海外の教育事情 (18) 
アメリカ・イギリスの新聞記事を読む
 
  記事紹介:山梨 彰     論評:佐々木 賢
 
以下の 『タイムズ』 の 2 つの記事は、 私立学校の学費の極端な高さとそれでも私立学校が将来に有利なことがよく示されている。

1. 高騰する教育費
  • 私立学校卒で収入20万ポンド増(Times. 2014.7.3) より
     私立学校で教育を受けると16年間の職業生活で約20万ポンド (3,400万円) 以上多く稼げるという。
      「サットン教育慈善財団」 によると、 私立学校生のほうがAレベルの成績を多く取り、 上位の大学に受かる。 私立学校は 「特権の砦であり、 少数の豊かな家庭が高い教育費を払い、 高い学力をつけ、 良い人脈を見つけ、 高収入の長期雇用を得られる」。
      「社会市場財団」 の調査によると 「私立学校卒業生の方が劇的に高収入だ。 26歳から42歳の間で平均194,000ポンド以上収入が多い。 恵まれた生育環境が一因だが、 それがすべてではない。 同じような家庭環境と能力を持つ11歳の 2 人の子どもを追跡調査すると、 私立卒業生の方が収入は多い」。 1970年生まれの17,000人を母集団とした調査の結果である。
     サットン財団は 「オープン・アクセス」 計画を提案する。 学習能力を基準にどんな生育環境の子どもも私立学校にアクセスできるという計画だ。 学校は政府から生徒数に応じた基金を受け取り、 家計状況調査を行う。 最貧困家庭の負担費用は無料である。 トップクラスの100校の私立学校がこの計画を実施すれば、 62万人の生徒が対象になり、 政府の負担は年間 2 億1,500万ポンド (368億円) になる。 財団は 「お金ではなく成績によって新入生を募集するように私立学校を変えて、 もっと多くの若者に優れた私立学校教育の機会を提供しなければならない」 と語る。
     しかし、 全国教員組合は、 「社会的流動性を高める取り組みは、 貧困な家庭環境の生徒の何人かを私立学校に入学させることではない。 高収入が得られないのは、 公立学校教育の問題ではなく、 私立校卒業生が能力とは無関係に、 雇用機会や職業経験に役立つ個人的コネがたくさんあるためだろう」 と述べた。


  • 学費は1990年に比べ4倍増(Times. 2014.7.7) より
     中産階級の子どもは、 20年間で費用が 4 倍以上にもなった私立学校教育から閉めだされている。 私立学校はますます超富裕層の領分になり、 医者、 弁護士、 銀行員の家庭の子でさえ入学が難しい。
     私立学校で卒業までにAレベルを取るための費用は、 271,000ポンド (4,700万円) かかり、 それが全寮制学校の場合は435,000ポンドとなる。 年平均費用でみると通学生は1990年の 2,985ポンド (51万円) から今年は12,700ポンド (210万円) に上がり、 全寮制学校の場合は6,800ポンドから28,800ポンドに上がった。 私立学校の学費を払える家族層は変化し、 海外の億万長者が増え、 「平均的な」 医者や会計士は少なくなっている。
     1990年の通学生一人あたりの学費負担割合は、 医者が給料の19%、 事務弁護士が23%、 研究者が30%、 会計士が29%だった。 今日では医者が36%、 事務弁護士が50%、 研究者が51%、 会計士が59%の負担である。
「教育困難校」 での教師の 「質」 が問題にされるのはイギリスもアメリカも日本と変わらないようだ。 以下の記事は 7 月のイギリスとアメリカからである。
 
2. 「教育困難校」 
  • 学校から脱出しようと食器でトンネル掘り(Times. 2014.7.7) より
     ある教育最困難校の生徒が、 食堂からかすめたナイフとフォークで高さ3.6mの防犯フェンスの下にトンネルを掘って学校を抜けだそうとした。
     映画 「大脱走」 からヒントを得て、 ノッティンガムのシティアカデミーの14歳までの少年が5人昼休みにサボろうとトンネルを掘った。 教師が見つけて計画は失敗した。 生徒数1,200人のこの学校の副校長は職員へのEメールで 「フェンスの下に穴を掘って脱走する生徒がいる。 穴は埋め、 フェンスの下に金属棒も埋めた。 裏の敷地を監視する職員は、 フェンス沿いに逃走用の穴がないか見てほしい。 食器がたくさん敷地内で見つかり、 穴掘り用に食堂から盗まれたらしい。 職員は食堂から食器を持ち出す生徒をよく監視してほしい」 と書いた。
     生徒の10%がいつも授業を欠席し、 サボるのを減らすため敷地の周囲に突起付きのフェンスを建てた。 アカデミーは、 教授水準と生徒の問題行動を査察官に批判され、 昨年11月 「特別な措置」 扱いとなった。 生徒の問題行動は 「生徒が自己規律に欠け、 職員が規則を一貫して適用しないから」 とされた。 昨 9 月に就任した暫定校長は逃亡に関係した生徒を 「叱責し」、 トンネルがあったところは職員が監視しているという。
     教育基準局の先月の査察のさい、 同校の生徒は 「生徒の行動の管理が一貫しないし、 指導が悪く中断される授業が多すぎる」 と不満をいった。 査察官の報告によると、 学校は逃亡した生徒をパトカーで追いかけ、 家庭訪問して 「長欠」 率を 1 年でほぼ半分にするよう指導しているという。
     防犯フェンスや警告板を見た親たちは 「学校というより刑務所だ」 と不平を漏らす。 ある母親は 「異議申立てという思いでサボる生徒もいると思う」 と述べた。 この学校は、 保守党下院議員の父親で繊維産業での百万長者が支援する財団が運営している。

  • 貧しい子には良い教師を、 とオバマ(Washington Post. 2014.7.8) より
     オバマ政権は、 支援が最も必要な生徒を未熟な教師が教えているケースが多い全国的な状況を正すために、 最貧困層が通う学校に優れた教師を送り込む新たな政策を実行するよう各州に指示した。  
     教育相は 「困難な地区の学校に、 未熟な教師の割合が多すぎるのは望ましくない。 全国的にいえば、 献身的な教師や校長こそ支援を最も必要とする地方に行き、 最も厳しい仕事をしてほしいが、 その意欲はほとんどなく、 むしろ意欲は阻まれてきた。 この状態は変えなければならない」 と語った。
      「もし何もせず、 問題に光を当てなければ、 支援が余りいらない子どもに最大の利益があり、 最も支援が必要な子どもは最小のものしか受け取らないままだ」 とオバマ大統領が語ったのは支援のニーズが高い学校からきた教師たちと、 ホワイトハウスで鮭、 インゲン豆、 杏パイの給食を教育相も一緒に食べた時だ。
     教育省によると、 州や学校区に420万ドル ( 4 億3,000万円) を支出して、 計画の開発と実行を助けるという。 州には進捗状況を公表する義務が生じる。 実行しない州への罰則については未定のようだ。
     教育相は、 最貧困層が通う学校の教員の質を州に公開させれば、 州は改革を進め、 低所得者層の子どもも豊かな子どもと同等な良い教育を受けられるだろうという。 この構想は、 優秀な教師をどう決定するのかという厄介な問題には触れていない。 教員評価は大きな問題であり、 教師の質を簡単に決められない。
     教育省によると、 低所得者層の生徒を教える教師は富裕層の生徒に比べると、 経験に乏しく、 資格が不足か、 全くない傾向がある。 こうした教師のせいで成績が低いという直接的証拠はほとんどないが、 低所得者層の生徒は確かに成績が芳しくない。
      「教育改善のための全国調査2014年版」 をみると、 連邦単位テストの4年生の数学で優れた成績をとったのは、 富裕層の生徒が50%、 無料給食を受けている生徒が24%だった。 ルイジアナ州では 「非常に優秀」 な教師の割合は、 貧困層とマイノリティが多い学校より、 富裕でマイノリティが少ない学校のほうが50%多い。 テネシー州では33%となる。 北カロライナ州では貧困層の学校での 「非常に優秀」 な教師の異動割合は富裕層の学校よりも50%高い。
     給食のあと、 貧困層の学校の教師は教育相に 「学校には必要な資源がなく、 仕事への要求がひっきりなしに変わるが、 職場の雰囲気が良く校長の支えもあり、 同僚と共に仕事をする時間や機会にも恵まれており、 自分の学校にずっといたい」 と述べた。
     教員組合との契約によって、 教育困難校の年配の教師は第一希望の学校に移動する権利があり、 そのため経験の少ない教師が増えるという問題もある。 全米教員連盟の会長は、 学校の不平等を正すためには 「困難校給与」 のような報酬を考慮した労働契約が必要と述べたが、 教育相も 「完全に同意する」 と語った。

教育は教育行政と教育現場の 「協働」 の作品だ。 しかし、 実態は 「協働」 どころか 「強制と恫喝」 といったら言い過ぎだろうか。 現場は実態を知らない行政の方針にいつも振り回され、 労働条件は悪化の道をたどる。 以下はイギリスとアメリカの記事である。

3. 現場と行政
  • ストで数千校が閉鎖、 来年も継続か(Times, 2014.7.10-11) より
     昨日10日のストライキでロンドンの 3/4 の学校、 全国では 1/3 にあたる7,500校が閉鎖された。 少なくとも100万人の保護者が影響を受けて、 仕事を休んだ親やお金を払って子どもの面倒を見てもらう親もいた。 教育省は組合に激怒し、 今後のストには父親やボランティアを使って学校を閉鎖しないという。
     賃金と年金問題をめぐって全国教員組合 (NUT) と公共事業体 5 部門が呼びかけたこのストライキには、 教員、 消防士、 図書館員、 公共輸送機関労働者、 学校給食調理員、 学童交通安全指導員、 掃除作業員、 駐車場管理員、 ゴミ収集員、 地方議会職員、 他の公共機関職員が参加した。 労組指導者によると行動は圧倒的に支持され、 裁判所、 市役所、 職業案内センター、 消防署、 議会の前にはピケが張られて、 最低100万人の公共部門労働者が参加し、 2010年以来最大の規模だという。 ロンドンの大集会で労組指導部は行動は来年 5 月の総選挙まで続くと述べた。
     保守党はストライキ法を改正して、 スト権投票の成立の線引きをし、 投票の強制力を制限するなどの措置を考えている。 教育相は 「子どもの利益より自分の利益を優先し、 何世代にもわたり失敗した状況にしがみついている。 特に最も貧しい人々を見捨ててはならない。 教室から街角に出てストライキをする人々に考えなおしてほしい。 労働組合は以前 『教育のために立ち上がる』 と主張した。 今日は自分の給料と年金のために立ち上がっている」 と述べた。
     NUT総書記は 「投票は有効で合法的だし、 法律の枠内にある」 という。 「公務・民営化された公益事業労働者組合 (PCS)」 総書記は 「賃金は生活費を賄えないほど下落し、 4 年間で収入が20%減の公務員もいる。 経済の回復は不十分で、 得をしているのは富裕層だけ」 と述べた。 労働党は、 「政府は労働組合を挑発して実力行使をちらつかせ、 労組を叩き故意に混乱させている」 と批判した。 実業界の幹部は、 保守党がストライキを 「労働者の基本権を崩す」 ために利用しようとしていると述べて、 連立政権内に亀裂を生んだ。

  • GCSEの再試験問題が難化の予定(Times. 2014.7.3) より
     数学と英語のGCSEが不合格の生徒は数万人いるが、 再試験の問題を2017年から難しくするという政府の発表に大学側は難色を示している。 大学は、 制度の移行期には現在の教育課程で再受験できるように 2 年間の実施延期を決めた。
     政府は、 再試験が難化する新制度にそなえて継続教育カレッジで数学を教える大学卒業生に10,000ポンドの 「高額支度金」 を支払う予定だ。 技能省の担当者は 「若者がきちんとした読解力と計算力をつけて卒業するのは決定的なこと」 という。 しかしカレッジ協会主任は 「政府は現実的な期間設定を設けるべきだ」 と述べた。

  • 改革への障害(Washington Post. 2014.7.1) より
     2012~13年度に、 ワシントンDCで行なわれた授業時間を長くする新学校制度の試行結果は良好だった。 8 校の内 7 校で数学と読解に改善が見られ、 テスト成績は未実施校での成績よりずっと良かった。 学校局長官は、 公立学校での授業時間増加を最優先事項にしている。 このための来年度予算は510万ドル ( 5 億2,000万円) である。
     しかし、 アメリカ教員連盟に加入するワシントン教員組合はこの計画を認めない。 教師が新しい時間割に積極的に賛成したわけでも、 割増賃金が支払われたわけでもないからだ。 確かにすべての学校に授業時間延長が必要とは限らないが、 各学校の生徒のニーズに最も合った時間割を考える柔軟性があるべきだろう。 しかし、 組合はそれぞれの学校での教師の決定を認めない。 たとえその学校が、 生徒に利益があり、 割増賃金も支払われる授業時間延長を望んでも、 である。
     公立チャータースクールでの成功例を見ると、 特別な授業時間によって貧困層で困難な状況にある生徒の成績が向上する場合がある。 一方で組合委員長は、 「改革を妨害するのでないと注意してほしい」 と述べる。
     学校局長官は時間延長で生徒の成績が良くなっているのにもかかわらず、 組合が反対するのは 「近視眼的」 だという。 授業時間が長いチャータースクールに多くの生徒が行くようになれば、 これまでどおりの学校にいる教師へのニーズは少なくなるだろう。 教師が自らをプロとして扱うこと、 公平な報酬を得るのを望むのは正当である。 今こそ、 組合は、 教師の声を代弁するべきである。



【論評】 佐々木  賢


1. 行政と現場
  イギリスでGCSE (高卒学力認定テスト) を巡って、 行政と現場が対立している。 政府は 「読解力と計算力が必要だから、 再受験者のテストをより難しくする」 と言い、 現場の高校や大学は 「問題をより易しくして、 合格し易くすべきだ」 と主張している。
 組合のストに関しても、 行政と現場は対立する。 数千校が閉鎖されたストの参加者について、 政府は 「50万人」、 組合は 「100万人」 と発表した。 このストは公務員共闘であり、 教員の他に消防士や図書館員や給食作業員までも含んでいる。 政府は 「児童や生徒や保護者の迷惑になるから止めろ」 と言い、 組合は 「2010年以来の 4 年間の収入が20%も減ったから、 生活苦のための止むを得ない行動だ」 と主張している。
 アメリカでは行政側が 「授業時数を長くしろ」 と要求したが、 組合は 「割り増し賃金もなく、 生徒のニーズに応える柔軟性のある授業の方が大切だ」 と言い、 渋い反応を示した。
 記事を紹介した山梨が 「行政と現場は協同すべきと言われているが、 現実は強制と恫喝の 『強恫』 になっている」 と述べたのも言い得て妙である。  
 OECD34カ国を対象とした 「国際教員調査」 の結果が発表された (毎日14.6.26)。 教員の勤務時間は各国週平均38.3時間だが、 日本は53.9時間であり、 最下位国群に属する。 休息時間は15分しかなく、 部活や巡回や保護者の対応、 それに書類作成や調査や研修が多く、 休日出勤もあり、 虐待防止の家庭訪問もしなくてはならない。 これほど忙しく働いても、 教員の社会的評価は各国平均30.9%なのに日本は28.1%と低く、 「生まれ代わっても、 教師を希望するか」 の問いに、 平均が77.6%なのに日本は58.1%と極めて低い。 国のGDP比教育予算は34カ国中最低である。 ストもしない日本の教員が如何に大人しいかが分かる。 だから公立校教員の精神疾患は年間5000人程づつ出ている。
 2014年の文科省は教員3800人の増員要求を出したが、 それを拒否され、 各種補助員の社会人枠で8000人の増員となった。 現場では正規教員が欲しいのに、 行政は 5 分の 1 の給与で済む派遣や非常勤職員を増やし、 深刻な事態をごまかしている。
 文科省は2016年の学習指導要領の改訂を目指して、 幼稚園で小学校 1 年の学習をさせ、 小 1 と小 2 の社会と理科を廃止して 「生活科」 を復活させ、 動植物に接する体験活動をさせる案が出ている (毎日14.7.12)。 これには2610億円の費用が必要だが、 費用が嵩む義務化を避け、 学習内容だけの改革で済ませようとしている。 英語教育改革が提言され、 2018年に中学校で英語による英語授業を促し、 英検 2 級か準 1 級を取らせ、 小 5 と小 6 の英語を教科化する (毎日13.12.29)。 2016年には小中一貫制度に移行し、 従来の 6・3・3 制度を 4・3・2 か 5・4 制に変えようと提言している (毎日14.7.4)。
 幼児から利発に育ち、 怠学を減らし、 学校に馴染み、 英語も話せるよう、 その上テスト成績を上げようという。 これは中産階層の大人の願望に応えているに過ぎない。 文科省案に、 願望と現実の狭間で格闘する現場教員は戸惑うばかりであろう。 非行や退学や怠学、 不登校にひきこもりの多い困難校があり、 大学は大衆化し、 不登校者数は高止まり、 精神障害やウツ病が教員や大学生や児童生徒にも増え、 無差別に 「人を殺したい」 という若者すら出ている現実があるからだ。 現場の意識とは永久に平行線上にあるといえる。 日本はアメリカやイギリスの現状を笑いとばす立場にはなく、 「他山の石以て玉を攻むべし」 という詩経の成句を噛みしめるべきだろう。

2. 教育民営化の結果
 イギリスでの学費は20年間で4倍になった。 1990年には通学制2,985£、 全寮制6,800£だったのが、 2014年にはそれぞれ12,700£、 28,800£になった。 特筆すべきは、 医師や弁護士等の中流階級の子たちが、 経済的な理由で入れない私立学校が出てきたことだ。 有名大学に入れるAレベルを取得する費用が日本円で約5000万円、 全寮制だと8000万円程になる。 この費用は医師の収入の36%、 弁護士の収入の50%に当たるという。
 これほどの高い学費をかけて、 若者たちを進学競争に駆り立てるのには理由がある。 社会市場財団の調査で分かるように、 最近16年間で、 私立校出身者の年収が公立校のそれより約 6 万£ (約1千万円) 増えたからだ。 サットン財団の調査団は 「少数の富裕層を厚遇した教育政策の結果であり、 私立は特権階級の砦と化した」 と表現している。
 サットン財団は 「開放アクセス計画」 を提案している。 私立校の学習能力を全国の子どもにもつける計画であり、 政府が募った基金を使い、 公私立の学力の均等化を達成しようという。 ところが、 教員組合はこの提案にあまり乗る気でない。 学力格差が生じたのは、 単に学習機会の問題だけではなく、 雇用機会や職業経験を含む社会的、 経済的、 文化的格差が底流にあると考えられるからだ。 貧困家庭出身の若者が私立学校並の学力を得て出世しても、 社会構造そのものが変わらなければ意味がない、 という主張である。
 ピェール・ブルデューは 「文化資本」 の概念を提唱した(「ディスタンクシオン」 (翻訳、 藤原書店、 1990刊)。 彼は上品さや教養や習慣や交友関係といった特権文化は世代を超えて継承されると説いた。 文化資本には、 絵画や楽器や書籍や骨董品などの客体化形態、 学歴や資格や免許などの制度化形態、 習慣や行動や言語や振舞や美的センスなどを含む身体化形態の 3 形態があり、 この 3 形態は互いに密接な関係を保っている。
 この説によればサットン財団の提案は対症療法に過ぎないことが分かる。 3 形態の制度化形態のみを重視しても特権文化の世代継承構造を崩すことは出来ない。 だがこの提言は、 テスト結果のみを強調し、 家庭の経済格差を放置する日米英の教育政策よりまだましだ。 それに、 英財界に与するサットン財団が格差解消を提言したのは、 教育界に競争を促すことを要求する日本の財界よりましだと言える。
 いずれにせよ、 教育によって経済格差は解消しない。 経済格差が教育格差を生んでいるからだ。 この現実を見ることの方が肝要だ。 公教育を縮小し、 テストや受験市場を私企業に開放する民営化政策の結果、 格差が拡大したからである。 それに正規雇用を減らし、 短期雇用を増やした雇用政策にも関係する。
 記事を紹介しなかったが、 イギリスの就職状況を見ておきたい (タイムズ14.7.7)。 大卒者が初任給年500万円の職に就くのは39倍の激戦で、 マスコミや銀行や製造業は50倍、 軍隊は7.5倍である。 大企業の70%は有名大の卒業生を採用している。 投資銀行に就職すれば初任給年45,000£ (約765万円)、 法律事務所 (約672万円) だが、 公務員は22,400£ (約380万円) 程である。 金融関係に職を得れば、 公務員の倍の収入があることになる。 しかも最低の公務員を含めて、 ホワイトカラーの職に就ける若者が39人に 1 人しかいない。
 階層格差は益々深まり、 ホワイトカラーになれない中間層の下位や庶民や貧困層が圧倒的多数になっている社会構造は並大抵のことでは解体しないことが分かる。

3. 困難校
 イギリスの教育水準局の査察で 「規律に欠ける問題行動が多い」 と評価されていたノッティンガムのアカデミー校 (公設民営学校) で、 フェンスの下に穴を掘って脱走を企てた生徒たちがいた。 行政側は 「教職員の怠慢」 と言うが、 保護者の一人は 「まるで刑務所みたいだから、 生徒の異議申し立てのようなものだ」 と学校を非難している。
 一方アメリカの教育省は困難校に補助金を出す計画がある。 貧困地区には 「優秀教師」 が少ないから、 生徒の成績が上がらない。 これを是正するために、 実績を上げない教師を公表し、 優秀教師には報酬を出そうという。 この案に教員組合は不満のようだ。 短期雇用の教員が多いし、 異動の自由もなく、 収入保証もなく、 教師の優劣を決める基準が曖昧だし、 それに、 生徒のテスト成績のみを教師評価の基準としてよいのかの疑問もある。
 非行や怠学や不登校を 「学校病理」 と呼ぶことがあるが、 むしろ 「教育病理」 と呼んだ方がいい。 学校が生徒に勉強させる以外にしつけをし規律を守らせる場と考えられていて、 これをひっくるめて 「教育」 と称しているからだ。
 ほんの数十年前までは、 人々は生活の必要に駆られて、 自分の力で読み書き算盤を覚え、 自分の興味に従って読書をし、 気の合う友と語り合って教養を身につけ、 受験勉強も塾や予備校に行かずに旺文社等の受験参考書などを基に学習した。 しつけといっても親が子どもを叱りつける程度のものだった。 今は他者が作った物やサービスを消費する社会になり、 教育もサービスの一つとされた。 勉強もしつけも教育の場である学校でやるものだという心性が生まれ、 児童生徒の出来の悪さはサービス提供者である教師の質の悪さが原因だと思われるようになった。
 非行や怠学や不登校を繰り返す生徒の立場から考えてみよう。 ハンナ・アーレントは人々の行為を労働と仕事と活動に 3 つに分けて考えた (「人間の条件」 筑摩学芸文庫)。 労働は無目的な規律の場で行われる行為であり、 資本の要請に従って行動を拘束され、 同じことを反復し、 時として苦痛を伴い、 分業させられ、 代替可能な行為である。 仕事は自分の生活に必要な物を作る行為で、 家具を整え衣服を繕い炊飯や洗濯などをする。 活動は自分の自由意志に従い、 仲間と議論をしながら、 交換や交流や協業する行為である。 当人にとっての有意義さを基準に置けば、 活動>仕事>労働の順に並べることができる。
 映画 「大脱走」 に出演したアッテンボローが亡くなった。 第二次大戦下、 ドイツの捕虜収容所で、 連合軍の将兵は 「脱走は義務」 と考え、 道具を工面して、 収容所の塀の下にトンネルを掘って脱走を繰り返した。 イギリスの学校でフォークとナイフで脱走を企てた生徒たちは 「大脱走」 を真似したものだ。 ハンナ・アーレントの分類からすれば、 これは活動である。 学校の勉強や規律は他者から強制された労働に過ぎず、 仕事ですらない。 人は自分と仲間の裁量で計画し、 活動してこそ生き甲斐を感じる。
 現在、 小中高の不登校者約17万人 (2013年文科省学校基本調査)、 ひきこもりは推定70万人いるから、 100万人近い若者が学校外で過ごしている。 1980年代に不登校は病気だから治療が必要だとされたが、 文科省は1990年に 「どの子も不登校になりうる」 と認めた。 その後は 「就労支援や対人スキルやコミュニケーション能力が必要」 などと叫ばれている。 このように 「何かしてやらなくてはならない」 という発想は教育心性である。 子どもや若者は 「してもらう」 のではなく、 自分の意志に基づいて活動したいのだ。 お仕着せの 「体験学習」 ではなく、 生の体験がしたいのだ。
 利権に目が眩んだ教育産業、 それを後押しするために民営化を進めた行政、 その政策に乗ったマスコミと親を含む多数派の大人たちの教育心性こそ問われるべきである。



      (やまなし あきら 元県立特別支援学校))
   (ささき けん 研究所共同研究員))

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