学校から・学校へ (T)

新採用から3年−新たな発見− 

宮 野 未 来

  教師として働き出し、 この3月で3年が経った。 振り返ってみると、 慌ただしく毎日が過ぎて行き、 とにかく駆け抜けたという感じだ。 思えば、 学校というところは、 自分が長年通ってきたという理由で、 よく知っていると思っていたが、 その裏側は全く見えていなかった。 もしくは、 多くの先輩教師が口にするように、 ここ10年程で環境が大きく変わってしまったらしい。 日常の仕事に追われ、 ほとんど立ち止まって考えることが出来ずにいるが、 教師になって戻ってきた学校現場には新たな発見が確かにあった。
 着任して、 まず始めに驚いたのが、 とにかく慌ただしいということ。 周りの人たちが、 何をかは分からないけれど、 絶えず仕事をしていた。 一年目で、 しかも講師経験もない私は、 何をすべきか分からず、 完全に取り残されていた。 ただ言われたことをやるだけで、 まして今やっている自分の仕事が、 全体の計画の中でどんな役割があるのかなんて全く理解していなかった。 そして分からないことが多いにも関わらず、 聞きたい相手が走り回っていて、 「今質問してもいいのかな…」 などとためらう事もしばしば。 そんなことを思い出すと、 毎日バタバタ駆け回り、 質問することも躊躇しなくなった今の自分を振り返り、 この3年で随分図々しくなったと思う。
 初めて会議に出席した時にも驚きがあった。 始めは 議論 そのものの概念がよく分からず、 「この人たちは喧嘩することが好きなのか」 などと職員会議の度に考えたりしていた。 自分の学生時代を振り返っても、 これまで議論というものをしてこなかったと思う。 話し合いをしても、 いつの間にか声の大きい人、 権力を持っている人の意見が通っており、 意見しなかった者はそれに従うという形だったような気がする。 「〜して下さい」 と言われれば、 その物事自体の是非を問わず、 とにかくやってきていた気がする。 学校に来て、 議論 が単なる喧嘩ではなく、 話し合いを深めることで、 問題点がよく分かってきたり、 様々な結論の可能性を探れることが、 少しずつ理解できるようになってきた。
 先輩たちの熱い議論を聞きながら、 初めてジェネレーションギャップについて考えたりもした。 学生時代は、 たいてい同世代としかつるんでおらず、 今思えば、 その中で当たり前のように通じていた価値観があった。 それが、 様々な世代がいる学校では、 ほとんど全く通用しない。 それは、 対同僚だけでなく、 対生徒もである。 生徒とは年齢が近いから話は通じるだろうと侮っていたが、 確実に感覚が違うと思わされることが多々ある。 当たり前のことかもしれないが、 子どもたちにとって、 90年代が 昔 だったり、 携帯電話がないと生きていけないと豪語したり、 インターネットの掲示板を通じて部活の欠席連絡をしたり。 いろんな世代と接することで、 いかに自分がこれまで狭い世界で生きてきたことかと実感した。
 学校現場では驚くことだけでなく、 怒りを覚えることもある。 「最近の女の子の言葉遣いには呆れてしまうよ」 「男として殴っちゃいけない相手だろ」 「女みたいなやつですよね、 あいつ」 などという言葉が教師の口から聞こえてくるときだ。 まだまだ世の中には性差別があることは否めないが、 そういう発言が子どもたちの 女とは 男とは という固定観念を強くしてしまう。 ジェンダーフリーに対する見方は様々だが、 私自身は、 ジェンダーに囚われることで、 個人のあらゆる可能性を否定されるべきではないと思っている。 今さら言うまでもないことだが、 教師の一言で人生が変わる、 とまでは言い切れないものの、 大きな影響力があることは真実だと思っている。 自分の高校時代、 教師に 「宮野が引いても、 何もいいことは起こらない」 と言われたことが忘れられない。 あれが 「宮野は補佐でいいよ」 などという言われ方をしていたら、 自分の力を出し切れていなかったと心底思う。 発言に影響力があるというのは、 何も入学式や、 卒業式といったハレの舞台に限ったことではなく、 子どもたちは日常の、 ほんの些細な教師の発言に、 強く反応している。
 学校では 「若くていいね」 と本当によく言われるが、 私は全く共感できない。 悔しいことだらけだからだ。 経験不足、 力不足で生徒の役に立てなかったり、 「それはおかしくないですか」 と自分の率直な意見を言えなかったり、 当たり前なのだろうが、 「まだ若いから」 と軽くあしらわれたりすることもある。 多くの先輩教師が 「若いことはよい」 と言うのだから、 おそらくそれは間違っていないと思うのだが、 私の場合、 今は悔しい思いの方が強すぎて、 若いことのメリットがほとんど見えていない。 自分が10年後や20年後に今を振り返って、 やっと共感できるのかもしれない。
 驚いて、 考えて、 気づいて、 怒って、 悔しがって、 いろいろ発見があったが、 喜んだり、 嬉しく思ったりしたことを探すと、 出会い に思い当たった。 学校にいるだけで、 新しい出会いがたくさんある。 一年生として入学してきた生徒が、 一年、 二年という短い間に、 大きく成長している。 自分の指導のおかげでそうなったとは全く実感できないが、 ただ、 その変化を見ているだけでも、 嬉しい気分になる。 教師を目指した一番の理由が 「高校生は面白い」 だったことは、 今も変わっていない。 そんな子どもたちとの出会いだけでなく、 素敵な教師との出会いもまた、 忙しい毎日の支えになっている。 ちょっと相談すると、 いろんな人を巻き込んででも助けてくれる。 悩んでいるときは、 何気ない一言で救ってくれたり、 さりげなく褒めたりしてくれる。 毎日の仕事に追われるだけでなく、 きちんと勉強すべきことがあることを行動で示してくれる。 そんな人との出会いが学校の醍醐味なのかもしれないなどと、 たまには思い出しながら、 やはり今年も毎日駆け回ることになるのだろう。
 (みやの みく 藤沢総合高校教員)
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