒たちは、 最初から田んぼなんて入ってやるかと決め込んでいる。 虫が嫌だ、 汚い、 ダルイ。 口から出るのは文句ばかり。 遠慮のない発言で市民の皆さんを呆れさせる。 ところが、 回数を重ねると彼らの刺が落ちていく。 笑顔が増えていく。 あるときには市民の皆さんとドロドロになり、 あるときは子どもたちとカエルを捕まえる。 またあるときは本校校長も参加し、 皆で手をつないで代掻きをする。 市民の皆さんが生徒の名前を覚えて声をかけてくれる。 教員と生徒ではなく、 利害関係の無い大人が自分の名前を覚えて色々と教えてくれる。 彼らは心を許し作業をする。 帰り道、 「あの人が言ってたこと、 どういうこと?」 と私に聞いてくる。 普段なら、 分からないことは分からないで終わらせて済ませてきた生徒が、 済まそうとせずに理解しようと変化している。
       すごい授業だ。 こんな授業に出会ったことがないし、 この活動が授業として存在するのも総合学科ならではである。

  2. 第4次報告の存在
     目からウロコだった。 総合学科が何を目指しているのか。 生徒をどの様に成長させたいのか。 産業社会と人間。 課題研究。 教育課程がなぜこうなのか。 われわれが何を大切に教育活動を行うのか。 どれもこれも目の前にいる生徒への対応の指針となる具体策が示されていた。 数多ある、 あいまいで分かりづらい答申や報告書とは明らかに質が違う。 緊迫感すら感じる。 設置趣旨からは、 「これが総合力です。 これを育みましょう」、 設置意義からは、 「~ができる」 というポジティブな教育活動指針が読み取れる。 全てを読み終わると、 「なるほど、 だからあの授業が授業として成り立っているのか」 と理解できるのだ。 悶々としていた心の雲が晴れたのを覚えている。 まして、 これが約20年も前に出されたものとは。 内容に色褪せがない。 しかし、 色褪せないのは 4 次報告の内容が20年近く経ってもやりきれていない部分があることや、 逆に理念から後退していく部分があるからではないだろうか。
     ここである民間企業の話をさせていただく。 今年で創設23年になる某服飾衣料品店でも、 過去に同じような課題があった。 ある時期に店舗数の急増に伴い、 スタッフが急増した。 これにより、 会社設立当初の思いが皆に共有できなくなりつつあった。 そこで、 社員全員が共有すべき 『理念BOOK』 というものが新入社員に配布され、 統一された高い理念の下、 全社員にCS (顧客満足) マインドが徹底される。 『理念BOOK』 には、 創設者たちの熱い思いや目標、 全社員が向いているべき方向性が書かれている。 現在社員数3,000名程のその企業の、 商品価値と企業価値は今でも高い水準を保っている。
     総合学科においても 4 次報告を柱とした理念の共有化が重点的に必要な時期にある。 ましてや、 4 次報告にあるように 「総合学科が新しい高等学校教育の在り方を目指して充実した教育を展開することにより、 既存の学校や学科におけるこれらの改革への努力をさらに促進し、 高等学校教育全体が全体として多様な生徒に対応できるようになっていく」 というのであれば尚更である。

  3. パイオニアの中のパイオニア
     「総合学科は高等学校のパイオニア、 大師高校は総合学科のパイオニア」 …であり続けるべきだと感じている。 疲弊感から新たなことへの挑戦へ一歩が出せず、 これに~費削減の追い打ちで、 負担軽減のための選択科目数削減の流れにある。 大師高校が総合学科になった年、 総合学科の柱である選択科目の数は140程あったそうだ。 しかし、 徐々にその数は減り、 私が着任した年ですでに100を切り、 来年度はさらに減る可能性がある。 総合選択科目は、 「産業社会と人間」、 系列とともに総合学科の柱だ。 生徒が様々な授業の中で、 地域コミュニティーの中で、 自然環境の中での実体験を通して、 気づかなかった自分に気づき成長し、 世界を大きくするという総合学科の目的を実践するための正に柱である。 神奈川の他の総合学科に目を向けると、 大師高校の実践をロールモデルに取り組みが行われている授業や組織形態を知ることができる。 しかし、 今の大師高校はどうであろうか。 他の総合学科に真似されるような、 また大師から異動された先生が異動先でも取り組もうというような、 実践や取り組みがされているであろうか。
     総合学科は各校が各校の現状に向き合いながら、 凌ぎを削り教育活動を展開し、 魅力ある新しい題材に積極的であることで、 今を生きる多様な生徒が、 多様な価値観を創出させることができる。 その中で、 指標となるような学校の存在価値は極めて高い。 これまではその存在が大師高校だった。 これからは? 総合学科は 「高等学校教育改革のパイオニア的役割」 (第 4 次報告) を担う。 では総合学科のパイオニアはどこが担う。 やはり大師高校は停滞できないのではなかろうか。

  4. 最後に
     最近思うのは、 「総合学科をどうする?」ではなく「総合学科でDOする!」の姿勢かなと。 大師高校には 「夢をかたちに」 というキャッチフレーズがある。 大師高校で自分の目標や夢を形にしていこうと生徒に印象付けているわけだ。 それならば、 教員も神奈川の教育財産、 大師高校の施設・環境・地域を利用して、 同じく大師高校でやれることをやれるだけやっていった方が良い。 まず、 教員ができないことは生徒にもできない。 多くの先生がされているように、 教員がやりたいことにトライする姿勢 (背中) を見せていくことで彼らの基礎を作り、 その上に私たちの想像を超えるようなアイデンティティを確立する生徒が育つのではないか。 夢の基礎作りはわれわれがするのである。
     大師高校では、 県内総合学科で初の (元農業高校は除く) 鶏の飼育を 6 月より始めた。 生き物に触れ、 世話をし、 笑顔になっている生徒がいる。 総合学科だからこそ出来ることがたくさんある。 これが、 総合学科大師高校で現在強く感じることであり、 どこか総合学科高校教員としての使命なのではなかろうかと思う。 各総合学科の高校が目の前の課題に直面しながらもワクワクを忘れることなく、 失うことなく、 挑戦し続け、 それが有機的な繋がりで輪になり、 さらに力強く太い輪になったらどんなに楽しいことか。

【注】
1.問題解決の無い詰め込み教育を批判するものであって、 生き方の基礎基本指導への批判ではない。

(まつい ひろき 大師高校教員)

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