特集T 公立高校入学者選抜制度
シンポジウムに参加して
入試制度改革案のメッセージは保護者に伝わるか?

 
橋 元 祐 子
 改革案の発表からシンポジウム当日まで、 校長、 中一の息子の担任、 塾の先生、 ママ友、 弁護士……分会では久々の学習会をも開催し、 何人に議論を持ちかけたことだろうか。
 入学者選抜制度検討協議会第 4 回会合で、 会長である高木展朗氏は、 「入学者選抜制度は、 これから高校へ入学する生徒がどのような学力をつけてほしいかを示すメッセージである。」 と述べている。 単なる前・後期一体化ではないという、 その壮大な理念には共感できる部分もあるが、 7 月、 〔入試制度として〕 発表された案には、 その意図する所とは異なる課題が山積みである。 限られた字数ゆえ、 ここでは次の 2 点に絞って記しておきたい。

【全員面接〜資料化】は理念先行のブラックボックス
 新たな学力が標榜された新カリの実施は何も神奈川に限ったことではない。 しかし、 同じく現在の中 2 から入試制度を変更する宮城、 埼玉等、 他県の制度を調べた結果、 「意欲や態度を含めた 3 つの学力全てを入試選抜で測らなければならない」 という理念から入試制度を設計した形跡はなく、 面接は推薦等に限定的に用いられるのみである。 よって、 【全員面接〜資料化】は神奈川独自の制度となる。
 結論から言おう。 普通科に限ってではあるが、 他県と同様に、 現行の後期・1 次選考の【評定と学力検査のみでシンプルに合格できる枠】を残し、 【面接点を加えての選考枠】を限定的にすべきである。 面接の評価には、 主観という曖昧な要素が必須である。 現行の前期選抜が市民権を得ているにしても、 学力検査を行った上で、 「 1 回限りのチャンス」 に、 面接点が低いために逆転不合格者を出すような入試制度は 「公正」 とは言えず、 県立高校・普通科の入試には馴染まないと考えるのは私だけではないだろう。
 しかし、 協議会の審議に、 今回の県の答弁、 中学側からの発言も加えると、 何と様々な要素が面接に求められていることか。 新しい学力の中の、 「主体的な 学習 に対する《意欲》や《態度》」 を測るはずが、 意欲の対象は、 学習以外のその他の校内・校外活動全般にまで広げられ、 自己表現力にコミュニケーション能力、 特性や長所、 はたまた人間性まで見て欲しいとは! さらに、 面接基準は、 「各高校の特色も盛り込み、 事前に公表する」 ことにもなるらしい。 それら全てをわずか10分間で判断できるのか? 評価できるのは面接で受検生が 「話した内容」 に限られる中、 「本開示」 にも耐えられる、 明確な採点基準が示せるのか?
  「採点基準を細目化することによって、 本開示請求にも耐えられる。」という県の答弁であったが、 細目化しさえすれば、 受検生、 そして保護者の納得が得られる基準となるという考えは甘すぎる。 調査書・自己PR書をどのように利用するのかも含め、 具体的に例示して欲しい。 これは現場の意欲や工夫の問題ではなく、 入試制度自体の問題なのだから。 果たして、 事故は防げるのか?
 また、 「記載事項のポイント化は廃止」 という前提だが、 「特色とからめて本人が話した内容〜部活の実績など〜を加点の対象とする」 ことが認められるのであれば、 問題があるはずの基準をむしろ全受検生に広げてしまうことになる。 特色と合致しない生徒の合格可能性は低くなり、 現在のように何ポイントと公表できない分、 ≪面接=ブラックボックス≫の様相はさらに深まる。
 経済的に私学は無理、 という層が増加する中、 チャレンジの機会が 1 回限りとなることで、 「行きたい高校より行ける高校」 を、 より確実に選ぶ必要性が高まる。 「公正」 であるとともに、 志願変更してでも県立・普通科に入らなければならない受検生をも受け入れる枠が必要なのである。

【 2 以上の整数〜合計が10】はシュミレーション不足
 【面接20点】はとんでもなく大きな配点である。 各高校の受検生の評定の幅は135点ではなく、 わずかに10点という高校もある。 学力検査の幅も然り。 20点どころではなく、 面接で 5 点の差がついただけで、 その高校の受検生の評定や学力検査のトップと最下位を入れ替えてしまう可能性さえあるのだから。
 評定 「 3 」 を 「 4 」 に上げるために、 受検生が費やした時間と意欲、 積み上げた事実をどう受け止めるのか。 また、 学力検査の採点に求められる、 1 点のミスも許されない厳正さとどう折り合いをつけるのか。
 さらに、 評定、 学力検査の配点を【 2 以上の整数】であればOK、 とし、 最高で【 6 2 】という極端な傾斜までを認めたのは何故か。 評定・学力検査どちらにしても、 【 3 】以下の配点となった場合、 その価値は現行よりも大幅に低下する。 「学力の要素全てを見る」 ために面接まで行うというのに、 その一方で極端な傾斜を認め、 自らの理念を形骸化しているという矛盾に気づいてはいないのか。
 配点の傾斜は現行の【46】までで十分である。 特に、 学力検査への比重を高めることによって、 成績上位者が評定を軽視することになるとしたら、 中学校における学習活動全般への影響は計り知れないものがあるからである。 さらに教科毎の傾斜配点も加われば、 重視されることのない教科の授業の成立さえ危うくしかねない。 まさしく 「入試制度は中学生へのメッセージ」 である。 日々の授業への取り組みを軽視して、 一体どんな学力をつけよというのか。
 はたして、 様々な角度や、 立場を変えてのシュミレーションは行われたのだろうか?疑問は尽きない。
 改定は【一体 (本?) 化】と【全員に学力検査】を中心に、 変更による混乱を最小限にとどめ、 県立高校に対する信頼を損ねることの無いものであって欲しい。 そして、 中学生の学力を真に高める 「良問」 作成に集中して頂きたい。 高校現場から、 そして受検生の保護者の立場から切に願う。

 
  (はしもと ゆうこ 県立旭高校教員)

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