●特集T● 研究所独自調査
「教員の意識調査」 に思う

 宗田 千絵
はじめに
 2012年11月17日に教育研究所主催の教育討論会に司会者として参加した。 当日の内容については 『ねざす』 No.51の 「特集:ゆらぐ教員世界」 にまとめられている通りである。 中田康彦氏の講演では現在の学校を取り巻く政治・経済・社会情勢が教育施策や現場の教員の置かれている状況にどう関わっているか、 明快に論じてくださった。 いくつかの場面で 「大学の先生がどうしてこんなに現場のこと知っているの?」 と舌を巻きながらお話を伺っていた。 しかし私の司会者としての力量不足から、 中田氏の発言とその後の会場での議論をうまくかみ合わせることができなかったのが残念であった。 ここでは 「教員の意識調査2012」 集約結果と中田氏の講演記録を振り返りながら、 現場の一教員として昨今感じていることを綴っていきたいと思う。

1. 「多忙化」 について

 多忙化は現在の教育現場を物語る上で 1 つのキーワードになっている。 意識調査においても 「教材研究や授業のやり方を工夫する時間が欲しい (94%)」 「忙しすぎてゆとりがなさ過ぎる (92%)」 「生徒と接する時間が足りない (87%)」 と感じる教員が圧倒的に多いことがわかる。 しかも 「教員間の仕事担がアンバランスだ (93%)」 と感じているので多忙感はさらに増すのであろう。 しかし問題は忙しさの中身ではないか。 意識調査の中にある 「高校教員という仕事への評価」 という項目に対する回答結果を見る限り、 全体的な印象ではあるが 「大変だけれどやりがいのある仕事」 だと感じ、 目の前の生徒のためにがんばっている (がんばってしまう) 教員は今も昔も多いと思う。 しかし総括教諭ではない職員を中心に 「学校運営に関わっている感じ」 が持てず、 「職員会議での議論が尊重されていない」 中で、 つまり現場の教員が自分たちの仕事に対する裁量権を持てなくなっている体制のなかで 「やらされ感」 が増し、 それが多忙感につながっているのではないか。 保護者・県民に対する説明責任を果たすという名目のためとしか思えない事務仕事が増え、 パソコンに 「作文」 を入力することが増えてきたのは確かだ。 それらは 「多忙感」 というより 「徒労感」 をもたらす。 たとえ忙しくても充実感があれば 「多忙感」 にはならない。 しかし時間的にも精神的にもゆとりがなく、 その上職員会議は 「報告事項」 ばかりで、 現場の教員が当事者性を失う中、 「徒労感」 は増すばかりだ。

2. 部活動について
 かつてある学校で 3 年生の担任をしていた時のことである。 夏休みの進路に関する三者面談で 「将来は体育大に進学して高校教員になり、 部活の顧問をやりたいけれど、 まだ迷っている」 と話す運動部の男子生徒がいた。 迷っている理由を聞くと 「顧問の先生は 1 年中、 僕たちの部のために関わってくれているけれど、 自分は家族のことも大事にしたいので教員はやっぱり大変かなあと思って…」 という意外な答えが返ってきて驚いたことがある。 彼は家族思いで両親が協力している姿をよく見ているし、 自ら幼い弟妹の面倒も見ている本当に 「いい人」 なのだ。 そんな彼を躊躇させるほどの部活の顧問のあり方はやはりおかしいと思う。 「部活動の指導がやりたくて教員になった」 「部活動をもっとやりたいと思う」 と回答している教員が一定数いる。 若い世代の教員が多ようだ。 その意欲を否定するものではないし私自身も独身時代は部活に多くの時間と情熱をかけていた時もあった。 しかし生徒に対しては男も女も仕事と家庭を両立させて生き生きと自分らしくあってほしいと願っているし、 それを可能にする職場環境を私たち自ら作っていく努力をしないといつまでたっても日本の学校と社会は変わらないと考えているのだが、 どうだろうか。

3. 若い世代とのギャップ
 今回の意識調査では2003年調査と比較して20代の教員の回答数が増え、 ある程度の傾向をつかむことが可能である。
 中田氏の講演の中で 「若手の高校教員は成果主義に対して親和的」 という発言があり、 やっぱりそうなのかと思った。 意識調査の結果にもその傾向は見られる。 私たち中高年教員は生徒を 「評価」 していながら自分が 「評価」 されることに抵抗感をもっており、 能力主義・成果主義は学校現場になじまない、 と感じている。 しかし若い世代の教員は自らが能力主義・成果主義の中で生き抜き教員になったという背景があるのか 「指導力不足教員」 「優秀教員表彰」 「公募制」 「人事評価システム」 といった項目にあまり抵抗感はもっていない。
 私たち中高年に対する若い世代の目は厳しい。 「フットワークが悪い」 「仕事が若者に偏っている」 「職員会議でとりあえず反対する、 文句を言う」 等々の声を耳にする。
 その中で職員会議に関してこんな経験を持っている。 職員会議のあり方が変わり、 企画会議・総括教諭制度が導入されてから数年間会議で意向確認をすることがなかった。 そもそも会議に出てくるのは報告事項ばかりで審議事項そのものが激減した。 審議事項に回して意向確認をせよ、 と迫っても校長に却下された。 ところが新カリキュラムをめぐって職員間で議論が対立し珍しく意向確認をすることになった。 司会者 (総括教諭が輪番で担当) が賛成、 反対、 保留の数を順に確認した際、 若い世代の教員から 「保留っていうのがあるんですか?!」 と驚きの声をあげたのに驚かされた。 若い世代の教員は教職についた時から今のような職員会議しか経験していないのだ。
 意識調査で 「学校運営に関わっている感じがしない」 と回答した20〜30代が42%であるのに対して40代以上の教諭は68%、 40代以上の総括教諭は31%という結果になっている。 同じく 「職員会議での議論が尊重されていない」 と回答した20〜30代が65%であるのに対して40代以上の教諭は84%、 40代以上の総括教諭は55%というように世代別・職位別に回答傾向が異なっている、 という報告がある (『ねざす』 51号、 28頁)。 まったくそのとおりだろうという実感を持っている。 私を含めた40代以上の教諭の多くが職場で疎外感をもち、 若い人たちは総括教諭とそうでない教諭とを見比べ、 しっかり観察しているのだろう。
 私たちは 「職員会議で議論することが少なくなった」 と嘆きつつ、 会議の席上で発言を控えてしまうこともある。 「みんな忙しくて時間がない」 からと言い訳をして黙ってしまうのだ。 中田氏はこうした状況を 「環境管理型権力の作動」 つまり 「職務命令をおしつけるよりはるかに効率的な管理」 としての 「多忙化」 であるという (『ねざす』 51号、 14頁)。 40代以上の世代はこうした状況に漠然と危機感をもちながら若い世代の教員とその危機感を共有できないでいる。 グローバル化・新自由主義が標榜される社会状況のなかで学校現場はこれからどうなっていくのか、 今こそ世代を超えて対話をしなければならない、 とは思うけれど忙しくて余裕がない。 そんな毎日だ。

(そうだ ちえ 教育研究所員)
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