●特集U● 〜2013年公開研究会報告〜
公開研究会に参加して
 井上 恭宏

■奨学金問題のこと
  「いま子どもたちが置かれている現実は」 と題された2013年の公開研究会。 まず、 会場で配布されたニュース 「ねざす」 (第74号) に衝撃を受けた。 「奨学金問題は急速に深刻化している」 とはじまる大内裕和 (中京大学教授) さんの報告 (「奨学金問題の深刻さと改善へ向けての活動」) である。 公開研究会が開催される数週間前、 私は研究会の企画会議に遅れて参加した。 「奨学金がサラ金化しているっていうことですけど、 学生支援機構は大丈夫なんですよね?」 と発言すると、 一瞬の静寂があり、 「その学生支援機構が危ないんだよ。 知らなかったの?」 とメンバーに驚かれてしまった。 そして、 私はAくんのことを思い出した。
 1990年代前半に県立N高校で私が担任したAくんの場合、 日本育英会 (日本育英会の奨学金事業は2004年に独立行政法人日本学生支援機構が引き継ぎ、 奨学金は 「金融事業」 となった) の奨学金を借りることを薦め、 大学に進学させた。 Aくんは児童養護施設から高校に通っていたのだが、 卒業と同時に施設を出て自立しなければならないため、 進学資金が無かったからである。 現在36歳のAくんは大学を卒業し教員免許も取得したが、 福祉職に就き、 毎月 2 万円、 奨学金を返しつづけている。 Aくんの進路指導をしていたころ、 私はここまで返済期間がつづくなどということを考えてはいなかった。

■卒業証書は渡したけれど
 研究会では、 小中学校の就学援助の現状、 親の経済事情による子どもの教育格差の問題、 高校の奨学金制度、 特に大学等予約奨学金制度の実態が報告されていく。
 翠嵐高校定時制の鳥山さんからは過酷な経済状況、 家庭環境にあっても懸命に学びつづけようとする定時制生徒の姿が報告された。 母子家庭で育ったBさんは、 母親が新しい男性との生活を優先させるために家から追い出され、 自立支援施設に入った。 Bさんは、 その施設の中でトラブルを起こしながらも高校生活を送っている。 つきあっている男子生徒とは、 いつも口げんかをし、 揉めている。 なじるのが愛情表現であるかのようにも見える。 Cくんは18歳で児童養護施設を出てホームレス状態になった。 それでも何とかがんばって高校を卒業し、 就職がうまくいって工場で気に入られた。 しかし、 Cくんは 2 ヶ月でその工場をやめている。 Dくんは発達障害もあり、 大変な苦労をして高校を卒業していった。 数年前のことである。 卒業式の日は 「めでたし、 めでたし」 の日となるはずだった。 その日の夜、 たまたまある先生がファミリーレストランで食事をとっているDくんとその家族を見かけた。 「まるでお通夜のようだったよ」 とある先生は鳥山さんに報告した。 しみじみと家族で卒業を祝っていたのかもしれない。 しかし、 「昔は、 退学させない、 ということが中心だった。 卒業証書は渡したけれど、 その後のことをしっかりと考えていなかった」 と鳥山さんは振り返る。 「人との関係をうまく作り上げることができなくなってしまっている生徒や成功体験がないまま頑張りきることができなくなっている生徒たちがいる。 高校を卒業させて、 おしまい。 というところから、 生徒が卒業した後のことをもっと考えるというところにまで進んでいかないといけない」 と語った。

■伴走教育
 鳥山さんの話を受けるかたちで、 伴走教育 (伴走型支援、 コネクションズ) という考え方が討論のなかで紹介された。 はじめて聴いたことばなのだが、 一人ひとりの人生に寄り添いながら、 未知の生活課題をともに乗り越えていこうとする教育や支援のあり方、 ということになるのだろうか。 小学校や中学校の現場からは、 就学援助の実際やSSW (スクールソーシャルワーカー) の導入についての報告がなされたわけだが、 教育と福祉や医療が密接につながりあい、 領域を超えて、 事態に対処していくことでしか乗り切れない難局がすでに当たり前のように横たわっていることがわかる。 そして、 一人ひとりの人生にとっては、 その難局は、 壁のように超えても超えても立ちあらわれてくる。 だから、 将来に立ちあらわれてくる壁をも見越した伴走型支援、 ということになるのだろう。
 私はAくんの面倒を高校卒業後もよく見ていたと思う。 大学時代や大学卒業後もよく相談に乗ったし、 さまざまな人たちとAくんとをつなげた。 しかし、 奨学金のことは、 実感として分かってはいなかった。 一定の年齢にある教員は、 奨学金返済免除の制度のなかでキャリアを積んだため、 むしろ 「奨学金を借りないとダメだ」 といった感覚のなかにある。 金融事業としての奨学金制度のいまを把握し、 「240万円借りたら、 300万円を返すことになるんだよ」 といったシビアな伝え方を生徒にしていかないといけない、 という指摘が参加者からなされていた。

■再度、 奨学金問題のこと
 横浜桜陽高校の久世さんは、 校内の奨学金担当としての業務をとおして深刻な問題意識を持つにいたったという。 「いったいこの仕事とは何なのか。 生徒を借金漬けにする金融業者の手先なのか。 利率がどうやって決められているのかもよく分からないのに。 返還できなかった場合にはブラックリストに載るということに同意させるなんて…」。 久世さんは、 このようなもの言いはしなかったが、 その苦悩がひしひしと伝わってくる報告だった。
 大内報告によれば、 全大学生のなかの奨学金受給者の割合は1998年の約 2 割から 2010年には 5 割を突破し、 奨学金の返済滞納者は2010年には33万人となり、 裁判所を使った支払督促を申し立てられている件数は2011年には 1 万件、 この 7 年間で50倍に拡大しているという。 膨大な返還額が理由で、 結婚や出産をあきらめる。 また、 子育て世帯では子どもに十分なお金を出すことができなくなる。 少子高齢化や貧困の連鎖である。 奨学金を借りなければ大学に通えず、 奨学金を借りずに大学に通おうとすればアルバイト漬けになり、 借金をしてまで大学に通うのは嫌だとなれば高卒無業かフリーアルバイターかブラック企業に行くかしかない。 これが、 「現代の若者が置かれている現実」 である。
 2008年の11月。 教育研究所は 「貧困の連鎖と学校」 と題して教育討論会を開催している。 あれから 5 年が経過した。 景気回復動向を繰り返し伝えるメディアのなかで、 社会の階層化、 格差拡大がすすみ、 若年者の労働力が喰いものにされていく。 日本社会の将来に関わる問題が静かに深刻に進行している。
 私は、 Aくんに連絡をとることにした。

     
  (いのうえ やすひろ 教育研究所)

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