●特集U● 大震災・原発災害の中で子どもたちは
3年を経過した被災地釜石の子ども・子育て支援について

 米田 佐知子
 鉄の街、 ラグビーの街として有名な岩手県釜石市は、 三陸沿岸沿いに位置する。
 東日本大震災発生前、 人口約 4 万人だった釜石市は、 東日本大震災での死者・行方不明者数1042人、 家屋の 3 割が被害を受け、 6 割の事業所が浸水するなどの被害を受けた。 防災の教え 「津波てんでんこ」 で、 小中学生生徒約570名が津波から無事避難したことで知られる鵜住居地区は、 釜石市北部に位置する。

 震災後、 市内の小中学校やスポーツグランド等に66か所の仮設住宅団地が建設された。 2014年 2 月時点では、 23か所の建設計画がある復興公営住宅のうち 4 か所が完成し、 既に転居も始まっているが、 いまだ約2,800世帯5,500名近い被災者が、 仮設住宅で暮らしている。

 震災後の釜石市内の子ども達、 乳幼児を育てる親たちを支援する活動について取材する機会を得た。 3 年を経過した被災地釜石での状況をレポートしたい。

1 仮設住宅での子どもの居場所づくりから、 子どもを中心にしたまちづくりへ
  「三陸ひとつなぎ自然学校 (通称 「さんつな」)」 は、 震災後に、 釜石の若者が2012年 4 月に立ち上げた一般社団法人だ。 震災前よりも誇りの持てる地域づくりを目指して、 歴史文化、 ひとなど地域資源の発掘や地域の魅力を伝えるエコツアー、 漁業や農業などの産業の振興、 まちの賑わいづくり等の活動を行っている。 他に、 子どもの居場所づくりは、 週末や長期休暇時に地域の自然や文化・暮らしに触れ、 魅力を体感する体験活動 「さんつなくらぶ」 と、 平日15時〜17時に仮設住宅団地で行われている 「放課後子ども教室」 として実施されている。
 放課後子ども教室は、 「遊び場がない」 という地域の方々からの声を聞き、 行政が環境整備するまでのつなぎとして自主的に始めたものだ。 本来、 子どもがのびのび遊べる公園や空き地には、 仮設住宅が建っている。 ある地域の学校は仮校舎で小中学校共有だ。 放課後の校庭は、 中学生の部活使用へ優先されるため、 子ども達はおもいきり遊ぶ場所が限られている。
  「こおりオニしたい」 「走り回りたい」 という子どもたちの願いや気持ちは、 大人の 「うるさい」 「あぶない」 という声に我慢させられている。 仮設住宅の駐車場で遊んでいると、 大人から 「車があぶない」 「車を傷つけないで」 と言われることもある。
 仮設住宅での生活は、 以前暮らしていた地域から離れ、 よく知らない土地での仮住まいだ。 大人には 「知らない場所で不安なので、 子どもには目の届く範囲で遊んで欲しい」 という気持ちがある。 仮住まいの中で、 大人は仕事や住まい、 暮らしをどうするかという課題を抱えて、 日々成長する子どもの生育環境を考える余裕がない。 仮設内の集会所は 「大人が集まる場所」 という認識が強いために、 子どもは居づらく、 「子どものための、 ほっとできる居場所」 がない。 大人も子どももストレスを抱え、 我慢しながら生活している。

 児童館には、 施設のキャパシティを越える数の子どもが集まっている。 子どもにとって、 遊び場や居場所がないという課題は、 住んでいる地区に分け隔てなく存在する課題だが、 様々な支援活動が仮設住宅で行われているために、 被災していない子どもは活動に参加しにくいようだ。

 他の活動団体からも聞かれたことだが、 市内には大きな被害を受けなかった地域もあり、 そうした地域の住民は、 様々行われる被災地支援事業には参加しにくい。 被災者の間でも受けた被害の度合いを比較しあって、 気を使いあってしまう。

 放課後子ども教室を続けるうち、 子どもの遊び場や居場所に関わる問題や意見が 「さんつな」 に寄せられるようになる。 「さんつな」 では、 活動場所の変更も検討した。 しかし、 仮設を出て地域の集会所を使用すると、 使用料金が発生する。 地域の人に土地を借りることも含めて模索がなされた。
 考えるうち思い至ったことは、 自分たちや子どもたちだけの課題ではない、 ということだった。 そこで、 子どもの周りにいる地域住民と一緒に、 遊びの大切さや安全安心を考えることから、 子どもの居場所を検討する場をつくることにした。
 子どもの保護者、 子ども支援団体、 仮設住宅団地自治会関係者、 行政関係者等が集まって車座で話し合える 「子ども安全安心検討委員会」 を発足。 仮設の中外で、 顔の見える関係をつくり、 子どもを地域で育てる気運をつくるにはどうしたらよいのか、 子どもと一緒に安全を考え、 ルールをつくっていく大切さなどが話し合われた。
 子どもも大人も、 今いる地域への理解を深めることが、 子どもの遊びへの理解を広げる。 そこで、 「さんつな」 が活動する2地域、 被災し仮設住宅がある鵜住居地区と、 津波の被害はないが仮設住宅がある栗林地区、 それぞれに子どもたちとまち歩きを開催し 「子ども安全安心マップ」 を作成した。 2地域のまち、 子どもや大人の様子を活動を通して見えてきたことは、 子どもは、 自分のやりたい気持ちより大人を気遣ってルール順守を重視していること、 体験的に危険を理解していないことだった。 そして、 見知らぬ子どもに対して、 大人が丁寧な関わりを持っていないこと、 子ども達が地域の人を知らないなど、 大人と子どもの接点づくりや、 大人の関わり方を変える必要が見えてきた。
 話し合いやまち歩きの結果をもとに研修会を行い、 安全管理、 遊びの可能性、 ネイチャーゲーム等のスキルを学ぶ機会をつくった。 また、 子どもが主体で実施するまつり 「地域かまっこ祭」 が2013年11月に試験的に行われた。
 ここまでで見えてきたこと、 取り組んだことを報告し、 子どもを中心に地域の大人もつながりあえる機会をつくろうと、 2013年11月に子どもの居場所を考えるフォーラムが開催された。 今後は、 仮設住宅から復興住宅へと人が移動し、 地域がまた再編される。 そこでも子どもが地域をつなぐ存在になってくれたらと期待がされている。
 地域に育てられた子は、 地域に愛着を持てる。 人材流出が課題となっている釜石で、 震災を越えて、 子どもの遊び場、 居場所、 育ちを考えることを通じ、 釜石の未来を考えるつながりが生まれてきている。
 2014年春から、 「さんつな」 は、 放課後子ども教室を行政より受託する。 震災関連事業ではなく、 子ども支援事業としての委託だ。 今後は、 子どもが被災の有無で参加を気兼ねすることがなくなりそうだ。

2 中高生自身によるまちづくり活動
 中高生によるまちづくりの取組みとして行われているのが 「子ども街づくり倶楽部Breve」 の活動だ。 倶楽部発足のきっかけは、 震災前から活動を行っている中間支援組織 「@リアスNPOサポートセンター (「@リアス」)」 が呼びかけ2012年11月に開催した 「かだって×語って 中・高校生ワークショップ 未来のまちをぼくらが創る」 だった。 復興計画づくりのために、 住民参加型ワークショップが、 市内各地で開かれており、 学校でも生徒対象のワークショップが頻繁に開催されていた。

  「かだって×語って 中・高校生ワークショップ」 は、 学校外開催で、 複数の学校から公募や口コミで集まった中学生 5 名、 高校生 2 名の合計 7 名が参加した。 復興支援で岩手へ来ているNGOスタッフをゲストに招き、 2004年のスマトラ島沖地震での津波被害について話を聞き、 意見を出し合った。
 釜石のよいところ、 好きなところとして 「自然が豊か」 「食べ物がおいしい」 「鉄の歴史が素晴らしい。 近代的な鉄の発祥地」 「人が優しい、 あたたかい」 「虎舞などの郷土芸能が熱い」 など子ども達自身が驚くほど様々意見が出た。
 5 年10年後の釜石にどう関わりたいかについては、 「仮設住宅が奥のほうにあって孤立しているのを何とかしたい」 「復興計画の説明会で専門家が来て説明しても、 住民がわからないことばかりで、 そのまま決定してしまうのを変えてほしい」 「人口が少ないので、 少しでも増やせるよう、 店や他の町や市に自慢できるものをつくる」 「町の復興に関わりながら、 よい町にする活動 (ボランティア活動など) をしたい」 などの意見が出された。
「釜石に足りないものは、 お金と人 (若者)、 仕事」 「アルバイト禁止の校則があって何の職業体験もなく卒業することを変えてほしい」 などの課題も出される一方で、 「10年後は仕事に就いていると思うが、 釜石には居ない」 という意見が参加者の半数を占め、 子ども達は釜石に対する愛着の反面、 地元での就職や生活に関する不安を抱えていた。

 この学校外で開催されたワークショップの最後に 「この先どうする?」 という@リアススタッフの問いかけに、 子ども達が継続して集まることを希望して、 @リアスが活動をサポートすることになった。
 2013年 5 月、 中学 3 年生 4 人が再び集まり、 倶楽部の活動が始まる。 活動場所は、 @リアスが運営するコミュニティスペース 「みんなの家・かだって」。 活動は、 @リアスのスタッフから、 手書き地図と立体模型を使って、 発表されている釜石市の復興状況と復興計画の説明を受けることから始まった。 自分たちのまちの復興計画を大人任せにしていいのか、 という@リアスのスタッフの問いかけに、 中学生たちは、 自分たちのまちへの願いを言葉にして伝えようと思うようになった。

 夏休みを返上して、 「みんなの家・かだって」 に週 2 〜 3 日通い、 市の広報やHPに掲載されている復興計画を調べた。 7 つの基本計画と重点項目に対し、 いいと思う点、 改善を希望したい点を洗い出し、 まとめていった。
 その過程で、 自分たちがまとめたものに意見が欲しい、 もっと多くの人に復興について聞いてみたいと思うようになり、 子ども達が 「釜石の未来に対する思いを語り合うワークショップ」 を主催、 中学生11名や商店街役員などが参加した。 広報から運営までを、 子ども達自身が行った。
 ワークショップでは、 Breveメンバーが復興計画について説明。 グループに分かれて、 復興計画の基本目標について意見を出し合った。 一人暮らしの人を孤立させない福祉のまちづくり、 防災意識を高める取組み、 避難所への経路に関するアイデア、 震災を風化させないためのアーカイブづくりなど。 出された意見は、 提言書にまとめられ2013年 8 月釜石市長へ提出された。
 活動に新たなメンバーを募るために、 活動を展示にまとめ、 中学校の文化祭で発表、 12月には新メンバーを迎えた。 2014年春以降は、 釜石外の地域の子ども達との交流も構想されている。

3 妊産婦、 乳幼児親子のケアから当事者主体の活動へ
 沿岸被災地から避難してくる妊産婦を、 震災直後から内陸に位置する花巻市で支援していた 「花巻市民活動ネットワーク協議会」 と母子支援NPO 「母と子の虹の架け橋」 は、 出産後に地元へ戻った母子への継続支援の必要を感じて、 看護師・助産師・保育士・子育て経験者らが連携して、 2011年から釜石市内での支援を継続して行っている。

 支援事業の一つが、 仮設団地内の一室にある母子サロン 「ママハウス」 の運営だ。 仮設は、 壁は薄く互いの声や生活音が聞こえるので、 赤ちゃんが大きな声で泣くことにも気を使いながら生活している。 ママハウスは、 ほっとできる居場所の提供を行い、 心身のケアと仲間づくり、 親たちのエンパワメントに取り組んでいる。 曜日を決めて看護師や助産師を交えておしゃべりできる時間も設定し、 マタニティヨガなども実施、 妊産婦ケアを行う。
 ママハウスは、 被災した親子だけが利用する場所だと思われていると聞いてからは、 被災していても、 いなくても参加できるサロンであることを伝えて、 すべての母子が参加できるように気を付けているという。

 他に、 安定就労と就労先確保のための母子支援・託児施設 「虹の家」 の運営も行われている。 託児は、 就労のための講座受講や通院などでも利用できる。 昨年度までは、 年収300万を越えない家庭には、 保育は無料だ。 今後、 家庭的保育事業の開始も準備している。 母親たちが保育者として起業することも視野に入れ、 保育者養成講座なども市と共催で実施した。

 2012年 7 月にママハウスを利用する母親が集まり、 自主活動グループ 「ママサポSMILE」 が生まれた。 支援される側から、 支援する側に立場を変え、 「釜石あったら良いな、 できたら良いな」 と思う事を形にしようと活動している。 メンバーは、 曜日替わりでママハウスにママサポスタッフとして関わっている。
 ママサポスタッフには、 自身は震災被害を受けていない母親もいて、 「ママサポSMILE」 の活動では、 被災していても、 いなくても参加できる活動を目指したいと考えている。
 2013年 2 月に 「ママサポSMILE」 の初事業、 「虹のようちえんcafe」 という親子で楽しむ語らいと遊びのイベントが開催された。 会場に選んだのは、 パーマカルチャーの考え方に基づく公園 「こすもす公園」 と産直レストラン 「創作農家こすもす」。 釜石市から補助金を得て、 仮設住宅に暮らす親子も参加しやすいよう無料送迎バスも用意した。
 日ごろ抱えている想いを語り合う、 子ども同室での車座トーク、 ベビーダンスプログラム、 ピエロさんの読み聞かせやバルーン、 岩手県葛巻にある 「森と風の学校」 から校長とママハウスで活躍するキッズダンス・ベビーダンスの講師を招き、 絵本の読み聞かせや人形劇、 工作など、 当事者目線で、 親子で楽しめる、 母親がほっとできる多彩なプログラムが企画された。 当日は、 まだ寒い時期で、 日中、 雪が舞っていたが、 子ども達はこすもす公園を声をあげて走り回り、 外遊びを楽しんだ。

  「ママサポSMILE」 の母親たちの熱意に動かされ、 今回のイベントは、 震災後、 釜石市内に支援に入っている多数のNPO、 NGOが協力する初のコラボ企画となった。 先に紹介した 「三陸ひとつなぎ自然学校」、 「@リアスNPOサポートセンター」 を始め、 市内で子育て支援に関わる個人や団体が参加した。 支援者は、 岩手県内の盛岡、 葛巻、 宮古から集まった。 前夜の打合せ、 イベント開始前後には、 スタッフが、 団体を越えて交流する様子が見られ、 当事者が立ち上がった 「ママサポSMILE」 の活動と釜石の子育てを応援するつながりが生まれていた。

 市外から支援に入った組織や、 震災後に発足した団体は、 震災後 3 年目を迎えて、 今後の事業継続や組織基盤強化、 人材育成という課題に直面し始めている。 「ママサポSMILE」 のイベントは、 団体間連携や新しい担い手のチャレンジとして明るい兆しを感じられるものだった。

 震災を経て 3 年。 復旧から復興へ、 そして震災前よりもまちを元気に。 住まい、 仕事、 まちづくり。 課題はまだ多数存在するが、 子どもや母親自身が、 そして子どもを真ん中に大人が、 自ら地域づくりに声をあげ動き始めていた。

  (よねだ さちこ 教育研究所所員)
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