特集 : 検証「特色づくり」「新入試制度」
 
3.現場における「特色づくり」
  • 一つの事例

     今や「特色づくり」は実体のない、有名無実な施策となりつつあることは明らかではあるが、それは一方で、神奈川の高校教育の現状、とりわけ格差の最底辺に位置する課題集中校の問題が解決されないまま先送りされることにつながっていく側面を持っている。予算もつかず、人的な支援も得られない事態になれば課題集中校の状況が悪化することは火を見るより明らかである。これまで曲がりなりにも支援の実質を積み上げてきた取り組みが「特色づくり」の中に埋没していく危険性を課題集中校改革を進めている教職員は切実に感じていた。
     私の勤務校でも、この「特色づくり」にどう対応するかを巡って激しい議論が展開された。これまで積み上げてきた学校改革の流れを少しでも前進させていくためには、この「政策」を積極的に活用すべきではないか、いや、先の見えている「政策」に安易に乗ることはこれまでの自前の改革に大きなダメージを与えることにもなりかねない、最初から結論の見えている「政策」に乗ることは職場のエネルギーが削がれることにつながる、などなど。
     「特色づくり」の実態については多くの教職員が厳しい認識を持っていたが、それへの対応についてはさまざまな意見が飛び交った。しかし、学校改革の流れは止めたくない、改革を一歩でも二歩でも前進させることが、課題集中校に集う生徒たちの教育環境の改善に役立つ、という思いでは一致していた。結局、これまでの学校改革の積み上げを損なうことなく、それを前進させていく視点から「特色づくり」を積極的に活用していく方針で落ち着いた。自分たちのオリジナリティを守りながら、活用できるところは積極的に活用していこうという戦略を立てた。
     勤務校では、「特色づくり」が行政サイドから「降って湧いたように」下りてきた94年9月26日を遡る半年ほど前に、「学校改革改革推進委員会」という公選の委員会を設置して、課題集中校の学校づくりという視点から改革をリードしていく母胎を組織していた。校内では、この組織を作るか、作らないかを巡って、前年度1年間激しい議論が展開された。詳細に渡った説明は省略するが、私の教員生活の中でも最も激論を闘わせた1年であったが、反面、実に面白い1年でもあった。課題集中校が抱えているさまざまな課題をどういった手法で解決していくのか、そのためにはどのような組織のあり方が最善なのか、課題集中校に勤務する教職員の力を結集して改革を進めて行くにはどのような方法が最適なのか。いってみれば、自前の学校づくりのための方法論と組織論を巡る議論であった。互いの教育論や職場観が火花を散らしあった1年間であったといえる。
     それまでにも、より行き届いた授業展開や教員の授業のストレスの緩和をめざして小集団学習の導入、生徒の居住空間・生活空間の整備充実の一環としてのランチルームの整備、昼食問題の解決、制服指導の行き詰まりの打破と学校イメージの変革をねらった新制服の導入など、数年間、学校づくりに取り組んできた蓄積があった。しかし、校内では、公立高校という枠の中での限界や人事異動による職員構成の変化が継続的な学校づくりの難しさを生み出している点などが緊急の問題として意識されていた。そういった状況の中で学校づくりをリードする「組織」作りについて議論がたたかわされたのである。
     県より「特色づくり」が下りてくる前から既に活動を始めていた委員会は、行政の施策に自分たちのプランを反映させるという点で時間的に制約を受けることになり、予算獲得と計画の実現という面から学校づくりプランの再検討を迫られた。「夢」みたいなことを語ってばかりいたのでは計画実現はおぼつかないし、かといって、これまでの学校づくりの独自性が失われるのでは元も子もなくなってしまうというジレンマの中で学校改革の企画立案をしていかなければならなかった。そういう意味では、根底には「ダメもと」という気持ちは持ちながらも、「特色づくり」に真摯に取り組んだといえる。それゆえに、行政サイドの対応には承服しがたい面も少なからずあった。
     
     

  • 変わらなければならないのは行政自身である
     「学校改革推進員会」が今後の改革の方向性として94年12月に職員会議に提案した内
    容の一部を紹介しよう。

「学校改革」の基本理念と改革の具体的骨子(案)
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 この提案の基本理念は、課題集中校に集う生徒の現実に学びながら、それをどういう方向で解決していくかという点にある。学区内の序列競争を闘うのではなく、課題集中校に進学してくる生徒の実態にあった学校づくりを積極的に進めていこうとするものであった。それは公教育の責務でもある。しかし、「大変な」生徒たちが多く集まれば状況を変革していくには大きな困難が伴う。現実的な対応も取りつつ、「理想」を実現できないか、この命題に挑戦しようとしたのが「学校改革推進委員会」での議論であった。
 95年度末に県に提出した「特色づくり」プランの具体的内容の一部は以下の通りとなっている。

 魅力と特色づくりプラン調査票(平成7年度)
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 提出した「特色づくり」プランを実現するには傍観していては埒はあかないということで、96年度中に数回、行政担当者と相談や交渉のテーブルを持った。行政では、この「特色づくり」を推進するために庁内に「企画・特色づくり推進担当」という名のプロジェクトを発足させ、「特色づくり」にかかわる作業に専心させる体制を作っていた。高校教育課内に設置されたこのプロジェクトの位置づけがどのようなものであったかまでは詳らかではないが、数度の相談・交渉を通じて十分な連携が取られていないのではないかと推測される場面があった。
 私たちが提出したプランについて、「企画・特色づくり推進担当」の責任者は「意欲的にやってもらって感謝している。できる限り支援したい。細かい内容の詰めは高校教育課の担当者と相談して欲しい」と、期待を抱かせる発言をしていた。そこで、その担当者と実務的な相談にはいると、雰囲気が微妙に違ってくる。教育長通達で「生徒一人ひとりの個性や能力、適性を豊かに伸ばし、生き生きとした学校生活を送ることができるよう、魅力と特色ある高校づくりを進めることが急務となっております。」と高らかに謳い上げた意気込みなどどこにあるのかと疑いたくなるような応対もあった。自らが立案した「施策」を実行するのに、そしてそれを実行することが「新しい時代」の中で「急務」だと言いつつ、庁内の体制と担当者の体質は旧態依然とした「前例主義」から抜け出せないでいるように見えた。
 「2学期制」の問題では、「学校の実状に即して如何ですか?」というニュアンスで再考を促されたり、「職業教育(情報処理教育)の充実」の項目では、「普通科にコース制設置基準を超えてコンピュータを入れることはできない」とあっさり断られたり、「職業・進路に関する科目の導入」では「1単位の必修科目は前例がないから無理」と言われ、「多様な選択科目の設定と単位修得の柔軟化」の中に盛り込んでいた「自由選択科目の長期休業中を利用した単位修得」は「生徒の休業補償の面で県の条例に反するから現段階では導入は困難」と言われた。これなどは、担当者も「新学習指導要領上は問題はない」として、実現の可能性を模索してはくれたが、結果的には導入は叶わなかった。もちろん、個々の担当者には誠意を持って相談に応じてもらったが、高校教育課全体が「特色づくり」という大きなプロジェクトを進める熱気に包まれ、その推進のために体制が整えられているという雰囲気はあまり感じられなかった。そこのあったのは、相変わらずの「前例主義」と大胆な変化に慎重な役所の姿だった。「新しい時代」に対応して真に変わらなければならないのはいったい学校だけであろうか。教育行政にこそ今それが求められているのではないだろうか。
 

4.「特色づくり」を超えて―自前の学校づくりを進めよう

 この9月11日に東京都教育委員会は、少子化を迎えての都立高校の改革構想を正式に発表した。それによると、今後10年間で、全日制高校30校削減という大幅な都立高校のリストラに乗り出すことになっている。神奈川でも、4月に「県立高校将来構想検討協議会」が発足し、これまでの高校の「量的拡大」から「質的充実」へと動き出している。県財政の逼迫状況や少子化と教員の過員状況といった背景の中で、東京都のような県立高校のリストラ案が打ち出されてくるのは必至の状況である。
 一方、中央では中教審を中心にして教育の「規制緩和」と「エリート教育」の導入が確実に進行している。文部省と日教組の「歴史的和解」の中で、教育の世界に大きな変動が訪れる予感がある。しかし、その改革や変動が足元の生徒の問題や混迷状況に陥っている事態をプラスの方向へと導いていくようには見えない点が問題を複雑にしている。「個性尊重」を掲げた改革が、実はさらなる競争と弱者の排除に結びついていたり、「入試の多様化」が生徒の人格までを巻き込んだ熾烈な競争を煽るものだったりするところが、掲げられた理念とそれがもたらす結果であるということの矛盾。
 「学校化社会」といわれて久しくなるが、子どもたちの学力は確実に落ちてきていると報告され、授業の求心力が衰え、「勉強嫌い」や「学校離れ」が引き起こされている状況がある。今、本当に有効な改革とは何であるのか、その解決策を描き出すことは容易ではないだろう。教育改革だけで事態を打開することなどできるわけがない。しかし、学校が変わらなければならない時代にきていることは誰も否定はできないだろう。どういう理念で、どういう方法で学校を変えていくのか。そのためには、まず、目の前にいる生徒たちの現実を直視するしかないのではなかろうか。
 「水は方円の器に従う」とはいう譬えがあるが、これまでの行政サイドの改革は、まさに「器」を作ることから出発し、その「器」に子どもたちや学校を従わせてきた。今回の新神奈川方式での入試にしても、生徒や保護者や現場の反対や不満があろうが、「器」ができてしまえば従うしかないのが現実である。受験生にどのような異議申し立てができただろうか。保護者に他にどんな選択肢があっただろうか。せいぜい公立を捨てて私立を受験するぐらいしか選択肢はなかった。そして、そのために多くの出費を余儀なくされた。「特色づくり」にしても同様である。ひとたび施策として始まってしまえば、その動きを止めることはなかなか困難である。そして、それがまた彼等の目論見かもしれない。
 今、現場の教職員に求められているのは、行政サイドの施策の矛盾や問題点を鋭く指摘しながらも、行政との緊張関係を持ちつつ、学校のあり方を問い直す作業ではないだろうか。批判のための批判ではなく、自分たちの「対案」を指し示すための実践と運動が求められている。その作業の基本にあるのは、いうまでもなく、目の前にいる生徒たちである。
 勤務校が提出した「特色プラン」は、「普通科」という枠組みの中で課題集中校に集う生徒たちの課題解決のための一つの処方箋であった。県教委とのやりとりの中で、プランの変更や断念を決断しなければならない点もあったが、実現できた点も多かった。
 「2学期制」は難産の末、4月からスタートした。 1.学期毎の単位認定や長期休業中の単位取得を可能にし、教育課程、教育内容の多様化を図る。 2.学期末の成績処理・面談等の多忙さを緩和し、指導の充実を図る 3.学校行事の組み替え、精選を行い、時期設定・内容等の点検、検討を行うなどを柱にした2学期制の導入であったが、現在のところ大きな混乱もなく経過している。大学受験対策のための授業時間確保を企図した進学校の2学期制とは一線を画しながら、生徒の実態に対応した、多様で個性的な教育課程の検討をさらに進める必要がある。 
 「職業・進路に関する科目の導入」は、計画段階では1学年1単位必修(その他の教科「職業」)を模索していたが、1単位必修は認められず、2単位として1・2年分割履修の形で4月より始まった。 1.目的意識を持って高校生活を過ごすための動機づけとする。 2.広く職業一般について学ぶことを通して労働観や主体的に自己の進路を考える能力を育成し、適切な進路選択に役立てる。導入の目的を以上のように設定したのは、卒業時になっても進路未定な生徒の数が年々上昇し、定職に就かない生徒の割合が高くなってきた状況や間に合わせに進路を決めている生徒が多い実態が背景にあった。それを解決していく一つの方策として、入学時から段階的に主体的な進路意識を育成し、職業についての基礎的な知識の修得ができるよう計画したものである。1年間かけて作り上げた自前の教科書(「進路ノート」)を使って授業は進められているが、職場見学や社会人講師の授業、視聴覚教材などを組み込んだものとなっている。この授業に先だって、2年前から社会人講師の授業や職場見学を試行してきていたので、幾分かの蓄積はあったとはいえ、学校にとっても担当者にとっても手探りの状態であり、今後授業展開や予算の問題など解決していかなければならない問題は少なくない。
 「楽しい学校づくり」の一環として位置づけていた「オープンスペース」の設置(余裕教室の有効活用)と周辺設備充実は、これまでのランチルームに加えて、2棟ある校舎の3階と4階にそれぞれ一カ所ずつ「オープンルーム」を設置することができた。前後のドアを撤去した教室を明るい色に塗り直し、洒落たテーブルや椅子、長椅子を設置して、生徒が休み時間には常時使用できるようになっている。しかし、備品ための予算は一銭もつかなかったために、ペンキ塗りやワックスがけ等の仕事はすべて教職員が受け持つことになり、テーブル、ベンチ等の備品代は同窓会からの寄贈行為という形で急場を凌ぐことになった。生徒の生活空間、居場所としての機能充実を追求してきた結果、生徒にも歓迎されるような施設設備が不十分ながらも一定実現されてきている。
 その他、学校づくりの基本的理念や内容等については、他稿(『学校づくり最前線―課題集中校からの学校改革』神高教 課題集中校プロジェクトチーム1997年3月発行)を参照してもらえれば幸いである。
 「お仕着せ」ではない「自前」の改革、学校づくりを進めることは、労多い作業ではあるが、得るものもまた多い。これまで戦後教育運動がつくりあげてきた理念や実践を検証するためにも、生徒と最も多く接触し、彼等のよい点も悪い点も見えている現場の教職員が英知を結集して学校づくりを進めることが何よりも必要である。そして、その営みの中から、混迷の中にある教育の問題解決への展望を切り開くことができると確信している。

(なかの かずみ 研究所員 県立田奈高校)

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