映画に観る教育と社会[13]

アメリカ映画と 「ハート・ロ ッカー」
 
手 島   純

アメリカという国
 アメリカは病んでいる。 堤未果のアメリカからのレポートを読むまでもなく、 アメリカの病理が深刻なのはすでに伝わっていることだ。 個人的なことだが、 通信制高校の取材でシカゴに行ったとき、 昼は普通のビジネス街なのに、 夜になると街の様相が変わる。 日本にはない恐さがある。 ビジネス社会から排除された人々が蠢いているようだった。 そんな街にアメリカ社会の断片を見た。
 マイケル・ムーアの一連の作品を観ればアメリカがいかに病んでいるかが分かる。 彼は、銃社会のアメリカを告発し (「ボーリング・フォー・コロンバイン」)、 保険制度のないアメリカを憂いた (「シッコ」)。 近作の 「キャピタリズム」 でもブッシュの新自由主義経済政策に鉄槌を下した。 今の世界的経済の悪化はすべてアメリカのせいだと。 アメリカというとんでもない国、 しかし、 一方、 マイケル・ムーアも登場できる国。 そこにアメリカという国の得体の知れぬおもしろさも、 また、 ある。

アメリカ映画 
 マイケル・ムーアだけではない。 あの暴力と性のクエンティン・タランティーノ監督は、 反ナチズムを題材にして 「イングロリアス・バスターズ」 を作った。 しかし、 「ナチ狩り」 の残酷度を見れば、 単にナチスを批判すればいいのではなく、 戦争そのものが問題だと、 どうにも不快でグロテスクな形で 「告発」 し、 表現していることが分かる。
 クリント・イーストウッドの 「インビクタス」 は、 反アパルトヘイトの誠実な映画だ。 ラグビーの試合を縦軸に、 反アパルトヘイトの闘士で南アフリカの大統領に就任したマンデラの思いを横軸に、 静かにそして熱く映画は進行する。
 表現方法はともかく、 こうした歴史的社会的問題に対して、 娯楽性を滲ませながら、 ものごとの本質に迫っていくアメリカ映画が継続的に産出されているのは、 やはりすごいことだ。

「アバター」
 私は今年度のアカデミー作品賞は間違いなく 「アバター」 だと思っていた。 「アバター」 は映画の革命である。 無声映画がトーキーに変わった時ほどの意味があると思う。 しかも、 3 Dという技術にたよるだけではなく、 キャメロン監督は 「タイタニック」 の時と同じように、 観客を作品に溶け込ませるストーリーをちゃんと用意した。 3 Dでなくてもその娯楽性は高い評価ができるだろう。 アメリカ人は、 この技術と、 そして一種のヒューマニズムに溢れた 「アバター」 に喝采をおくりながら、 「大国」 アメリカに自己満足するのではないかと思っていた。
 しかし、 アカデミー作品賞は 「アバター」 ではなく、 その栄誉はキャメロン監督の元妻であるキャスリン・ビグロー監督作品 「ハート・ロッカー」 がさらっていった。 この予想外の展開で、 私はアメリカ社会の懐の深さにまたしても接してしまった感じだ。

「ハート・ロッカー」
  「ハート・ロッカー」 は、 イラクで爆弾処理班に属するジェームズ二等軍曹 (ジェレミー・レナー) が危険を顧みずに冷静に淡々と爆弾処理をする映画である。 むしろ画面を見ている観客の方が手に汗を握る。 それは映画の冒頭、 爆弾処理に失敗し、 防護服を着たまま爆死した爆弾処理技術兵が登場するからであり、 手持ちカメラを多用する撮影手法がドキュメンタリーかと思えるほど映画にリアリティを加速するからである。 私たち観客は、 まさにイラクの現地にいるかのような錯覚すら思えるのである。 ちょっとでも処理を間違えれば、 当然、 死が待っている。 映画は爆弾処理の作業を執拗なくらいに描き出す。 その緊張が観る者に確実に伝わってくるのだ。
 過酷な作業は、 さらなる過酷な現実も通り過ぎなくてはならない。 ジェームズ二等軍曹はDVD売りのサッカー好きの少年と仲良くなるが、 その子に見まがう血まみれの少年が一室に横たわっている。 そして、 その少年の体の中には爆弾が埋め込まれていた。
 体に爆弾が巻きつけられた男が路上にいる。 彼は自爆テロリストなのか。 しかし、 「家族がいるんだ。 助けてくれ」 と叫ぶ。 ジェームズは彼を助けようと努力するが、 タイムアップ、 その男はひとり爆死していく。 悲しいまでの戦争の現実が描かれる。
 画面では時折、 「任務開けまで38日」 「・・・16日」 とのテロップが流れる。 この命がけの仕事が終われば帰還できるのだ。 そして、 ジェームズ二等軍曹の別れた妻と子の静かな日常が映し出される。 それが爆弾処理の作業とコントラストされる時、 ごく普通の日常の風景が新鮮に思える。 しかし、 「任務開けまで 2 日」 の後は、 平和な生活への帰還ではなかった。 「戦争は麻薬である」 との冒頭の文字に呼応するかのように、 ジェームズ二等軍曹は次の任務地に向かう。
 イラク戦争を経験したアメリカ映画界は、 ブッシュの傲慢な汎アメリカ主義に対して、 「ハート・ロッカー」 にアカデミー賞を与えることで、 けじめをつけようとしたのか。 アメリカ社会は自己の誤ちを静かに反省しているようだ。

(てしま じゅん 教育研究所員)
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